登録日:2025/08/31 Sun 01:17:18
更新日:2025/10/06 Mon 18:14:54
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メイショウタバルとは日本の
競走馬。
ゴールドシップ産駒初の平地GⅠ牡馬であり、
タイトルホルダー・ジャックドール・
パンサラッサの日高逃げ馬三銃士がターフを去って以降の2024年クラシック世代大逃げ馬の代表格としても知られる。
目次
【データ】
誕生:2021年4月20日
父:
ゴールドシップ
母:メイショウツバクロ
母父:フレンチデピュティ
調教師:石橋守 (栗東)
馬主:松本好雄→松本好隆
生産者:三嶋牧場
産地:浦河町
【誕生】
2021年4月20日生まれの鹿毛の牡馬。この当時イケイケで、当時メイショウハリオを出していた三嶋牧場の生産である。
父は
2012年クラシック世代筆頭に挙げられた
問題児皐月・菊二冠馬のゴールドシップ。
母メイショウツバクロは13戦2勝で金沢の交流競走を制したスプリンターのダート馬であるが、父フレンチデピュティはダートもステイヤーも出し、母父ダンスインザダークもステイヤー特性を併せ持っていたりする。
おまけに母母母父には
マチカネフクキタルの父であるクリスタルグリッターズもいる。
調教師の石橋守師は
現役騎手としての最後の勝利がメイショウツバクロの新馬戦であり、現役時代の代表的なお手馬が
メイショウサムソンであると文字通りの調教師ゆかりの血統。
そしてメイショウの総帥である松本好雄氏をして、趣味である放牧に出した母馬と子馬が夕方一緒に馬房へ帰ってくる風景を眺めていた所、母メイショウツバクロとこの仔馬が目につき、母仔ともに呼び寄せたところ「いい馬」だなぁと評した上で
「
もらうから」と即決した経緯があったりする(なお母がメイショウの馬だとは知らなかったとの事)。
調教助手は
ビワハイジ、
ビワハヤヒデ、ヒルノダムール、ディープスカイなどの名馬に携わった上籠三男氏である(氏いわくタバルは「タバさん」「兄貴」と呼んでるとの事)。
【戦歴】
2〜3歳
2023年10月9日に京都競馬場の2歳新馬戦芝2000mでデビュー。新馬及び2戦目は若手の角田大河を鞍上に迎えるも、それぞれ4着と5着。
これを受け浜中俊へと乗り替わったことで未勝利を突破、若駒Sに向かうが出走直前に歩様が乱れて除外。仕切り直したつばき賞をアタマ差で制すと皐月賞を目標にスプリングSへと矛先を向けるが今度はフレグモーネで直前回避。
幸いにも症状が軽かったため翌週の毎日杯へとスイッチすると坂井瑠星鞍上で出走すると、シンザン記念覇者ノーブルロジャーを向こうに回して逃げて上がり最速6馬身差の大圧勝。
石橋調教師にも調教師11年目にして初の重賞制覇を捧げる事となった。
問題は勝ちタイムであり、勝ちタイムの1分46秒0は歴代2位タイのタイム、しかも他条件は全て良馬場56kgでの物であるにもかかわらず今年の条件は重馬場57kg。
さらにそれまでの勝ちタイム歴代トップ5の3歳時の主な勝ち鞍がダービーダービーダービー有馬記念皐月賞}}と言う事実から将来が大きく切望されていた。
しかしそうは言ってもこの馬、坂井瑠星曰く乗りやすい馬とは言うもののオヤジ程ではないがそこそこの気性難であり、レースになると気性が荒くなる言う
ある意味「らしい」産駒であった(ただし、アレのような「行かせろコラ!」とは逆の、上籠助手いわく「臆病な性格からくるもの」だったらしい)。
結果、浜中鞍上に戻った皐月賞では
ダノンデサイルの検査→除外で神経が高ぶったのか先頭に立つも、浜中も制御不能な程に掛かってしまい
前半1000m57秒5と言う、マイルレースのような狂気のペースで大暴走。結果、直線で逆噴射して最下位17着となってしまった。
その様はまるでツインターボを彷彿とさせ「実はマイラーなのでは」と言う説まで飛び出すほど。
奇しくもこれが1着ジャスティンミラノの皐月賞レコード1:57.1を生み出す遠因になり、それどころか最下位の筈の当のメイショウタバルすら1:59.3と
2022年皐月賞のジオグリフ(と2着
イクイノックス)すら上回る異常事態に発展した。
ダービーでも台風の目となる事が目されていたが、挫跖が発覚し、前日に無念の回避。
そこから改めて菊花賞を目指し、まずは前哨戦として神戸新聞杯へ出走し、浜中を鞍上に逃げを選択。
稍重の中を1000m
62秒60秒ジャストというペースで走り、最後こそバテたが2着ジューンテイクを半馬身差で躱して1着。
父子制覇と共に石橋師へ重賞2勝目のプレゼントとなった。
しかし本番の菊花賞では、1周目から目まぐるしく先頭が入れ替わる激戦となったこともあり16着大敗。
その後は有馬記念出走を予定していたが、ファン投票枠を取れなかった(30位)上、
秋古馬三冠に王手をかけていた
ドウデュース(枠順確定後に出走取消)や同期のダービー馬ダノンデサイルなど有力馬が多数集まったことで、
カラテ・ホウオウビスケッツに次ぐ補欠3番手という厳しい状況となってしまう。
それでも陣営は回避馬の発生に賭けて準備を続けていたが、結局出走はかなわず、不完全燃焼のままクラシックシーズンを終えることとなった。
4歳
古馬となったタバルは、有馬記念除外からスライドする形で年明けの日経新春杯(GⅡ)に出走。
前年から続く阪神競馬場の改修工事に伴い、自身が制した神戸新聞杯同様中京芝2200mでの開催となっており、ハンデも57.5kgとさほど重くなかったことから、2番人気に推されることとなる。
そして好スタートを決め、スムーズにハナを切ったのだが……
後に鞍上の浜中が「コーナーに入ってからガッツリかかって」と振り返るように大暴走。
1000m通過が57秒7というハイペースで後続を大きく引き離した大逃げとなるも、直線で逆噴射して11着と菊花賞に続きこれまた苦い結果に。
その後、大阪杯(GⅠ)を目指すものの、有力馬が集まり除外が濃厚となっていた。
一方で、UAE・メイダン競馬場で行われるドバイターフ(GⅠ)へも同時に出走登録しており、こちらからは招待状が届いていた。
ドバイに遠征するには馬主が追加登録料を払わなければならないのだが、年初より松本氏が親交の深かった
武豊へ電話でメイショウタバルのことを相談したところ
「ドバイに行きましょうか。ドバイターフはワンターンだし、そこに行きましょう」と進言を受けたことにより、松本氏は追加登録料を支払いドバイへの遠征を決断した。
結果、かつての
メジロマックイーンの主戦騎手&祖父
ステゴの香港ヴァーズ騎乗騎手で、
逃げでの実績も多い(相談先の)武豊本人を鞍上に迎え、
香港最強馬ロマンチックウォリアーに挑むこととなった。
現地では、海外遠征の経験が豊富なソウルラッシュと共に調教を行い、後ろから追走して折り合う練習を行った。同時に馬具を変更して白いシャドーロールを着用したところ、大きく体を使えるようになったという。
その上、普段と違う環境に身を置いたことで人を頼ることも覚えており、後に担当の上籠助手が「ドバイ遠征がなければ今のタバルはない」と振り返る程に、心身共に大きな成長を果たす転機となった。
結果、本番では600mから1000mまで11.57-11.57-11.58と誤差わずか0.01秒という精密ぶりを見せる絶妙なラップで逃げて見せた。
これは武豊の体内時計が50代半ばを過ぎてなお衰えていないことを示すと同時に、タバル自身の成長により暴走癖を抑えられるようになった事も証明している。
むしろ洋芝テン乗りなのに何でこんなラップが刻めるんだこの人……
洋芝でこのペースで逃げを打った結果、最終的にはソウルラッシュが8mm差でロマンチックウォリアーを撃破するのを後ろで見届ける形となったが、本馬も逆噴射する事なく粘って5着掲示板入り。
既にGⅠ馬となっていたブレイディヴェーグと
リバティアイランドに先着する健闘を見せた。
後日投稿された武豊のブログでは、ドバイターフでの本馬について「ピッタリ折り合えたわけではない」と前置きしつつも、今後の成長への期待が語られていた。
そして帰国初戦となった宝塚記念も武豊騎手が継続騎乗。
この2025年第66回宝塚記念から、開催週が4週目から2週目へ早まり、しかも開催前日からの雨で馬場が重くなることが予想されていた。そのため、前走での好走や本馬の道悪適性もあってか、
馬券販売開始時には一時
単勝1.4倍の1番人気まで踊り出るも、結局7番人気に(奇しくも2003年第44回宝塚記念の
ヒシミラクルおじさんと同じ構図だった為、同様の人物が現れたと噂された)。
本番は晴れ稍重馬場でスタートし、
父と異なりすんなりゲートを出るなりハナを切ると即刻内ラチを走り、ジューンテイクとベラジオオペラがそれを追う展開に。
だが1000m59秒1と稍重馬場としては速いペースで、しかもべラジオオペラには3コーナー時点でハナ差まで詰められていた事もあり、このまま万事休すと思われていたが……
なんとタバルは全く沈まなかった。
それどころか、タバルを追っていた先行馬達の方が直線入口で力尽きて逆噴射し始めたのである。そして……
「逃げるぞメイショウタバル武豊!逃げるぞメイショウタバル武豊!」
先頭を譲らないどころか後続を再び突き放して三馬身差で圧勝ゴールイン(2着ベラジオオペラ)。見事に仁川の一人逃げを炸裂させたのだった。
さて、ここでゴール直後に岡安譲が叫んだ「ユタカマジック炸裂ゥ~!」の部分がどれだけイカれているのかを見ていく。
前述の通り、1000m通過の59.1秒は稍重にしては異常に速いタイムであり、先行馬にはやはりしんどいペースであった。
実際、メイショウタバルについていったリビアングラス、ジューンテイク、道中早めに動いてしまったヨーホーレイクは皆掲示板外に沈み、ほぼ最後方だったジャスティンパレスは最後猛然な追い上げを見せ三着に入線した。
また、人気馬レガレイラの鞍上戸崎騎手が「脚の溜まっている感じがしなかった」とコメントしていることから、中団の差し馬にとっても優しくないラップだったといえる。
では、なぜメイショウタバル自身はこのラップを乗り切り快勝できたのか?
その答えは、まず阪神競馬改良工事が行われ水捌けが改善したこと、そして開催週が早まったことで芝の劣化が抑えられたことで、グリーンベルト(内ラチ沿いの荒れていないライン)を通過して最短距離で廻れた事、
さらには毎日杯でも見せたタバル自身の高い重馬場適性によるものだと考えられる。
そして何よりカギを握ったのは、鞍上武豊のキモすぎる精密なラップ刻みであろう。その推移は……
12.4-11.0-11.4-12.1-12.2-12.2-11.9-11.9-11.8-11.7-12.5。
上は今回の宝塚記念のレースラップだが、注目したいのは中盤。何と1200mにわたって、1F12.0±0.2秒のラップが刻まれているのである。
しかも、多少早くなっている後半部分は3コーナーから始まる下り坂部分と一致しており、実質的には1F12.0秒ほどのラップと言ってよい。
すなわち本レース中、武豊は施行距離(2200m)の半分以上にわたり、実質1F12.0秒ジャストのペースメイクをし続けたということになるのである。
もちろん、これほどマイペースにラップを刻めたのは、馬場がタバルに完璧に向いていた事、2番手を追走し潰しに行ける馬がいなかった事、これまで暴走機関車であったタバルへの自滅警戒から、番手の馬もオーバーペースを恐れて潰しにいけなかった事など、
様々な好因が重なったことも事実である。とは言え、坂井瑠星の毎日杯のように乗りやすいと評されてはいたが、実際に浜中俊鞍上で年始まで暴走機関車だったタバルにキッチリと折り合いをつけた上で、
普通であれば無理に制御しようとすれば暴走するであろう1コーナー通過前までに67km/hから57km/hまで適度に減速させる適度にハミを嚙ませながらドバイターフで見せた後続の脚をじわじわ削る断続的なラップを0.1秒単位で正確に刻む技術を完璧な形で再現。
何より稍重でオーバーペースギリギリの逃げ(=これより速く攻めれば余計にスタミナが削られ、番手の馬も60秒前後で通過する分安易に追込みも出来ない)で寄せ付けさせなかった。
このように心理や展開の先を読み尽くし、自分だけは逃げられる自信と勘による戦術、全てが計算し尽くされているところにはっきり言って人間業ではない要素の全てが凝縮されている。
確かにブルーイレヴンやアルナシームと言った武豊を以てしても制御不能な馬はいる中、馬も精神面の成長からそれに応えとは言っても、並みのジョッキーには出来ない神業なのだ。
まさに「逃げの武豊」と呼ばれるゆえんを存分に見せ人馬一体となった。
そんな「芸術」と言える逃げだったといえよう。まさに「ユタカマジック」とはよく言ったものである。
なお、奇しくも武豊自身2016年第57回宝塚記念で
キタサンブラック騎乗時に全く同じレース運びをして3着と言う経験も味方したと言えるし、まるで逃げのキタサンブラックを再現してるかのような競馬であり、
改めて我慢を覚えたメイショウタバルの心肺機能も合わさった
恐ろしいコンビが生まれたと言わざるを得ない。
かくして120億円事件からちょうど10年目にして
宝塚記念の親子制覇を父の日に成し遂げ、武豊に19年ぶりの宝塚最多勝となる5勝目を、石橋厩舎にとって初のGⅠ制覇を、
そして
24年前と同様、オペラの名を持つGⅠ馬を撃破し、馬主の松本氏へ12年ぶりの芝GⅠ勝利をプレゼントした。
ついでに父のやらかした120億円の負債の折り返しにもなった。
なおこのレースで関西テレビの岡安アナと解説の安藤勝己氏から父ゴルシとは全く違うと頻りに言われたのは後述されている通りである。
宝塚記念の後は9月後半まで放牧に出され、武豊騎手と共に天皇賞(秋)へ直行することが決定。松本氏と石橋調教師によると、秋天の後ジャパンカップには出走せず、前年出走出来なかった有馬記念を目指す方針のようだ。
なお、松本氏はメイショウタバルのローテを石橋調教師と話し合った後の8月29日に87歳で逝去している。膵臓癌を患っていたとのことで、メイショウタバルの宝塚記念が松本氏が馬主として最後のGⅠ勝利を飾ったレースとなった。
現在、タバルを含む松本氏が所有していた馬たちのオーナー名義は息子の好隆氏に移っている。彼も「メイショウ」の冠名を持つ馬を以前から所持していたため、父に万が一が起きた際は所有馬を引き継ぐのではないかと言われていたが、それが正式に行われた形である。
余談
初GⅠ勝ち鞍となった2025年の第66回宝塚記念では、本馬もさることながら実況の岡安アナ&アンカツによる数々の父親いじりも注目された。
まずスタート直後にハナを切った際に岡安アナが「メイショウタバルが行きました武豊! あぁお父さんと違ってスイスイ行きますメイショウタバル!!」とゴールドシップの120億事件をネタにしたことから始まり、
1着になってリプレイ映像が流れる中でも「おそらく、お父さんのゴールドシップは北海道で応援しているのか? まぁあの馬のことだからしていないかもしれませんけど、気まぐれなんでねw」と評し、
一緒に実況していたアンカツも鮮やかな勝利に「ゴールドシップの面影も無いですね」とボロクソに褒めそやし、岡安アナもそれに乗っかり「結果も全然違いますしね!」と返している。
ちなみに、関西テレビの競馬関連動画を公開しているカンテレ競馬YouTubeチャンネルの『ウマアナトーク』では、直前に「思い出の宝塚記念……」という名の下ゴルシ被害者の会なる題目で、
本番の実況を控えた岡安譲アナと120億円事件の時に実況を不運にも担当してしまった川島壮雄アナと数々の奇行に振り回された両名の座談会が行われていた。
もちろんこれが盛大な前フリになろうとは当時知る由もなく……
そしてレース後には当日の振り返りも公開され、岡安アナと川島アナがこの実況内容について触れた折りに、
いくらゴルシがネタ的に人気とはいえここまで小馬鹿にしては岡安さんが炎上してしまうんじゃないかと川島アナは心配していたことが語られたが、当の岡安アナはそこまで気にしていなかった模様。
どちらかといえばこの日は馬名の間違いもあって当該レースはそれどころでなく大真面目に取り組んでいたらしい。
つまり大真面目でやった結果であるが、本人自身'13/'14春天や'12神戸新聞杯・菊花賞、'13阪神大賞典でイヤと言うほどアレの洗礼を受けているせいかあのナチュラルないじりが出たのだった。
そして炎上するどころか笑いに昇華してしまった所に父の名馬兼迷馬ぶりを伺わせる。
追記・修正お願いします。
- お父さんと違ってすいすい進んでいく馬 -- 名無しさん (2025-08-31 13:41:18)
- 粘る!頑張る!メイショウタバル! -- 名無しさん (2025-08-31 14:54:33)
- 競馬史上稀に見る孝行息子 -- 名無しさん (2025-08-31 16:55:23)
- 粘る粘る粘るメイショウタバル―! ・・・さて武豊が確保できない秋天はどうなるだろうか。期待。 -- 名無しさん (2025-08-31 17:15:53)
- 岡安譲さんの名調子がやっぱり印象的だなw -- 名無しさん (2025-09-01 08:56:07)
- 松本オーナーへの最後のG1の贈り物になったね。オーナー、今までありがとうございます。 -- 名無しさん (2025-09-02 14:31:23)
- 人の絆の中に角田大河や浜中俊は入っていますか? -- 名無しさん (2025-09-27 01:13:24)
最終更新:2025年10月06日 18:14