登録日:2021/04/17 Sat 08:03:50
更新日:2025/03/02 Sun 21:37:37
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タイタニック(RMS Titanic)は、20世紀初頭、1912年に大西洋横断を目的として建造された
イギリスの悲劇の豪華客船。
所有は
イギリスの「ホワイト・スター・ライン」。
出港時は「不沈船」と堂々と宣伝されており、船長に優秀且つ経験豊富で絶大な信頼を得ていたエドワード・スミスが就任したことも相俟って、乗客の誰もが安全な船旅を信じ切っていた………。
概要
19世紀末から20世紀初頭にかけて、イギリスとドイツは大西洋最速横断記録(ブルーライン)を巡り熾烈な競争を繰り広げていた。
が、「ノルトドイッツァー・ロイド」(北ドイツロイドとも)、「ハンブルク・アメリカ・ライン」(略してハパックとも)のドイツ海運勢にイギリスは押され気味であった。
そこにアメリカのモルガン財閥が「鉄道の次は海運だ!」と「ホワイト・スター・ライン」買収と「ノルトドイッツァー・ロイド」「ハンブルク・アメリカ・ライン」両社との提携、という形で大西洋航路に乱入する。
イギリスのフラッグキャリアとして名を馳せた「キュナード・ライン」はこの動きに「モルガン財閥が買収したホワイト・スター・ラインも提携したロイドもハパックも潰す!ブルーリボンはイギリスのモノだ!」と政府と海軍の支援を受けて世界最大かつ大西洋最速の客船「ルシタニア級」を建造する。
「ホワイト・スター・ライン」もこれに負けじと対抗して造ったのが当時世界最大の客船、タイタニックである。
同じ目的で先に建造されたタイタニックと瓜二つの「姉妹船」に「オリンピック」と「ブリタニック」がある。
因みにキュナードもオリンピック級には危機感を持ったらしく、後に登場した改ルシタニア級であるアキタニア号はオリンピック級に対抗して姉二隻より豪華仕様で仕上がっていた。
ブルーリボン狙いで直結式蒸気タービン4基4軸の強力な機関を備えたルシタニアと違い、
ホワイトスター社の「乗客が快適に目的地入りし入国審査を済ませられる時間に入港させるのがベスト」というモットーに基づいてタイタニックは快適さと経済性重視。
エンジンも往復動蒸気レシプロ機関2基とレシプロ機関で使い終わった低圧蒸気で駆動する小型の直結蒸気タービン1基の合計3軸という、燃費重視のハイブリッド構成である。
ただし一方では巨大な船体に対して舵面積が小さく、舵効きが悪いという欠点があった。
タイタニックのここがスゴイ!
・大きさがスゴイ
先にもちょっと触れたが、全長269.1m、総トン数(容積単位)46,328トンは、当時の客船として世界最大。
実は先に就航した姉のオリンピックよりも客室が増えた分重くなっているため、僅差ではあるがタイタニックが単独トップの栄光を手にしている。
まあ1年後にはドイツのインペラトール号に抜かれるんだけど
旅客定数もマックスで2500人近くと小さめの町レベルの人口を収容できるが、実はこれは当時の同クラスの客船の中ではやや控えめな方。
これはつまり乗客1人当たりのスペースが大きいという意味であり、乗客からしてみればタイタニック内部の体感的な「広さ」は船体のサイズ以上に感じられたことだろう。
・乗り心地がスゴイ
当時のオーシャンライナー(大西洋航路の貨客船)は、効率を重視して速度性能と積載性能を最優先する傾向があったが、これはつまり大出力エンジンの振動や騒音が大きくなるのとイコールだった。
故にオリンピック級ではあえてその方面での勝負を避け、多少速度を犠牲にしても乗客の乗り心地を追求し、それを売り物にしていた。
とはいえ、前述したような燃費効率のよい機関のおかげで最高速度(20ノット強)を安定して出せたため、実際の運航速度にはそれほど大差はなかったようだ。
・豪華さがスゴイ
内装のスタイルは、ロンドン最高にして最先端のホテルとして知られた「リッツホテル」のそれを参考にした、所謂「帝政様式」を主体としている。
デザイン性の重視はホワイト・スター・ライン社の船の特徴であったが、オリンピック級、特にタイタニックではとりわけその傾向が強かった。
当時の豪華客船の内装といえば、宮殿の内装を移築してきたようなハデハデで重厚なバロック調が主体だったのに対し、オリンピック級はそうした古典的な豪華さを保ちつつも、明るくて開放的な現代的スタイルを取り入れていた。
タイタニック内部のキービジュアルとして多用される「大階段」こと一等客室のエントランスホールは、まさしくその象徴とも言える箇所である。
またデザインだけでなく、客船としては世界初の
スイミングプールをはじめ、
お湯が出る風呂、レストラン、カフェ、スポーツジム、テニスコート、サウナ、各種応接室に談話室など、乗客用各種設備も充実の一言であり、この面でも間違いなく当時世界最高クラスだった。
・三等客室もスゴイ
またこれもタイタニックというかホワイト・スター・ライン社の特徴だが、お値段最低クラスの部屋、つまり
三等客室にもかなり気を使っている。
当時のオーシャンライナーの三等客室と言うのは、主に庶民……というかアメリカへの移民が主な客であり、その扱いと言うのはメチャクチャ大雑把だった。
湿った大部屋で毛布をしいただけのごろ寝は当然、食事も粗末な
スープなどで、風呂はもちろんなく、トイレも最低限、…といった感じの「ちょっとマシな
奴隷船」みたいなのも珍しくなかったのだが、オリンピック級の三等客室は違っていた。
まず相部屋とはいえ4-8人ごとに清潔な小部屋が用意され、内部にも1人に対して1つのベッド兼個人スペースがちゃんとあった。
また数が少ないとは言え風呂もあったし、ちゃんと給仕がいるレストランで主菜・副菜がそろった食事が日に4回出されており、少なくない乗客にとっては日常よりも豪華な生活だったかもしれない。
・安全対策がスゴイ(フラグ)
船底は強固な二重構造で、多少の座礁ぐらいではなかなか浸水しない頑強さを誇った。(フラグ)
また船内は16(数え方によっては15)の区画に区切られていて、区画同士の隔壁は各階の操作室から機械操作で閉めることもできたし、いざという場合は船橋から直接遠隔操作で閉めることも可能だった。(フラグ)
よって仮に1ヶ所の区画が浸水したとしても、水密隔壁で遮れば他の区画に影響は及ばず、また同時に4ヶ所の区画が浸水してもなお沈まないという驚異の浮力も持っていた。(フラグ)
救命ボートも当時の規定を上回る20艘(定員数は1178人、ギリまで詰めれば1400人ぐらいは乗れるとされた)が用意されており、万が一船に何かがあっても、沈む前に救助の船に乗り移るには十分だった。(フラグ)
こうした充実した安全対策から、当時の業界紙には「(事実上)不沈艦」と書かれるなど、その安全性には絶対的な信用がおかれていた。(フラグ)
出航
1912年4月10日、乗員乗客合わせおよそ2200人を乗せてイングランド南部のサウサンプトン港から出港。
出港直後には本船のスクリュー渦に巻き込まれて客船ニューヨーク号がタイタニックに誤って接近するトラブルが発生したが、スミス船長の冷静な指揮によって接触事故は回避され、ニューヨークへ向けて優雅な船旅へと出発した。
だが人々は予想だにしなかった。
この船が後に世界を揺るがす悲劇に見舞われることに。
沈没事故
出港から4日後の4月14日午後11時40分頃、ニューファンドランド沖にて当直見張員が進行方向の目の前に巨大な氷山を発見。
ブリッジ指揮を担当していた次席一等航海士ウィリアム・マードックは回避を指示したが、健闘虚しくタイタニックは右舷部が氷山と擦過。
擦過箇所付近の鋼板を繋ぐリベットが弾け飛び、右舷海面下の広範囲に亀裂が発生。水密区画が5区画も浸水するという想像を上回る損傷を受け、翌15日の午前2時20分頃に沈没。
船に備え付けられていた救命ボートの数は乗客・乗員を全員避難させるには明らかに足りず、避難は女性と子供が優先とされたが、
不慣れな船員の操作ミスなどにより、その数少ない救命ボートも定員に余裕があるのに海に下ろしたことで、さらに被害は拡大。
沈没時は、浸水した前方部から沈み始めたことで後方が長時間高く持ち上げられ、遂に自重により真っ二つに裂けたという。
事故後
この事故で2200人の乗員乗客のうち、
1500人余りが犠牲になる史上最悪の海難事故となり、その中にはエドワード・スミス船長やウィリアム・マードック次席一等航海士も含まれていた。
生存者が語ったところによると、自身は乗ろうとせずに同伴した女性だけを救命ボートに乗せ、従者と共にタイタニック号と夜会服で海に沈んだ青年実業家や、女性や子供の避難を出来る限り手助けした上で自分は船に残り、海に投げ出されても助かろうとせずに死んでいった男性建築家、妻と
メイドを先に救命ボートに乗せようとしたが、妻は最期まで夫と一緒にいることを望み運命を共にした老夫婦、「乗客が落ち着いて避難できるように」と沈没する瞬間まで演奏を続けた音楽隊、最期まで旧約聖書を読み乗客たちを励ましつづけた牧師などの犠牲者がいたという。
事故の煽りを受け、所有会社であるホワイト・スター・ライン社の業績は当然一気に悪化。
処女航海に同行していた時の社長であったジョセフ・イズメイは生還し、査問の場では責任をあろうことかスミス船長を初めとするクルーたちに擦りつけようとしたうえ、イズメイの指示で経費と船の外観を理由に搭載されていた救命ボートを半数以上撤去したことなどが世界中から猛批判を浴び、事故から1年後に社長を解任されその後一人寂しい余生を送ることとなった。ボートの数に関しては当時の法例基準を十分満たしていたのでここまでイズメイを責めるのは酷だが、言い逃れは出来なかったことは言うまでもない。なお、「競合に焦るあまり、航路の決定権限を持つ船長を差し置いて氷山が存在する可能性のある最短海路を指示していた」というバッシングもあったがこちらは船長とイズメイの会話を聞いていた乗客の証言によって否定されている。
事故から14年後の1926年、
ライバル企業である「キュナード・ライン」に吸収合併され、「ホワイト・スター・ライン」のブランドは消滅。
この事故の教訓を受けて、1914年に航海の安全意識向上を目的に「SOLAS条約」が締結。
救命ボートを必ず乗船人数よりも多くするなど、安全対策は飛躍的に上昇した。
なお乗客唯一の日本人だった細野正文は辛くも生還を果たし1939年に68歳で天寿を全うしている。
『別のアジア系の乗客を誤認し「他の乗客を押し退けて救命ボートに強引に乗り込んだ日本人がいた」と広まった所為で生涯に渡り人々から謂れのない誹謗中傷に晒されたが、その名誉は細野の死から60年近く経った1997年に漸く回復された。』とする有名な美談があるが、実際には事故当時を含め細野氏の生前に彼を中傷した記録(報道や出版物の類)は何も発見されておらず、細野氏の行為が批判されるようになったのは氏の没後15年以降のことである。
その批判も細野氏の「下降中のボートに(正規の搭乗口ではない)途中の階から飛び乗るという行為」についてであり、イギリス人生還者の証言で別のアジア人の行動(他人を押し退けてボートに乗り込んだ)が日本人(=細野氏)の行動として広まったという話自体も出典の見つからない眉唾だったりする。
更に細野氏に関する生還者の証言や手記の調査が行われたのは映画タイタニックのプロモーションの一環なので、奇しくもなんともなく、美談自体が週刊誌の捏造というのが実際のところらしい。
事故の生存者は、事故の記憶がある最後の生存者リリアン・アスプランド氏(事故当時5歳)は、2006年に99歳で亡くなり、2009年に乗船当時生後間もなかったミルヴィナ・ディーン氏が97歳で永眠したことで、全員が鬼籍に入られた。
救助活動
スミス船長が乗員乗客の避難、つまり船を捨てる決断をしたのが事故発生から約1時間が経過した4月15日0時ごろだった。
それからまもなく通信士によって周辺の船舶に無線救難信号が発信されたのだが、
- カリフォルニアン号(イギリス・レイランドライン社の客船)
タイタニックから最も近い距離(諸説あるが、だいたい20~30km程度の距離だったとされる)に、氷山が多い海域の夜間航行を危険と判断して碇泊中だった。
距離が近かったため、タイタニックの打ち上げた救難信号弾すら肉眼で確認されたのだが、当時のあいまいな海上規則や見張り員・当直航海士の不手際、またタイタニック側の混乱もあって事態の把握が致命的に遅れてしまった。
さらに不運極まりないことに、1人しかいない無線通信士が衝突事故の10分前から就寝中だったため、目と鼻の先で発信されていた救難信号に誰も気づかない状態だった。
- マウント・テンプル号(カナダ・カナダ太平洋鉄道社の客船/貨物船)
カリフォルニアン号に次ぐ近距離(約80km)におり、救難信号にも素早く反応し救助に向かったが、当時の蒸気船としてはかなりの老齢であったのが不幸だった。
全速力でも船足が11ノット(時速21km/h)程度しか出なかった上、タイタニックへの進路上には危険なレベルで氷山が多数浮かんでいたため、何度も船を迂回させたり停止させたりすることになってしまう。
最終的には事故現場の30kmほど手前で完全に立ち往生する形となってしまい、結局到着時刻は(朝6時ごろになってようやく事態を把握した)カリフォルニアン号と大差ない時間となってしまった。
……といった感じで不幸と不手際がこれでもかと言うほど重なり、救援の初動が致命的に遅れてしまう。
仮にだがカリフォルニアン号が事態に即気づけて迅速な救援航行に向かっていたなら、2時間前後もあればたどり着けたはずであり、低体温症で亡くなった多くの乗客が救えていた可能性は高い。
結局現場に最初にたどり着いたのは、皮肉にもホワイト・スター・ライン社のライバル会社であるイギリス・キュナード社の客船カルパチア号だった。
カルパチア号の位置はタイタニックから約110kmと少し離れてはいたが、15日0時25分に通信を確認した通信士は当直航海士、また船長へと素早く情報を伝達した。
船長も即救援に赴くことを決断し、時速25km程度しか出ないカルパチア号を「全乗員を動員して蒸気機関を全力稼働」「すべての蒸気を推力に回すために、暖房や温水などの乗客向け機能を一時的に停止」などの措置によって、時速30kmの速度を無理やり出しつつ事故現場へと急行する。
だがその速度をもってしても到着したのは船体の沈没から約2時間が経過した15日4時ごろであり、すでに多くの乗客が低体温症で凍死した後となってしまった。
カルパチア号によって救出された乗員・乗客は、全乗員・乗客の約1/3にあたる合計710名に過ぎなかったのだ。
とはいえカルパチア号の取った行動は、現場への移動から救助活動、要救助者への処置やその後の処置なども含めてほぼ完ぺきと言っていいほどであり、彼らの勇敢な活動がなければさらに多くの死者が出ていたことは間違いないだろう。
事故要因
結果論だけ述べれば安全管理の不徹底と劣悪な材料で作られた船体。これの一言に尽きる。
上記のように用意されていた救命ボートは全乗員乗客の半分ちょっと程度が乗れる分しかなかった他、船長は氷山の危険性を把握していながら目的地到着を急いでその航路を通っていたという……とされていたが、後に船長が南寄りに航路を変更したことが確認されている。
また、当時の常識では高速で危険地帯を通り過ぎてしまうのがもっとも安全であるとされていたため、「氷山衝突の危険性を把握していながら、航路を変更するのを怠った」というのは厳密には誤りである。
また事故後の救助に関しても、そもそも近辺に船舶そのものが少なかったうえ、数少ないそれらの船も前述の通りの事情で有効な救助ができなかったのも、被害者を増やした大きな要因となった。
尚、船の形状を見ればわかるが側面の損傷よりも前面・後面の損傷の方が小さく済むため、もし回避ではなく正面で接触、座礁していれば被害の拡大は抑えられた可能性は高い。
更に本船は隔壁で浸水した区画を閉鎖してしまうことで、4区画までなら浸水に耐えられる構造であり、実際、同型船の「オリンピック」も以前に衝突事故を起こしているが、後方から相手の船が船尾に突き刺さるように当たったので2区画の浸水で済み、自力で港に戻っている。
しかし当時は進行方向に障害物があった場合は回避行動をするのが通例であったために、当時の航海士たちにそのような発想をしろというのも無茶な話でもある。
また本船の水密構造というのは、最も安全とされるタイプの「完全水密隔壁」……つまり船底から甲板までを隔壁で完全に仕切り、箱型の密閉空間にしてしまう形式
ではなかった。
完全水密タイプにすると安全性は高まる(
ライバル会社のキュナードなどは基本こちらの形式をとっている)が、代わりに上層の船室に広い空間を確保するのが難しくなってしまうので、豪華客船としての居住性を重視したタイタニックでは採用されなかったのである。
それでも浸水区域が安全限界(つまり4区画)に収まっていれば問題はないのだが、本船の様にそれを越える浸水が発生した場合、水密壁を乗り越えて海水が隣の区画にどんどん向かってしまうので、
浮力が猛スピードで失われてしまうのだ。
もし完全水密タイプであれば、沈むのは沈むにしてももうちょっと緩やかに沈んでいったはずであり、乗員の救命活動のために使える時間が増えて、結果犠牲者を減らすことができた可能性は極めて高い。
他にも、大型船がおよそ2時間半という短時間で沈没するというのは過去に前例がなく、大型船舶は沈没に時間を要するというのが当時の認識であったため、
それを鑑みれば世界最大級の大きさを誇る本船の安全意識が多少なり疎かになるのは当然であった部分はある。
氷山の接触によって大きな亀裂が発生した理由として、残骸発見後に行われた研究の結果、船の外板を接合していた錬鉄製のリベットに強度を上げるために含まれた不純物(スラグ)が多すぎて、逆に強度を下げていたていたことも上げられている。
タイタニック号は建造時に鋼鉄リベットの不足や船体形状の問題で、仕方なく船首と船尾の部分にだけワンランク劣る錬鉄リベットを使用していた。
そして事故当時の氷点下の海水温では鉄が低温下で急激に脆くなる現象(低温脆性)も発生し、非常に脆い状態となっていた錬鉄リベットが氷山接触の衝撃に耐えきれずに弾け飛んで亀裂が生じたというのが、現在有力な説である。
そもそも1910年代の製鉄技術の限界でタイタニックを構成する鉄は不純物だらけであり、低温脆性に弱かった。
また近年の研究では、船に積まれていた石炭の管理が甘かったせいで発火し、火災が起こっていたという説も浮上している。
…というか、火災発生自体は当時の調査委員会でも明かされており、当時は「沈没と関係ない」として埋もれてしまっていただけなのだが、
この火災の熱によってただでさえ低温脆性現象を起こしていた船体が更に脆くなり、氷山に接触した際に大きなダメージとなってしまったという。
この説を裏付ける証拠としては以下のようなものが提示されている。
当時撮影されたタイタニック号の船体に、黒い染みのようなものが写っているのが確認されている。これは内部で火災が起きて、壁が焦げているのではないかと考えられている。
また救出、生還したパン焼き職人のチャールズ・ジョーキン氏を始め、異常な暑さや焦げ臭さを感じたという証言もある。
これに合わせて、作業員が燃える石炭を処分するためにボイラーへ次々と放り込んだことが、不必要なスピードが出てしまった原因なのではないか、と一部の研究者の間で考えられるようになった。
但しこれらの指摘は現代の視点からの考察による論に過ぎない。
本船、及びその関係者たちの名誉のために擁護すると、これでも当時としては世界最高レベルの安全対策であった。
まず第一に救命ボートの数。上記のように経費と外観を気にしたイズメイによって当初の予定数から半分以上減らされたが、それでも標準以上だったほど。
先述したように当時は大型の船は沈むのに24時間前後を要するのが普通だった(現にこれ以前の事故では24時間以上船が浮いていた)ことから、救命ボートは海上への避難ではなく救助に来た船への移動手段という認識であり、現代では信じ難いことだが救命ボート自体必要ないというのが当たり前だったのである。
当然、沈没に危険に晒された時の対応マニュアルもそれに基づいたものであったのは言うまでもないだろう。
そんな感覚の中で
タイタニックの事故発生→沈没までのタイムリミットが3時間未満と言う前代未聞の状況に立たされた
のだから乗客も勿論だが船員達も動揺しない方が不思議であり、対応に不手際が目立つのも無理もないだろう。
仮にボートが人数分あったとしても救助出来たかどうかは疑わしく、想定外の状況下において船員達は善戦したと言っても良いであろう。
これらに加え、再三記述するように通常よりも浸水に耐えられる構造になっていたことから、当時の信頼が絶大になるのは言うまでもない。
だからこそ本船の沈没は、それ程にまで衝撃だったのである。
もっと言ってしまえば、これほどの規模の事故が起こるのは本船以外にも普通に有り得たのであり、それがたまたま皮肉なことにタイタニックだったということである。
この他にも、当時は氷山もそれほど危険視されておらず、衝突しても大したことにならないという認識もあった。
そのため、そうした自然の脅威を甘くみていたことも一因であると言える。
総じると、当時の人々の認識と現実に大きなズレがあり、このような大きな沈没事故は航海発展の過程に於いていずれは起きうる事象だったと言えるのかも知れない。
タイタニック号沈没事件以降、戦時中の交戦や通商破壊による撃沈を除外しても、洞爺丸事故など死者1000人を超す船舶事故は起きている。
人工衛星などによる天候予測の発達などの追い風があるにしても、海難事故の根絶には至っていない。
しかし、こうした事故の経験から、いかに海難事故を起こさず、あるいは起きたとしても被害を最小限に食い止めるか、海運業界は常に模索しているのである。
救命ボート
タイタニックと言われると「数少ないボートを奪い合い殺到する人々」や「ボートの最後の1席を譲り合う姿」といったエピソードが有名なため、
某推理漫画の描写の如く「あと一人でも乗ったら転覆してしまうほど満杯に人が乗ったボート」を想像する人も多いが、実は少し違う。
タイタニックは折り畳み式の予備ボートを含め20艇の救命ボートが積まれていたが、ボートの定員の合計が1,178人なのに対し、実際の生存者は710人しかいない。
各ボートが着水した時刻は下記の通り。赤の偶数号が左舷側、青の奇数号が右舷側、A~D号は折り畳み式の予備ボート、カッコの内訳は(乗った人数/定員)である。
着水順 |
着水時間 |
左舷 |
右舷 |
(乗船人数/定員) |
責任者/タイタニック号での役職 |
その他の主な乗船者 |
① |
0:45 |
|
7号 |
(28/65) |
G・A・ホッグ/船員 |
ドロシー・ギブソン |
② |
0:55 |
|
5号 |
(36/65) |
ハーバート・ピットマン/3等航海士 |
|
③ |
0:55 |
6号 |
|
(24/65) |
ロバート・ヒッチェンス/操舵手 |
フレデリック・フリート、マーガレット・ブラウン、アーサー・ゴドフリー・ピューチェン少佐 |
④ |
1:00 |
|
3号 |
(40/65) |
G・ムーア/船員 |
スペドゥン一家 |
⑤ |
1:10 |
|
1号 |
(12/40) |
G・シモンズ/船員 |
ダフ=ゴードン夫妻 |
⑥ |
1:10 |
8号 |
|
(28/65) |
トーマス・ジョーンズ/船員 |
ノエル・レズリー、エレン・バード |
⑦ |
1:20 |
|
9号 |
(48/65) |
A・ヘインズ/甲板長 |
マダム・アウベルト |
⑧ |
1:20 |
10号 |
|
(35/65) |
エドワード・J・ビューリー/船員 |
ミルヴィナ・ディーン、細野正文 |
⑨ |
1:25 |
|
11号 |
(60/65) |
シドニー・ハンフリー/操舵手 |
|
⑩ |
1:25 |
12号 |
|
(28/65) |
ジョン・ポインデスター/船員 |
|
⑪ |
1:30 |
14号 |
|
(45/65) |
ハロルド・ロウ/5等航海士 |
|
⑫ |
1:35 |
|
13号 |
(62~67/65) |
フレデリック・バレット/火夫長 |
レジナルド・リー |
⑬ |
1:35 |
|
15号 |
(65/65) |
フランク・ダイヤモンド/火夫 |
|
⑭ |
1:35 |
16号 |
|
(40/65) |
ジョセフ・ベイリー/一等下士官 |
|
⑮ |
1:40 |
|
C号 |
(40/47) |
ジョージ・T・ロウ/操舵手長 |
ブルース・イズメイ |
⑯ |
1:45 |
2号 |
|
(18/40) |
ジョセフ・ボックスホール/4等航海士 |
|
⑰ |
1:55 |
4号 |
|
(30/65) |
W・J・パーキス/操舵手 |
マデリン・アスター |
⑱ |
2:05 |
D号 |
|
(24/47) |
アーサー・ブライト/船員 |
ナヴラティル兄弟、キャロライン・ブラウン |
⑲ |
×(漂流) |
|
A号 |
(13/47) |
|
ローザ・アボット |
⑳ |
×(漂流) |
B号 |
|
(27/47) |
|
チャールズ・ライトラー2等航海士、アーチボルド・グレーシー4世、チャールズ・ジョーキン、ハロルド・ブライド通信 |
※沈没後、ロウ5等航海士は救助に戻るため、10・12・D号ボートを繋いで固定した後14号ボートのメンバーを移動させた他、組み立て途中だったA号ボートや裏返しで漂流していたB号ボート上に居た者達は救助が来る前に別のボートに移動しているため救命ボートのリストは資料によって差異がある。
見た通りほんどの救命ボートは定員割れを起こしていたのである。
定員割れの理由
1.乗客がボートに乗りたがらなかった
氷山との衝突から約30分後の0:05の時点で船長は救命ボートへの避難命令を出し、客室係達が乗客の間を回って救命具を付けてデッキに集合するよう伝えて回ったが、乗客たちは寒い船外に出ようとせず船内で
ゲームやお喋りをしていた。
乗客のパニックを抑えるため当初はタイタニックの被害状況は伏せられていたうえ、当時は大型船は沈むのに時間がかかり小さな船はすぐ沈むと考えられていたため、タイタニックの中にいた方が安全だと考えたのである。極寒の大海原に手漕ぎボートで放り出されるとなれば不安になるのは致し方ないし、実際に救助が来る前にボート上で凍死した者もいるので決して的外れな不安ではない。
船員達が乗客を説得して回り、ようやく最初の救命ボートが着水したのは0:45のことであった。(この時点ですでに沈没まで残り1時間半しかない)
ただし、目に見えて船が傾き、沈没まで時間が無いことがわかってくると今度はボートに人が殺到するようになってくる。
2.船員達が定員に関する情報を知らなかった
多くの船員は救命ボートの定員やボートを降ろすクレーン・ワイヤー等の強度に関して知らされておらず、満席になるほど乗せたら転覆してしまう(=空席を残した状態で着水させるべき)と考えていた。
13号、15号ボートの状態を見ても判るとおり定員は余裕をもたせて設定してあり、定員65名のボートには実際は70人は乗れたとされている。クレーンやワイヤー強度の話を別にすればカルパチア号に救助された際の12号ボートには74人も乗っていたが大丈夫だった。(さすがに転覆寸前ではあったが。)
全てのボートにギリギリまで乗ればあと500人は救助できたとも言われている。
なお生き残った船員達は「乗客のスペースを占拠した卑怯者」だとタイタニックの犠牲者の遺族だけでなく、自身の家族や友人からも非難を浴びせられて、多くの船員が家族から勘当された。
3.時間が無かった
氷山との衝突後、処女航海に同行していたタイタニックの設計者トーマス・アンドリューズが被害状況を確認し、沈没までの残り時間を概ね正確に計算しており、航海士らは沈没までの残り時間が2時間も無いことを知らされていた。
そのため救命ボートごと本船が沈没するという事態を避けるため焦って大急ぎで次々と救命ボートを降ろしたという面もある。
とりあえず海上に空きのあるボートがあれば海に投げ出された人をボートが救助することもできるように思えるが、事故海域の夜間の海水温はマイナス2度であり、海に投げ出されれば下手すると心臓麻痺でショック死、長くても10~20分で凍死してしまう。
ボートの責任者だった船員含めこのことを知らない者も多く救命ボートに人が殺到してボートが転覆することを恐れ、結局沈没後救助に戻ったボートは1艇だけだった。運よくボートの近くに落ちた者や自力でボートまで泳ぐ体力のあった者が数名ボートに引き上げられている。また、船の下層階にある出入り口から直接海上のボートに乗り込む案もあったが扉は既に水没しており、扉に向かった船員は全員溺死して帰ってこなかった。
なおそれだけ急いでも最後の2艇は組み立てが間に合わず波に攫われて海に流されてしまっており(この状況は
キャメロン版の映画でも忠実に再現されている)、当時も今も救命ボートの数を減らしてしまったイズメイ社長を批難する声は多いが、仮に人数分の救命ボートがあったとしても被害者の数はたいして変わらなかったとするのが専門家の意見である。
4.「婦女子優先」の精神に則った
当時、海難事故においては女性と子供を先に避難させるべきという「Women and children first(=女子供優先)」と呼ばれる行動規範があり、タイタニックの避難の際にもこの精神に則り航海士たちは女性と子供を優先的にボートに乗せた。
右舷を担当したマードック一等航海士は空きがあれば男も乗せることがあったが(決して
賄賂で買収されたわけではない)、左舷担当のライトラー二等航海士やロウ五等航海士は(前述の通りボートの耐久性を誤認していたこともあり)空きがあっても男がボートに乗るのを許さず、時には拳銃で威嚇してボートに乗ろうとする男を引きずり出し空席のままボートを降ろしてしまった。
右舷側の奇数号ボートは沈没近くなってくると定員ギリギリもしくは定員越えをしていたが、左舷の偶数号では相変わらず定員割れをしている(最も多く乗せた14号ですら定員の8割に満たない)のはそのためである。
左舷側では13歳の少年ですら救命ボートに乗せず(ライトラーは3等客のアボット夫人の息子は13歳と17歳であったが息子二人は救命ボートに乗れなかった。一方1等客の13歳の少年は父親が抗議をしてやっと乗せてもらえたがその後男の子はもう乗せないとぶつぶつ叫んでいた。)実際に威嚇で発砲もしており、前述の唯一の日本人乗船客だった細野氏は生還後「撃たれる覚悟でボートに飛び乗った」と手記に残しているが、決して大げさな話ではなかったのである。
これはスミス船長の避難指示があいまいだったせいでもあるが、事前の
避難訓練や避難マニュアルがいい加減だったという船会社の責任でもある。
特に法律上の根拠があるわけではないが、社会的にもこの行動規範は広く知られており、生還した男性が後日バッシングを受けたり、聖職者や高齢者などボートの搭乗を許されたものの辞退した男性もいたことがわかっている。
結果として女性客と子供の生存者が352名に対して男性客の生存者は146名という歪な生存率で、二等船客10代男性は17人中1人のみ生存という悲惨な状況となってしまった。
もし船長が女性が乗りたがらなったり空きがあったら女性がいても男性を乗せるように指導したり、見回ってライトラーに注意をしたら生存者はもっと増えていた。
現在
タイタニックはその後、沈没から73年後の1985年に水深約3650m地点で発見された。
千切れた船体の前方部は比較的緩やかに沈んでいったことから内装を含めて殆ど原型を保っている。
一方の後方部は、沈没時に大きく旋回しながら沈み、勢いよく海底に叩き付けられたことから前方部とは対照的に損傷が激しく、原型を殆ど失っている見るも無惨な状態となっている。
船の管理は
アメリカ合衆国政府が担っており、特別な許可が降りない限りは調査はされないようになっている。
タイタニックを扱った博物館は、アメリカミズーリ州の「Titanic Branson」と
イギリスの北アイルランドベルファストの「Titanic Belfast」の2つがある。
どちらもタイタニックから引き上げられた遺物の展示や犠牲者の紹介と追悼を主としているが、前者は船体前部を再現した外観をし、実際にタイタニックに乗船している擬似体験をすることに重きを置いている。
また後者はタイタニックが建造された地である。
タイタニックが沈んだ海域はバクテリアが生息していることからそれによる侵食が激しく、現代から90年〜100年後には自重により崩壊すると見込まれている。
尚、2010年に船体を喰い荒らしているバクテリアの中に新種が発見されたことから、これに因んでそのバクテリアは「ハロモナス・ティタニカエ(Halomonas titanicae)」と命名された。
タイタニック号を主題とした作品
事故から約1ヶ月後に生存者の一人であったドロシー・ギブソンが自ら主演と脚本を務めて公開された映画。
本作を皮切りに、タイタニック号を題材とした映画作品が数多く今日まで制作された。
1997年に公開されたジェームズ・キャメロン監督作の映画。
タイタニック号を題材とした映画作品の中で、最も大ヒットした作品として有名であろう。
2009年に同監督作の『
Avatar』に越えられるまで興行収入世界1位を記録し、
米アカデミー賞11部門に輝くなど世界的な名作となり、映画史に名を刻んだのみならず、この世の全ての人にタイタニック号の存在を知らせる程の多大な影響力を残した。
日本で作られたタイタニック号を題材とした作品の一つで、樽屋雅徳氏の
吹奏楽曲。
一等航海士のマードックが航海中こまめに家族へ手紙を書いていた習慣を元に、彼が綴った手紙になぞらえてタイタニック号の航海を描いた曲である。
キャメロン版映画ではあまり良い人物には描かれていなかったマードック航海士であるが、
作曲者の樽屋氏は『船が沈む最後の瞬間まで勇敢に乗客の救出にあたった、乗組員の一人です。』と紹介しており、
楽譜出版元であるフォスターミュージック社も楽曲紹介ページにおいて
『映画の中で描かれたマードック航海士は(映画の項目にもある劇中の行動の説明)というなんとも悲劇的な最後を遂げていますが、史実は定かではありません。
ただ、勤勉家で家族思いだったとされるマードック氏は、きっと乗客救出のために最後まで懸命に務めたはずだと信じずにはいられません。』と言葉を寄せている。
フォスターミュージック社や演奏団体がYouTubeに公式の動画を上げているので、興味が出た人は聞いてみるといいかも。楽器編成の違いによる3つの版がある。
1898年初版発行のモーガン・ロバートソンの小説。
「豪華客船『タイタン号』が真夜中に氷山と激突して沈没、救命ボートが足りなかったために被害が拡大した」……という内容で、
この事故との類似が話題となり、事故後に『タイタンの遭難 または 愚行』と改題、「タイタン号」の重量と馬力を増加する改訂を経ている。
実際の事物を元に作品を書いたり、架空の事物が後に実在してしまう例は数あれど、
先行作品を後から起こった実際の事故に寄せてしまう例は意外と珍しいのではないだろうか。
一歩間違えたらただの不謹慎だもんね。
実際の事故とは相違点も多いので類似点ばかりを書き連ねて
予言/預言扱いするのは
箇条書きマジックというものだが、
モーガン・ロバートソンは元一等航海士なので、当時の客船の巨大化・高速化傾向やいつか氷山に衝突する可能性、万が一沈没した場合救命ボートが足りない事、
巨大だからって奈落に落とされた巨人なんかの名前にちなむセンスぐらいまでは予期していたのかも知れない……。
タイタニック号をモデルとして扱った作品
沈没したタイタニック号がゴーストとして、本来の目的であったニューヨークへの入港を果たす。「入港がずいぶん遅れたな」
作品中に12歳くらいの女の子、6歳くらいの男の子と、その家庭教師が登場する。
「氷山にぶっつかって船が沈みましてね」という台詞から、タイタニック号の事故をモチーフにしたと思われる。
龍の置物をアメリカに売り込もうとした
黒幕の曽祖父が犠牲者、その龍の置物を狙って乗船していた
ルパンの祖父が生還者という設定。
「豪華客船編」で
主人公たちが乗った豪華客船のモデル。
前半はどことなくバイオハザードを思わせる展開だが、後半の氷山に激突して沈没する展開はまさに事故の内容そのもの。
処女航海の時期も類似している。
「伝説の豪華客船」というエピソードがタイタニック号の沈没を題材とした内容となっている。
都市伝説
冒頭にあるようにタイタニック号はオリンピック、ブリタニックという姉妹船がある。
実は沈んだのは実は姉のオリンピック号の方で、タイタニック号ではない、という
都市伝説。
オリンピック号は経年劣化によってかなりボロボロであり、たとえ沈没したとしても保険金も下りない状態だった。
姉妹船のタイタニック号とオリンピック号は当然外見がそっくりであり、同じドックで修理されたときにこっそり入れ替え、
古いオリンピック号を新しいタイタニック号と偽ってわざと沈めることで保険金をせしめようとしたのではないか……
タイタニック号の出港前に大株主を始めとした関係者が大量に乗船をドタキャンしており、これはタイタニック号が沈むのがわかっていたからだ。
もっとも、客室を増やす、吹きさらしの通路の一部にガラスをはめ込むなどオリンピックの運用経験を踏まえた設計変更がタイタニックにはされているので、両者は総トン数が違うし見比べればすぐわかる程度に変更点がある。
またオリンピック号もまだ就航してから1年ほどの新型船であった。
そもそも保険金目当ての偽装事故にしても、ドッグ内や停泊中の方が手間や人損の面ではやり易いだろう。
すり替えはあくまで陰謀論めいた見方から生まれた
都市伝説である。
タイタニック号には極秘に積み込まれたとある貨物があった。
その貨物はアメン・ラー神の巫女のものであり、関わった人間に次々と不幸を齎すいわくつきのものだった。
タイタニック号はアメリカの博物館にこの
ミイラを運ぶ途中だったのだが、ミイラの呪いによって沈んでしまったのだという
都市伝説。
この噂はテレビ番組でも取り上げられたことがあり、その時はミイラの呪いによって発狂した船長が救難信号を出さなかったことが大惨事につながったと解説されていた。
実際にはタイタニック号に
ミイラが積み込まれたという事実はない。
また船長も一人でも多くの乗客を救うために尽力したとされている。
余談
- 「アニメ ポケットモンスター(無印)」でサントアンヌ号が嵐の中で転覆してしまう話があるが、これがTV放送された年は『タイタニック』が公開された年でもある。
- 海外のホラーコンテンツ『Backrooms』のfandom版wikiに記載されている『Level415』はタイタニックをモチーフとしているレベルである。
- オーストラリアの億万長者クライブ・パーマー氏が現代の安全基準に準拠した復元船「タイタニックⅡ」を建造する計画を立てているが、処女航海中に温暖化によって巨大な氷山が崩落した際に発生した津波によって救命ボートを失い、氷山に衝突してしまう映画が
現実で着工するより前に
アサイラムによって公開されている。尚、現実の着工は延期が続き、四川省の水上ホテルとしての復元計画「ロマンディシー」の方が先に完成しそうである。
追記・修正は氷山を回避してからお願いします。
- 死を覚悟してウイスキーを飲み続けた結果、極寒の海を泳ぎ切って生還した男のエピソード好き。 -- 名無しさん (2021-05-11 21:28:21)
- 生還した女性客室係ヴァイオレット・ジェソップはその後、救急看護隊の看護婦としてブリタニック号に乗船。またしても沈没事故に遭遇し、今度は乗っていた救命ボートがブリタニック号のスクリューに巻き込まれて重傷を負ったが、辛うじて生存した(同乗していた他の21人はスクリューに巻き込まれた際に死亡)。1970年、82歳になったジェソップの元に「タイタニック号であなたに助けてもらった赤ん坊です」と電話がかかってきた。タイタニック号から脱出する際にマードックから託された赤ん坊で、その後はぐれていた母親の元に無事届けられたという。ジェソップが亡くなる1年前のことだった。 -- 名無しさん (2021-05-20 00:45:09)
- ↑その客室係、呪われてたんじゃない? -- 名無しさん (2021-05-20 01:18:30)
- 近年だと -- 名無しさん (2021-10-23 00:27:01)
- ↑出港時には既に燃料の石炭が貯蔵しているのも燃えてしまい船体が脆くなっていたとか映画のように沈没したのではなく横転して沈んだのでは?な話もある -- 名無しさん (2021-10-23 00:29:51)
- 救助ボートに空きが一つだけあって、未婚女性が子供が家で待ってる既婚女性に譲ったなんて話もある。 -- 名無しさん (2021-12-17 14:44:12)
- オリンピック号をタイタニック号に偽装するなんてドムトルーパーをドムに改造する以上に無茶な話 -- 名無しさん (2021-12-17 14:47:36)
- ↑事故が起きる前まではオリンピック号の方が有名だったから、タイタニックの宣伝や新聞記事にオリンピック号の写真を使ってたせいで生まれた都市伝説らしい。 -- 名無しさん (2021-12-27 10:29:08)
- 史実を列挙しつつも読みやすい。まさに良項目や! -- 名無しさん (2021-12-28 23:40:49)
- 今気付いたが沈没した日今日だ。だからなんだって話なんだけと…。 -- 名無しさん (2022-04-15 19:06:07)
- 現代のタイタニックことKAZU1 -- 名無しさん (2022-05-13 12:55:13)
- いつの時代も事故が起きないと対策をしないのはどこも同じなんだな。 -- 名無しさん (2022-07-18 13:13:19)
- YouTubeで船内映像(沈む前)を見たことがあるけど自分がこの当時乗ってたら船内をブラブラした後本読んで飯食って風呂入って寝る位しかやることがないな -- 名無しさん (2022-09-30 12:43:04)
- 3Dリマスター版を今日観てきて思ったが、仮に救命ボートが全員分あったとしてもとてもじゃないが全員乗せるより先に沈没しそうだよね。その救命ボートだってすぐ転覆しそうだったし… -- 名無しさん (2023-02-14 19:24:09)
- ↑残り時間が3時間しか無いし定員未満の人数で降ろしてもまだ2台組み立てる前に沈没してるから何十台あろうが無理だよ -- 名無しさん (2023-03-18 23:26:49)
- 最近では船体が折れたのは洋上ではなく海底への着底時に屈曲するように折れた、というのが定説らしい -- 名無しさん (2023-04-07 23:26:18)
- 沈んだ船と同じ名前の潜水艇で見に行くとか不吉にもほどがあるだろ。 -- 名無しさん (2023-06-23 09:47:51)
- 逆説かもしれないけど「なにか事故が起こる、起こりやすい要因のある場所かもしれない」って意味で調べたりはしなかったのかな?とは思う -- 名無しさん (2023-06-23 21:01:03)
- 海って変化が激しそうだから難しいのかもね -- 名無しさん (2023-06-23 22:03:55)
- 同じ名前付けるのもそうだし、実質海底の墓標みたいなところだろうに道楽で見に行くとか罰当たりなとしか -- 名無しさん (2023-06-23 22:46:23)
- 人って死が目の前に差し迫った時本性が現れるよねり他人に責任なすり付けてでも自分だけは助かろうとする者、他人を優先して手助けする者、最後まで自分の仕事に責任を持ち命を落とす者。ちなみにタイタニックには色んな動物も乗っていて助かったのは2匹だけだったらしい -- 名無しさん (2023-10-11 08:02:52)
- ↑7姉妹船のブリタニックはタイタニックの3分の1の猶予しかなかったのによく35隻のボート降ろせたもんだ -- 名無しさん (2024-02-19 23:04:50)
- タイタニックは2つに折れた状態で海底に沈んでいるけど昔の映画では2つに折れずにそのままの形で沈んでしまったんだよな -- 名無しさん (2024-07-15 17:00:43)
- 21世紀まで生きた生存者はたった5人しかいなかったという。そのうち1人が男性で「タイタニックの孤児」として広く知られるようになった人物だという。 -- 名無しさん (2024-08-28 21:15:36)
- 上記の事故の記憶がある最後の生存者は、なぜそこまで事故のことを話すことや公の場に出ることをしなかったのだろう? -- 名無しさん (2024-08-28 21:21:57)
- ここまで凄惨な沈没事故が起こったにもかかわらずセウォル号、知床の歓呼船沈没といった運営側の不備による海難事故が無くならないってのがあまりにもやるせないわ -- 名無しさん (2024-09-01 18:10:40)
- コメントのログ化を提案します -- 名無しさん (2024-09-24 09:45:29)
- コメントをログ化しました -- (名無しさん) 2024-10-01 09:53:11
- タイタニック事故の8年前にはニューヨークでこれに匹敵する事故が起きているのだが...こちらはあまり知られていない。 -- (名無しさん) 2024-10-23 19:00:53
- 生存者の中には、1997年の映画『タイタニック』に出演したグロリア・スチュアートのように、100歳以上生きた者もほんの少しだけだったが存在した。 -- (名無しさん) 2024-10-23 19:05:31
最終更新:2025年03月02日 21:37