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メイショウタバル(競走馬)

登録日:2025/08/31 Sun 01:17:18
更新日:2026/08/16 Sun 12:11:36
所要時間:約 7 分で読めます




メイショウ(Meisho)タバル(Tabaru)とは日本の競走馬
ゴールドシップ産駒初の平地GⅠ牡馬であり、タイトルホルダー・ジャックドール・パンサラッサの日高逃げ馬三銃士がターフを去って以降の2024年クラシック世代大逃げ馬の代表格としても知られる。


【データ】

誕生:2021年4月20日
父:ゴールドシップ
母:メイショウツバクロ
母父:フレンチデピュティ
調教師:石橋守 (栗東)
主戦騎手:浜中俊→武豊
馬主:松本好雄→松本好隆
生産者:三嶋牧場
産地:浦河町


【誕生】

2021年4月20日生まれの鹿毛の牡馬。
この当時、メイショウハリオを筆頭にダノンキングリーやファストフォースを生産しイケイケ状態だった三嶋牧場の生産である。
父は2012年クラシック世代筆頭に挙げられた問題児皐月・菊二冠馬のゴールドシップ。
母メイショウツバクロは13戦2勝で金沢の交流競走を制したダートのスプリンターだが、その父フレンチデピュティはダートもステイヤーも出し、更にメイショウツバクロの母父ダンスインザダークもステイヤー特性を併せ持っていたりする。
おまけに母母母父にはマチカネフクキタルの父であるクリスタルグリッターズもいる。

初代馬主は、メイショウの総帥である松本好雄氏。趣味である放牧に出した母馬と子馬が夕方一緒に馬房へ帰ってくる風景を眺めていた所、母メイショウツバクロとこの仔馬が目につき、母仔ともに呼び寄せたところ「いい馬」だなぁと評した上で
もらうから」と即決した経緯があったりする(なお母がメイショウの馬だとは知らなかったとの事)。
調教師の石橋守師は騎手時代から松本オーナー深い縁があり、メイショウ軍団唯一のダービー馬であるメイショウサムソンの主戦を任されていた。また、現役騎手としての最後の勝利がメイショウツバクロの新馬戦であり、メイショウタバルは血統の面から見ても石橋師とは縁の深い馬であった。
調教助手はビワハイジビワハヤヒデ、ヒルノダムール、ディープスカイなどの名馬に携わった上籠三男氏である(氏いわくタバルは「タバさん」「兄貴」と呼んでるとの事)。

冠名メイショウの後ろに付く「タバル」は、熊本市の田原坂が由来である。

【戦歴】

2〜3歳

2023年10月9日に京都競馬場の2歳新馬戦芝2000mでデビュー。新馬及び2戦目は若手の角田大河を鞍上に迎えるも、それぞれ4着と5着。
これを受け浜中俊へと乗り替わったことで未勝利を突破、若駒Sに向かうが出走直前に歩様が乱れて除外。仕切り直したつばき賞をアタマ差で制すと皐月賞を目標にスプリングSへと矛先を向けるが今度はフレグモーネで直前回避。
幸いにも症状が軽かったため翌週の毎日杯へとスイッチ。浜中騎手は同日に先約があったため、坂井瑠星騎手を鞍上にそえて出走すると、シンザン記念覇者ノーブルロジャーを向こうに回して逃げて上がり最速6馬身差の大圧勝
石橋調教師にも調教師11年目にして初の重賞制覇を捧げる事となった。
問題は勝ちタイムであり、勝ちタイムの1分46秒0は歴代2位タイのタイム、しかも他条件は全て良馬場56kgでの物であるにもかかわらず今年の条件は重馬場57kg*1
さらにそれまでの勝ちタイム歴代トップ5の面々は

馬名 主な勝ち鞍
シャフリヤール 21年日本ダービー・22年ドバイSC
ディープスカイ 08年NHKマイル・日本ダービー
キズナ 13年日本ダービー
ブラストワンピース 18年有馬記念
アルアイン 17年皐月賞・19年大阪杯

と錚々たる名馬ばかりが並んでいたため、将来が大きく切望されていた。

しかしそうは言ってもこの馬、坂井瑠星曰く乗りやすい馬とは言うもののオヤジ程ではないがそこそこの気性難であり、レースになると気性が荒くなると言うある意味「らしい」産駒であった(ただし、アレのような「行かせろコラ!」とは逆の、上籠助手いわく「臆病な性格からくるもの」だったらしい)。
結果、浜中鞍上に戻った皐月賞ではダノンデサイルの検査→除外で神経が高ぶったのか先頭に立つも、浜中も制御不能な程に掛かってしまい
前半1000m57秒5と言う、マイルレースのような狂気のペースで大暴走。結果、直線で逆噴射して最下位17着となってしまった。
その様はまるでツインターボを彷彿とさせ「実はマイラーなのでは」と言う説まで飛び出すほど。
奇しくもこれが1着ジャスティンミラノの皐月賞レコード1:57.1を生み出す遠因になり、それどころか最下位の筈の当のメイショウタバルすら1:59.3と
2022年皐月賞のジオグリフ(と2着イクイノックス)すら上回る異常事態に発展した。
ダービーでも台風の目となる事が目されていたが、挫跖が発覚し、前日に無念の回避。
そこから改めて菊花賞を目指し、まずは前哨戦として神戸新聞杯へ出走し、浜中を鞍上に逃げを選択。
稍重の中を1000m62秒60秒ジャストというペースで走り、最後こそバテたが2着ジューンテイクを半馬身差で躱して1着。
父子制覇と共に石橋師へ重賞2勝目のプレゼントとなった。
しかし本番の菊花賞では、1周目から目まぐるしく先頭が入れ替わる激戦となったこともあり16着大敗。
その後は有馬記念出走を予定していたが、ファン投票枠を取れなかった(30位)上、秋古馬三冠に王手をかけていたドウデュース(枠順確定後に出走取消)や同期のダービー馬ダノンデサイルなど有力馬が多数集まったことで、
カラテ・ホウオウビスケッツに次ぐ補欠3番手という厳しい状況となってしまう。
それでも陣営は回避馬の発生に賭けて準備を続けていたが、結局出走はかなわず、不完全燃焼のままクラシックシーズンを終えることとなった。

4歳


海外遠征と新たな相棒

古馬となったタバルは、有馬記念除外からスライドする形で年明けの日経新春杯(GⅡ)に出走。
前年から続く阪神競馬場の改修工事に伴い、自身が制した神戸新聞杯同様中京芝2200mでの開催となっており、ハンデも57.5kgとさほど重くなかったことから、2番人気に推されることとなる。
そして好スタートを決め、スムーズにハナを切ったのだが……

後に鞍上の浜中が「コーナーに入ってからガッツリかかって」と振り返るように大暴走
ハイペースで後続を大きく引き離した大逃げを打った結果、1000m通過が57秒7。1600m通過タイムに至っては、1分32秒2。これは中京芝1600mのコースレコードに0秒2と迫る凄まじいタイムであった。しかし、2200mのレースでこれだけ飛ばしたら最後まで脚が残るはずがない。案の定、最終直線で逆噴射して11着に大敗。菊花賞に続きこれまた苦い結果となった。

その後、大阪杯(GⅠ)を目指すものの、有力馬が集まり除外が濃厚となっていた。
一方で、UAE・メイダン競馬場で行われるドバイターフ(GⅠ)へも同時に出走登録しており、こちらからは招待状が届いていた。
ドバイに遠征するには馬主が追加登録料を払わなければならないのだが、年初より松本氏が親交の深かった武豊へ電話でメイショウタバルのことを相談したところ
「ドバイに行きましょうか。ドバイターフはワンターンだし、そこに行きましょう」と進言を受けたことにより、松本氏は追加登録料を支払いドバイへの遠征を決断した。
結果、かつてのメジロマックイーンの主戦騎手&祖父ステゴの香港ヴァーズ騎乗騎手で、逃げでの実績も多い(相談先の)武豊本人を鞍上に迎え、香港最強馬ロマンチックウォリアー*2に挑むこととなった。

現地では、海外遠征の経験が豊富なソウルラッシュ*3と共に調教を行い、後ろから追走して折り合う練習を行った。同時に馬具を変更して白いシャドーロールを着用したところ、大きく体を使えるようになったという。
その上、普段と違う環境に身を置いたことで人を頼ることも覚えており、後に担当の上籠助手が「ドバイ遠征がなければ今のタバルはない」と振り返る程に、心身共に大きな成長を果たす転機となった。

結果、本番では600mから1000mまで11.57-11.57-11.58と誤差わずか0.01秒という精密ぶりを見せる絶妙なラップで逃げて見せた。
これは武豊の体内時計が50代半ばを過ぎてなお衰えていないことを示すと同時に、タバル自身の成長により暴走癖を抑えられるようになった事も証明している。むしろ洋芝テン乗りなのに何でこんなラップが刻めるんだこの人……
洋芝でこのペースで逃げを打った結果、最終的にはソウルラッシュが8mm差でロマンチックウォリアーを撃破するのを後ろで見届ける形となったが、本馬も逆噴射する事なく粘って5着掲示板入り。
既にGⅠ馬となっていたブレイディヴェーグとリバティアイランドに先着する健闘を見せた。
後日投稿された武豊のブログでは、ドバイターフでの本馬について「ピッタリ折り合えたわけではない」と前置きしつつも、今後の成長への期待が語られていた。

急坂を越えた先の栄光

そして帰国初戦となった宝塚記念も武豊騎手が継続騎乗。
この2025年第66回宝塚記念から、開催週が4週目から2週目へ早まり、しかも開催前日からの雨で馬場が重くなることが予想されていた。そのため、前走での好走や本馬の道悪適性もあってか、
馬券販売開始時には一時単勝1.4倍の1番人気まで踊り出るも、結局7番人気に(奇しくも2003年第44回宝塚記念のヒシミラクルおじさんと同じ構図だった為、同様の人物が現れたと噂された)。
本番は晴れ稍重馬場でスタートし、父と異なりすんなりゲートを出るなりハナを切ると即刻内ラチを走り、ジューンテイクとベラジオオペラがそれを追う展開に。
だが1000m59秒1と稍重馬場としては速いペースで、しかもべラジオオペラには3コーナー時点でハナ差まで詰められていた事もあり、このまま万事休すと思われていたが……

「粘る、頑張る、メイショウタバル!」
(関西テレビ 岡安譲アナウンサー)

なんとタバルは全く沈まなかった
それどころか、タバルを追っていた先行馬達の方が直線入口で力尽きて逆噴射し始めたのである。そして……


「粘る粘る粘る、メイショウタバル!」
(関西テレビ 岡安譲アナウンサー)

「逃げるぞメイショウタバル武豊!逃げるぞメイショウタバル武豊!」
(ニッポン放送 清水久嗣アナウンサー)


先頭を譲らないどころか最後の上り坂で後続を再び突き放して三馬身の差をつけて圧勝ゴールイン(2着ベラジオオペラ)。見事に仁川の一人逃げを炸裂させたのだった。


かくして120億円事件からちょうど10年目にして宝塚記念の親子制覇を父の日に成し遂げ、武豊に19年ぶり*8の宝塚最多勝となる5勝目を、石橋厩舎にとって初のGⅠ制覇を、
そして24年前と同様、オペラの名を持つGⅠ馬を撃破し、馬主の松本氏へ12年ぶりの芝GⅠ勝利をプレゼントした*9ついでに父のやらかした120億円の負債の折り返しにもなった。
なおこのレースで関西テレビの岡安アナと解説の安藤勝己氏から父ゴルシとは全く違うと頻りに言われたのは後述されている通りである。

宝塚記念の後は9月後半まで放牧に出され、武豊騎手と共に天皇賞(秋)へ直行することが決定。松本氏と石橋調教師によると、秋天の後ジャパンカップには出走せず、前年出走出来なかった有馬記念を目指す方針となった。

なお、松本氏はメイショウタバルのローテを石橋調教師と話し合った後の8月29日に87歳で逝去している。膵臓癌を患っていたとのことで、メイショウタバルの宝塚記念が松本氏が馬主として最後のGⅠ勝利を飾ったレースとなった。

その後、タバルを含む松本氏が所有していた馬たちのオーナー名義は息子の好隆氏に移っている。
彼も「メイショウ」の冠名を持つ馬を以前から所持していたため、父に万が一が起きた際は所有馬を引き継ぐのではないかと言われていたが、それが正式に行われた形である。

苦悩の秋

さて次走11月2日の天皇賞(秋)であるが、選ばれた枠は8枠13番。これは武豊にとって、曾祖父メジロマックイーンが1991年の同レースで起こした降着事件の際に入っていた7枠13番以来の13番である。レース当日は8.6倍の5番人気で推された。

前年に逃げて3着に入っていたホウオウビスケッツがいることや8枠というゲート位置もあってか、戦前武豊は「逃げるとは限らない」とコメントしていたが、スタートがスムーズだったこともあり、結局ハナを取る形となった。
こうして展開の主導権を握ることに成功したのだが、1000mの通過タイムはなんと62秒*10。武豊はあの暴走機関車だったメイショウタバルを超がつくスローペースに落とし込んでいたのである。
真後ろにいたコスモキュランダの津村騎手は頭が上がるほど必死に馬を抑えており、2番手で様子を見ていたホウオウビスケッツは去年60秒程度で逃げていたこともあって掛かりまくり、マスカレードボールに乗って中団待機していたルメール騎手が「オッソイワァ!!」とボヤいてイライラしだすなどもっと積極的な逃げを打つと考えていた他陣営は大混乱に陥った
しかし、逃げ馬には厳しい東京府中であり、完全なスローペースになった為か末脚の切れ味勝負の究極の瞬発戦になってしまった。
結果、早仕掛けを行ったタスティエーラを一度は抜き返すも、斤量差もある3歳馬マスカレードボールの勝利を6着から見届けることに。
が、末脚勝負をする中で差し返しを演じたタバルの上がり3Fタイムはなんと33.1、スローペースの逃げ馬としても控えめに言って異常。それでも掲示板外になってしまったのは、それ以上に32秒台を叩き出す馬が多かったからである*11
着差を見ても、3/4馬身差で2着に敗れたミュージアムマイルから6着のタバルまでの着差が「クビ・クビ・クビ・ハナ」という大接戦であり、タイム差を見ても、
1着から6着まで0.2秒以内にひしめいていたため*12、実は着順の割にちゃんと勝負ができていたのである。

鞍上の想定以上に折り合いが付いてスローペースになったのか、はたまた攪乱を狙って意図してスローにしたのかは不明であるが、これまでは暴走気味に大逃げを打つか、なんとか抑えてミドルペースで後続の脚を使わせるかという走り方しかできなかったメイショウタバルが、スローペースで我慢をして最後に脚を残す逃げができるようになったというのは、折り合いと精神面において大きな成長を遂げたからであるのは間違いない

実際に武騎手は
「今まで乗った中で(馬の状態は)一番良かったと思います。」
「最後まで止まっていませんし、力は示してくれました。」

石橋調教師は
「すごく落ち着いていたし、宝塚記念より乗りやすくなっていましたね。収穫はありました」

と、掲示板を外したのにレース後にかなりポジティブなコメントを残していた。

次走は有馬記念。状態次第ではジャパンカップを挟むプランもあったが、最終的には直行を決めた。「前走の競馬が次に生きてくると思う。」という石橋調教師のコメント通り、天皇賞の経験をどう活かすのかが勝利の鍵となって来ていた。

そして12月28日の有馬記念では、木曜の枠番抽選で3枠6番の好枠を引く事に。これにより、4番人気に推されるのだが……
同じ逃げ馬のミステリーウェイの他、コスモキュランダと大外枠タスティエーラにハナを取られた事で楽逃げのプランが崩壊。
立ち上がりのスタンド前で首をスタンドに向けて走って武豊に左頬を叩かれるなど終始落ち着かない様子であり、ついにはスタンド前を通過したと同時にスイッチが入ってしまい、ミステリーウェイを抜きハナに立つもスタミナを使い切ったのか最終コーナーを過ぎてズルズル後退し13着に終わった。
ピンパーなところまでオヤジに似るとは……


5歳

復活の兆し

5歳の初戦は大阪杯。ドバイターフと両睨みだったが、調教師がオーナー・ジョッキーと相談した結果、宝塚記念と同じ阪神競馬場で復活を期すこととなった。
得意なコース、前日までの雨で良馬場ながら適度に渋った芝、6番ゲート発走とメイショウタバルの強みを出しやすい条件が揃ったが、スタートでやや出負けしてしまう。
それでも果敢に押してハナを切ると1000m通過58秒前半、道中11秒台ラップを刻みながら馬群を引っ張る形に持ち込み、直線でも懸命に逃げ粘る。そしてダノンデサイル以下を凌ぎ切りゴールは目前……
が、出負けが響いてかすんでのところで外からクロワデュノールが強襲、ゴール手前で3/4馬身先着されて2着惜敗した。
しかし、レース後に4コーナーで右前脚が落鉄していた事が判明。スタートでの出負けに加えて更なる不利があった中で2着まで粘っていたのだから、能力の高さを改めて見せることができたと言えるだろう。
そしてラップタイムは前年宝塚とほぼ同等ペースの12.4-11.0-11.5-11.7-11.5-12.1-11.9-11.8-11.6-12.1と相変わらずキモいタイムで粘っていた。

また、レース後に石橋調教師が昨年制した宝塚記念に再び出走することと、秋には凱旋門賞挑戦も視野に入れているとコメント。フランスギャロが5月に公表した出走登録馬の中にも名前が掲載されており、宝塚記念の結果次第ではフランス遠征が実現する可能性が出てきた。

史上初の親子同一GⅠ連覇へ

そして5歳の6月、メイショウタバルは予定通り2度目の宝塚記念に出走することとなった。

このレースでは、ダノンデサイルやミュージアムマイル、レガレイラといった有馬記念で対決したメンバーに加えて、大阪杯の後に天皇賞(春)を制したクロワデュノールも春古馬三冠を賭けて出走を表明したことでハイレベルな戦いなることは必須だった。
そんな中、メイショウタバルも史上初の『親子で同一GⅠ連覇』という記録を賭けて出走することになった
それもあってか、ファン投票では36万票を集めたクロワデュノールに次ぐ2位。しかも、34万という1位と僅差の票数を集めており、2万4000票で28位だった前年とは比較にならないほどファンの期待と人気を集めていた。

そしてレース当日。前年はレース前に降った雨の影響で馬場が回復しきらなかったが、この年は開催前日から当日のレース前まで雨が降ることはなく、降水確率も30〜40%。出走馬たちがパドックを周回する時点で黒い雲が空を覆い始めていたものの、このまま良馬場でのレース開催が濃厚と考えられていた。

しかし、ここで文字通り「晴天の霹靂」により、宝塚記念は誰も予想していなかったであろう大混乱へと進んでいく。
レース30分前、それまで雨雲レーダーを見ても何もない状況だったのだが、突如として赤い雨雲*13がコースの南東で発生。
レース20分前に出走馬がパドックから地下馬道を通ってコースへ向かっている最中、いきなり激しいスコールに近いようなゲリラ豪雨が阪神競馬場を襲った。

そもそも、宝塚記念は梅雨時の開催ゆえにレース日の天候が不安定になるのは珍しい話ではなく、2014年や2020年もレース前に小雨が降り出した前例はあった。しかし、レースがこれから始まろうかというタイミングでこれだけ天候が急変することは中央競馬全体で見ても滅多にない。そのため、雨具を用意していた観客も少なくスタンド周辺は衣類や荷物が水浸しになってパニックに陥る人や、人混みをかき分けて何とか屋内に避難しようとする人たちで阿鼻叫喚となった。
しかし、困惑したのは現地にいた競馬ファンだけではなかった。騎手たちも既に馬に跨ってしまったことから雨合羽を用意して身につける時間はなく、晴天時と同じ格好で返し馬へ行くしかなかった。そのため、勝負服をびしょ濡れにしながらレースに挑むことに。
返し馬の中継映像でも大きな雨粒が凄まじい勢いで落ちてくるのがハッキリ見て取れ、それに加えてコースに強い靄がかかり始める。
現地で実況を担当していた関西テレビの岡安アナウンサーが「向こう正面が見えません」と口にするほどの混沌ぶりだった。
更に、天候と共に馬場状態も急激に悪化。レース10分前には良馬場から2020年に記録された稍重……を飛ばして一気に重馬場に
これまで渋った馬場で結果を残してきたメイショウタバルにとってはまさに恵みの雨であり、これで勝利を手にするチャンスが一気に大きくなった*14
ついでにユタカマジックに天候操作魔法まで出来るのかと言う疑惑まで出て来るヲチまで付く。

雨が振りしきる中、レースがスタート。タバルのスタートも悪くなく先手を取るかと思われたが、コスモキュランダが逃げを主張したことで2番手に控えて道中を進むことに。
有馬でこの2頭に競りかけたミステリーウェイはスタートこそ良かったが、その後は重馬場に脚を取られたうえに中距離の速いペースについていけず、
今回は中団に控えるしかなかった(細江純子氏いわく、結果的にメイショウタバルが番手で控えられた理由として挙げられている)。
有馬同様ハナを切れなかったメイショウタバルだが、今回は掛かって暴走するどころかコスモキュランダと距離を取って折り合いをつけており、事実上それ以降の馬群を自分のペースで先導することなった。そして、3〜4コーナーで進出を開始し、コスモキュランダの真後ろで最終直線へ。

直線に入ってすぐ逃げる馬に並びかけたメイショウタバルは、そのまま残り200mでコスモキュランダを競り落とし、先頭に立ってゴールへ向かう。後ろでは他馬が雨に苦戦する中、道中タバルの直後で様子をみていたクロワデュノールただ1頭が外からタバルを急追する大阪杯と近い展開に。

「さあ今年も見せるぞ二枚腰!」
「粘る、頑張る、メイショウタバル!!」
(関西テレビ 岡安譲アナウンサー)

しかし、道中折り合ったことが功を奏したのか、メイショウタバルも残っていた脚で抵抗。クロワデュノールの追撃をクビ差振り切り、豪雨の中ゴール板へ最初に飛び込んだ。



「今年もタバルだ!またタバル~!」*15
(関西テレビ 岡安譲アナウンサー)

これで、メイショウタバルは父ゴールドシップと同じ宝塚記念連覇を達成。先の通り、親子で同一GⅠを連覇という記録は史上初である。

また、武豊騎手にとっては記録尽くめの勝利となった。まず、このレースが自身の中央競馬におけるGⅠレース86勝目、宝塚記念6勝目となり、自身が以前から所持していた双方の最多勝記録を更新。
さらに、先週にシックスペンスで安田記念を勝利した際に記録した57歳2か月24日のGⅠ最年長勝利記録も7日更新。
そして、グレード制導入以降に限れば、騎手の宝塚記念連覇は史上初。それ以前に遡っても、1966年にエイトクラウン、翌年にタイヨウでこのレースを制した内藤繁春騎手以来、59年ぶり2例目の記録である。なお、メイショウタバル以前に宝塚記念を連覇した2頭はいずれも1勝目と2勝目で鞍上が異なるため、同じ騎手と馬のコンビが宝塚記念を2連覇するのも史上初である。

そして、前年の8月にこの馬を父から託された松本好隆氏にとってもこれが初のGⅠ勝利であり、昨年の好雄氏と合わせて馬だけでなく馬主も宝塚記念を親子で連覇することとなった

レース直後にはそれまでの土砂降りが嘘のように雨が止んだまさにタバルの為に降ったかのような祝福の雨だった*16


レース後、武騎手と石橋調教師は凱旋門賞を目標に据えることを口にしており、次は父が果たせなかった偉業に挑戦することになる。
日本馬にとって凱旋門賞は「重〜不良馬場になりやすいクラシックディスタンス」というレース条件により、そのコースに適正があり、その上で実力と実績を積んだ馬がなかなか現れないという点が「呪い」たらしめる理由の一つ。
メイショウタバルはついにそれらを両立した馬であり、何よりステイゴールド系という過去凱旋門賞で善戦した馬の多くとも共通する血統のため大きな期待をされている。


【余談】

いじられるオヤジ

初GⅠ勝ち鞍となった2025年の第66回宝塚記念では、本馬もさることながら実況の岡安アナ&アンカツによる数々の父親いじりも注目された。
まずスタート直後にハナを切った際に岡安アナが「メイショウタバルが行きました武豊! あぁお父さんと違ってスイスイ進んでいきますメイショウタバル!!*17」とゴールドシップの120億事件をネタにしたことから始まり、
1着になってリプレイ映像が流れる中でも「おそらく、お父さんのゴールドシップは北海道で応援しているのか? まぁあの馬のことだからしていないかもしれませんけど、気まぐれなんでねw」と評し、
一緒に実況していたアンカツも鮮やかな勝利に「ゴールドシップの面影も無いですね」とボロクソに褒めそやし、岡安アナもそれに乗っかり「結果も全然違いますしね!」と返している。

ちなみに、関西テレビの競馬関連動画を公開しているカンテレ競馬YouTubeチャンネルの『ウマアナトーク』では、直前に「思い出の宝塚記念……」という名の下ゴルシ被害者の会なる題目で、
本番の実況を控えた岡安譲アナと120億円事件の時に実況を不運にも担当してしまった川島壮雄アナと数々の奇行に振り回された両名の座談会が行われていた。
もちろんこれが盛大な前フリになろうとは当時知る由もなく……

そしてレース後には当日の振り返りも公開され、岡安アナと川島アナがこの実況内容について触れた折りに、
いくらゴルシがネタ的に人気とはいえここまで小馬鹿にしては岡安さんが炎上してしまうんじゃないかと川島アナは心配していたことが語られたが、当の岡安アナはそこまで気にしていなかった模様。
どちらかといえばこの日は馬名の間違い*18もあって当該レースはそれどころでなく大真面目に取り組んでいたらしい。
つまり大真面目でやった結果であるが、本人自身'13/'14春天や'12神戸新聞杯・菊花賞、'13阪神大賞典でイヤと言うほどアレの洗礼を受けているせいかあのナチュラルないじりが出たのだった。
そして炎上するどころか笑いに昇華してしまった所に父の名馬兼迷馬ぶりを伺わせる。

民謡・「田原坂」

上述したように、本馬の馬名の由来は、西南戦争の最大の激戦地である熊本県の田原坂である。
そして、その西南戦争を謳ったものとして、明治の終わりから現在まで地元の中学校では毎年卒業生が歌うとされる同名の「田原坂」と言う民謡が存在する。

かの美空ひばりも歌った同曲であるが、その歌い出しには

雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手網 馬上ゆたかな美少年

とある。「雨が降り・人馬は濡れ・(クロワデュノールはタバルを)越そうとするも直線の坂で越せず・右手に鞭・左手に手綱」
と言うところまで馬上"豊"ではあるものの、美少年ではないのはおいておき、偶然の一致とは言え26年宝塚記念の状況に文字通り当てはまっていた為か、少なからず話題になった。


追記・修正お願いします。

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最終更新:2026年08月16日 12:11

*1 2024年より斤量が軽かった2歳3歳限定戦等が1kg増えるようになっている。

*2 2018年生の香港調教馬で、2022年から2024年にかけて香港カップ(GⅠ)及び香港QEⅡ世C(GⅠ)を3連覇した他、2024年に日本へ遠征して安田記念を制するなどGⅠ・10勝を挙げている「浪漫勇士」。また2着となった2025年のサウジカップでは、フォーエバーヤングと最終直線で壮絶なマッチレースを繰り広げたことでも知られる。

*3 2018年生の牡馬で、父:ルーラーシップ、母:エターナルブーケ。主な勝ち鞍は2024年マイルCS(GⅠ)、2022年・2024年マイラーズC(GⅡ)など。初GⅠ制覇となったマイルCSで、鞍上の団野大成騎手がまだゴールしていないにも関わらず派手なガッツポーズを決めた事に対し、騎手としての注意義務を怠ったとして5万円の過怠金を課された「課金ガッツポーズ」で有名。また2024年安田記念でロマンチックウォリアーに0.1秒差の3着に敗れており、ドバイターフはそのリベンジの機会であった。

*4 宝塚の重~稍重で先行した例として最速と言えるのは、1000m57.5とバカ逃げした2007年のローエングリンの例があるが、最後は全頭に差されて最下位に落ちている。稍重で馬券内1000m最速はこの宝塚と後述2016年のキタサンブラックが最速である。

*5 即ち、他馬はタバルを捉まえるのにレース後半で1Fあたり11秒台後半の脚で攻めなければならない計算になるが、馬場の状態が悪い為に付いて行くだけでも余計にスタミナを使わされることになる。先行勢が軒並み沈んだのがその証左であり、ステイヤーのジャスティンパレス・ショウナンラプンタが3・4着に入っている事からも、やはりスタミナ勝負に強い馬が生き残るような展開だったと言える。

*6 1番人気が故に仕掛けざるを得ず、おいしい所で正攻法の完璧な競馬をしてのけたベラジオオペラにしても、上村師に「うまく逃げられた」と述べている通り仕掛けた際に体力を使ってしまったが故に追いつけなかったと言える。言わば「負けて強し」だったのだ。

*7 第57回宝塚記念では、稍重馬場でやはりキタサンブラックでハナを切って12.6-11.0-11.1-12.3-12.1-12.4-12.3-12.2-11.9-12.2-12.7、1000m通過は同じく59秒1であった。なおゴール直前にマリアライト(2015年のゴルシ引退の有馬のレースで大捲りを阻止した馬で知られる)とドゥラメンテに躱された。

*8 2006年のディープインパクト以来。ちなみに宝塚記念の最年少勝利と最年長勝利記録を同時に持つこととなった。GⅠ最年長勝利は3日差で横山典弘騎手が死守しているが。

*9 ちなみに前回芝GⅠを勝ったのはメイショウマンボ。主戦は武豊の弟武幸四郎。

*10 2024年菊花賞で1000m通過62秒台を叩き出した以来のスローペースである。

*11 1着のマスカレードボールは歴代GⅠ勝ち馬上がり最速の32.3。この時点でアーモンドアイが19年の安田記念で叩き出したGⅠ上がり最速記録の32.4を更新しているのだが、最後方から追い込んだ4着のシランケドは31.7という更に凄まじい上がりを記録している。

*12 そもそも1着から最下位14着までが0.7秒差。これは歴代GⅠにおいて「1着から最下位までのタイム差が最も小さかったレース」である2016年・2017年スプリンターズSに並ぶ。中距離戦でスプリント戦並みにタイム差が小さくなっているという時点ですでに異例である。

*13 雨雲レーダーに赤い雨雲が映った場合、その雨雲が道路に川ができるような激しい雨を降らせていることを意味する。

*14 実際、それまで5倍台だったメイショウタバルの単勝オッズが雨が降り始めたあたりから急落し、最終的に3.9倍となった。クロワデュノールは1番人気を守ったものの、1倍台の可能性もあった単勝オッズが雨により2.5倍にまで増加した。むろんこれは、良馬場開催で予想していた馬券師達は混乱の中で大慌てでタバル馬券を買い足しに券売機へ殺到したのが背景にある。とくに現地阪神では豪雨の中で券売機に殺到する人達で地獄の様相だったそうな

*15 1996年桜花賞における、関西テレビ馬場鉄志アナウンサーによる1着ファイトガリバー騎乗の田原成貴に対する「またまた田原~!また田原~!今年も田原だ~!」のオマージュ(1995年桜花賞をワンダーパヒュームで勝ち連覇した事による)と思われる。

*16 インタビューでも武豊は「松本好雄氏が天国から降らせてくれた」と言っており、ジョッキーカメラでも最後の方は日差しが差し込みまるで松本氏が祝福してるようであった。

*17 ちなみに岡安アナは2013年阪神大賞典で「ゴールドシップはスタートを決めたんですが下がっていきます。これはいつものゴールドシップ、押せども動かないゴールドシップは最後方。もう、ファンの皆さんも慣れた感じ、ざわめきは上がりません阪神競馬場です。」と実況していたりする。

*18 同日の第4R、3歳未勝利戦に出場していた「ホウオウレイヴン」を最後まで「ホウオウイレブン」と言い間違えていた。