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古谷敏

登録日:2022/07/12 Tue 11:49:59
更新日:2026/07/26 Sun 02:04:42
所要時間:約 5 分で読めます




古谷(ふるや)(びん)は、日本の俳優、スーツアクター。
本名:古谷(さとし)

ウルトラマンの誕生に大きく関わった人物である。


プロフィール

生年月日:1943年7月5日
出身地:東京都港区西麻布
血液型:AB型
事務所:シンビンプロモーション

経歴

1965年の挑戦

1943年、建具職人の家に7人兄弟の五男として生を受ける。
お婆ちゃん子で、祖母をおばあばと呼んで慕っていた。
小さい頃は校庭などで映画を上映しており、自然と映画へ熱中。特に嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗』が1番好きで、初めて観た時は感激して放心してしまったという。
近所にオープンした映画館へバイトをしてまで入場料を稼ぐ少年時代を過ごし、将来のは映画俳優になると決意。

1960年に東宝撮影所15期生として入社し、1962年に『吼えろ脱獄囚』で正式に映画デビュー。以後150本近い映画へ出演するも、鳴かず飛ばすの日々が続いていた。

1965年、友達で俳優・事務担当の新野悟に「いい役持ってきたから衣装合わせ行こう。東宝からも許可貰ってるしギャラも良いから。」と言われ、彼に連れ出されて円谷プロダクションへ向かった先にあったのは、ゴムの着ぐるみだった。
新野が持ってきたのは「ぬいぐるみ役者」…現在で言うスーツアクターの仕事だったのだ。
「俳優は顔を出してなんぼ」と考える古谷は断ろうとするも、スケジュールや体格などを理由に渋々承諾。
衣装合わせにスーツを着るが、重い頭部に首が痛くなり、視界もほぼ皆無で、モーターで音も聞こえず、様々な匂いで鼻も利かず、密着スーツで呼吸も少ししか出来ないというとんでもない状態に。
一応役をやりきるも、当時のスーツアクターの雑な扱いもあって、こんな苦しい仕事は出来ないと思ったという(なお、後にラゴンも演じているが、これは契約上の都合かもしれない)。

かくして『ウルトラQ』第19話『2020年の挑戦』の誘拐怪人ケムール人役で、彼は不本意ながらぬいぐるみデビューを果たすことになる。
その時、彼の芸術的な体型に、心奪われた1人の彫刻家がいた。
『ウルトラQ』で怪獣・メカニックデザインを担当した成田亨である。
成田は彼をイメージしてあるヒーローをデザインすることになる。

数ヶ月後、新野から「今度は主役だよ!」と言われ、持ってきた仕事は「円谷プロダクションの新番組の主役のぬいぐるみ役者」。カラー放送の一年続く番組になるという。
しかし、騙された経験ぬいぐるみの中に入る苦痛を知ったため、当然断るが、新野はなかなか折れなかった。

ある日、彼は新野から中華料理店に誘われ、そこで待っていた成田と飲むことになる。
成田は少しずつ言葉を紡ぎ、
「ケムール人の演技は僕の描いていたイメージ通りで良かった。」
「背が高いだけじゃダメなんだよ。手脚の長さや頭の小ささ、全体のバランスの良い人は中々いない。」
「そのビンさんをイメージしてすごく格好良いヒーローをデザインした。ビンさんじゃないと駄目なんだ。」

と零す。

そして、


ウルトラマンは、ビンさんそのまんまなんだよ。」

(ウルトラマンだって? 初めて聞いた名前だ。)

「ウルトラマンて、今度のヒーローの名前なんですか?」

「そうだよ、皆んなにはまだ内緒なんだ。タイトルは、ウルトラマンっていうんだよ。」

彼から何度も頭を下げられたこと、映画業界も斜陽になっていたことに加えて、敬愛する祖母に相談して「人から頼られてるならやってみたら。」と背中を押されたことから、古谷はスーツアクターを承諾した。


東宝俳優・古谷敏。

22歳の春、彼は超人(ウルトラマン)になった……。

ウルトラマン誕生

とはいえ「身長40mの正義の宇宙人」なんてものは、今まで世界の誰も見たことがない。
前人未到の概念であるウルトラマンをどう演じていいものか分からず、脚本家の金城哲夫に相談したところ、「人間的な感情や動きをしないこと、モデルがいないのでビンちゃんなりのウルトラマンを作ってください。」とのことであった。
彼は困惑したが「この映画は絶対当たるから!」と言った金城の確信めいた表情から、一緒に仕事をしようと決意。金城へスーツアクターの扱いの改善を直談判し、これが通ってシャワー設備や水と塩などが常備されるようになった。

彼はウルトラマンの動きを、全く一から作ることになる。
ウルトラマンの前屈みで中腰のファイティングポーズは、映画『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンのナイフを持った決闘シーンを格好良く感じて取り入れたもの。
古谷は長身でホリゾントが切れやすかった*1ため、カメラマン(後に特技監督)の高野宏一の指示で少しずつ屈みを大きくした結果、現在知られる大きく屈んだポーズが誕生した。
「中の人が撮影にビビって腰が引けた」という都市伝説は誤りである(ただし、爆発や水中撮影に命の危険を感じていたのは本当である)。
そして、金城や成田が「色っぽい」「ゴムの肌触りが良い」という理由で撮影の度にお尻を触っていたとか。

スペシウム光線はポーズが決まった日から、三面鏡の前でポーズの練習を一日300回。
その甲斐もあり、後に成田から「美しい彫刻のようだ。」と絶賛されている。

バルタン星人の前で、ウルトラマンに円谷英二が話しかける有名な写真がある。
これは『ウルトラマン』最初の特写会の一幕であるが、音の聞きづらいスーツに加え、周囲の音に英二の声はかき消されてしまい、
彼には辛うじて「夢だよ、夢を、こ……」という言葉しか聞こえなかった。 

見えざる苦闘

かくして始まった『ウルトラマン』の撮影は案の定過酷なものであった。
ウルトラマンのスーツは古谷の体ピッタリに作られた特注品。
そのためスーツ内にほとんどスペースがないことから呼吸が辛く、動き辛くアクションも満足にできず、少しの演技でも全身に熱が篭り、ライトの光で表面が熱くなり、汗が止めどなく溢れてスーツ内に溜まる代物。
しかも、自分では脱げない。着て演技できるのは15分が限界だったという。
スーツを脱いだ後はオープンセットの隅で嘔吐を繰り返し、手足の痺れや小便の変色は日常茶飯事。
夏場は1シーン毎に水と氷を入れたドラム缶へ飛び込んでいた。
CG技術などない当時、撮影で使われる火や炎は当然ながら本物。炎の中で苦しくてもがいていてもそれすら良い演技だと思われストップがかけられない始末であり、その過酷さは本人曰く「救急車を呼ばなかったのが奇跡」と評するほどだった。

極めて過酷な撮影現場ではあったが、芸能学校の「俳優はどんな時でも格好良くしていなければならない」という教えと、
祖母との「仕事中はどんなに苦しくても辛くても一緒に働いている人たちに嫌な思いはさせてはいけない。いつも笑顔でいるように。」という約束のため、常に笑顔に努めていた。

だが、撮影開始から数ヶ月、古谷の心身は既に限界であった。
「体型維持のため太っても痩せてもいけない」と言われていた古谷だが、過酷な撮影のために食が細くなり、撮影の度に吐くので体重が激減。
風邪をひいても代わりがいないため、休むことも出来ず、打ち身や捻挫や突き指もしょっちゅうあった。
スーツに入っても満足なアクションができなくて歯痒く悔しく、スタッフは優しいから尚更だったという。
さらに、マスゴミから「空想特撮テレビ映画とは程遠い」「ウルトラマンと怪獣がプロレスごっこをしているだけで見るに堪えない子供だまし」などと辛辣な記事を書かれた彼は、申し訳ないという気持ちからウルトラマン役の降板を申し出る事を決めた。
彼は円谷プロダクションへ向かうべく渋谷からバスに乗り込み、その中で、彼の運命は変わる。

夢のヒーロー

バスの中で彼は、偶然小学生の集団と同乗する事になる。
少年達はウルトラマンの大ファンであった。
ウルトラマンの話題を目を輝かせながら語る子供たちを目にした彼は自分の演じるウルトラマンの凄さ、ウルトラマンが全国の子どもたちの憧れである事を知る。

彼は気づいた。英二は特写会でこう言っていたのだ。

「夢だよ、夢を子供たちに見させてあげるんだよ。」

彼にもヒーローが居た。幼い頃に嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』に夢中になった。
『鞍馬天狗』とウルトラマンを重ねた古谷は自省し、以後心に残るようなヒーローを目指すことに決めた。

運命を感じた。渋谷であのバスに乗らなければ、子供たちに会えなかった。そうしたら、僕は降板していた。僕のウルトラマンは、これで終わりだった。

ウルトラマンは、子供たちに助けられた。
ウルトラマンは、子供たちに感謝した。

1967年、『ウルトラマン』の放映終了。
ウルトラマンは宇宙へと飛び立ち、地球を去って物語は終わる。
子ども達は泣きながら窓を開き、あるいは通りに飛び出し、夜空を見上げた*2

撮影終了後には、外したウルトラマンの仮面を見つめ、仮面の上に涙を落したという。

第2の超人

暫くの後、彼は成田から新しい番組のスーツアクターを再び依頼される。
これに対し、今度は素顔で出演したかった彼は「隊員役のオファーが来なかったら」という条件を付ける。
成田は残念がっていたが、ファンの後押しを受けて新番組の隊員役に抜擢された時は喜んでくれたという。
尤も、古谷敏の代わりに新ヒーローに起用された上西弘次氏はがっしりとして足が短く、成田の理想とする古谷とは正反対な体型であった。
彼の体型を生かした華奢なヒーローが作れなくなった成田は、苦悩の末に甲冑型ヒーローのウルトラセブンを生み出す事となる。

新番組『ウルトラセブン』において、古谷はウルトラ警備隊のアマギ隊員としてレギュラー出演。
マスコミに「古谷がアマギ隊員役に選ばれたのは、ウルトラマンを1年演じたことへの慰労であり、実力ではない」などと書かれてやる気が下がった事もあったが、
『ウルトラマン』でアラシ・『セブン』ではフルハシを演じている石井伊吉(現:毒蝮三太夫)に「アマギ隊員に選ばれたのはウルトラマンを演じた古谷のファンのおかげ。そのファンに恩返しをしないと。」と諭されて救われている。
その後も伊吉には事あるごとに目をかけてもらい、自分の会社の設立・解散時にも世話になり、後に夫人との結婚式の仲人も担当しており、尊敬する人物の一人に挙げている。

ちなみに、ずっとメロドラマの主役をやりたいと思っていたが、『ウルトラセブン』第31話『悪魔の住む花』でメロドラマ風の演出をしてもらい、夢が叶ったという。 

暗転

『ウルトラセブン』の放映終了後は子ども向けの怪獣ショーを公演する『ビンプロモーション』を設立。1971年には株式会社として法人化。
1972年には長年付き合っていた女性と結婚している。
しかしながら、怪獣ブーム終了後にビンプロモーションは徐々に業績が低迷し、バブル崩壊に伴い1991年に倒産。膨大な借金を抱えた。
彼は周囲に迷惑をかけないため、借金を返すために職業を転々と変える。
1993年に地裁から破産判決。
その後は知人の紹介で一般の清掃事務所に勤める。
だが「心の貧乏にだけはなりたくない」という思いから周囲との接触を断ったことで古谷の足跡は社会からぷつりと消え、死亡説が噂されることとなった。

光の中へ

2007年、現場責任者になっていた彼はある日、匿名掲示板で当時の自分がスーツアクターとして高い評価を得ていることや「一家離散」「逃亡中」「消息不明」などの噂が立てられていることを知る。
一部の優しいコメントに励まされた古谷は、ふと誰かの役に立ちたいと思ったという。

その年の秋のこと。
2002年2月26日に逝去した成田の個展が近くで開かれているのを知った古谷が足を運んでみると、懐かしさと感謝を込めて成田夫人と連絡を取り交わし、後に予定されていた大展覧会にも招かれる。
そこのトークショーで本人にもサプライズのゲストとして壇上へ上がることとなり、ファンや記者達をパニックに陥らせた。

その翌日に『ウルトラセブン』で共演したアンヌ役のひし美ゆり子から「二十数年さがしていた。みんな会いたがってる。」と電話をもらい、以後ウルトラ関係の取材やサイン会、トークショーに参加するようになり、現在に至る。

2008年には『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』に出演。
2009年にも『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』に光の国の祖先役で出演。
そして自著『ウルトラマンになった男 A Man Who Became Ultraman』を発売。

2013年には第26回東京国際映画祭と円谷プロのコラボレーション企画として『ウルトラマン』のHDリマスター版の上映会とトークショーが開催され、古谷はハヤタ隊員役の黒部進とフジ隊員役の桜井浩子と共にトークショーに参加。
その終盤、黒部による変身ポーズから舞台上に登場したウルトラマンは…なんと当時70歳の古谷がスーツアクターとして演じていたのだ。この日の為に2013年現在の古谷の体格に合わせて新造されたスーツを着用して、古谷は実に47年ぶりにウルトラマンとして舞台上に帰ってきたのだ。

2022年現在はYoutubeでも『ウルトラマン』の回想などを語っている。

近年の彼の仕事で最大のものは、2022年のシン・ウルトラマン』でウルトラマンの体型モデルとして抜擢された事だろう。
シン・ウルトラマン』に登場するウルトラマンのCGモデルは、「成田の理想を再現する」というコンセプトのもと、現在の古谷の身体データをコンピュータに取り込み、それをベースに作成された。
また、彼はモーションアクターにも名を連ねており、YouTubeで公開されている「シン・ウルトラマン 制作回顧録」では、ザラブ戦でウルトラマンが巨大化し戦闘態勢に移る動きが古谷敏の動きをもとに制作されている事が確認できる。
古谷は現在も、超人(ウルトラマン)でありつづけている。

エピソード

  • ウルトラマンのスーツは古谷の全身を採寸、マスクは石膏で型を作ったもの。
    番組終了後にマスクとカラータイマーのレプリカを頂いて大切に保管しており、『開運!なんでも鑑定団』に出演して鑑定したところマスクは150万、カラータイマーは100万円の値がついた。
  • 当初はスーツアクター役を秘密にして欲しくて取材も禁止にしていたが、オープニングでは『ウルトラマン:古谷敏』とテロップが付いてしまった。後に周囲の説得やファンからの要望、「ウルトラマンは僕しかできない役」という自負からインタビューやサイン会を実施している。
  • 共にウルトラマンのファイティングポーズを作った高野とは公私共に仲が良く、古谷に高飛車な態度を取った助監督を叱りつける、溺れる危険のあった水中アクションを極力減らすなど度々便宜を図ってくれていた。古谷が復帰したあとに会う約束を電話で交わしたが、『ウルトラマンになった男』を執筆中に訃報が入ってしまったという。
  • 『ウルトラマンになった男』によれば、初めての撮影はグリーンモンス戦。
  • 『遊星から来た兄弟』のザラブ星人が化けたにせウルトラマンの顔面にウルトラマンが空手チョップを当てて痛がる場面は、演技ではなく素。
    本来寸止めの予定だったが、距離感を誤って本当に当ててしまい*3、あまりの痛さに素で痛がってしまった。
    上述の通り「人間らしい動きはしないように。」と言われていたので、NGになるかと思ったらそのまま採用されたという*4。また、にせウルトラマンと対峙したときに自分と全く異なる雰囲気を持つことに違和感を抱き、自分のウルトラマンのイメージを大事にしたいと思ったという。
  • 『ウルトラマン』最終回のゾフィーについて、古谷は『ウルトラマン』の中ではウルトラマン以外の役は演じたくないと感じていたが、スーツがウルトラマンの流用なので古谷しか着られず、渋々演じたという。

主な出演作



















ウルトラマンをやってよかった

いつかは僕も光の国に帰るときが来る

その時は
ウルトラマンが迎えに来てくれると思う


うれしいね



僕の最後の夢だね




参考文献:ウルトラマンになった男
著:古谷敏





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最終更新:2026年07月26日 02:04

*1 ホリゾントは空などを描いた撮影用の背景。ホリゾントの上の天井がカメラに写ってしまうのが「ホリゾントが切れた」状態である。

*2 この話は古谷敏が地方でのサイン会で無数の親御さんから毎回聞かされたという。

*3 このミスについて、にせウルトラマンのスーツアクターと組んだ経験があまりなく、互いの息が合わなかったのが原因と本人は推測している。因みに目の硬質素材部分に当ててしまった(本編をよく観ると壊れた部品らしきものが飛んでいる)せいで手の骨にヒビが入っていたとか。

*4 なお、庵野秀明はこのシーンが一番のお気に入りらしい。製作陣の考えとは裏腹にウルトラマンが人間らしい動きをする所が好きだったとか。後に制作された『シン・ウルトラマン』にもこのシーンが取り入れられた。