オールナイトニッポン(ANN)

登録日:2020/03/24 Tue 23:40:00
更新日:2020/03/26 Thu 23:06:17
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【概要】

オールナイトニッポン(ANN)とはニッポン放送をキー局に全国で放送されているラジオの帯番組である。
1967年から半世紀以上放送されている長寿ラジオ番組の1つであり、ラジオに一切興味なくてもなんとなく名前は聞いたことがあると言う人が多いほどその知名度は非常に高いと言える。
古くから様々な旬の芸能人や意外性のある芸能人を起用し続けており、安定した人気を誇っている。
基本的に生で放送されているがスケジュールの都合などで録音放送の時もたまにある。

オールナイトニッポンといえばBITTERSWEET SAMBAというバンド曲がお馴染みで、番組開始時からオープニングやエンディングとして流れているほど切っても切れない関係である。
当初は別の曲が考えられていたが、その時に間違ってこの曲が流れ、それを聞いたプロデューサーが案外こっちの方がいいと考え採用された経緯がある。

オールナイトという言葉通り深夜1時~5時までの間、2組のパーソナリティが1組ずつ2時間で生放送している。
しかし近年はオールナイトニッポンGOLDオールナイトニッポン MUSIC10など夜の10時スタートで日を跨がずに放送終了という、比較的早めに放送される番組枠も設立された。

5年刻みで〇〇周年記念として様々な取り組みが行われている。その中でもかつてレギュラーパーソナリティを務めていた様々な芸能人がその日限りに復活するという企画は周年企画には必ず行われており、長年のオールナイトニッポンファンやその芸能人のファンからすると悦ばしいものである。
そのためその時期がくると今度は誰が復活するのか楽しみにしているファンも多い。

【番組枠】

※項目設立日(2020年3月)時点での番組枠を元に紹介

  • オールナイトニッポン(月~土)
深夜1時~3時に放送。
1部枠とも呼ばれ、この番組の1番のメインであり、36局ネットと1番多くのネット局を持つ。
故にこの枠に就任・別枠からの昇格を狙ってる芸能人も多くいる。
近年は他の番組枠と比べパーソナリティの異動がなかなか発生することはない。

  • オールナイトニッポン0(月~土)
いわゆる2部枠でオールナイトニッポン45周年記念以降にこの名前になった。
月~木曜は深夜3時~4時30分に放送だが、金・土は深夜3時~5時に放送と若干ばらつきがある。
新人発掘の意味合いが強く、就任時点でまだ知名度の低い芸人やアーティストなどが起用されやすいだけでなく、たまに行われるパーソナリティオーディションで選ばれた人材もこちらに宛てがわれる。
そして土曜日の第2~第5にはまだレギュラーパーソナリティに就任したことのない様々な有名人が週替わりで1回きりとして起用されており、その後たまにレギュラーパーソナリティになることも。

  • オールナイトニッポンGOLD(金)
不定期の単発放送の後、2009年から新設された枠。
夜10時~12時に放送。
以前は月〜金曜まで枠があったが、2015年に月〜木曜の枠が後述するオールナイトニッポン MUSIC10の枠に変わったため現在は金曜日のみに。
その週毎にレギュラーパーソナリティが存在しているが、第2・第5のみオールナイトニッポン0の土曜枠のようにまだパーソナリティに起用されてない様々な有名人が週替わりで1回きりとして起用される。

  • オールナイトニッポン MUSIC10(月~木)
2015年に新設された枠。
夜10時~12時に放送。
「大人の音楽」をテーマにした音楽番組となっており、それに合わせパーソナリティも全員昭和~平成初期に芸能活動をスタートした女性芸能人である。

  • オールナイトニッポンサタデースペシャル(土)
元々は福山雅治のレギュラー番組として2000年から深夜11時30分~1時の時間帯に放送されていたが、2015年の放送終了により枠名と時間が関ジャニ∞の大倉と福山雅治と同じ事務所の後輩の高橋優に引き継がれることとなった。
さらに4年後大倉と同じ事務所の後輩であるSixTONESが引き継ぎ、偶然にも2回連続前任者と事務所の繋がりがある人物が引き継がれることとなった。

  • オールナイトニッポンPremium
2017年からナイターのオフ期に期間限定放送されるようになった枠である。
2017年・2018年は月〜金まで放送されていたが2019年は土曜のみであった。
夜7時スタートと1番早く番組が放送される。
パーソナリティはかつて1部・2部枠でレギュラーパーソナリティを務めていた有名人が主に起用されている。

  • 月一放送(日)
基本的にオールナイトニッポンは日曜日の放送は行われていかなったが、2013年中島みゆきが月一放送を始めたのをきっかけに定着。
その後WANIMAへと引き継がれている。

【歴史】

  • 解明期~第一次黄金期~停滞期(60~70年代初頭)
1967年10月2日に放送開始。
当時のパーソナリティはニッポン放送アナウンサー・ディレクターと内部の人間だけを起用しており、現在の外部の有名人の起用は一切なかった。
これは当時の編成局長や編成部長が外部のタレントではなく、アナウンサーやディレクターといったニッポン放送内部の人間を起用すると考えていたためである。
放送開始時点は1人のパーソナリティが4時間ぶっ通しで生放送をしており、深夜というのも合わさって非常に大変なものであった。
非常に遅い時間ながらも若者を中心にリスナーが徐々に増えていき、それに合わせてネット局も1969年頃から徐々に拡大していくようになり、1970年には全国ネットを果たす。


1972年には現在に繋がる2部制を導入。
その際月〜土の1部枠を亀渕昭信が、2部枠を今仁哲夫が起用され、他のパーソナリティは降板させるという思い切った改革を行った。そして両者のパーソナリティの負担をより強いられることに。それぞれビバカメショービバテツショーと呼ばれることとなったが、わずか半年で今仁哲夫から池田健に交代。そちらはビバケンショーと呼ばれることとなった。
しかしまたもや半年でこの体制は幕を閉じる。
この時期はオールナイトニッポン最初の停滞期と言われ、担当していた亀渕昭信によればやはり週6日も担当するのはきつかったと語っている。

そしてこの現状を打破する為に大きな改革として行われたのが、番組設立当初は禁止事項とされていた外部タレントの起用である。

  • 停滞期~第二次黄金期(70年代初期~80年代中期)
1973年に外部タレントの起用をスタートした。
この時に起用されたのは小林克也やあのねのね、岸部シローなどの外部タレントだった。
また2部制度を廃止し、初期のように1人のパーソナリティが4時間ぶっ通しで放送という体裁をとっていた。
しかしそれが災いし、想像以上に負担を強いられたのかあのねのね以外の外部タレントによるパーソナリティが翌年の夏までに降板という自体に。
これを反省し1974年に再び2部制度を復活。その際引き受けてくれる外部タレントの数と番組に必要なパーソナリティの数が合わなくなったため、人材補充の意味でオールナイトニッポン史上初のパーソナリティオーディションが開催されることとなった。

この頃フォークソングブームも相まって武田鉄矢、長渕剛などといったフォークシンガーが特に多く起用されており、またまだ芽が出る前のビートたけし明石家さんまなどのお笑い・色物の有名人も起用。彼らのおかげでそれぞれに人気をつけされることができ、ハガキ職人が沢山増えていったことで結果的にオールナイトニッポン自体も活性化させていった。結果的に外部タレントの起用は大きな成功を納めた改革といえた。

80年代に入ってからもお笑い・フォークシンガーだけでなく小山茉美神谷明といった声優や小泉今日子といったアイドルなどの分野も積極的に起用。
パーソナリティを通して更に新規の開拓を行っていった。

そして20年目に突入した記念でALL DOGETHER NOWという特別番組が放送され、中島みゆき、とんねるず、小泉今日子、ビートたけし、サンプラザ中野、ABブラザーズの当時の1部パーソナリティ6組が一堂に会した。
そしてこの番組がオールナイトニッポン初の節目に行われる特別企画であった。
そしてこの頃にオールナイトニッポン仕様のスーパマリオブラザーズも限定で配布。上記の6組がスーパマリオの世界に調和したような内容となっており、現在では入手困難なソフトの1つとなっている。
オールナイトニッポンファンの中にはこの頃が最高傑作な布陣であると考えている人が一定数いる。

安定期~第2の停滞期(80年代中期~90年代末期)
80年代末期にバンドブームのきっかけにより、デーモン小暮や大槻ケンヂ、木根尚登などといったバンドマンが続々と起用。
更に演出家の鴻上尚史やちびまる子ちゃん作者のさくらももこなどといった、普段テレビでは活躍しないような業種の有名人も新たに起用。更に新規の開拓を図っていた。

しかし90年代、ギルガメッシュないとやトゥナイト2などの開始によりテレビの深夜番組がより充実するようになるだけでなくゲームやレンタルビデオの普及など娯楽が一気に多様化していき、若者のラジオ離れが顕著となる。
さらに他局の深夜ラジオ番組も充実するようになり、そちらなどでリスナーが鞍替えしていくようになったことにより、オールナイトニッポンに届くハガキの数が一気に減るようになった。
そんな中ニッポン放送はこの現状を打破する為にまず、普及したばかりのパソコンや携帯電話、メールなどの新しいツールにいち早く目をつけた。そして、それらのIT機器とAMラジオの関係を融合させるべくオールナイトニッポンを含めた夜帯の大改編を行うこととなった。

しかし・・・


  • LF+R期(90年代末期~2000年代初期)
1999年にLF+Rと呼ばれる番組枠をスタート。従来のオールナイトニッポンに加え、平日や土曜日・日曜日・年末年始に「LF+R」の名を冠した番組を放送していた。
この枠がスタートしたことにより番組の時間枠が拡大、それに伴い以下の通りに従来の2部制から3部制に以降。

月曜〜金曜 夜10時~ 12時
『allnightnippon SUPER!』(1部)

月曜〜土曜 深夜1時~ 3時 『@llnightnippon.com』(2部)

月曜〜木曜 深夜3時~4時30分、金曜・土曜 深夜3時~5時(3部)
『allnightnippon-r』

そして今では馴染みとなったインターネットラジオを初導入。
インターネット社会や21世紀を見据えた新たな時代の1歩を築くはずだった。

結果、蓋を開けてみれば

葉書の受付を廃止し、 FAXやメールだけだけでしか受け付けなくなったため、それらの環境を持ってないリスナーはネタを送りたくても送れない状況となった

メインの1部枠が夜10~11時台に変更されたため、その時間帯に合わせたトークをせざるを得なくなり、以前と比べたらトーク内容が当たり障りのないようなものに成り下がってしまった

この番組の顔、BITTERSWEET SAMBAをオープニングに流さなかった

初導入したインターネットラジオも、まだ常時接続システムがそれほど普及していなかっただけでなく、当時は著作権の問題などもあり、各番組内で流れる曲が、殆どオンエアされていなかった

などなど、多くの不満点・改悪点が見られるようになった。
そのうえ、2002年にTBSラジオの深夜ラジオ枠JUNKがスタート。
この頃のオールナイトニッポンよりも魅力的に感じたリスナーが続出したことにより、オールナイトニッポンを見限りJUNKを見るようになったリスナーも続出。
結果的に聴取率が低下するようになりこの取り組みは大失敗に終わった。
結局2003年の春改編でLF+Rは消滅、メインの1部枠は元の深夜時間帯に変更、変更後の夜10時~12時台はオールナイトニッポンいいネ!に改題されパーソナリティを一新、そして3部枠のallnightnippon-rはオールナイトニッポンRへと改題されるなどして様々な改編を取り組んでいった。
この4年間はオールナイトニッポン及びニッポン放送最大の黒歴史と呼ぶファンも多い。

  • 新規路線(2000年代初期~2010年代初期)
メインの1部枠を戻したりと原点回帰を図り、リスナー回復に勤しんでいたが、その頃の若者たちのラジオ離れが加速していくだけでなく、JUNKにリスナーを奪われたままだったりとで、回復が順調にいかなかった。
そんななか、60年代~70年代にラジオを聞いてた当時の若者リスナーで現在でいう団塊の世代達に向けた番組をラジオ業界が次々と作成。
その流れに乗り、若者向けの枠であるオールナイトニッポンいいネ!は全て打ち切り夜10時~12時台のオールナイトニッポンの枠は消滅、オールナイトニッポンRの月〜木曜日分を打ち切る代わりに、中高年層にむけたオールナイトニッポンエバーグリーンの放送を開始。
徐々に新たな年代のリスナーを獲得するようになる。

  • そして、現在(2010年代初頭~)
2009年には夜10時~12時台の枠をオールナイトニッポンGOLDという名前で6年振りに復活。

2012年NOTTVがスタート。オールナイトニッポンエバーグリーンの枠をオールナイトニッポン0に変更する形で開始され、8年振りに2部枠としての機能を果たす枠が復活した。
そしてこの枠を以前のような若年層向けand新人発掘の場としても機能させるために、プロアマ問わずのパーソナリティオーディションYouTubeを活用した形で開催。事務所無所属の一般人を含めた5組の若手が選ばれる。
なお、オールナイトニッポン0が開始されるきっかけとなったNOTTVの放送が2016年度に終了したため、すぐさまLINE LIVEに動画配信を移行することとなった。

そしてオールナイトニッポン0に取って代わられてしまった中高年層向けの枠は夜10時~12時代にオールナイトニッポン MUSIC10として復活。
それに伴いオールナイトニッポンGOLDの月〜木曜枠が終了。



こうして紆余曲折ありつつも2017年、50周年を無事に迎えることができ、50周年にちなんだ横浜アリーナでのライブなどといった様々なお祝い企画が実施されていった。
現在も様々なリスナーやパーソナリティに支えられながら放送を続けている。

【パーソナリティ】
当初はニッポン放送の社員しか起用されていなかったレギュラーでのパーソナリティであるが、現在ではアイドル・アーティスト・芸人・役者・タレント・モデル・声優・漫画家etc.と数々の業種の有名人達が数えきれないほど起用されている。

基本的にパーソナリティに起用されるのは、ある程度名前が知られた有名人以上に、ブレイク前あるいはブレイクの予感がする芸歴の浅い有名人が多く起用されている。
実際にいいとも司会抜擢前のタモリ東京進出した直後の明石家さんま、オレたちひょうきん族が始まったばかりで本格的にブレイクする前のビートたけし、ヒット曲がまだ少なくフジテレビ系列のドラマにレギュラーで抜擢されたばかりの福山雅治、とぶくすりで全国区に地盤を固めつつあったナインティナインなど数えきれないほどの例がある。
これも若年層をメインターゲットにしたオールナイトニッポンならではであろう。

一部パーソナリティ紹介

  • 糸居五郎
オールナイトニッポンの初代パーソナリティの1人。
本人が音楽好きというのも相まってトークよりも音楽に重きを置いた内容だった。
50歳の記念に50時間マラソンジョッキーを敢行、2日とちょっとという長時間を一切寝ずにほぼ1人でパーソナリティをこなすという過酷な挑戦を無事やり遂げることができた。
1984年末に死去し、その翌年の正月明けに追悼特番が放送。その後彼の命日がDJの日として制定された。

  • 笑福亭鶴光
落語家。当時オールナイトニッポンでは御法度とされた下ネタを、なんの悪びれもなく多用するなど、彼が就任した当時は型破りな存在であった。低俗だと彼のことを嫌うリスナーも存在したが、それ以上に彼を支持するファンが存在しており、結果的にエロで支持される最初のオールナイトニッポンパーソナリティとなった。
なお、この番組のアシスタントにはまだアイドルであった日高のり子が一時期担当していた。
当時のリスナーを対象にJ:COMテレビで笑福亭鶴光のオールナイトニッポン.TV@J:COMをレギュラー番組として復活させた。

  • ビートたけし
ツービートの片割れとして名を馳せ、オレたちひょうきん族の出演で更にブレイクしつつあったときに起用された。
番組の穴埋め的にスタートされたが、時事ネタや芸能界裏話、社会現象から下ネタまで、幅広い内容のフリートークを言葉巧みに展開し、それがきっかけで若年層を中心に人気をつけていき、聴取率記録を打ち立てることができた。
しかしフライデー事件を起こしたことで彼自身の活動が自粛、結果的に1986年12月〜1987年7月の半年間休止することとなった。
なお、犯人はヤス(の元になった言葉)を生み出したのがこの番組である。

  • ナインティナイン
初の冠番組とぶくすりで東京進出を果たしたばかりの時に抜擢された。
1994年の放送開始から変わらずパーソナリティを続けており、2014年矢部がパーソナリティを卒業した時点で歴代最長を誇る長寿番組となった。(次点は福山雅治)
現在は岡村のみが活動を続けており、歴代最長記録を更新続けている。

  • 星野源
俳優兼アーティスト。
作曲も手がけるアーティストである故にオールナイトニッポン全体のジングルも多数作成した。
また、彼自身サブカルに造詣が深いためか、宮野真守や尾崎由香などといった声優、小島秀夫といったゲームプロデューサーをゲストに迎えてる。
その中で2016年に安元洋貴、下田麻美が共にゲスト出演した際、安元は「ぶっかけ星人(ぶつ兄)」、下田は「ぬるぬる星人(ぬる姉)」と扮しオールナイト宇宙という世界観の中で放送と、とにかく終始カオスな様相を呈していた。

  • 菅田将暉
仮面ライダーW右側としても知られる俳優。
彼のラジオには殿こと松坂桃李が度々ゲスト出演するのだが、ゲストの身でありながら遊戯王のトークを彼一人で長時間語り、菅田のラジオをほぼ乗っ取ってしまうほど。あまりの遊戯王ガチ勢っぷりに菅田は困惑するばかりであり、後日遊戯王ばっか話すという理由で出禁を告げた。(勿論菅田なりの冗談である)
出禁を言い渡された数ヶ月後、なんだかんだ言ってまた登場。もちろんその時も遊戯王の話題で持ち切りだった。


追記修正よろしくお願いします

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