三ツ矢雄二

登録日:2012/05/01(火) 22:16:06
更新日:2025/03/26 Wed 20:50:24
所要時間:約 4 分で読めます




三ツ矢雄二とは日本の男性俳優・声優・音響監督である。
1954年10月18日生まれの愛知県豊橋市出身。
株式会社ブリングアップ代表取締役であり、日髙のり子と共に事務所「コンビネーション」を設立した。


『タッチの上杉達也役の人』または『グレーゾーンの人』と言ったらアニヲタ以外でもピンと来るだろう。



【経歴】
〇子役時代
もともとは子役であり、テレビドラマなどに出ていた(『11人いる!』実写版に出演した映像が残っている) 。
それなりに売れっ子だったようだ。

〇声優になったきっかけ
元々声の仕事はしていなかったが、プルルくん(人形劇のアフレコ)で共演した波平こと永井一郎と一緒に飲んでいる時、オーディション(声優)を斡旋してもらったことがきっかけである。
この時、永井は口を拭くナプキンにオーディション会場への地図を書き、「関係者には俺が言っておく」とまで語っていたそうである。
が、当の永井一郎は泥酔状態(三ツ矢曰く「宇宙と交信中」だったため、実際に口利きまでしたのかは不明)であり本当か不安だったが、実際オーディションには参加している。
なぜならそのオーディションこそ三ツ矢雄二の代表作の一つ『コン・バトラーV』だったのである。
ただしこの話にはオチがあり、三ツ矢雄二はこの時のエピソードをあるテレビ番組で語った時、番組スタッフは何故三ツ矢を声優業界に誘ったのかを問うため、インタビューを実施。
しかし肝心の永井は先の通りベロベロに酔っ払っていたため、
「えっ?!全然覚えてないですね」「僕泥酔してたんじゃないですか?全然覚えてないなぁ…」と開口一番コメントしており、
終いにはスタッフに三ツ矢の言葉を伝えられ、他人事のように「そんなこと言ってましたか、へぇ…」とつぶやく始末であった。
三ツ矢「責任取って~!

〇声優になってから
超電磁ロボ コン・バトラーV』のオーディションに参加して主役に抜擢され、以後声優としての活動も始めた*1
新人故に現場ではこってり絞られ、富田耕生からの鞭と、それを受けてフォローする野沢雅子の飴という、正にアメとムチの洗礼を受けてどんどん上達していった。
仕事は順調に増えていき、更に写真集を出したり声優グループで歌を出したりするなど今の若手声優達の先駆けになっている。
ちなみに当時は相当な二枚目だったらしく、ストーカーまでいたそうだ。
…が、その後事務所が赤字になったり他にもイロイロあったりして大変な時代も送ったようだ。
また古谷徹・野島昭生・古川登志夫・曽我部和行と共にバンド『スラップスティック』を組んでおり(初期メンバーの神谷明が抜けた後参加)、キーボードを担当していた。

しかし田中真弓と大きめのミュージカル劇団を結成。しかしミュージカルは年に5回も開催しないといけないうえ、舞台構築を始めとにかく金がかかり、
そもそも100人近い劇団員を抱えていたことなどもあって、予算と釣り合いがまったく取れず、大体5年くらいで解散。
解散により生じた4000万円ほどの借金は田中真弓と折半せず、言い出しっぺである三ツ矢が責任感から1人で返済。
その直後だけ文字通りの無一文になったことから、戸田恵子にお金を借りて仕事にいったと言う。

〇タッチに出演
1984年に『スラップスティック』を脱退。ニューヨークに旅をして帰って来た後の1985年にタッチの上杉達也役のオーディションを受けて合格。
本人は駄目だと思ったらしいが抜擢された。
その後再び売れた。

〇現在
そして現在、二枚目の名残は無いがグレーゾーン変態キャラ、三枚目として再びブレイクしている。
声優以外にも様々な仕事もしており、マルチタレント化している。詳しくは後述。

過去に厳しく育てられてきたこと、さらに音響監督として活躍するようになって以降、声優としては監督的な立場も確立している。
音響監督を始める切っ掛けになったるろうに剣心(第一作)では当初ノンクレジットであり、声優初挑戦の涼風真世を丁寧に指導した。
やがて彼女が慣れたことからプロデューサーから音響監督の交代を言い渡されるが、涼風から「三ツ矢さんじゃないとできない」と慰留され、
結局最後まで担当することになった。
しかしこのときの指導やアフレコ演出が評価されて、音響監督として重宝されるようになる。

テレビ局発の番組でMCを務めた際は「三ツ矢さんが素直に褒めることなんて早々ない」と若手に言われる程の辛口・ご意見番として君臨。
よく業界の若手の今を憂いていたが、その一方で後進育成、というより声優業界の環境整備についても思うところがあり、
若手が使い捨てにされていく現状についてはアベマTV等の番組でスタッフより上のスポンサー陣や会社側に対して苦言と、改善の懇願を行っている。
三ツ矢曰く、ある時音響監督に「三ツ矢さんを雇う予算で新人を数人連れてこられる」と言われたとか。


【声優以外の活動】
声優以外にも脚本家、音響監督などとしても活動している。
自分で劇団を立ち上げたり、若手を育成したり後継者育成にも抜かりはない。
かつて代々木アニメーション学院で講師を勤めていた経験がある。ただし当時の入学案内のパンフレットによると、その演技指導はとてつもなく厳しい代物だったとの事。
声優としては新人だった頃の日髙のり子を徹底的に厳しく鍛え上げ、大御所声優として育て上げたエピソードはあまりにも有名。
また、聖闘士星矢の舞台版では演技指導を頼まれ、なんとあのSMAPに対して指導をしていたことがある
SMAPからは尊敬する兄貴分として慕われていたらしく、後年SMAPとの共演時にハチャメチャなコメントを残すと失望されたとか。

アフレコ監督も務めている。アニメ遊戯王シリーズのOPでクレジットされているのを見た事がある決闘者は多いだろう。
テニミュの歌の歌詞は彼が作詞しているそうだ。

また、その強烈な個性からバラエティー番組に出演した時は芸人を喰う程の存在を示す事が多々ある。
帰れま10出演時は(香取以外の)タカトシを含めた出演者のペースが崩れまくりの独壇場であった。

死去した吉村ようや曽我部和恭、田の中勇、松野太紀から持ち役の一部を引き継いでいる。

ゲイ声優
最近テレビでの露出が盛んになって明らかになったのがゲイ疑惑である。
本人曰く小学生の時に男子から告白されたことが原因かもしれないと言っている。

声優になってからも一度男性から告白されたことがあり、その時は田中真弓に伝言ゲームのように代わりに断ってもらった。

田中「自分で断ればいいのにねぇ~?」

ただし、自身の主催する事務所のオーディションを受けに来た男性に「キミ可愛いね」と言ったりと、ゲイについてはますます謎に包まれていた。

実は兄が会社勤めをしており、迷惑がかかるからという理由で「グレーゾーン」と曖昧な回答をしていたが、
無事退職したので2017年1月12日放映の『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』で改めてゲイだと告白した。
2019年7月、中日新聞の社会面において、自らがゲイである事を公式に認めた。
ゲイである事を公表して周囲から冷たい視線を向けられないか、という記者からの問いに対し、

「その程度の事で仕事が無くなるのであれば、所詮はその程度の付き合いだったと思うようにした。」
「自分ももう60代。これからは自分の思うがままに生きていきたいと思った。」

とまで公言している。
その上で日本政府に対し

「自分のような同性愛者でも、堂々と胸を張って生きていける世の中にして欲しい」

と要望している。


【主な出演作品】
二枚目だけでなく、安心の変態三ツ矢クオリティー(いい意味で)な三枚目も演じている。

〇アニメ・特撮
…など


…など


〇吹き替え
…など




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最終更新:2025年03月26日 20:50

*1 なお、このオーディションには当時ヒーローアニメで主役を演じていた石丸博也神谷明といった錚々たる顔ぶれが揃っていたため、「この人たちを差し置いて素人の自分が受かるわけがない」と思っていたらしい。