登録日:2025/08/31 Sun 01:17:18
更新日:2026/08/16 Sun 12:11:36
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メイショウタバルとは日本の
競走馬。
ゴールドシップ産駒初の平地GⅠ牡馬であり、
タイトルホルダー・ジャックドール・
パンサラッサの日高逃げ馬三銃士がターフを去って以降の2024年クラシック世代大逃げ馬の代表格としても知られる。
【データ】
誕生:2021年4月20日
父:
ゴールドシップ
母:メイショウツバクロ
母父:フレンチデピュティ
調教師:石橋守 (栗東)
主戦騎手:浜中俊→
武豊
馬主:松本好雄→松本好隆
生産者:三嶋牧場
産地:浦河町
【誕生】
2021年4月20日生まれの鹿毛の牡馬。
この当時、メイショウハリオを筆頭にダノンキングリーやファストフォースを生産しイケイケ状態だった三嶋牧場の生産である。
父は
2012年クラシック世代筆頭に挙げられた
問題児皐月・菊二冠馬のゴールドシップ。
母メイショウツバクロは13戦2勝で金沢の交流競走を制したダートのスプリンターだが、その父フレンチデピュティはダートもステイヤーも出し、更にメイショウツバクロの母父ダンスインザダークもステイヤー特性を併せ持っていたりする。
おまけに母母母父には
マチカネフクキタルの父であるクリスタルグリッターズもいる。
初代馬主は、メイショウの総帥である松本好雄氏。趣味である放牧に出した母馬と子馬が夕方一緒に馬房へ帰ってくる風景を眺めていた所、母メイショウツバクロとこの仔馬が目につき、母仔ともに呼び寄せたところ「いい馬」だなぁと評した上で
「
もらうから」と即決した経緯があったりする(なお母がメイショウの馬だとは知らなかったとの事)。
調教師の石橋守師は騎手時代から松本オーナー深い縁があり、メイショウ軍団唯一のダービー馬である
メイショウサムソンの主戦を任されていた。また、
現役騎手としての最後の勝利がメイショウツバクロの新馬戦であり、メイショウタバルは血統の面から見ても石橋師とは縁の深い馬であった。
調教助手は
ビワハイジ、
ビワハヤヒデ、ヒルノダムール、ディープスカイなどの名馬に携わった上籠三男氏である(氏いわくタバルは「タバさん」「兄貴」と呼んでるとの事)。
冠名メイショウの後ろに付く「タバル」は、熊本市の田原坂が由来である。
【戦歴】
2〜3歳
2023年10月9日に京都競馬場の2歳新馬戦芝2000mでデビュー。新馬及び2戦目は若手の角田大河を鞍上に迎えるも、それぞれ4着と5着。
これを受け浜中俊へと乗り替わったことで未勝利を突破、若駒Sに向かうが出走直前に歩様が乱れて除外。仕切り直したつばき賞をアタマ差で制すと皐月賞を目標にスプリングSへと矛先を向けるが今度はフレグモーネで直前回避。
幸いにも症状が軽かったため翌週の毎日杯へとスイッチ。浜中騎手は同日に先約があったため、坂井瑠星騎手を鞍上にそえて出走すると、シンザン記念覇者ノーブルロジャーを向こうに回して逃げて上がり最速6馬身差の大圧勝。
石橋調教師にも調教師11年目にして初の重賞制覇を捧げる事となった。
問題は勝ちタイムであり、勝ちタイムの1分46秒0は歴代2位タイのタイム、しかも他条件は全て良馬場56kgでの物であるにもかかわらず今年の条件は重馬場57kg。
さらにそれまでの勝ちタイム歴代トップ5の面々は
| 馬名 |
主な勝ち鞍 |
| シャフリヤール |
21年日本ダービー・22年ドバイSC |
| ディープスカイ |
08年NHKマイル・日本ダービー |
| キズナ |
13年日本ダービー |
| ブラストワンピース |
18年有馬記念 |
| アルアイン |
17年皐月賞・19年大阪杯 |
と錚々たる名馬ばかりが並んでいたため、将来が大きく切望されていた。
しかしそうは言ってもこの馬、坂井瑠星曰く乗りやすい馬とは言うもののオヤジ程ではないがそこそこの気性難であり、レースになると気性が荒くなると言うある意味「らしい」産駒であった(ただし、アレのような「行かせろコラ!」とは逆の、上籠助手いわく「臆病な性格からくるもの」だったらしい)。
結果、浜中鞍上に戻った皐月賞では
ダノンデサイルの検査→除外で神経が高ぶったのか先頭に立つも、浜中も制御不能な程に掛かってしまい
前半1000m57秒5と言う、マイルレースのような狂気のペースで大暴走。結果、直線で逆噴射して最下位17着となってしまった。
その様はまるでツインターボを彷彿とさせ「実はマイラーなのでは」と言う説まで飛び出すほど。
奇しくもこれが1着ジャスティンミラノの皐月賞レコード1:57.1を生み出す遠因になり、それどころか最下位の筈の当のメイショウタバルすら1:59.3と
2022年皐月賞のジオグリフ(と2着
イクイノックス)すら上回る異常事態に発展した。
ダービーでも台風の目となる事が目されていたが、挫跖が発覚し、前日に無念の回避。
そこから改めて菊花賞を目指し、まずは前哨戦として神戸新聞杯へ出走し、浜中を鞍上に逃げを選択。
稍重の中を1000m
62秒60秒ジャストというペースで走り、最後こそバテたが2着ジューンテイクを半馬身差で躱して1着。
父子制覇と共に石橋師へ重賞2勝目のプレゼントとなった。
しかし本番の菊花賞では、1周目から目まぐるしく先頭が入れ替わる激戦となったこともあり16着大敗。
その後は有馬記念出走を予定していたが、ファン投票枠を取れなかった(30位)上、
秋古馬三冠に王手をかけていた
ドウデュース(枠順確定後に出走取消)や同期のダービー馬ダノンデサイルなど有力馬が多数集まったことで、
カラテ・ホウオウビスケッツに次ぐ補欠3番手という厳しい状況となってしまう。
それでも陣営は回避馬の発生に賭けて準備を続けていたが、結局出走はかなわず、不完全燃焼のままクラシックシーズンを終えることとなった。
4歳
海外遠征と新たな相棒
古馬となったタバルは、有馬記念除外からスライドする形で年明けの日経新春杯(GⅡ)に出走。
前年から続く阪神競馬場の改修工事に伴い、自身が制した神戸新聞杯同様中京芝2200mでの開催となっており、ハンデも57.5kgとさほど重くなかったことから、2番人気に推されることとなる。
そして好スタートを決め、スムーズにハナを切ったのだが……
後に鞍上の浜中が「コーナーに入ってからガッツリかかって」と振り返るように大暴走。
ハイペースで後続を大きく引き離した大逃げを打った結果、1000m通過が57秒7。1600m通過タイムに至っては、1分32秒2。これは中京芝1600mのコースレコードに0秒2と迫る凄まじいタイムであった。しかし、2200mのレースでこれだけ飛ばしたら最後まで脚が残るはずがない。案の定、最終直線で逆噴射して11着に大敗。菊花賞に続きこれまた苦い結果となった。
その後、大阪杯(GⅠ)を目指すものの、有力馬が集まり除外が濃厚となっていた。
一方で、UAE・メイダン競馬場で行われるドバイターフ(GⅠ)へも同時に出走登録しており、こちらからは招待状が届いていた。
ドバイに遠征するには馬主が追加登録料を払わなければならないのだが、年初より松本氏が親交の深かった
武豊へ電話でメイショウタバルのことを相談したところ
「ドバイに行きましょうか。ドバイターフはワンターンだし、そこに行きましょう」と進言を受けたことにより、松本氏は追加登録料を支払いドバイへの遠征を決断した。
結果、かつての
メジロマックイーンの主戦騎手&祖父
ステゴの香港ヴァーズ騎乗騎手で、
逃げでの実績も多い(相談先の)武豊本人を鞍上に迎え、
香港最強馬ロマンチックウォリアーに挑むこととなった。
現地では、海外遠征の経験が豊富なソウルラッシュと共に調教を行い、後ろから追走して折り合う練習を行った。同時に馬具を変更して白いシャドーロールを着用したところ、大きく体を使えるようになったという。
その上、普段と違う環境に身を置いたことで人を頼ることも覚えており、後に担当の上籠助手が「ドバイ遠征がなければ今のタバルはない」と振り返る程に、心身共に大きな成長を果たす転機となった。
結果、本番では600mから1000mまで11.57-11.57-11.58と誤差わずか0.01秒という精密ぶりを見せる絶妙なラップで逃げて見せた。
これは武豊の体内時計が50代半ばを過ぎてなお衰えていないことを示すと同時に、タバル自身の成長により暴走癖を抑えられるようになった事も証明している。
むしろ洋芝テン乗りなのに何でこんなラップが刻めるんだこの人……
洋芝でこのペースで逃げを打った結果、最終的にはソウルラッシュが8mm差でロマンチックウォリアーを撃破するのを後ろで見届ける形となったが、本馬も逆噴射する事なく粘って5着掲示板入り。
既にGⅠ馬となっていたブレイディヴェーグと
リバティアイランドに先着する健闘を見せた。
後日投稿された武豊のブログでは、ドバイターフでの本馬について「ピッタリ折り合えたわけではない」と前置きしつつも、今後の成長への期待が語られていた。
急坂を越えた先の栄光
そして帰国初戦となった宝塚記念も武豊騎手が継続騎乗。
この2025年第66回宝塚記念から、開催週が4週目から2週目へ早まり、しかも開催前日からの雨で馬場が重くなることが予想されていた。そのため、前走での好走や本馬の道悪適性もあってか、
馬券販売開始時には一時
単勝1.4倍の1番人気まで踊り出るも、結局7番人気に(奇しくも2003年第44回宝塚記念の
ヒシミラクルおじさんと同じ構図だった為、同様の人物が現れたと噂された)。
本番は晴れ稍重馬場でスタートし、
父と異なりすんなりゲートを出るなりハナを切ると即刻内ラチを走り、ジューンテイクと
ベラジオオペラがそれを追う展開に。
だが1000m59秒1と稍重馬場としては速いペースで、しかもべラジオオペラには3コーナー時点でハナ差まで詰められていた事もあり、このまま万事休すと思われていたが……
なんとタバルは全く沈まなかった。
それどころか、タバルを追っていた先行馬達の方が直線入口で力尽きて逆噴射し始めたのである。そして……
「逃げるぞメイショウタバル武豊!逃げるぞメイショウタバル武豊!」
先頭を譲らないどころか最後の上り坂で後続を再び突き放して三馬身の差をつけて圧勝ゴールイン(2着ベラジオオペラ)。見事に仁川の一人逃げを炸裂させたのだった。
さて、ここでゴール直後に岡安譲が叫んだ「ユタカマジック炸裂ゥ~!」の部分がどれだけイカれているのかを見ていく。
前述の通り、1000m通過の59.1秒は稍重にしては異常に速いタイムであり、先行馬にはやはりしんどいペースであった。
実際、メイショウタバルについていったリビアングラス、ジューンテイク、道中早めに動いてしまったヨーホーレイクは皆掲示板外に沈み、ほぼ最後方だったジャスティンパレスは最後猛然な追い上げを見せ三着に入線した。
また、人気馬レガレイラの鞍上戸崎騎手が「脚の溜まっている感じがしなかった」とコメントしていることから、中団の差し馬にとっても優しくないラップだったといえる。
では、なぜメイショウタバル自身はこのラップを乗り切り快勝できたのか?
その答えは、まず阪神競馬改良工事が行われ水捌けが改善したこと、そして開催週が早まったことで芝の劣化が抑えられたことで、グリーンベルト(内ラチ沿いの荒れていないライン)を通過して最短距離で廻れた事、
さらには毎日杯でも見せたタバル自身の高い重馬場適性によるものだと考えられる。
そして何よりカギを握ったのは、鞍上武豊のキモすぎる精密なラップ刻みであろう。その推移は……
12.4-11.0-11.4-12.1-12.2-12.2-11.9-11.9-11.8-11.7-12.5。
上は今回の宝塚記念のレースラップだが、注目したいのは中盤。何と1200mにわたって、1F12.0±0.2秒のラップが刻まれているのである。
しかも、多少早くなっている後半部分は3コーナーから始まる下り坂部分と一致しており、実質的には1F12.0秒ほどのラップと言ってよい。
すなわち本レース中、武豊は施行距離(2200m)の半分以上にわたり、実質1F12.0秒ジャストのペースメイクをし続けたということになるのである。
もちろん、これほどマイペースにラップを刻めたのは、馬場がタバルに完璧に向いていた事、2番手を追走し潰しに行ける馬がいなかった事、これまで暴走機関車であったタバルへの自滅警戒から、番手の馬もオーバーペースを恐れて潰しにいけなかった事など、様々な好因が重なったことも事実である。
とは言え、坂井瑠星の毎日杯のように乗りやすいと評されてはいたが、実際に浜中俊鞍上で年始まで暴走機関車だったタバルにキッチリと折り合いをつけた上で、
普通であれば無理に制御しようとすれば暴走するであろう1コーナー通過前までに67km/hから57km/hまで適度に減速させ、適度にハミを嚙ませながらドバイターフで見せた後続の脚をじわじわ削る断続的なラップを0.1秒単位で正確に刻む技術を完璧な形で再現。
何より稍重でオーバーペースギリギリの逃げ(=これより速く攻めれば余計にスタミナが削られ、番手の馬も60秒前後で通過する分安易に追込みも出来ない)で寄せ付けさせなかった。
このように心理や展開の先を読み尽くし、自分だけは逃げられる自信と勘による戦術、全てが計算し尽くされているところにはっきり言って人間業ではない要素の全てが凝縮されている。
確かにブルーイレヴンやアルナシームと言った武豊を以てしても制御不能な馬はいる中、馬も精神面の成長からそれに応えとは言っても、並みのジョッキーには出来ない神業なのだ。
まさに「逃げの武豊」と呼ばれるゆえんを存分に見せ人馬一体となった。
そんな「芸術」と言える逃げだったといえよう。まさに「ユタカマジック」とはよく言ったものである。
なお、奇しくも武豊自身2016年第57回宝塚記念で
キタサンブラック騎乗時に全く同じレース運びをして3着と言う経験も味方したと言えるし、まるで逃げのキタサンブラックを再現してるかのような競馬であり、
改めて我慢を覚えたメイショウタバルの心肺機能も合わさった
恐ろしいコンビが生まれたと言わざるを得ない。
かくして120億円事件からちょうど10年目にして
宝塚記念の親子制覇を父の日に成し遂げ、武豊に19年ぶりの宝塚最多勝となる5勝目を、石橋厩舎にとって初のGⅠ制覇を、
そして
24年前と同様、オペラの名を持つGⅠ馬を撃破し、馬主の松本氏へ12年ぶりの芝GⅠ勝利をプレゼントした。
ついでに父のやらかした120億円の負債の折り返しにもなった。
なおこのレースで関西テレビの岡安アナと解説の安藤勝己氏から父ゴルシとは全く違うと頻りに言われたのは後述されている通りである。
宝塚記念の後は9月後半まで放牧に出され、武豊騎手と共に天皇賞(秋)へ直行することが決定。松本氏と石橋調教師によると、秋天の後ジャパンカップには出走せず、前年出走出来なかった有馬記念を目指す方針となった。
なお、松本氏はメイショウタバルのローテを石橋調教師と話し合った後の8月29日に87歳で逝去している。膵臓癌を患っていたとのことで、メイショウタバルの宝塚記念が松本氏が馬主として最後のGⅠ勝利を飾ったレースとなった。
その後、タバルを含む松本氏が所有していた馬たちのオーナー名義は息子の好隆氏に移っている。
彼も「メイショウ」の冠名を持つ馬を以前から所持していたため、父に万が一が起きた際は所有馬を引き継ぐのではないかと言われていたが、それが正式に行われた形である。
苦悩の秋
さて次走11月2日の天皇賞(秋)であるが、選ばれた枠は8枠13番。これは武豊にとって、曾祖父メジロマックイーンが1991年の同レースで起こした降着事件の際に入っていた7枠13番以来の13番である。レース当日は8.6倍の5番人気で推された。
前年に逃げて3着に入っていたホウオウビスケッツがいることや8枠というゲート位置もあってか、戦前武豊は「逃げるとは限らない」とコメントしていたが、スタートがスムーズだったこともあり、結局ハナを取る形となった。
こうして展開の主導権を握ることに成功したのだが、
1000mの通過タイムはなんと62秒。武豊はあの暴走機関車だったメイショウタバルを超がつくスローペースに落とし込んでいたのである。
真後ろにいたコスモキュランダの津村騎手は頭が上がるほど必死に馬を抑えており、2番手で様子を見ていたホウオウビスケッツは去年60秒程度で逃げていたこともあって掛かりまくり、
マスカレードボールに乗って中団待機していたルメール騎手が「オッソイワァ!!」とボヤいてイライラしだすなどもっと積極的な逃げを打つと考えていた他陣営は大混乱に陥った。
しかし、逃げ馬には厳しい東京府中であり、完全なスローペースになった為か末脚の切れ味勝負の究極の瞬発戦になってしまった。
結果、早仕掛けを行った
タスティエーラを一度は抜き返すも、斤量差もある3歳馬マスカレードボールの勝利を6着から見届けることに。
が、末脚勝負をする中で差し返しを演じたタバルの上がり3Fタイムはなんと
33.1、スローペースの逃げ馬としても控えめに言って異常。それでも掲示板外になってしまったのは、それ以上に32秒台を叩き出す馬が多かったからである。
着差を見ても、3/4馬身差で2着に敗れたミュージアムマイルから6着のタバルまでの着差が「クビ・クビ・クビ・ハナ」という大接戦であり、タイム差を見ても、
1着から6着まで0.2秒以内にひしめいていたため、実は着順の割にちゃんと勝負ができていたのである。
鞍上の想定以上に折り合いが付いてスローペースになったのか、はたまた攪乱を狙って意図してスローにしたのかは不明であるが、これまでは暴走気味に大逃げを打つか、なんとか抑えてミドルペースで後続の脚を使わせるかという走り方しかできなかったメイショウタバルが、スローペースで我慢をして最後に脚を残す逃げができるようになったというのは、折り合いと精神面において大きな成長を遂げたからであるのは間違いない。
実際に武騎手は
「今まで乗った中で(馬の状態は)一番良かったと思います。」
「最後まで止まっていませんし、力は示してくれました。」
石橋調教師は
「すごく落ち着いていたし、宝塚記念より乗りやすくなっていましたね。収穫はありました」
と、掲示板を外したのにレース後にかなりポジティブなコメントを残していた。
次走は有馬記念。状態次第ではジャパンカップを挟むプランもあったが、最終的には直行を決めた。「前走の競馬が次に生きてくると思う。」という石橋調教師のコメント通り、天皇賞の経験をどう活かすのかが勝利の鍵となって来ていた。
そして12月28日の有馬記念では、木曜の枠番抽選で3枠6番の好枠を引く事に。これにより、4番人気に推されるのだが……
同じ逃げ馬のミステリーウェイの他、コスモキュランダと大外枠タスティエーラにハナを取られた事で楽逃げのプランが崩壊。
立ち上がりのスタンド前で首をスタンドに向けて走って武豊に左頬を叩かれるなど終始落ち着かない様子であり、ついにはスタンド前を通過したと同時にスイッチが入ってしまい、ミステリーウェイを抜きハナに立つもスタミナを使い切ったのか最終コーナーを過ぎてズルズル後退し13着に終わった。
ピンパーなところまでオヤジに似るとは……
5歳
復活の兆し
5歳の初戦は大阪杯。ドバイターフと両睨みだったが、調教師がオーナー・ジョッキーと相談した結果、宝塚記念と同じ阪神競馬場で復活を期すこととなった。
得意なコース、前日までの雨で良馬場ながら適度に渋った芝、6番ゲート発走とメイショウタバルの強みを出しやすい条件が揃ったが、スタートでやや出負けしてしまう。
それでも果敢に押してハナを切ると1000m通過58秒前半、道中11秒台ラップを刻みながら馬群を引っ張る形に持ち込み、直線でも懸命に逃げ粘る。そしてダノンデサイル以下を凌ぎ切りゴールは目前……
が、出負けが響いてかすんでのところで外から
クロワデュノールが強襲、ゴール手前で3/4馬身先着されて2着惜敗した。
しかし、レース後に4コーナーで右前脚が落鉄していた事が判明。スタートでの出負けに加えて更なる不利があった中で2着まで粘っていたのだから、能力の高さを改めて見せることができたと言えるだろう。
そしてラップタイムは前年宝塚とほぼ同等ペースの12.4-11.0-11.5-11.7-11.5-12.1-11.9-11.8-11.6-12.1と相変わらずキモいタイムで粘っていた。
また、レース後に石橋調教師が昨年制した宝塚記念に再び出走することと、秋には
凱旋門賞挑戦も視野に入れているとコメント。フランスギャロが5月に公表した出走登録馬の中にも名前が掲載されており、宝塚記念の結果次第ではフランス遠征が実現する可能性が出てきた。
史上初の親子同一GⅠ連覇へ
そして5歳の6月、メイショウタバルは予定通り2度目の宝塚記念に出走することとなった。
このレースでは、ダノンデサイルやミュージアムマイル、レガレイラといった有馬記念で対決したメンバーに加えて、大阪杯の後に天皇賞(春)を制したクロワデュノールも春古馬三冠を賭けて出走を表明したことでハイレベルな戦いなることは必須だった。
そんな中、メイショウタバルも史上初の『親子で同一GⅠ連覇』という記録を賭けて出走することになった。
それもあってか、ファン投票では36万票を集めたクロワデュノールに次ぐ2位。しかも、34万という1位と僅差の票数を集めており、2万4000票で28位だった前年とは比較にならないほどファンの期待と人気を集めていた。
そしてレース当日。前年はレース前に降った雨の影響で馬場が回復しきらなかったが、この年は開催前日から当日のレース前まで雨が降ることはなく、降水確率も30〜40%。出走馬たちがパドックを周回する時点で黒い雲が空を覆い始めていたものの、このまま良馬場でのレース開催が濃厚と考えられていた。
しかし、ここで文字通り「晴天の霹靂」により、宝塚記念は誰も予想していなかったであろう大混乱へと進んでいく。
レース30分前、それまで雨雲レーダーを見ても何もない状況だったのだが、突如として赤い雨雲がコースの南東で発生。
レース20分前に出走馬がパドックから地下馬道を通ってコースへ向かっている最中、いきなり激しいスコールに近いようなゲリラ豪雨が阪神競馬場を襲った。
そもそも、宝塚記念は梅雨時の開催ゆえにレース日の天候が不安定になるのは珍しい話ではなく、2014年や2020年もレース前に小雨が降り出した前例はあった。しかし、レースがこれから始まろうかというタイミングでこれだけ天候が急変することは中央競馬全体で見ても滅多にない。そのため、雨具を用意していた観客も少なくスタンド周辺は衣類や荷物が水浸しになってパニックに陥る人や、人混みをかき分けて何とか屋内に避難しようとする人たちで阿鼻叫喚となった。
しかし、困惑したのは現地にいた競馬ファンだけではなかった。騎手たちも既に馬に跨ってしまったことから雨合羽を用意して身につける時間はなく、晴天時と同じ格好で返し馬へ行くしかなかった。そのため、勝負服をびしょ濡れにしながらレースに挑むことに。
返し馬の中継映像でも大きな雨粒が凄まじい勢いで落ちてくるのがハッキリ見て取れ、それに加えてコースに強い靄がかかり始める。
現地で実況を担当していた関西テレビの岡安アナウンサーが「向こう正面が見えません」と口にするほどの混沌ぶりだった。
更に、天候と共に馬場状態も急激に悪化。レース10分前には良馬場から2020年に記録された稍重……を飛ばして一気に重馬場に。
これまで渋った馬場で結果を残してきたメイショウタバルにとってはまさに恵みの雨であり、これで勝利を手にするチャンスが一気に大きくなった。
ついでにユタカマジックに天候操作魔法まで出来るのかと言う疑惑まで出て来るヲチまで付く。
雨が振りしきる中、レースがスタート。タバルのスタートも悪くなく先手を取るかと思われたが、コスモキュランダが逃げを主張したことで2番手に控えて道中を進むことに。
有馬でこの2頭に競りかけたミステリーウェイはスタートこそ良かったが、その後は重馬場に脚を取られたうえに中距離の速いペースについていけず、
今回は中団に控えるしかなかった(細江純子氏いわく、結果的にメイショウタバルが番手で控えられた理由として挙げられている)。
有馬同様ハナを切れなかったメイショウタバルだが、今回は掛かって暴走するどころかコスモキュランダと距離を取って折り合いをつけており、事実上それ以降の馬群を自分のペースで先導することなった。そして、3〜4コーナーで進出を開始し、コスモキュランダの真後ろで最終直線へ。
直線に入ってすぐ逃げる馬に並びかけたメイショウタバルは、そのまま残り200mでコスモキュランダを競り落とし、先頭に立ってゴールへ向かう。後ろでは他馬が雨に苦戦する中、道中タバルの直後で様子をみていたクロワデュノールただ1頭が外からタバルを急追する大阪杯と近い展開に。
しかし、道中折り合ったことが功を奏したのか、メイショウタバルも残っていた脚で抵抗。クロワデュノールの追撃をクビ差振り切り、豪雨の中ゴール板へ最初に飛び込んだ。
さて、この年の宝塚記念は何が起きたのか。
元から急な降雨によって、重馬場化したコースからしてスタミナ勝負の色は濃厚であった。
そしてスタート後にコスモキュランダが逃げを主張したことでタバルが2番手に控えて追走していた事は上述の通りであるが、これによりコスモキュランダによる1000m60.3秒のスロー逃げが成立していた。
が、5馬身後ろのメイショウタバルはコスモキュランダを深追いせず番手で追走。そして刻んだメイショウタバルの個別ラップが……
12.8-11.0-12.0-12.5-12.5-12.0-12.0-11.8-11.7-11.6-12.2
相変わらず正確なラップであるが、注目すべきは1600mから2000mまでの向こう正面後半から直線になるにつれて急激にペースを上げている点である。
これは昨年以上に重い馬場を活かし、後方の追い込み勢から追い付けるだけの瞬発力と体力を奪って実質ノーチャンスの展開に持ち込むことを狙ったものであり、これは後述するレース結果からある程度成功したと考えられる。
そうなると後は他の先行勢とのラスト4Fでの勝負になっていくのだが、これは重馬場で道中のスタミナが削られた状態から、直線でマイル戦のようなスピード勝負に移行するという非常に過酷なものだった。
これは長距離の天皇賞(春)で先行策を取りながら、上がり3Fのタイムを全体の3位でまとめて制したクロワデュノールにとっても得意とする展開であり、勝利の目も十分あったがそれを活かすことはできなかった。
クロワデュノールの鞍上だった北村友一騎手は「4コーナーで内の馬場の悪いところを通った時にバランスが乱れるところがあった」とレース後にコメントしている。これを詳しく説明すると、道中で武騎手はメイショウタバルをマークしてきたクロワデュノールの位置取りを確認し、その頭を抑える位置を自分が取ることで逆に相手を牽制しながら脚を貯めていたという状況に加え、マイネルエンペラーがクロワデュノールの外側を並走しマークしていたことが重なり、クロワデュノールは4コーナーで馬場のいい外へ出してメイショウタバルに並びかけることができず、先のコメント通りバランスを崩して仕掛けが遅れてしまい、直線でセーフティリードを取っていたメイショウタバルにゴールまで追いつけなかったのである。
しかし、これらの不利を被りながらも勝ち馬にクビ差まで迫ったクロワデュノールも、負けて強しの競馬をしていたのは言うまでもない。
また、先でも触れた上がり3Fのタイムを詳しく見ていくと、2着クロワデュノールが上がり3F35.2秒、3着のダノンデサイルで上がり3F35.0秒の中、タバルは上がり3F35.3秒と0.3秒しか違わない上がりタイムで上がって来ていた。
また、この3頭に匹敵する上がりタイムを記録できた馬はもう1頭だけいるのだが、それは最後の直前まで脚をため続けてタバルの作るペースに付き合わなかったタガノデュードの35.2。この馬も5着掲示板入り果たしたが、道中離されたことが響いて4着のコスモキュランダからは5馬身離されていた。
そのコスモキュランダは「ハナを切ってスタミナが余裕のあるうちにリードを作り、中盤でペースを落として脚をためる」という自分のペースを作った結果馬券内まで後一歩のところまで残っていた。
つまり、掲示板に残ったのはタバル自身とタバルのペースに耐えられた有力馬2頭、そしてタバルのペースに付き合わなった2頭ということになり、これが、タバルのペースメイクがレースの条件をいかにタフにしたのかを表している。
メイショウタバルの勝利は、まさしくほぼ全てが計算され尽くした騎手の妙技と、去年のようなグリーンベルトも無く極悪な筈の内側の馬場で最速クラスの上がりタイムを出せる馬のポテンシャルが噛み合った騎乗の結果と言えよう。
そして、実質的に先行すり潰し型のレースから、本馬の父母父で33年前の1993年宝塚記念で武豊が騎乗・勝利した
メジロマックイーンの面影を見たものまで……
なお、この急なコンディション変化に関する影響も少なからずあり、GⅠ馬5頭に次ぐ6番人気の2026年日経賞馬マイユニバースは、レース後半の3コーナーから失速し最後の直線コースで競走中止。
担当の横山典弘騎手は無事降馬するも、騎手がスタッフに馬を任せ武豊の勝利祝いに向かった後、マイユニバースは急性心不全でターフに倒れ、馬運車で搬送されるも死亡が確認されるという不幸な出来事もあった。
なお宝塚記念での競走中止発生は、京都競馬場開催だった
1995年第36回宝塚記念(横山典弘騎手がインターライナーで参戦)の
ライスシャワー(左前脚完全脱臼と骨折により予後不良)以来31年ぶりであった。
これで、メイショウタバルは父ゴールドシップと同じ宝塚記念連覇を達成。先の通り、親子で同一GⅠを連覇という記録は史上初である。
また、武豊騎手にとっては記録尽くめの勝利となった。まず、このレースが自身の中央競馬におけるGⅠレース86勝目、宝塚記念6勝目となり、自身が以前から所持していた双方の最多勝記録を更新。
さらに、先週にシックスペンスで安田記念を勝利した際に記録した57歳2か月24日のGⅠ最年長勝利記録も7日更新。
そして、グレード制導入以降に限れば、騎手の宝塚記念連覇は史上初。それ以前に遡っても、1966年にエイトクラウン、翌年にタイヨウでこのレースを制した内藤繁春騎手以来、59年ぶり2例目の記録である。なお、メイショウタバル以前に宝塚記念を連覇した2頭はいずれも1勝目と2勝目で鞍上が異なるため、同じ騎手と馬のコンビが宝塚記念を2連覇するのも史上初である。
そして、前年の8月にこの馬を父から託された松本好隆氏にとってもこれが初のGⅠ勝利であり、昨年の好雄氏と合わせて馬だけでなく馬主も宝塚記念を親子で連覇することとなった。
レース直後にはそれまでの土砂降りが嘘のように雨が止んだ。まさにタバルの為に降ったかのような祝福の雨だった。
レース後、武騎手と石橋調教師は凱旋門賞を目標に据えることを口にしており、次は父が果たせなかった偉業に挑戦することになる。
日本馬にとって凱旋門賞は「重〜不良馬場になりやすいクラシックディスタンス」というレース条件により、そのコースに適正があり、その上で実力と実績を積んだ馬がなかなか現れないという点が「呪い」たらしめる理由の一つ。
メイショウタバルはついにそれらを両立した馬であり、何よりステイゴールド系という過去凱旋門賞で善戦した馬の多くとも共通する血統のため大きな期待をされている。
【余談】
いじられるオヤジ
初GⅠ勝ち鞍となった2025年の第66回宝塚記念では、本馬もさることながら実況の岡安アナ&アンカツによる数々の父親いじりも注目された。
まずスタート直後にハナを切った際に岡安アナが「メイショウタバルが行きました武豊! あぁお父さんと違ってスイスイ進んでいきますメイショウタバル!!」とゴールドシップの120億事件をネタにしたことから始まり、
1着になってリプレイ映像が流れる中でも「おそらく、お父さんのゴールドシップは北海道で応援しているのか? まぁあの馬のことだからしていないかもしれませんけど、気まぐれなんでねw」と評し、
一緒に実況していたアンカツも鮮やかな勝利に「ゴールドシップの面影も無いですね」とボロクソに褒めそやし、岡安アナもそれに乗っかり「結果も全然違いますしね!」と返している。
ちなみに、関西テレビの競馬関連動画を公開しているカンテレ競馬YouTubeチャンネルの『ウマアナトーク』では、直前に「思い出の宝塚記念……」という名の下ゴルシ被害者の会なる題目で、
本番の実況を控えた岡安譲アナと120億円事件の時に実況を不運にも担当してしまった川島壮雄アナと数々の奇行に振り回された両名の座談会が行われていた。
もちろんこれが盛大な前フリになろうとは当時知る由もなく……
そしてレース後には当日の振り返りも公開され、岡安アナと川島アナがこの実況内容について触れた折りに、
いくらゴルシがネタ的に人気とはいえここまで小馬鹿にしては岡安さんが炎上してしまうんじゃないかと川島アナは心配していたことが語られたが、当の岡安アナはそこまで気にしていなかった模様。
どちらかといえばこの日は馬名の間違いもあって当該レースはそれどころでなく大真面目に取り組んでいたらしい。
つまり大真面目でやった結果であるが、本人自身'13/'14春天や'12神戸新聞杯・菊花賞、'13阪神大賞典でイヤと言うほどアレの洗礼を受けているせいかあのナチュラルないじりが出たのだった。
そして炎上するどころか笑いに昇華してしまった所に父の名馬兼迷馬ぶりを伺わせる。
民謡・「田原坂」
上述したように、本馬の馬名の由来は、西南戦争の最大の激戦地である熊本県の田原坂である。
そして、その西南戦争を謳ったものとして、明治の終わりから現在まで地元の中学校では毎年卒業生が歌うとされる同名の「田原坂」と言う民謡が存在する。
かの美空ひばりも歌った同曲であるが、その歌い出しには
雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 右手に血刀 左手に手網 馬上ゆたかな美少年
とある。「雨が降り・人馬は濡れ・(クロワデュノールはタバルを)越そうとするも直線の坂で越せず・右手に鞭・左手に手綱」
と言うところまで馬上"豊"ではあるものの、美少年ではないのはおいておき、偶然の一致とは言え26年宝塚記念の状況に文字通り当てはまっていた為か、少なからず話題になった。
追記・修正お願いします。
- お父さんと違ってすいすい進んでいく馬 -- 名無しさん (2025-08-31 13:41:18)
- 粘る!頑張る!メイショウタバル! -- 名無しさん (2025-08-31 14:54:33)
- 競馬史上稀に見る孝行息子 -- 名無しさん (2025-08-31 16:55:23)
- 粘る粘る粘るメイショウタバル―! ・・・さて武豊が確保できない秋天はどうなるだろうか。期待。 -- 名無しさん (2025-08-31 17:15:53)
- 岡安譲さんの名調子がやっぱり印象的だなw -- 名無しさん (2025-09-01 08:56:07)
- 松本オーナーへの最後のG1の贈り物になったね。オーナー、今までありがとうございます。 -- 名無しさん (2025-09-02 14:31:23)
- 人の絆の中に角田大河や浜中俊は入っていますか? -- 名無しさん (2025-09-27 01:13:24)
- 暴走したと思ったらいつの間に落ち着いてたり、ユタカマジック炸裂させたかと思ったら今度はドスロー究極の瞬発戦やらかしたりでとにかく心臓に悪い…頼むから有馬ではちゃんと逃げてくださいお願いします -- 名無しさん (2025-11-29 14:42:11)
- 18日にBS12で21時からサムソンと石橋師の実質続編としてタバル周辺をピック -- 名無しさん (2025-12-14 01:43:44)
- 松本オーナーが恵みの雨でも降らせてくれたのかね -- 名無しさん (2026-06-14 15:58:59)
- ゴルシが雨乞いしてたのかも -- 名無しさん (2026-06-14 18:11:05)
- 連覇vs春古馬三冠の大一番で、直前に大雨降って重馬場になるって、やっぱなにか「持ってる」なコイツ・・・。今日のはまさに「天祐」だったし -- 名無しさん (2026-06-14 18:21:36)
- 武豊が雨降らしの能力を使った説 -- 名無しさん (2026-06-15 07:46:16)
- 来年ゲートで立つなよ?タバルゥ・・・3連覇見たいからな期待してるぞ -- 名無しさん (2026-06-16 13:11:01)
- 立つなよ? 絶対に立つなよ!? -- 名無しさん (2026-06-16 15:35:12)
- ↑どこだったか忘れたけど、「3連覇へ有利な所:父の血・不安な所:父の血」とかいうのを見かけて芝生えたわ -- 名無しさん (2026-06-20 21:20:30)
- 去年はスズカ、今年はマックの勝ち方でゴルシ産駒を武豊が勝たせたってのがなかなか感慨深い -- 名無しさん (2026-08-14 18:50:09)
最終更新:2026年08月16日 12:11