メイショウタバル(競走馬)

登録日:2025/08/31 Sun 01:17:18
更新日:2025/09/17 Wed 11:17:29
所要時間:約 7 分で読めます




メイショウタバル(Meisho Tabaru)とは日本の競走馬
ゴールドシップ産駒初の平地GI牡馬であり、タイトルホルダー・ジャックドール・パンサラッサの日高逃げ馬三銃士がターフを去って以降の2024年クラシック世代大逃げ馬の代表格としても知られる。

目次

【データ】

誕生:2021年4月20日
父:ゴールドシップ
母:メイショウツバクロ
母父:フレンチデピュティ
調教師:石橋守 (栗東)
馬主:松本好雄
生産者:三嶋牧場
産地:浦河町


【誕生】

2021年4月20日生まれの鹿毛の牡馬。この当時イケイケで、当時メイショウハリオを出していた三嶋牧場の生産である。
父は2012年クラシック世代筆頭に挙げられた問題児皐月・菊二冠馬のゴールドシップ。
母メイショウツバクロは13戦2勝で金沢の交流競走を制したスプリンターのダート馬であるが、父フレンチデピュティはダートもステイヤーも出し、母父ダンスインザダークもステイヤー特性を併せ持っていたりする。
おまけに母母母父にはマチカネフクキタルの父であるクリスタルグリッターズもいる。

調教師の石橋守師は現役騎手としての最後の勝利がメイショウツバクロの新馬戦であり、現役時代の代表的なお手馬がメイショウサムソンであると文字通りの調教師ゆかりの血統。
そしてメイショウの総帥である松本好雄氏をして、趣味である放牧に出した母馬と子馬が夕方一緒に馬房へ帰ってくる風景を眺めていた所、母メイショウツバクロとこの仔馬が目につき、母仔ともに呼び寄せたところ「いい馬」だなぁと評した上で
もらうから」と即決した経緯があったりする(なお母がメイショウの馬だとは知らなかったとの事)。
調教助手はビワハイジビワハヤヒデ、ヒルノダムール、ディープスカイなどの名馬に携わった上籠三男氏である(氏いわくタバルへは「タバさん」「兄貴」と呼んでるとの事)。

【戦歴】

2〜3歳

2023年10月9日に京都競馬場の2歳新馬戦芝2000mでデビュー。新馬及び2戦目は若手の角田大河を鞍上に迎えるも、それぞれ4着と5着。
これを受け浜中俊へと乗り替わったことで未勝利を突破、若駒Sに向かうが出走直前に歩様が乱れて除外。仕切り直したつばき賞をアタマ差で制すと皐月賞を目標にスプリングSへと矛先を向けるが今度はフレグモーネで直前回避。
幸いにも症状が軽かったため翌週の毎日杯へとスイッチすると坂井瑠星鞍上*1で出走すると、シンザン記念覇者ノーブルロジャーを向こうに回して逃げて上がり最速6馬身差の大圧勝
石橋調教師にも調教師11年目にして初の重賞制覇を捧げる事となった。
問題は勝ちタイムであり、勝ちタイムの1分46秒0は歴代2位タイのタイム、しかも他条件は全て良馬場56kgでの物であるにもかかわらず今年の条件は重馬場57kg*2
さらにそれまでの勝ちタイム歴代トップ5の3歳時の主な勝ち鞍がダービー*3ダービー*4ダービー*5有馬記念*6皐月賞*7と言う事実から将来が大きく切望されていた。

しかしそうは言ってもこの馬、坂井瑠星曰く乗りやすい馬とは言うもののオヤジ程ではないがそこそこの気性難であり、レースになると気性が荒くなる言う
ある意味「らしい」産駒であった(ただし、アレのような「行かせろコラ!」とは逆の、上籠助手いわく「臆病な性格からくるもの」だったらしい)。
結果、浜中鞍上に戻った皐月賞ではダノンデサイルの検査→除外で神経が高ぶったのか先頭に立つも、浜中も制御不能な程に掛かってしまい
前半1000m57秒5と言う、マイルレースのような狂気のペースで大暴走。結果、直線で逆噴射して最下位17着となってしまった。
その様はまるでツインターボを彷彿とさせ「実はマイラーなのでは」と言う説まで飛び出すほど。
奇しくもこれが1着ジャスティンミラノの皐月賞レコード1:57.1を生み出す遠因になり、それどころか最下位の筈の当のメイショウタバルすら1:59.3と
2022年皐月賞のジオグリフ(と2着イクイノックス)すら上回る異常事態に発展した。
ダービーでも台風の目となる事が目されていたが、挫跖が発覚し、前日に無念の回避。
そこから改めて菊花賞を目指し、まずは前哨戦として神戸新聞杯へ出走し、浜中を鞍上に逃げを選択。
稍重の中を1000m62秒60秒ジャストというペースで走り、最後こそバテたが2着ジューンテイクを半馬身差で躱して1着。
父子制覇と共に石橋師へ重賞2勝目のプレゼントとなった。
しかし本番の菊花賞では、1周目から目まぐるしく先頭が入れ替わる激戦となったこともあり16着大敗。
その後は有馬記念出走を予定していたが、ファン投票枠を取れなかった(30位)上、秋古馬三冠に王手をかけていたドウデュース(枠順確定後に出走取消)や同期のダービー馬ダノンデサイルなど有力馬が多数集まったことで、
カラテ・ホウオウビスケッツに次ぐ補欠3番手という厳しい状況となってしまう。
それでも陣営は回避馬の発生に賭けて準備を続けていたが、結局出走はかなわず、不完全燃焼のままクラシックシーズンを終えることとなった。

4歳

古馬となったタバルは、有馬記念除外からスライドする形で年明けの日経新春杯(GII)に出走。
前年から続く阪神競馬場の改修工事に伴い、自身が制した神戸新聞杯同様中京芝2200mでの開催となっており、ハンデも57.5kgとさほど重くなかったことから、2番人気に推されることとなる。
そして好スタートを決め、スムーズにハナを切ったのだが……

後に鞍上の浜中が「コーナーに入ってからガッツリかかって」と振り返るように大暴走
1000m通過が57秒7というハイペースで後続を大きく引き離した大逃げとなるも、直線で逆噴射して11着と菊花賞に続きこれまた苦い結果に*8

その後、大阪杯(GI)を目指すものの、有力馬が集まり除外が濃厚となっていた。
一方で、UAE・メイダン競馬場で行われるドバイターフ(G1)へも同時に出走登録しており、こちらからは招待状が届いていた。
ドバイに遠征するには馬主が追加登録料を払わなければならないのだが、年初より松本氏が親交の深かった武豊へ電話でメイショウタバルのことを相談したところ
「ドバイに行きましょうか。ドバイターフはワンターンだし、そこに行きましょう」と進言を受けたことにより、松本氏は追加登録料を支払いドバイへの遠征を決断した。
結果、かつてのメジロマックイーンの主戦騎手&祖父ステゴの香港ヴァーズ騎乗騎手で、逃げでの実績も多い(相談先の)武豊本人を鞍上に迎え、香港最強馬ロマンチックウォリアー*9に挑むこととなった。

現地では、海外遠征の経験が豊富なソウルラッシュ*10と共に調教を行い、後ろから追走して折り合う練習を行った。同時に馬具を変更して白いシャドーロールを着用したところ、大きく体を使えるようになったという。
その上、普段と違う環境に身を置いたことで人を頼ることも覚えており、後に担当の上籠助手が「ドバイ遠征がなければ今のタバルはない」と振り返る程に、心身共に大きな成長を果たす転機となった。

結果、本番では絶妙なラップ*11を刻んでペース逃げを打ち、
最終的にはソウルラッシュが8mm差でロマンチックウォリアーを撃破するのを後ろで見届ける形となったが、本馬も逆噴射する事なく粘って5着掲示板入り。
既にGI馬となっていたブレイディヴェーグとリバティアイランドに先着する健闘を見せた。
後日投稿された武豊のブログでは、ドバイターフでの本馬について「ピッタリ折り合えたわけではない」と前置きしつつも、今後の成長への期待が語られていた。

そして帰国初戦となった宝塚記念も武豊騎手が継続騎乗。
この2025年第66回宝塚記念から、開催週が4週目から2週目へ早まり、しかも開催前日からの雨で馬場が重くなることが予想されていた。そのため、前走での好走や本馬の道悪適性もあってか、
馬券販売開始時には一時単勝1.4倍の1番人気まで踊り出るも、結局7番人気に(奇しくも2003年第44回宝塚記念のヒシミラクルおじさんと同じ構図だった為、同様の人物が現れたと噂された)。
本番は晴れ稍重馬場でスタートし、父と異なりすんなりゲートを出るなりハナを切ると即刻内ラチを走り、ジューンテイクとベラジオオペラがそれを追う展開に。
だが1000m59秒1と稍重馬場としては速いペースで、しかもべラジオオペラには3コーナー時点でハナ差まで詰められていた事もあり、このまま万事休すと思われていたが……

「粘る、頑張る、メイショウタバル!」
(関西テレビ 岡安譲アナウンサー)

なんとタバルは全く沈まなかった。
それどころか、タバルを追っていた先行馬達の方が直線入口で力尽きて逆噴射し始めたのである。そして……


「粘る粘る粘る、メイショウタバル!」
(関西テレビ 岡安譲アナウンサー)

「逃げるぞメイショウタバル武豊!逃げるぞメイショウタバル武豊!」
(ニッポン放送 清水久嗣アナウンサー)


先頭を譲らないどころか後続を再び突き放して三馬身差で圧勝ゴールイン(2着ベラジオ オペラ )。見事に仁川の一人逃げを炸裂させたのだった。


かくして120億円事件からちょうど10年目にして宝塚記念の親子制覇を父の日に成し遂げ、武豊に19年ぶり*14の宝塚最多勝となる5勝目を、石橋厩舎にとって初のGI制覇を、
そして24年前と同様、オペラ の名を持つGI馬を撃破し、馬主の松本氏へ12年ぶりの芝GI勝利をプレゼントした*15ついでに父のやらかした120億円の負債の折り返しにもなった。
なおこのレースで関西テレビの岡安アナと解説の安藤勝己氏から父ゴルシとは全く違うと頻りに言われたのは後述されている通りである。

宝塚記念の後は9月後半まで放牧に出され、天皇賞(秋)へ直行することが決定。松本氏と石橋調教師によると、秋天の後ジャパンカップには出走せず、前年出走出来なかった有馬記念を目指す方針のようだ。

なお、松本氏はメイショウタバルのローテを石橋調教師と話し合った後の8月29日に87歳で逝去している。膵臓癌を患っていたとのことで、メイショウタバルの宝塚記念が松本氏が馬主として最後のG1勝利を飾ったレースとなった。

タバルを含む松本氏の所有馬の権利がどうなるかについてはまだ未定ではあるものの、息子の好隆氏や妻の和子夫人も馬主であり「メイショウ」の冠名を持つ馬を所持しているため、家族たちに権利が引き継がれる可能性が高いと思われる。

余談

初GI勝ち鞍となった2025年の第66回宝塚記念では、本馬もさることながら実況の岡安アナ&アンカツによる数々の父親いじりも注目された。
まずスタート直後にハナを切った際に岡安アナが「メイショウタバルが行きました武豊! あぁお父さんと違ってスイスイ行きますメイショウタバル!!*16」とゴールドシップの120億事件をネタにしたことから始まり、
1着になってリプレイ映像が流れる中でも「おそらく、お父さんのゴールドシップは北海道で応援しているのか? まぁあの馬のことだからしていないかもしれませんけど、気まぐれなんでねw」と評し、
一緒に実況していたアンカツも鮮やかな勝利に「ゴールドシップの面影も無いですね」ボロクソに褒めそやしていた*17

ちなみに、関西テレビの競馬関連動画を公開しているカンテレ競馬YouTubeチャンネルの『ウマアナトーク』では、直前に「思い出の宝塚記念……」という名の下ゴルシ被害者の会なる題目で、
本番の実況を控えた岡安譲アナと120億円事件の時に実況を不運にも担当してしまった川島壮雄アナと数々の奇行に振り回された両名の座談会が行われていた。
もちろんこれが盛大な前フリになろうとは当時知る由もなく……

そしてレース後には当日の振り返りも公開され、岡安アナと川島アナがこの実況内容について触れた折りに、
いくらゴルシがネタ的に人気とはいえここまで小馬鹿にしては岡安さんが炎上してしまうんじゃないかと川島アナは心配していたことが語られたが、当の岡安アナはそこまで気にしていなかった模様。
どちらかといえばこの日は馬名の間違い*18もあって当該レースはそれどころでなく大真面目に取り組んでいたらしい。
つまり大真面目でやった結果であるが、本人自身'13/'14春天や'12神戸新聞杯・菊花賞、'13阪神大賞典でイヤと言うほどアレの洗礼を受けているせいかあのナチュラルないじりが出たのだった。
そして炎上するどころか笑いに昇華してしまった所に父の名馬兼迷馬ぶりを伺わせる。

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最終更新:2025年09月17日 11:17

*1 浜中は同日中山開催の日経賞でボッケリーニの先約があった。

*2 2024年より斤量が軽かった2歳3歳限定戦等が1kg増えるようになっている

*3 シャフリヤール:2021年ダービー、22年ドバイシーマクラシック勝ち馬

*4 ディープスカイ:2008年ダービー、NHKマイルカップ勝ち馬

*5 キズナ:2013年ダービー勝ち馬

*6 ブラストワンピース:2018年有馬記念勝ち馬

*7 アルアイン:2017年皐月賞、2019年大阪杯勝ち馬

*8 ちなみに本馬の1600m通過タイムは、中京芝1600mのコースレコードに0秒2と迫る1:32.2であった。

*9 2018年生の香港調教馬で、2022年から2024年にかけて香港カップ(G1)及び香港QEII世C(G1)を3連覇した他、2024年に日本へ遠征して安田記念を制するなどG1・10勝を挙げた「浪漫勇士」。また2着となった2025年のサウジカップでは、フォーエバーヤングと最終直線で壮絶なマッチレースを繰り広げたことでも知られる。

*10 2018年生の牡馬で、父:ルーラーシップ、母:エターナルブーケ。主な勝ち鞍は2024年マイルCS(GI)、2022年・2024年マイラーズC(GII)など。初GI制覇となったマイルCSで、鞍上の団野大成騎手がまだゴールしていないにも関わらず派手なガッツポーズを決めた事に対し、騎手としての注意義務を怠ったとして5万円の過怠金を課された「課金ガッツポーズ」で有名。また2024年安田記念でロマンチックウォリアーに0.1秒差の3着に敗れており、ドバイターフはそのリベンジの機会であった。

*11 600mから1000mまで11.57-11.57-11.58と誤差わずか0.01秒という精密ぶりであった。これは武豊の体内時計が50代半ばを過ぎてなお衰えていないことを示すと同時に、タバル自身の成長により暴走癖を抑えられるようになった事も証明している。

*12 宝塚の重~稍重で先行した例として最速と言えるのは、 1000m57.5とバカ逃げした2007年のローエングリンの例があるが、最後は全頭に差されて最下位に落ちている。稍重で馬券内1000m最速はこの宝塚と後述2016年のキタサンブラックが最速である。

*13 第57回宝塚記念では、稍重馬場でやはりキタサンブラックでハナを切って12.6-11.0-11.1-12.3-12.1-12.4-12.3-12.2-11.9-12.2-12.7、1000m通過は同じく59秒1であった。なおゴール直前にマリアライト(2015年のゴルシ引退の有馬のレースで大捲りを阻止した馬で知られる)とドゥラメンテに躱された。

*14 2006年のディープインパクト以来。ちなみに宝塚記念の最年少勝利と最年長勝利記録を同時に持つこととなった。GⅠ最年長勝利は3日差で横山典弘騎手が死守しているが。

*15 ちなみに前回芝GIを勝ったのはメイショウマンボ。主戦は武豊の弟武幸四郎。

*16 ちなみに岡安アナは2013年阪神大賞典で「ゴールドシップはスタートを決めたんですが下がっていきます。これはいつものゴールドシップ、押せども動かないゴールドシップは最後方。もう、ファンの皆さんも慣れた感じ、ざわめきは上がりません阪神競馬場です。」と実況していたりする。

*17 しかも岡安アナがそれに乗っかり「結果も全然違いますしね!」と返している

*18 同日の第4R、3歳未勝利戦に出場していた「ホウオウレイヴン」を最後まで「ホウオウイレブン」と言い間違えていた