登録日:2017/01/17 (火) 14:19:00
更新日:2025/02/24 Mon 03:56:09
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江戸っ子大虐殺とは、幕末の
江戸で行われた江戸っ子に対する蛮行・弾圧である。
「江戸っ子狩り」とも呼ばれる。
概要
戊辰戦争の最中、江戸を制圧した新政府軍は、江戸商人による人的ネットワーク『江戸講』が維新の障害になると恐れた。
なので、江戸っ子たちを大虐殺した。
正確な人数は不明ながら、研究者はソンミ村虐殺、ウンデット・ニーの虐殺に匹敵する規模であったとしており、そうだとすれば数百~500人程度が犠牲になったと思われる。
後の世で判明した話によると更に会津でも大虐殺を起こし、維新後も大虐殺し続けたのだが、
実行者たる薩長の手によって隠蔽され、現代日本も薩長による支配が行われているので現在まで隠蔽され続けていたとされる。
そしてこの虐殺によって、江戸講の間で秘伝として伝えられていた、『江戸しぐさ』なる思想も失われかけた。
これは『江戸の町民ならみんな身に着けていたマナーやその背景思想』であり、『寺子屋でも教えられていた』ほどに
幅広い分野を網羅する概念であり、普遍的なものでもあった。
その内容は「道ですれ違う際には
傘を傾けあう(傘傾げ)」
「約束の時間の5分前には到着し、アポなし訪問はしない。破った者は
時泥棒として死罪にも相当する」
といった、大切な他人への心遣いを教えるものである。
また、江戸っ子大虐殺時に江戸しぐさを記した文書類も全て燃やされたという。
しかし事態を察した幕臣の勝海舟は、
数万人の江戸っ子を関東郊外に逃がした。
彼らによって『江戸講』は秘密結社として密かに伝承されていき、一説には
アメリカの新聞に『江戸しぐさ』が掲載されたこともあるが、
GHQにより
日本の伝統文化が危険視されたために再び破壊された……とされていたり、
逆に国家総動員法で解散させられたがGHQによって秘密結社『江戸講』が
何故か認められ、『江戸講』の者がマッカーサーに感謝したという説もある。
現在では教科書に掲載されていたことがあるように、日本人の誇るべき大切なマナーだと広く認知されている。
このような素晴らしい文化を根絶しようとして、虐殺などという蛮行が行われたという悲劇は、日本人なら決して忘れてはならないであろう。
追記・修正は傘傾げを身に着けてからお願いします。
* *
* + うそです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(*´∀`)E)
Y Y *
以上の話は、一部の団体が昨今盛んに喧伝しているストーリーである。
歴史に対して少しでも知識・関心がある人ならすぐにおかしいと思っただろう。
戊辰戦争の折、新政府軍の
西郷隆盛と幕臣の勝海舟が江戸城で会見を行い、無血開城を実現した……
というのは、それこそ小学生でも知っている有名な史実である。
それでも彰義隊の反乱など一部で小競り合いがあったのは確かだが、
このような反乱があったこと自体が、新政府軍が江戸を制圧しきれていない証拠であり(すんなり出来れば苦労はしない)、
新政府軍の対応はいずれも後手後手に回っている。
逆説的に言えば、そんな時期に内々の団体に所属している住民を見つけ出して殺害する、などという呑気なことをやっている余裕などあるわけがない。
加えて、新政府軍は優秀な人材を多く抱えていたものの実務経験には乏しく、榎本武揚など幕臣の多くを官僚として雇用せざるを得なかった。
江戸っ子大虐殺などやらかしていたら、江戸の住民や幕臣を完全に敵に回し、発足したばかりの新政権が瓦解していた可能性はかなり大きいだろう。
そのため、誰が『江戸講』なのか分からないのでとりあえず大虐殺したという論も成り立たない。
また、この江戸っ子大虐殺は史料に全く残っていない。
これについて「虐殺の記録自体を新政府が隠蔽した」と主張されることもあるが、
江戸時代の江戸は世界的に見ても識字率が高く、貸本などの出版文化も発展していた。
実際に事件があったのであれば、その目撃証言や噂を記した瓦版・日記・手紙が残っていて然るべきである。
しかし、この時期に書かれた日記や記録には、日本人のみならず訪日した外国人のものも含め、江戸っ子大虐殺に触れているものは皆無であり、
それどころか、江戸っ子大虐殺の要因となったらしい「江戸しぐさ」に当てはまる行動を記載したもの自体存在しない。
そもそもほんの150年ほど前に江戸から関東郊外に数万人もの人の移動があったのなら、
当然各地にその痕跡が残らないとおかしいし、証拠隠滅もより困難を極めるし、
突然そんな無計画な大移民が発生すると諸々の大問題が大発生して(当時の食の事情からほぼ確実に生活が困窮するため)大暴動が起きてしかるべきだが、
そんな痕跡も記録も、(証拠隠滅などで)苦労したなんて日記などですら全く見当たらない。
いかに新政府が尽力したところで、江戸っ子大虐殺に関わるすべての記録を回収して改訂・抹消することなど、まず物理的に不可能だろう。
そもそもの話として、こうまでして『江戸講』だけを狙って消す意図が全く分からない。
実際にここまでするのなら、目的は『江戸文化の根絶』等のもっと過激なものじゃないと逆に筋が通らないというほどに不可解である。
よって、この江戸っ子大虐殺はまず間違いなく史実ではない。
では、なぜ一部の団体はこんな荒唐無稽な主張をしているのか。
ポイントは「江戸しぐさ」である。
これは元々1980年代以降、とある人物によって「江戸時代の江戸っ子が身に着けていたマナー」だとして喧伝されたものである。
しかし、実際の江戸時代にはあり得ないような内容ばかりである。
付け加えると、民間芸能の見地からしても、
落語、浄瑠璃、講談、歌舞伎等どの芸においても江戸しぐさに当たるマナーの存在を示したものは見当たらない。
明治政府は器用にも江戸しぐさに関連する描写だけ抹消したとでも言う気だろうか。
上記したものについて言えば、
・傘傾げ
第一に、江戸では
傘は安価なものでも現代の価格に直せば一本一万円くらいするという高価な品で、
普及していないとは言わないまでも、庶民が誰でも持っているとはいかず、雨具と言えば蓑や頭に乗せる方の「笠」が主流だった。
時代劇にはよく「内職で傷んだ傘に紙を貼り直す武士」が出てくるが、あれも高価だからこその補修して再利用する必要性ゆえである。
よって「傘を持った人同士がすれ違う」という状況自体がピンポイントであり、そのための定型マナーが江戸にあったとは考えにくい。
星の子ポロンじゃないんだから。
第二に、そもそも江戸時代は厳格な身分社会であった上に、服装や髪型を見るだけで身分がわかる仕組みになっていた。ちょんまげなどがそれ。
なので上記のような状況になったとしても、身分が低いほうが道を譲るのが本来の「マナー」として周知されていた。
第三に、これが最も重要な点だが、実際に「傘傾げ」なんかやったら人に水をぶちまけるだけなのだが…?
これは現代の傘でも変わらないが、特に狭い江戸の町でこれをやってしまうと、町や建造物の構造上、人の家の壁や土間に雨水を注ぐことになる。
マナーどころか、その家の住民に怒鳴られてもおかしくないほど非常識な行為である。
間違いなく、これは江戸の町を知らない現代人が創作したものである。
・時泥棒
そもそもどうすれば江戸時代の人が分刻みのタイムマネジメントが出来るのだろうか?
是非教えていただきたいものである。
何故かというと時計は当時は超高級品で、庶民が持てるものではない。オランダの商館長ですら「高くて手が出せねえ…」と記録を残している。
仮に持っていたところで、そもそも当時の時間感覚は「日出日没を基準に、その間の時間を等分していた」ので現在とは全く違う。
毎日「刻」の長さが変わるので、時計があっても5分前どころか分刻みの正確なタイムマネジメント自体不可能である。
この時代に時計を道具として使うとすれば、頑張っても刻を告げる鐘の音やらを用いての時間単位の調整が限度であろう。
実際、江戸時代の時計は実質観賞用だったようである。
天文学用の割と精巧なのも残ってはいるが、無論これは幕府や藩など公的な研究機関に1個あるかどうかの物であるし、
それにこの手のものは前述の事情から、むしろ
カレンダーと表現すべきだっただろう。
またアポなし訪問がダメなどとも言われているが、どうやってアポを取るのか?
事前に手紙で知らせたなどと解説されることもあるが、江戸時代には現在のような郵便制度は無い。
電子メールやLINEでも送れというのか。
時代劇や
大河ドラマでも、同じような身分同士の場合はアポなしで訪問しているように描かれているが、実際にもそうだったわけである。
時間を決めて待ち合わせをするとすれば、「○の刻の鐘が鳴ったら」「昼飯食べてから適宜」「夜が更けて人通りが少なくなり次第」といった、
かなりアバウトなものだったのではないだろうか?(実際?知らん。あんまり資料も残って無いし。正確な事は歴史学者でも知らん。)
時代劇でもせいぜいこの程度でしか時間を決められず、実際に待ち合わせをすればまず間違いなく片方が待つことになる。
どうしてもアポを取る必要がある場合は「帰る時に『明日また来ます』などと伝えておく」「何日ごとに来る、とあらかじめ決めておく」などの方法を取っていたと思われる。
時代劇で「何日後にツケでまとめて払いに来る」はまず間違いなく急用で行けなくなったり、肝心の金銭が足りなかったりで踏み倒されるけどな。
あとは「誰ぞ○○さんのところまで使いに行ってくれ」と先触れを出してアポを取るという手もあるが、そこまでするなら
使いに遣った人に用件を全部やってもらった方が早い。
相手方からしても、アポ担当と本人の両方に対応しなければならず二度手間になるので、相手の心象を考えれば使いの者に用件自体を任せた方が無難である。
使いの者自体も町民も大半の旗本にもそういった者は居らず(家族が代理で…というのはあるが)、そもそも使いの者が『アポを取るためにアポ無し訪問する』ことに何ら変わりはない。
これらからアポ無し訪問厳禁で5分遅れたら死罪(正確には死罪に相当する罰金が科されるとのことだがどちらでも結果は同じ)なんてやっていたら、江戸っ子大虐殺を行うまでもなく江戸の民は自ら全滅する。
また、「日本人が時間に対して厳格」というのはあくまで明治以降の話であり、
江戸時代までは外国の使節との交渉などにもしばしば平気で数時間ほど遅刻してきて、相手を辟易させたことなどが伝わっている他、
大工などは天候等を
言い訳にして結構仕事をさぼっていたようである。
ついでに言えば、現代においても「5分前集合」はビジネスマナーであり、
プライベートの場合は相手を慌てさせないように、約束の時間に間に合う程度に
ゆっくりと行くのが正しいマナーである。
……とまあ、たった2つだけでこれだけツッコミどころが出てくる。
他のものも似たり寄ったりで、そろそろ項目タイトルとの齟齬が激しくなるので、詳細は関連書籍や他サイトを参考にして欲しい。
とりあえず他の江戸しぐさの教えで目立つ部分を抜粋すると、江戸時代の江戸っ子は、
当時まだ日本で手に入らない筈の食べ物を食べ、夏はかき氷を食べ、公共交通機関を日常的に利用し、
人の話を聞くときは身を乗りだして相手の瞳を見つめ、相手の気分を悪くしないよう決して反論してはならず、日頃から悲鳴をあげないように覚悟完了しておき、
江戸時代は武士上位社会なので無礼者というだけで斬られかねないが、そんなことより相手を色眼鏡で見ないためにお互い平等の立場を心掛け、
足組みは不敬だが、腕組みも相手を不安にさせる効果があるが故に禁物で、仮に武士でも相手が誰であろうとへりくだる必要があり、老人の価値は若者をどれだけ楽しませるかで決められる。
時代を200年ほど先取りして嫌煙権を尊重し、ロクと呼ばれる超能力によって地震などの災害を予言し、江戸しぐさが身についていない人は「野暮」や「田舎者」としてバカにしてもよく、
更に田舎者はよくスリなどの犯罪に遭っていた。
といった感じの、心豊かな生活を送っていたらしい。
最後らへんの奴はもはや「しぐさ」の体裁すら取り繕えていない。
当然、こんな内容に対して批判が巻き起こり、その中には、
「そもそも江戸時代の史料に全然掲載されてないし、一部の団体が言い出すまでは誰も言及もしてなかったのはおかしいだろ」という、
内容以前に
歴史学の視点からの致命的なものもあった。
これに対する回答として、江戸しぐさ支持者らが言い出したものこそが
「江戸っ子大虐殺」なのである。
話が本当ならば、
江戸に巣食う大量の超能力者が敵に回ることを考えると、優先して抹殺も理に適っているかもしれないが…。
アポや分刻みのタイムマネジメントも
超能力で解決したとでも言うのだろうか……。
災害は予知できても「大虐殺」の予知はできなかったようだが。
また、江戸時代は現代では考えられない程凄まじい重罰社会であるため、
必ずしも斬られたり、捕まるわけではないにしても、帯刀している(危険な)武士相手にお互い平等の立場をこころがけるなど、
当時の常識に照らし合わせるならば、到底正気とは思えぬ行動も多々収録されている。
逆説的にそれが出来る様な恐ろしい集団ということも抹殺の理由になるのかもしれないが…。
流れをまとめると、
江戸しぐさ支持者「日本をよりよくするため、日本の心である江戸しぐさを子供達に教えて浸透させよう」
有識者「何それ? 聞いたこともない。ソースは?」
江戸しぐさ支持者
「え、えーと……江戸しぐさは伝承者が全員殺されて記録も燃やされて失伝してしまったんだよ!!」
有識者「な、なんだtt」
という、
MMRでなくともびっくりする程に世紀末な反論が飛び出したという流れである。
しかし、そんなものをなんで上述の言い出しっぺの人物が知っていたのかはさっぱりわからないし、
そもそも
一部の江戸っ子しかしらない秘伝なのに
寺子屋で教えられて、江戸っ子はみんな知っていて知らないと馬鹿にされるという基本設定からしてすでに論理が崩壊している。
こんな具合でツッコミどころ満載を通り越して荒唐無稽な江戸しぐさ&江戸っ子大虐殺。
義経チンギスハン説の方が提唱当時は不明な要素が多く、仮説が立たなくはなかった分まだマシなレベルである。
しかしここで大きな問題があった。
前述の義経チンギスハン説もそうだが、本職の大学教員から見れば「批判した所で学問的業績にもなりはしない」ほどどうしようもなくしょうもない代物である。
結果として歴史学の視点からの批判はほとんどされないまま江戸しぐさ&江戸っ子大虐殺は「史実」としてどんどん広まってしまった。
また、学問的な常識がなく、安易に都市伝説を信じ込む人たちには何を言っても「お前たちが真実を知らないだけだ」と聞く耳持ってもらえない面もある。
マナーをうたっているため、ヒトを疑うことをしらないマジで善良な人も素直に信じてしまいやすいだろう。
判断材料などに欠ける子供達にとっては言わずもがな。
結果、民間の研究家の原田実氏がまとまった批判書『江戸しぐさの正体―教育をむしばむ偽りの伝統』と『江戸しぐさの終焉』(星海社新書)を出すまでは、
江戸しぐさの歴史的な真実性はあまり注目されなかった。
さて、「江戸しぐさ」は教育関係者には大きく受け、道徳の教科書にも掲載されるに至った。
これに対して当然ながら歴史学者らを中心に激しい批判が起こり、一部の教科書からは削除され、
江戸っ子大虐殺というパワーワードと発想の凄まじさのインパクトも世に知られるようになった。
これらについて、「歴史的には間違いであっても、マナーとしては正しいのだから、学校で教えること自体に問題はなかろう」という立場を取る人も多い。
本項をここまでお読みになった人の中にも、同様の意見の人も居るかもしれない。
しかし、わざわざ江戸しぐさという名称や例を持ち出す必要はない。普通のマナー講座にすれば良いわけだし…。
何よりも江戸しぐさの中には前述の様な「田舎ものはいじめられて当然」「犯罪には遭うほうが悪い(意訳)」といった、
マナーとしても疑問な内容も多数存在するので……結局は微妙である。
更に江戸しぐさを喧伝すると、本当の江戸文化も伝わりにくくなってしまう……というか実際に
検索妨害になっている。
もちろん、当時と現代では価値観などが大きく異なるため、中には現代人からしてドン引きするような文化もあるが、
だからといって、明らかに江戸時代のことをろくに知らない現代人が創作した、嘘の江戸文化を広めていい理由にはならないのである。
加えて、「江戸っ子大虐殺」に至っては新政府軍に対する謂れなき濡れ衣であり、
維新に協力した新政府側と被害を最小限に食い止めようと尽力した幕府の双方を侮辱するという、
日本の全方向に喧嘩を売っているものである。
江戸しぐさを肯定する理由に挙げられるマナー云々とは一切関係ない、苦し紛れにでっちあげたような架空の事件が、
(今となっては少し勉強すれば
嘘だと分かるほどに馬鹿馬鹿しいものとはいえ)「史実」として教えられてしまうのは、流石に問題ではないだろうかという声は大きい。
一応、「史実」「正史」というのはその時その時の体制の都合によって変えられるものである。
公的な記録も、
意図的な虚偽を書いたり、都合の悪い事実に触れなかったり、
情報伝達が不十分で結果としてなかったことになるなど、正確でない可能性もある。
そのため、既存の歴史が本当なのかと疑い、別の事実の存在や解釈を主張することは決して批判されるべきものではない。
江戸っ子大虐殺で言うなら本当に江戸城が「無血」で開城されたのか、
新政府(及びその後継たる戦後体制)に都合よく歪曲された歴史ではないかと疑うこと『だけ』ならば、一概に悪いとは言い切れないだろう。
それでも、
歴史の一番の基本は史料であることは絶対に動かない。
史料の正確さを疑いながら歴史を考えるということと、史料を無視して歴史を考えるというのは全く次元が違う。
「日本は500年前
全世界を征服していた」というような与太話も、史料に基づかなくていいなら「アリ」ということになってしまう。
公的機関の記録にも民間記録にも矛盾なく残されている事実を推測だけで嘘と決めつけ、不確かな口伝だけを信用するのでは、歴史をただの言いたい放題の世界に貶めてしまう。
しかも子供に教えるとなると、それは決して教育だとは言ってはならないだろう(もっと適切な表現が多々あるが、誹謗中傷として扱われかねないので注意)。
確立した歴史を疑うことは並大抵の研究でできることではないが、
並大抵の研究すらも行っておらず擁護のしようすらない(最大限好意的に解釈しても、その研究の成果をまるで示していないので同じことである)。
一部の団体側も、批判に対して適当に言ったことが教科書に載るなどして広がってしまったため、
今更「適当に言っただけでした」と言い出せない別の意味での
黒歴史なのではと言う推測もある。
…誤りを犯してそれを広めてしまったときに、その火消しに努めないというのは江戸しぐさ的にどうなんですかね。
ちなみに現在の団体と提唱者(?)は違っていたり、
また無関係の団体でも、よく推敲せずに広めようとしてしまった過去があったり、問題があると周知されてもなお広めようとしている勢力がいたりと、
水面下も含めて色々な複雑な動きを経ているため、これまた難儀な話になっている。
……とまあ、堅苦しい話はここまでにして、アニヲタ的な観点からこの騒動を見てみよう。
もう一度「江戸しぐさ」が教える江戸の姿を思い描いてみよう。
和装でちょんまげを結いながら、時計や通信機器を携帯し、夏には
かき氷を食べ、郵便制度が存在し、お出かけの際には公共交通機関を使い、
嫌煙権が広まる世の中で、
超能力も駆使しつつ、日頃から何故か覚悟完了して生きている江戸っ子……
そう、これは
「外国人が思い描くような間違った日本」、もしくは
漫画「あんみつ姫」や「銀魂」的な何かである。
「ニンジャスレイヤー」を連想する人も少なくない筈だ。
現在でも江戸しぐさ、特に教育現場への浸透を巡っては真面目な論争が続いているが、
アニヲタ的にはせっかく提供してくれたこのニンジャヘッズ的あるいは銀魂的なトンデモ江戸の世界観自体をネタとして味わい、楽しむのが一番であろう。
ちなみにゲーム「
Rise of the Ronin」では、江戸が戦場になることを危惧して
勝海舟が100万人を逃がすための船団を用意していた…と冒頭の江戸っ子を逃がした説が採用されている。
食料や衛生問題の解決がどう考えても無理だろうとか言ってはいけないのだろう。
とはいえ結局は江戸城は御存知の通り無血開城となりその必要は無かった(つまり江戸っ子は逃げも殺されもしていない)のだが、その船団を指揮する榎本武揚は
逃げることを良しとせず勝と意見が分かれており、やがて函館戦争へと繋がる…と、上手くアレンジして史実に組み込んでいる。
ペリーが長生きしたりまだ5歳くらいの年齢の子が普通に大人になったりアーネスト・サトウがジェットブーツで飛び回るゲームに史実もクソも無いとか言わない。
追記・修正は江戸時代で
かき氷を食べてからお願いします。
最終更新:2025年02月24日 03:56