有語:Garebwa'n Bwemnerbadis fo Atqanartue
アッタクテイ派を虐殺するガレブァ |
戦争 |
スステ政治以前のトイター教派閥闘争(トイムルクテイの対立) |
年月日 |
トイター暦670年 |
場所 |
カラムディア・ハタ社会主義王国・ハグナンを中心として各地域 |
結果 |
・アッタクテイ派の勢力低下 ・クントイタクテイ派によるシーナリア派批判 ・スカルムレイによるシーナリア派の強制移住 |
交戦勢力 |
シーナリア派 クントイタクテイ過激派 |
アッタクテイ派 |
指導者・指揮官 |
ガレブァ=シーナリア† その他各地のクントイタクテイ過激派指導者 |
ラシーチャ=アッタクテイ† |
戦力 |
不明 |
損害 |
不明(ガレブァはラシーチャによって暗殺された) |
数千人~十万人(資料によって大差がある) |
ガレブァ原理派大虐殺(有:
Garebwa'n Bwemnerbadis fo Atqanartue)とは、トイター暦670年にハグナンを中心に発生したトイター教シーナリア派及びクントイタクテイ過激派による虐殺事件である。
ネルト大虐殺、イザルタ大虐殺に続いて、悠里世界三大大虐殺の一つとして数えられる。
前史
トイター暦71年に始まるアッタクテイ派の成立により、原理派と呼ばれたアッタクテイ派はトイター教の原理主義を主張し、アルムレイ神の使徒を称するクントイタクテイ一族によるクントイタクテイ派と対立した。樋暦6世紀には対立は激しくなり、530年には国家改革を進めたマフ=スカルムレイの殺害に手を付け、550年にはブリーチャ=アッタクテイによってクントイタクテイ派総本山とも称されるスケニウ・イルキスが襲撃され、全焼した。7世紀に入ると半世紀ほどは目立った大きな事件が無かったものの派閥対立は全国的に緊張度を溜めていった。この状況の間に立ち上がった新派閥がセプト=シーナリアによるシーナリア派であり、どちらかといえばクントイタクテイ派に近い宗教思想を持っていた。しかし、クントイタクテイとアッタクテイの対立関係を望ましくないものと考え、それを治めるのは自らの派閥のみであるという考え(統一派)を持っていた。
発端と終焉
ハグナンにて育ったシャスティ、ガレブァ=シーナリアは問答法による人々の思想再統一を目指していた。しかしながら、幾ら問えども派閥対立は更に悪化していくだけであり、シーナリア派の中でも過激な思想を持つガレブァはどちらかといえば勢力が劣勢のアッタクテイ派を絶滅すればクントイタクテイ派とそれに近いシーナリア派の政治的合同によって派閥統一が達成できるだろうと考えた。これによって起こったのが「ハグナンにおける虐殺」であり、それが伝播することによって『アッタクテイ派の人間が復讐のために暴動を起こすかも知れない』という不信感を全国のシーナリア派及びクントイタクテイ派に植え付けた。虐殺の連鎖が起こるのはすぐのことであり、ラシーチャ=アッタクテイがガレブァを暗殺するまで各地で低強度紛争の様相が続いた。
暗殺の後、
スカルムレイは政治的解決のためにラシーチャを捕らえ、死罪を適用した。残酷なラシーチャの最期にアッタクテイ派の一部は暴動を起こしたが、スカルムレイの私軍がこれを鎮圧した。一方でシーナリア派はスカルムレイにとっての潜在的な危険要因として理解されており、イザルタとディスナル(南北)の都市へと強制移住させられた。連邦のトイター教学者****は、これが後のアインスステ派反乱に影響を及ぼしたのではないかという見解を出している。
以降、9世紀に反戦派クントイタクテイが産まれ、「平和」を求める社会運動が集団化され、
スステ政治による専制政治によってトイター暦1050年に「トイムルテイ相互不可侵反戦宣言」を公布するまではシーナリア派(クン・シーナリア派)による派閥闘争は続いていくことになる。
経過
「ハグナンにおける虐殺」
ガレブァは、ハグナンに対して緊急国民葬招集を発令し、ハグナン地方の市民を自らが治めるセプテウ・イルキスに連ねた。セプテウ・イルキスでは、ガレブァの支持者が待ち構え、通された民衆にアルムレイ信仰について尋ね、少しでも答えに戸惑う場合は建物裏に連行して当時広まり始めていた火縄銃によって射殺、或いは斬殺した。
イルキスで殺人行為が行われていたことはすぐに集められた民衆たちに察知され、逃げ始める者も出始めた。最終的に雑踏事故での死亡者が多発した上、逃げ出そうとした市民に武装したガレブァの支持者が銃と刀を向け、虐殺したという事実はハグナンから少しづつ広まりを見せることになる。これに影響を受けた多くのシーナリア派がアッタクテイ派を襲撃し始めた。
「スケニウにおける虐殺」
スケニウでは、シーナリア派のガレブァ支持者6人が徒党を組んでアッタクテイ派を襲撃、街に住むシーナリア派を糾合して大規模な暴動を発生させた。あまりの悲惨な状況に首謀者6人は気を紛らわせるために酒を飲んだが、メタノールが混入していたために全員翌日までに死体で発見された。
南スケニウでは、通り魔事件が発生し、「切り裂きシャスティ」と呼ばれ、後にスカルムレイの命によって処刑された。この際に殺害された庶民は殆どがアッタクテイ派であり、ガレブァの影響を受けた上での犯行だと考えられる。
放火業
ガレブァはハグナンを放火して回った上に、別のアッタクテイ派が主要な住民となっている街を焼いて回ったという。このためにスカルムレイの怒りを買い、指名手配されることになった。
スカルムレイによる停戦宣言
スカルムレイは相互に停戦するように宣言するが、スカルムレイの命とはいえもはや有効な策ではなかった。王国役人がスカルムレイ配下の軍を用いて独断の作戦(スケニウの打首)を実行したが、更に状況を悪くするだけであった。
終焉
アッタクテイ派のシャスティ、ラシーチャ=アッタクテイが徒党を組んでガレブァの暗殺を実行。過激派の首領を失ったシーナリア派の過激な運動はこの頃から沈静化していくが、スカルムレイは紛争の根を根絶するために政治的解決としてラシーチャを処刑した。アッタクテイ派の一部はこれに対抗して暴動を起こしたが、すぐさま鎮圧された。
評価
クントイタクテイ派からは基本的に融和路線を進めていく都合上不利益を出しているため、思想上近いとはいえシーナリア派に同調する姿勢を取らない。アッタクテイ派は直接攻撃されたために高度な嫌厭感情をシーナリア派に持つようになった。また、スカルムレイによる政治的解決によるラシーチャの処刑で更に一部が先鋭化していった可能性もあるとされる。
連邦国民は、虐殺事件という印象が強いために恐れており、本土でも
トイター教シーナリア派の偏見を形成する要因の一つになっている。
枝葉末節
最終更新:2024年12月20日 23:58