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小川直也 - (2025/06/04 (水) 15:31:21) のソース

**基本プロフィール

|生年月日|1968年3月31日|
|職業|柔道家・元総合格闘家・元プロレスラー|

**クロノスプロフィール

|総参戦回数|2|
|賞金獲得回数|1 ※|
|復活回数|0|
|逃走時間|19分18秒|
|逃走率|14.85%|
|逃走ポイント|1万1580|
|累計撃破数|0撃破|
※賞金無し

**各回成績
***逃走中
|出演回|逃走時間|逃走率|逃走ポイント|順位|備考|
|アルティメット|19分18秒/130分|14.85%|11580|27位/30人|1stステージ敗退|

***戦闘中
|出演回|撃破数|順位|備考|
|アスリート天下統一戦|0|優勝/4チーム|日の丸ヒーローズ|

**略歴
幼少期から剣道や水泳、野球など様々なスポーツに取り組む中、高校の面接試験で見込まれたのをきっかけに柔道を開始。国体で優勝し、明治大学進学後には全日本学生選手権で10年振りとなる1年生での優勝を果たし、1987年には世界選手権で史上最年少となる19歳7か月での優勝を果たした。大学卒業後はJRAのガードマンとして勤務しながら実業団選手として活動。全日本選手権7回優勝(5連覇)、世界選手権4連覇に加え、1992年のバルセロナ五輪では銀メダルを獲得した。
1997年には退職しプロレスラー及び総合格闘家としても活動。「暴走王」の異名をを取り、特に故・橋本直也氏との5度目の試合では「小川直也に負けたら即引退スペシャル」と銘打たれ大きな話題となった。その他PRIDEへの参戦やプロレスイベント「ハッスル」では髙田総統([[髙田延彦]])との熾烈なやりとりや「3、2、1、ハッスル!ハッスル!」という掛け声が人気となりトレードマークとなった。
その後は筑波大学大学院に通い指導者として勉強。2018年にプロレス・総合格闘技を引退し柔道界に復帰。息子の小川雄勢選手の指導に当たっている。

**クロノス略歴
逃走中1回、戦闘中1回の参戦。

逃走中は「アルティメット」に参戦。青チームとして先発グループでスタート。
賞金の使い道について考えるも、現時点でも最高賞金78万円という「微妙な金額」に悩む。一方、昔から鬼ごっこをしていても鬼役だったため追われる事に慣れてないことをぼやきながらゴミ箱に隠れようとするも小川の身体には小さすぎて諦める。
ハンター放出阻止ミッションでは「タ」のカードを持つ中で遠くからハンターを発見。植え込みに身を隠す中でハンターに気づいていない近くの[[高橋みゆき]]を心配するが、ハンターに気づいた高橋が走ったことで「ハンターが来た」と錯覚し逃走。高橋と合流し建物の影から様子を伺うもハンターを見失うが、その見失ったハンターに見つかり逃走。別々の方向に逃げるが標的となりそのまま追いつかれ確保。[[澤部佑]]からは「大事な時に何やってんだアイツ!」と暴言を吐かれる中、「くそ~早かったな…ミッションぐらいこなしたかったなぁ…」とゲーム開始早々の一本負けを悔やんだ。

戦闘中は「アスリート天下統一戦」に日の丸ヒーローズとして参戦。
第一ステージ第一の門では[[保田賢也]]を失う間に攻撃するも盾で弾かれ失敗。最後は転がりながらも門に入りギリギリで突破。第二の門では弾道を見ながら慎重に移動。囮となる間に[[潮田玲子]]を突破させるが、慎重すぎるスタイルが仇となり背中に球を受け撃破される。
第二ステージでは本陣で指揮。[[春日俊彰]]から同盟を提案された保田から相談を持ち掛けられ「逆に向こうに手を組まれる前にヤッちゃおう!」と強硬策を取るが、保田は同盟を受諾。が、保田の見事な攻撃力と機転で勝利する。
第三ステージでは代表にはならなかったものの、参謀として豪速球ベースボーラーズ大将・[[石井一久]]と戦う中堅・[[室伏由佳]]に「1分逃げ回れば引き分け(両者失格)で勝つ」と作戦を伝授。その作戦がズバリ当たり勝利する。
最終決戦では大将・潮田を守る防御重視のスタイルで行動。忍獲得ミッションでも難なく忍を獲得。意気も上がる中、保田と忍に攻撃を任せ潮田を防御する戦略を取り、復活ミッションでは話し声を聞いた[[加藤優]]を存在を知り襲撃、一旦は逃げられるものの忍が撃破し豪速球ベースボーラーズを撃破。最後は復活ミッションに向かう芸人☆アスリートチームを撃破し最後まで脅威に晒されることなく優勝し天下統一。最後は忍と共に全員で「ハッスル!ハッスル!」で締めた。

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