1998年までは、ゲスト出演者もオープニングで2番目に紹介されていた。
◇上方落語家
笑点というと江戸落語家のイメージが強いが、東西大喜利などに出演する上方落語家も忘れてはならない。
東西大喜利ではゲストという立場上、西軍である彼らに軍配が上がることが多い。
また、基本的に大阪を中心に活動している彼らにとって笑点は関東進出するきっかけでもあったりするのだ。
◇笑福亭松鶴(六代目)
戦後の上方落語の第一人者。また後進の育成にも力を入れ、「四角い仁鶴がま〜るくおさめまっせ〜」でお馴染みの吉本の大重鎮仁鶴・後述するラジオの人気者鶴光・テレビタレントとしても有名な
鶴瓶などの師匠でもある。
3代目桂米朝、3代目桂春団治、5代目桂文枝とともに上方落語四天王と呼ばれた。
1986年9月5日死去。亡くなった後も鶴瓶が番組の中で師匠とのエピソードを幾度となく語っていて、また大阪の帝塚山にあった松鶴の邸宅跡を買取り「無学」という高座を建て、月例の落語会を開いている。
なお、松鶴は7代目(笑福亭松葉)もいるが襲名を前に急死したため追贈となっている。
めでたーいなめでたいな、結婚式場の玄関で、鯛焼きが1つ落ちてました、それをうっかり踏んだなら、中から餡が飛び出した、これがほんまの…何やった?めでたいなー、あ、たいあんや
おい、1枚あげてくれよ!正直でいいよ。「何やったけなー」ってw
◇桂文枝(六代目) 旧名・桂三枝
ご存知吉本興業の看板タレント。前上方落語協会会長。
幼い頃から落語に憧れ、関西大学在学中に五代目文枝に入門。1969年開始の「ヤングおー!おー!」で一躍名を上げると、先に売れた笑福亭仁鶴・同時期に台頭した西川きよし共々吉本興業を代表する人気タレントに。大阪では「新婚さんいらっしゃい!」「パンチDEデート」「愛ラブ!爆笑クリニック」「国盗りゲーム」、名古屋では「うわさのミミンバ!」、東京では「クイズ!年の差なんて」や「
FNS27時間テレビ」(1991年)など東名阪のテレビ局で数々の司会を務めていたが、2000年代以降は後輩の台頭もあってかタレント業は大幅にセーブし、2022年には「新婚さんいらっしゃい!」も勇退。本業の落語の活動を中心に据えている。
三枝時代の2008年まで東西大喜利に出演しており、五代目圓楽の療養中だった2006年から2008年までは歌丸とともにダブル司会を務めた。
ダブル司会時代は西軍の座布団のやり取りを決める役割を持ち、歌丸よりも手厳しい采配で笑いを取っていた。
その後は出演しなくなっていたが、2021年7月17日放送分の笑点にて、同年5月に骨折して療養中だった木久扇の助っ人として大喜利に出演。
ちなみに、好楽とは同期の間柄。
たこ焼き屋 ああたこ焼き屋 たこ焼き屋
いいねえ
何故か大阪に やたら多い。はい
はい、文枝師匠
串カツ屋 ああ串カツ屋 串カツ屋
いいねえ
何故か大阪に やたら多い。はい
はい、文枝師匠
ホルモン屋 ああホルモン屋 ホルモン屋
もういいです!山田さん2枚持ってって!
(座りにくいから)3枚持ってって
◇桂ざこば(二代目) 旧名・桂朝丸
中学時代3代目桂米朝の芸にほれ込み、卒業後一ヶ月の就職を経て入門。
旧芸名は桂朝丸で、同局「ウィークエンダー」のレポーターとしても知られた。
本名はあの大物司会者と同姓同名(ただし、読み方こそ同じだが下の名前だけ一字違い)な関口
弘。
関西ローカルの番組でコメンテーターを多く務め、忖度なく本音でズバズバと発言するのが特徴だった。
やしきたかじんとは友人であると同時に5年間犬猿の仲でもあった。
いい意味でも悪い意味でも喜怒哀楽の感情が激しい事でよく知られているが、その分大切な人への思い入れも強く、特に師匠の米朝をはじめたかじんや2004年に47歳の若さで早世した直弟子・桂喜丸の葬儀やお別れ会の際には号泣する姿がとらえられていた。
関西ローカルの番組では何故か逆に激昂しながら号泣する事があり、後述する『痛快!エブリデイ』ではそれが当たり前にあったせいか、生放送の情報番組なのに出演日の新聞テレビ欄に既に「ざこば号泣」と書かれている事も多かった。
元々喘息の持病を持ち、加えて脳梗塞で倒れるなど晩年は病がちだったが、精力的に活動を続けていた。
2024年6月12日、持病の喘息が悪化し死去。奇しくもこの時期は今くるよやキダ・タローなど関西のテレビ界やお笑い界の一翼を担った人物の訃報が相次いだ時期でもあった。
◇笑福亭鶴光
下ネタトークを武器に
オールナイトニッポンで人気を博した松竹芸能の顔。
オールナイトニッポン以来長期にわたりニッポン放送で番組を持ち続けており、平日夕方の放送にかかわらずお色気ネタを入れまくった「噂のゴールデンアワー」が長期にわたって放送され、現在も不定期特番として復活している。
上方落語協会と落語芸術協会に籍を置いており、上方落語家では唯一、東京の寄席でトリを取る資格を持つ。
鶴光の読みは「つるこ」だが、自己紹介のフレーズは「つるこーでおま」でお馴染み。
『爆笑おもしろ寄席』では水色の着物を着ていた。
東京を拠点にしていることもあり、笑点では正月特番の東西大喜利で西軍メンバーとして毎年出演しているほか、円楽不在時のピンチヒッターとしても3回ゲスト出演している。
レギュラー出演者ではない上、上方落語家にも関わらず古参の大喜利メンバーとは30年以上の付き合いがあるため、罵倒ネタやツッコミには一切の遠慮がない。
ただ、日本香堂が笑点のスポンサーであることは知らなかったらしい。
可朝亡き後は大喜利に出てくるとき下ネタの小遊三、エロの鶴光という形でキャラの棲み分け?を図っている。
◇笑福亭鉄瓶
笑福亭鶴瓶の弟子であり、近年は世の中のあらゆる人物を取り上げた「ノンフィクション落語」を売りにしている。
2024年の東西大喜利で初出演を果たす。
ちなみに、一之輔とは同期の間柄。
◇笑福亭べ瓶
上記の鉄瓶と同様鶴瓶の弟子。師匠に3回破門されながらも不死鳥の如く復活したという驚異の噺家。3回目の破門前は瓶成(へいせい)を名乗っていたが、復帰の際に改名した。
2020年の東西大喜利で初出演。
◇月亭可朝
カンカン帽がトレードマーク。
文枝とは「ヤングおー!おー!」以来の付き合いで、番組発の「ボインの歌」が代表曲となった。
東西大喜利ではスケベキャラで小遊三と張り合うことが多い。
賭博、ストーカーの容疑で2度の逮捕歴があり、たい平に警察ネタでいじられ「警察から離れい!」と突っ込みを入れている。
そんな彼でも米朝の葬式の際は泣き崩れて話すことができなくなってしまったざこばに代わって弟子代表として弔辞を読み上げた。
2018年3月28日死去。
◇笑福亭松之助(二代目)
東西大喜利の常連で、
明石家さんまの師匠。「さんまの師匠」と書かれた羽織を作り、それを着て高座に上がったこともある。
4代目桂米丸と同い年の1925年生まれで、上方落語家としては最後の大正生まれであった。
2019年2月22日死去。
◇林家小染(四代目)
1978年1月2日放送分の鶴亀大喜利に出演。
関西では「ヤングおー!おー!」に桂文珍・月亭八方・きん枝とともにレギュラー出演し人気を博した。
酒癖が非常に悪く、1984年1月31日に酔った勢いで道路に飛び出したところをトラックにはねられて即死。
同年秋の四代目染丸襲名が決まった矢先の出来事だった。
笑点 大博覧会 DVD-BOXでは遺族の同意が得られなかったため出演シーンはカットされ、引きの部分でも彼の顔にはボカシが入っている。
◇桂小文枝(四代目) 旧名・桂きん枝
6代目文枝の弟弟子。
スキャンダルを理由に一度破門されたが、兄のように慕っていた小染の葬式で号泣する姿を松鶴が同情し、彼の師匠である5代目文枝に破門を解くよう助言し、復帰が許される。
東西大喜利では東軍から名指しされる度に兄弟子の6代目文枝に引っ叩かれるのがお約束となっていた。
◇桂小枝
◇桂雀三郎
枝雀の弟子で南光の弟弟子だが、歳は南光より上。
焼肉をテーマにした『ヨーデル食べ放題』を歌うことで有名。
◇桂文福
6代目文枝の弟弟子。
廃刊した相撲雑誌『van van相撲界』にコラムを連載していたほどの相撲通。
◇桂あやめ(三代目)
6代目文枝の妹弟子。
桂花枝時代に「スナックママ連続殺人事件」の犯人に襲われたとして話題となる。
◇桂文珍
6代目文枝の弟弟子。兄弟子の文枝同様に、『はなきんデータランド』や『クイズ地球まるかじり!』、日テレ系では現在も続く土曜朝の『ウェークアップ!』などさまざまな番組の司会でおなじみだった。初期の『笑っていいとも!』のレギュラーでもある。
『ヤングおー!おー!』では月亭八方、桂きん枝(現:四代桂小文枝)、前述の四代目林家小染と共にユニット「ザ・パンダ」を組んでいた。
アニヲタ的には往年の名作「さんまの名探偵」での殺人被害者として有名だろうか。
2022年2月13日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
◇月亭八方
可朝の弟子。テレビに出る度に
阪神タイガースの話をしないと気が済まないくらいの熱狂的な阪神ファン。
それまでタブー視されていた楽屋ネタや内輪ネタを一般化させたパイオニアで、現在は関西の年末特番「楽屋ニュース」のMCでもおなじみ。
師匠同様の借金癖があり、最大で1億3000万にも上っていたとか。
実は「笑っていいとも!」にレギュラーで出ていたが3ヶ月で降りたのは黒歴史
1999年秋の『
オールスター感謝祭』ではそれまで泳げなかった水泳にチャレンジし、見事克服した。
2022年3月27日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
◇桂米團治(五代目)
桂米朝の直弟子にして長男。上方落語協会副会長を務めており、父の死後は兄弟子のざこばと米朝の孫弟子筆頭である桂南光と共に米朝一門のまとめ役を務めている。
2022年4月10日に療養中の6代目円楽の代理を務め、同じ二世落語家として前年末に降板した2代目三平を意識した挨拶・回答を行っている。
◇桂南光(三代目) 旧名・桂べかこ
上方落語の爆笑王・桂枝雀の一番弟子。
関西では自身が司会を務めていた「
つっかい痛快!エブリデイ」における歯に衣を着せない暴言で知られたが、近年は丸くなった。NHKの法律番組「バラエティー生活笑百科」では
上沼恵美子と共に初期から相談員を務めていたが、番組を離れた後に仁鶴が体調不良で降板したため3代目MCとしてカムバック、最終回までMCを務めた。
2022年4月17日と4月24日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
『痛快!エブリデイ』が開始してすぐに南光を襲名しているが実は
4代目萬光を襲名するはずだった。ところがその読み方が「まんこう」で、ある放送禁止用語(もっとも関西では違う読み方をするが)と非常に紛らわしい読み方だった。そのため、NHKから「放送上無理がある」と指摘を受け南光襲名に至ったとされる。
(司会者・回答者共にミツバチに扮したお題にて)
情けないな~せっかく『笑点』に出してもろたのに…
本当?
なんでこんな格好せなあかんねんやろ!
こんなの我々ずぅーっとやってるんですよ!
◇桂三度
本名は渡辺
鐘。山下しげのり(現:インタビューマン山下)とのコンビ「ジャリズム」のボケ担当としてお笑いの世界に飛び込み、解散後は放送作家を務める傍らピン芸人「世界のナベアツ」として、「3の倍数でアホになる」ネタで一世を風靡。その後以前から志していた上方落語に本格的に取り組むことを決意し、2011年3月に6代目文枝(当時は三枝)に弟子入りし落語家へ転向。
コンビでの漫才・コント、ピン芸だけでなく放送作家としても高い評価を得ており、落語でもNHK新人演芸大賞を獲得。また2013年には転向して2年目で落語家として10年ぶりの
R-1ファイナリストになっている。本名名義で放送作家としての仕事も続けており、大阪・ABCラジオで放送されている「東野幸治のホンモノラジオ」では東野のトークの聞き役(他番組で言う「パートナー」や「アシスタント」に相当)としても出演している。
2022年6月26日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。問題には彼のピン芸人時代のネタが採用された他、番組の構成にも携わった。
笑点と同じく日テレ系日曜日の長寿バラエティ『
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のレギュラーとしてもおなじみ、奇跡のベビーフェイス。
いじられ芸を武器とするピン芸人として活動していたが、40代に入り「笑われている自分しかいない」ことに気づき自分を見つめなおすようになり、東野幸治が貸した桂枝雀のカセットテープを聞き落語に興味を持ち、事務所の後輩の八光の紹介で彼の父である八方に弟子入り。
2013年からは元来の「山崎邦正」から高座名に活動名義を統一した。
『ガキ使』内では頻繁にヘタだの弄られるが、実際には「熱中できるものを見つけた」と評されるくらいに熱心に取り組んでおり、その腕はきちんと評価されている。
笑点初出演は2011年1月1日の東西大喜利。同席した大師匠の可朝はそれまで彼の入門を知らなかった。
2022年7月3日と10日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
2024年の東西大喜利では、
座布団で久方ぶりにお尻をしばかれた。
◇林家菊丸
4代目林家染丸の弟子。
基本的に元旦の東西大喜利の常連となっているが、2022年10月23日にゲスト出演。
亭号こそ同じではあるが江戸落語界の「林家」一門と差別化をはかるためか、大喜利では「インテリの林家」を自称して木久扇をイジる事も多い。
◇桂雀々
桂枝雀の弟子。
師匠の死後米朝事務所を退所し、東京を拠点に活動している。
2022年10月30日にゲスト出演している他、元旦の東西大喜利の常連となっていた。
2024年11月20日死去。1ヶ月ほど前より持病の糖尿病の治療で療養に入っていた矢先の事だった。
◇月亭八光
月亭八方の息子。当初は父以外に弟子入りしようとしたがその度に反対され、結局父の元で入門。
関西では様々なテレビ番組のスーパーサブとして活躍する人気タレントであり、事務所の先輩にあたる邦正の落語界入りのきっかけを作った。
父同様に元日の東西大喜利の常連となっており、親子共演がお約束となっている。
2022年12月4日にゲスト出演したが、「10枚溜ったら阪神を優勝させてもらえませんか?」などと父親譲りの阪神ネタを披露した。
◇笑点メンバーの師匠・関係者
◇林家彦六 八代目・林家正蔵、三代目・三遊亭圓楽、五代目・蝶花楼馬楽
木久扇の師匠。好楽にとっては元師匠。現レギュラーの一之輔はひ孫弟子に当たる(対義語は不明)。
1971年から1981年まで不定期ながら出演していた。現在では木久扇がよく真似している人。
高血圧&お酒大好きでよくプルプル震えていたため、「陽炎が座ってる」だの「見てると酔っちゃう」だのとネタにされている。
このため、晩年はしゃがれた声と相まって声が非常に震えていた。しかし、最初の師匠である2代目三遊亭圓生から芝居噺を徹底的に鍛えられたため語尾自体ははっきりしており、これといって聞きにくいということはない。
怪談噺などが得意であり、「鰍沢」や「真景累ヶ淵」は情景がありありと浮かぶほど。是非聞いてみて頂きたい。
五代目柳家小さんの名跡争いに敗れたが、それでは小さんの名前が馬楽よりも下になるため、周囲から同格あるいは、格上の名前を襲名するように説得される。
この時、7代目林家正蔵が死去し、初代林家三平はまだ入門して2か月の新人で襲名できる状況ではなかったことから一代限りで林家正蔵を襲名した。
このため、ある意味外様の「林家」と見ることもでき、現在「林家」は彦六門下で唯一林家の亭号を持つ木久扇一門と7代正蔵や初代三平の一門との2流ある。
非常に弟子思いなエピソードが残っており、
- 入門してすぐ師匠の三木助を失った木久蔵に「三木助の弟子だったから『木』は残そう。私が正蔵(当時は8代目正蔵だった)だから『蔵』という字をあげる。そして長く久しくやれるように『久』の字も入れて『木久蔵』だ」と命名。
- 当時弟子だった九蔵が結婚するときには「祝言挙げるのに前座じゃ格好もつかねぇだろう」と兄弟子含め10人一気に昇進させた
- 挙げ句の果てには「師匠、死んじゃいやだ~!」と好楽(九蔵)が泣きついたところ「あんなに騒がれちゃおきるしかあるめぇ」と今際の際から戻ってきた。(円楽風に言えば「三途の川泳いでターンして戻ってきた」。)
- 簡単に破門を言い渡すが、すぐに謝れば「よし許す!」と撤回することも多々あった。
明治生まれの江戸っ子でとにかく律儀。その律義さたるや「彦六みたいな奴だ」と代名詞にもなるほど。
その一方で大正モダンあふれる一面もあり、イギリス風に洋服を着こなしてみたり、巡業の昼食がカレーだったりとお洒落な面もあった。その人となりは木久蔵の新作落語「彦六伝」でもうかがえる。
上述したようにすぐ破門を言い渡すほどの短気であったが、ある時全生(後の5代目圓楽)が自分の弟子の7代目橘家圓太郎と喧嘩しているのを目撃し、また全生が仲裁した自分、しかも師匠につっかかってきた事から自分以上に短気な全生を気に掛け、稽古をつけるようになる。その後全生の真打ち昇進の際に、4代目が死去し空き名跡となっていた、自分の前名の一つである「圓楽」を譲った。
このため、81年の師弟大喜利では3代目、5代目、そして後の6代目の「圓楽」が揃ったこともある。
現在の大喜利メンバーのうち、「林家正蔵」に関わっていないのは小遊三と昇太、宮治のみである(所属団体が異なるため)。
1982年1月29日死去。
BS笑点ドラマスペシャルでは橋爪功が演じ、独特の震えた喋り方は可能な限り再現された。
◇三遊亭圓生(六代目)
5代目圓楽・6代目圓窓の師匠であり、孫弟子である6代目円楽に楽太郎の名を授けた。
落語界において、名人オブ名人たるその人。圓楽や楽太郎と師弟大喜利で共演するほかに演芸コーナーに出演していた。
人情、色艶、怪談全てにおいて隙はなく非常に聴きごたえがある。他人の高座を盗み聞きしただけで覚えていった噺も多く、その演目の多さは最多ではないかとも言われている。
また、明治33(1900)年生まれとギリギリ19世紀の生まれであるため、江戸末期の芸人の言葉遣いが残っているのもまた魅力の一つだろう。
これは年上の志ん生や彦六には見られず、また、方言や時代、職業による言葉柄の変化を苦もなく演じているのはまさに名人の為せる技と言える。
古典落語至上主義であり、初代林家三平や春風亭柳昇など新作落語を得意とする一門をよく思っていなかった。
もっとも自身も幾つかの新作落語を創作しており、あくまで「古典落語こそ落語の基礎であり、その修行をしないまま新作を演じていれば中途半端な噺家になる」という考え方からであるが、その弟子の中には後年新作落語で名を馳せる三遊亭圓丈が居たのも何とも言えない皮肉である。
その芸風は多くの落語家に認められる一方、人の好き嫌いが極端であったために彼の人間性を批判する声は多かった。
新宿末廣亭の初代席亭である北村銀太郎はその人間性を特に批判しており、後述する落語協会分裂騒動も氏の判断ミスがその後失敗に終わらせたと評している。
弟子の一人である好生は「圓生の影法師」とまで言われるほど芸風・容姿が似ていたが、その頃の圓生は「下手な真打」と揶揄されており、それを思い出させる好生を冷遇。それでも好生は敬愛し続けるも年月が経つにつれて関係はさらに悪化していった。
結局関係は改善されぬまま圓生は死去、「死んで清々した」と発言した好生もその後精神を病み、結局師の後を追ってしまった。
また、4代目橘家圓蔵門下で弟弟子だった彦六(年齢は彦六が5歳上)とも「あの人に6代目圓生が務まるわけがない」と彦六が酷評したことが起因して最後まで反りが合わず、犬猿の仲として知られていた。
しかし、なんだかんだ言って彦六は圓生の芸を認めており、ステテコ姿でスピーカーの前で噺に聞き入ることもよくあった。
1978年、当時の落語協会の真打昇進制度に異議を唱え、弟子の5代目圓楽やその一門と共に落語協会を脱退し、新団体「落語三遊協会」を設立する。
これが落語界の大事件「落語協会分裂騒動」である。
しかし分裂騒動の最中である1979年9月3日、79歳の誕生日に急死。葬儀には前述した好生を始めとする破門された弟子も出席し、中でも彦六は真っ先に通夜に訪れ、「こんな名人は二度と出てこないので褒めてやってください」と演芸研究家にお願いしたほど。
死因は協会分裂後に弟子を食わせるために営業の過密スケジュールを組み、その無理がたたったとされる。
死の報道は同時期に亡くなった上野動物園のジャイアントパンダ「ランラン」の死去と被ってしまい一部では小さく扱われるなど不遇な最期でもあった。
前述した「落語協会分裂騒動」により生まれた落語三遊協会は圓生の死により解散し、
その後五代目圓楽により創設された「大日本落語すみれ会」がいくつかの名称を変えた後、現在の五代目圓楽一門会に続いているが、現在も圓生の名は止め名になっているなど分裂騒動のもたらした影響は今日に至るまで残り続けていた。
しかし、2010年代以降は6代目円楽の働きかけもあり、年1回ペースでの2団体合同の圓生一門の交流が復活しているなど変化しつつある。
笑点関係では他にBS笑点ドラマスペシャルに登場し、佐野史郎が演じた。
あーめでたいなーめでたいなー、5月1日メーデーで、皆揃って鯛を食う、メーデー鯛なー
もう、正月早々から5月の心配してくれるとはw2枚持ってきてよ
◇柳家小さん(五代目) 九代目・柳家小三治、七代目・柳家小きん、柳家栗之助
芸は人なり 全部噺の上に出てくるんだから 心は清廉潔白でなくちゃいけない
永谷園の味噌汁や墓石のCMでお馴染みの落語界の大御所。
所属協会の落語協会では7代目会長を務めたが、穏健すぎる性格から前述の圓生とは全くそりが合わず、分裂騒動の一因になったともされる。
元メンバーである9代目柳家小きん(6代目柳家つば女)の師匠であり、笑点でも時々演芸コーナーにて落語を披露していた。
1995年には落語家として初の人間国宝に認定された。
2002年5月16日死去。死去の前夜には「いなり寿司が食いたい」と呟いていたそう。笑点では追悼コーナーが放送された。
こちらも、BS笑点ドラマスペシャルに登場し、近藤春菜角野卓造が演じている。
2015年には生誕100周年を迎え、それに因んだ問題が出された。
息子は6代目柳家小さん。孫(6代目小さんの姉の次男)は柳家花緑で、後者は22歳での真打昇進という戦後最年少記録を持つ。
えー、栗きんとんに豆きんとん、栗きんとんがうまくって勝ち
1枚あげて。かわいいよ、師匠。師匠の顔見てると栗きんとんって感じでw
三遊亭圓楽:栗きんとんみたいな顔してるw
あーめでたいなーめでたいなー、湯呑み茶碗に茶柱が、1本ピンと立っていた、それ見てあたしも立っちゃった、あーめでたいなー、めでたいな
◇柳亭痴楽(四代目)
初代小痴楽(のちの2代目梅橋)の師匠。現在の若手大喜利メンバーの3代目小痴楽は孫弟子。
1967年の第1回の師弟大喜利に出演したが、当然ながら映像は残ってなく詳細は不明。
太鼓腹が自慢だったが1973年に脳血栓で倒れ長い闘病生活を送る。入院中に小痴楽から「私から酒を取り上げるからこうなるんですよ」と嫌味を言われるが、先に彼が他界。さらに22歳下の妻にも先立たれ、1993年に痩せた姿で復帰するも、その年の12月1日に死去。
◇桂米丸(四代目) 旧名・古今亭今児
昔むかしのその昔、花咲か爺さん灰まけば、歌丸頭に毛が生えた
歌丸の師匠で元兄弟子。
落語芸術協会の3代目会長にして2002年以降は落語芸術協会の最高顧問を務めた。
落語以外では『お笑いスター誕生!!』の審査委員長や『
お笑いマンガ道場』の初代司会でも活躍。
弟子である歌丸とは対照的に90歳を過ぎてもフサフサの髪の毛に丸顔と若々しい見た目をしていた。歌丸とは正月の師弟大喜利で共演しているほか、演芸コーナーでは時々落語を披露していた。「お婆さんの今輔」と呼ばれた新作落語派の5代目古今亭今輔の弟子で、自身も最晩年まで寄席への出演を中心に新作落語の創作に励んでいた。
師弟大喜利では前述した若々しい見た目から歌丸の弟子と勘違いされるのがお約束だった。
歌丸の最後の弟子である3代目桂枝太郎も当初は米丸に弟子入りをしようとしていたが「僕は君が真打になるまで生きていないだろうから」と歌丸のもとへ紹介した張本人。
実際は枝太郎の真打昇進どころか2018年には歌丸に先立たれ、葬儀で弔辞を述べる側になってしまった。
2024年8月1日に老衰のため都内の病院で死去。99歳での大往生だった。
極めて高齢である事から新型コロナウイルスが流行している2020年以降は寄席への出演を控えていたが、最後の最後まで現役の噺家として生涯を終えた。
なお、米丸師匠の逝去をもって、大正時代生まれの落語家は全員鬼籍入りとなった。
歌丸が売れてる割に大変腰が低く頭が低いのはいいんですが、ただ眩しいのが欠点です
◇三笑亭夢楽
夢之助の師匠。1979年の師弟大喜利に出演。当時は角刈りに色つき眼鏡と、師匠というより組長と言いたくなるような風貌だった。
2005年10月28日死去。
◇春風亭柳昇(五代目)
春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが…今や春風亭柳昇といえば、わが国では私一人でございます…
昇太の師匠で、落語芸術協会の前々副会長。
歌丸が噺家へ進もうとし、憧れたその人。
アニヲタ的には「
究極超人あ~る」の
柳昇校長といったほうが通じるだろう。
演芸コーナーに出演したほか、昇太が真打に昇進した際には笑点内の真打昇進披露口上にも顔を見せた。
かつてはフジテレビの演芸番組『お笑いタッグマッチ』の司会を務めた。
落語芸術協会の創設者である6代目春風亭柳橋の弟子。自身の兵隊時代の体験を落語にした「与太郎戦記」は映画にもなった。その他にも「カラオケ病院」「南極探検」「結婚式風景」など新作落語を創作し、人気を博した。意外なことにトロンボーンの演奏を得意としていた。
2003年6月16日死去。亡くなった今でもたい平が上記の挨拶を真似している。
後の歌丸同様、昇太がなかなか結婚しないことを心配していた。
柳八のいい所は、ちょっと大方が来ると心配でうちに電話を掛けてくること
春風亭昇太:はい、悪い所は?
それが全部コレクトコールで掛ける
春風亭昇太:師匠に1枚!
五明樓玉の輔:何だよそれ!
春風亭昇太:私の勝手だろ!
五明樓玉の輔:えー!
春風亭小朝:ちょっと待て、面白い前に(滑舌が悪くて)何言ってるかわからないよ!どうなってんだよ!
春風亭昇太:皆さんねえ、師匠よろけてるよw皆さんわかんないかも知れないけど、弟子はわかるの!
春風亭小朝:フランス語みたいだよw
春風亭柳八:師匠は何で仕事がない日も外出するんですか?
今の東京都の無料パスもらったから
春風亭昇太:柳八くんね、師匠は出掛けてるんじゃなくて、徘徊してるんだよw
林家たい平:ボケてるんじゃないですかw
◇林家三平(初代)
もう大変なんすから。正月早々、車と車がぶつかってガンターンな~んて
こん平の師匠であり、2代目三平と9代目林家正蔵の父にして大師匠。
また、正蔵と三平の間にはシンガーソングライターの頭に注射を打った泰葉を設けている。
ご存じ昭和の爆笑王。
弟子のこん平とは正月の師弟大喜利などで共演している。父は7代目林家正蔵。額にゲンコツをかざし「ど~もすいません」と謝るギャグは当時爆発的な人気を博した。
父である7代目正蔵と比べられてバカにされていたものの、3代目三遊亭金馬は「あいつは大化けする」と将来性を高く買っており、後に「モンスターどころか大スターになった」と賞賛している。
小噺を羅列しストーリーやシチュエーションは全くない演じ口は「三平落語」と呼ばれ一つのジャンルと化している。
その一方で古典も演じることができる教養と技術を持っており、後に長男であるこぶ平は祖父の名跡である正蔵を襲名するに至った。
1960年代から1980年代にかけて歌謡番組やCMにも多々出演し、笑点の演芸コーナーにも不定期で出演していた。
1980年9月20日、肝臓ガンにより父と同じ54歳で急逝。死後、遺された弟子たちは直弟子では唯一真打であったこん平に弟子入りすることとなった。
弟子のネーミングセンスは狐顔だからこん平、たんこぶ作ってばかりだからこぶ平、北海道出身だからとんでん平(屯田兵)など単純であったが、それ故に弟子たちは「三平の弟子と覚えてもらいやすかった」と述べている。
いずれは正蔵を襲名する予定だったが、8代正蔵(彦六)からは自分が亡くなるまでに襲名するよう説得を受けていた。が、三平は8代正蔵よりも先に亡くなってしまい、遂に正蔵を名乗ることはなかった。
BS笑点ドラマスペシャルでは第1弾・桂歌丸編で中尾明慶が、第4弾・立川談志編で小手伸也が演じた。
こん平、前へ出なさいよお前は
はい。学校かよw
師匠の言いつけだからね
前へ出なさいよとんでもない。これはねえ、先生
はい。あのー、聞いてくださいw
三遊亭圓楽:あんまり知らないんだよw
おい、1枚やってくれ。1枚あげてちょうだい
春風亭柳朝:あ、先生っていうのか
二度目からあげませんからね
校長先生
はいはいwいや、もうだめ。問題に入ってください師匠
三遊亭圓楽:早く答えなさいよ!
これはですね、あの新潟の生まれなんでございます。新潟の弟子になる時のこと聞いてください。はあー、佐渡、あんまり大きな声出すと表にいる人無料で聞いちゃうといけないんですよ
長所短所はどうなってるの?だめだ、座布団2枚取っちゃえ!
お餅を食べ過ぎて、太った女性とかけて
あ…
かけてって…
三遊亭圓歌:何でかけるんだよ!
相撲ですよ!なぞかけじゃなくて
と、それに対する…
対するって、おい座布団取っちゃえ!しょうがねえなあもう。何やってんだ、だめだ
三遊亭圓楽:ちょっと休みなさいよw
お獅子には三波伸介さんの顔。吹き出してお獅子の負け
全部取っちゃえ!全部外しなさいそこ!
私の師匠で…
いいから!ほんとに
じゃあ、誰かいませんか?スムーズなやつを
はい
あー、忘れちゃいけないのが手挙げたw
あー、めでたいなー、めでたいなー
あなたの頭がめでたいなー
あらめでたいなー、これ正調博多節だから
博多節じゃないですw
正調博多節って何だよw
あらめで、染之助さんよりうまい、あらめでたいなー
大丈夫なのかなー。ほんとに。師匠、三平さん、あのー、小噺一つやってくださいよ
もう大変なんですから。もう僕なんか昨日、2日の放送でしょ?
ええそうですよ
えー、昨日、まー自動車に乗ってたらうちの佐藤くんがバーッとぶつけちゃって、音がよかったですな
何ていう?
客:ガンターン!
あーっ!ガンタンって言おうと思っていたのに!
◇三遊亭圓遊(四代目)
小圓遊の師匠。幇間としても活動していた時期もある。
小圓遊の早世のショックから引退同然となり、1984年1月9日死去。
ねえ、小圓遊や
はい
(鏡餅の絵を手に)お前さんみたいにおかげさまでこう人気があってね、
林家三平:そんなことばかり言ってw
こう人気があるんだから、お金は私のように、えー、何だっけ?ちょいと後でやる。忘れちゃったよ
(全員ずっこける)
(中略)
今、忘れてたけどね
(全員ずっこける)
おい、1枚やってくれよw師匠、1枚来ました
絵がわからなくなっちゃったね
◇橘家圓蔵(八代目) 五代目・月の家圓鏡
1960年代から1980年代にかけて「ヨイショの圓鏡」の異名で、ラジオ番組や「エバラ焼肉のたれ」のCMで一時代を築いた。
頭の回転が速いことで知られ、バラエティではなぞかけを得意としていた。
兄弟子であった初代三平の「ヨシコさん」に対抗し妻・節子夫人をネタにした「うちのセツコが~」というフレーズで人気を博す。笑点でも時々演芸コーナーで顔を見せていた。
2010年に節子夫人を亡くしてからは高座出演を控えていたが、2015年10月7日死去。
亀蔵のいい所、僕がお風呂に入ってると背中をサーッと流してくれる、力いっぱい
春風亭昇太:ああいい弟子ですね。悪い所は?
悪い所は、一緒に入ると湯船まで壊しちゃう
春風亭昇太:何で立ってるんですか、圓蔵師匠、何立ってるんですか!
座布団…
春風亭昇太:あげないですよ。北陽くん、持ってって!何で欲しがるんですか、そんなもの。圓蔵師匠、座布団なくなったらますます見えにくくなりましたねw
◇春風亭柳朝(五代目)
彦六の弟子で木久扇の兄弟子。兄弟子2人が早々に廃業したため惣領弟子となった。
圓楽、談志、古今亭志ん朝とともに東京落語四天王と呼ばれた。
1979年の師弟大喜利は彦六(当時:正蔵)が旅行中のため木久蔵の師匠代理で、1981年の師弟大喜利は彦六もいたがレギュラーに木久蔵、九蔵と2人も同じ一門だったため九蔵の師匠役で出演。
弟子として後に笑点メンバーとなる一之輔の師匠・春風亭一朝や春風亭小朝達を育て上げた。
師匠彦六の死の同年暮れに脳梗塞に倒れ、重度の後遺症が残る。
9年に渡る闘病の末に1991年2月7日61歳で死去。
うちの舎弟の木久蔵は、
三遊亭圓楽:「舎弟」って、ヤクザじゃないんだからw
木久蔵はテレビで稼いでるのはいいんですよ。それで売れて大変ありがたいんだけどもね、落語が下手なのが欠点なのよ
◇古今亭志ん駒
朝次(のちの才賀)の兄弟子。
Wikipediaに師弟大喜利に出演経験があるとされるが、時期やなぜ朝次の師匠の古今亭志ん朝ではなく彼だったのかは不明。
2018年1月18日死去。
◇三遊亭洋楽
五代目圓楽の弟子。
1999年1月1日放送分の師弟大喜利のみの出演。
五代目圓楽から番組中に公開説教をうける羽目になる。
2006年から故郷の北海道函館市で政治家活動を始め、一門とは疎遠になる。
2017年12月28日に死去していた事が分かっているが、死因は不明。
◇立川志の輔
みどりの窓口の職員がなー、切符の入ってる箱を開けなかったんだ!!
談志の弟子。もしくは「ガッテン!」の人。
2024年4月から木久扇の後任としてメンバー入りした立川晴の輔の師匠。
真打に昇進した際には笑点内で談志も臨席した上で披露口上が行われた。
昇太とは同期の間柄の他、山田とは1992年~2011年に「ペヤングソースやきそば」のCMで共演していた。
最近では番組スポンサーである龍角散のCMでもおなじみ。
二ツ目の時代からメディアへの露出も幅広く行なっていて、日テレでは『
クイズ世界は SHOW by ショーバイ!!』で男性の吹き替えも含めたVTRナレーションを務めた。近年では「チケットの取れない落語家」の1人としても知られており、新作落語の「歓喜の歌」「大河への道」は映画・テレビドラマ化もされている。
朗らかなキャラクターに反して晴の輔からは自身の名前を耳にするだけでも恐縮しきってしまうほど恐れられており、師弟関係に厳格であることがうかがえる。
2024年6月、落語立川流の一般社団法人化に伴い代表に就任。
2025年元日、お正月スペシャルの師弟大喜利で大喜利初出場。司会の昇太を差し置いて座布団の采配をしたり、龍角散ダイレクトを持参して晴の輔と一緒に飲み始めたりとボケを披露するだけでなく、晴の輔を上回る綺麗な回答で違和感なくなじんでいた。
◇立川志らく
談志の弟子。
兄弟子の志の輔や談春同様に近年は情報番組のコメンテーターを始め、本業以外でも幅広く活躍している。
現在の自宅は談志の自宅を改装したもの。
若い頃に自著内で『笑点』への批判をした結果バッシングを受けた事があったが、2022年、脳梗塞で療養中の6代目円楽のピンチヒッターとして5月15日と5月22日の2週、さらに円楽の死去後の2023年1月22日と1月29日にも出演し、代打・ゲストで出演した落語家達の中では出演回数最多となった。
なお、6代目円楽とは『
プレバト!!』での共演経験もあることから親交があり、特に前述した笑点批判を行った後のあるエピソードから非常に恩義を感じていた事を明かしており、2022年9月30日に円楽の訃報を聞いた際には、「まだ恩返しもしていないのに」と嘆いていた。
2024年6月、志の輔の落語立川流代表就任の際に談春とともに副代表に就任。
◇春風亭小朝
柳朝の2番弟子。
作家の花岡太郎氏を父に持ち、泰葉の元夫でもある。つまり三平と9代目正蔵にとっては元義兄で、こん平に代わって両者の襲名をバックアップした。
1980年に古今亭志ん朝と並び、史上最多の36人抜きで真打昇進。この頃から「
オレたちひょうきん族」などのバラエティ番組に出演し人気を博す。
この実力から近代落語のみならず近代日本語の祖で現在止め名となっている別格の超大名跡「三遊亭圓朝」を、直系の子孫から襲名する話もあったが固辞している。
泰葉との離婚会見は今時結婚会見でもやらない金屏風をバックに実施し話題を呼び、泰葉が呼んだ「金髪豚野郎」の通称でも知られる。
弟子として若手大喜利メンバーの玉の輔、桃花らを輩出している。
2003年に昇太、9代目正蔵、志の輔、鶴瓶、柳家花緑とともに六人の会を結成。現在でも、演芸コーナーに出演し落語を披露している。
2021年7月11日、同年5月の骨折による療養で大喜利を休演した木久扇の助っ人として地上波大喜利に出演した。
さらに2022年2月20日には6代目円楽の助っ人として再び大喜利に出演。
五明楼玉の輔:師匠は競馬好きなんで伺いますが、喋る馬っているんですか?
僕もね、いないと思ってたんだけどね、(圓楽を見て)いたわw
春風亭昇太:はい、じゃあ、笑う馬(圓楽)に1枚w
落語ファンが望む3NO落語家です。稽古を怠らない、受けなくてもお客様のせいにしない、見込みのない息子に名前を継がせない
ちょっと!
あっ、いた? ごめんごめんw
師匠、なんか俺、当てはまってきました…
◇柳亭市馬(四代目)
5代目小さんの弟子で落語協会11代目会長。
美声の持ち主としても知られ、真打披露口上にゲスト出演した際にはたい平から振られて「俵星玄蕃」を歌い出したり、BSの特大号で放送された楽屋での映像では「東京五輪音頭」も歌った。
2022年3月20日放送分にて6代目円楽の代理を務めた際には、大喜利そっちのけで「今日は思いっきり歌います」と挨拶するほど。
◇瀧川鯉昇
昇太の兄弟子。元は8代目春風亭小柳枝の弟子だったが、小柳枝の引退に伴い大師匠の柳昇に引き取られる。
2022年8月14日放送分にて6代目円楽の代理を務めた。
◇桂文治(十一代目)
若手大喜利メンバーの3代目柳亭小痴楽の元師匠で、大喜利メンバーの宮治とは同じ一門。
2008年に当時桂ち太郎だった小痴楽の寝坊癖を見かねて破門。廃業を考えた彼に対し「お前を(5代目柳亭)痴楽さんから預かっていたんだから、親父さんの元に返すだけだ」と説得し落語家を続けさせた。
この経緯もあって現在でも小痴楽との仲は大変良好であり、落語会での共演も多い。
2022年11月13日・20日放送分にてゲスト出演。
◇三遊亭遊三
小遊三の師匠で、落語芸術協会相談役。
前出の米丸同様同協会の長老格として現役で精力的に活動を続けている。木久扇とは同学年。
あらゆる曲を「ぱぴぷぺぽ」で歌ってしまう新作落語で知られる。
ちなみに一番弟子でもある小遊三が22歳で入門した際には、彼はまだ31歳の若手真打であり師弟の年齢差は僅か9歳であった。
2025年元旦の師弟ペア大喜利に出演し、小遊三をたじろがせるほどの奔放な回答を連発した。
◇桂伸治(三代目)
宮治の師匠。
2024年1月14日に放送された師弟ペア大喜利に出演。
宮治にはまだ弟子がいないため出演したものの、他のメンバーが連れて来た弟子・孫弟子と同じ並びに座る羽目になったため、「他は皆若手なのにあたしみたいなジジイがこの席に座っていいの?」と落ち着かない様子を見せ、宮治から突っ込まれていた。
2025年元旦の師弟ペア大喜利にも出演し、開始早々宮治にお小遣いをせびっていた。
◇春風亭一朝
一之輔の師匠。
弟弟子の小朝に真打昇進を先に越された悔しさをバネに弟子養成に全力を注ぎ、一之輔を21人抜きの大抜擢で真打に昇進させることに成功した。彼以外の弟子も売れっ子揃いの精鋭である他、孫弟子を含めると15人にものぼる大所帯の一門をまとめ上げている。
彼の特徴的なフレーズとして、落語の本編に入る前のマクラでは上にも記した通り「一朝(一生)懸命頑張ります」のフレーズで観客を和ませる。
2025年元旦の師弟ペア大喜利に出演。昇太に対して一之輔に笑点の司会を譲れと迫ったものの、代わりに一之輔の座布団が没収された。
◇春風亭㐂いち
一之輔の弟子で、現在は二ツ目。「喜いち」ではなくこれが正しい表記。これは一般的な漢字ではなく草書体を使っているから。
2024年1月14日に放送された師弟ペア大喜利に出演。かつては小林ユウキチの芸名で俳優をやっていたが、落語に興味を持ち2014年に弟子入り。
◇林家コタ
木久扇の孫で、二代目木久蔵の長男。まだ学生なので見習い。
◇TOKIO(ときお)
言わずと知れた
漁師・大工・農家の第一・第二次産業を得意とする国民的アイドル兼バンドグループ。
5人だった時代にお正月の「大笑点」などで共演を続けてきた。達也と長瀬の離脱以後はリーダーを除いて笑点から遠ざかっているが、音楽活動は実質ストップし第一・第二次産業に専念。城島を社長に会社を立ち上げている。
2014年9月28日放送では大喜利で対決し勝利した。
TOKIOの忘年会に行ってきました
どうなりました?
居酒屋建てるところから始まりました
◇長瀬智也
ヴォーカル兼リズムギター担当。
昇太とも共演したドラマ『タイガー&ドラゴン』で落語家を演じたことをきっかけに2006年の大笑点では6代目円楽の指導で「初天神」を披露、「芸度胸がある」と称賛された。
その後、2008年には昇太と二人落語で「ちりとてちん」を演じている。
元々俳優業において役にのめり込むなど高い才能があったがここでも活かされている。
なお、当時の木久蔵の名前の読みを「もくぞう」と思っていたようで、太一から「築何年だよ!」と突っ込まれている。
裏方への転身のため、2021年3月末でTOKIOを脱退した。
◇城島茂
リーダー・株式会社TOKIO社長兼リードギター担当
普段はしょーもないオヤジギャグで場を冷え込ますが、オヤジどころかジジババ多数の笑点では逆に大ウケ。
関西出身で、落語家ではないはずだが東西大喜利の西軍に加わっていることもあり、答えの上手さに加え、歌丸への禿ネタも使うなど「一人だけ向こう側」、「模範解答」と称された。
山田くんの座を狙っているとネタにされる。
2010年代以降はは東西大喜利のメンバーとして出演するのではなく、お正月スペシャル内の演芸コーナーで芸人とのコラボネタを披露するのが恒例化しており、ネタの中で直後に放送される「THE 鉄腕DASH」元日スペシャルの告知を行うのがお馴染みの光景となっていた。
◇松岡昌宏
ドラム担当兼株式会社TOKIO副社長(広報担当)
以前から時代劇ドラマに出演し、現在も必殺仕事人に出演している経験から後述するカンカラ、木久蔵と共にコントで登場。
宮本武蔵や石川五右衛門役で見事な殺陣を披露した。
たぶん、旧ジャニーズで唯一いやんばかん体操を踊り、木久蔵ラーメンと一緒に煮込まれた人。
円楽から5両で歌丸の暗殺を依頼されたが、歌丸の隙のなさに諦めざるを得なかった。
◇国分太一
キーボード担当兼株式会社TOKIO副社長(企画担当)
40周年スペシャルでは歌丸の一日弟子として師弟大喜利に出演。
「木久蔵ラーメンが歌丸で出汁を取ってる」と円楽がカミングアウトしたときはもう出汁出ねえよ!と鋭い反論をした。
2022年からは株式会社TOKIO-BA社長に就任。
◇山口達也
ベース担当。
「大笑点」では大相撲やスケートGPに出場したりと、スポーツマンの一面を見せた。
その一方で米を作り続けた農家としての自負もあり、「ご飯粒、一粒残らず食べましょう」と全国の子供に発信した。
2018年5月に不祥事を起こし、脱退。現在は3人とは別に会社を立ち上げ、2度目は逮捕までに至った不祥事をきっかけに分かったアルコール依存症の啓蒙とそれによって地に落ちた自身の経験を語る為、全国を周り講演活動を行っている。
◇演芸コーナーの常連
◇藤井恒久
日本テレビ所属の元アナウンサー。
アナウンサー時代はアナウンサー大喜利でほぼレギュラー。副音声を担当してることもある。
1993年入社以来、アナウンサー大喜利に出ていた同年代のアナウンサーが若手と交代して行く中で1人だけ残り続けており、
女子アナ大喜利と題した回でも藤井アナだけは出てくることがあるという謎の優遇。
近年は出番が減ったが、それでも20年くらい出演が続いていた。
アナウンサー大喜利で座布団運びを担当していたこん平と仲よくなり、
挨拶ではこん平と一緒に「チャラーン」をやって、回答でこん平をヨイショして座布団を貰うのがお決まりであった。
こん平が病気で降板後も挨拶では必ず「こん平師匠直伝」と銘打ち、こん平の回復も祈りつつ「チャラーン」をやっていた。
アナウンサーとしては若い頃からバラエティや情報番組での登場が多く、ニュースを読むことは少ない。
アナウンサー大喜利ではこの、あまりニュースを読まない事情を逆手に取り、ニュースが読めない明るくて朗らかなおバカキャラとなっている。
入社時から終了まで担当し続けた「日テレの番組を宣伝する」番組「TVおじゃマンボウ」やプロ野球・K-1 JAPAN GPなどスポーツの実況も担当していたことがある。
2020年9月末でアナウンス部から編成局宣伝部に異動。「おじゃマンボウ」終了から16年を経て名実ともに「番組を宣伝する」仕事に就いた。よって、アナウンサー大喜利からも実質卒業となった。ちなみに宣伝部の社員になった後も番組改編会見で司会を務める時も第一声は「どうもー!!藤井でーす!!!!!」異動しても変わってないようで安心。
◇ケーシー高峰 旧名・大空はるか、坊られい
本名は門脇貞夫。漫才コンビ「大空はるか・かなた」、ジャズ系司会者「坊られい」を経て1968年にケーシー高峰に改名。
芸名の由来は、海外ドラマ『ベン・ケーシー』と女優の高峰秀子氏から。
白衣姿でホワイトボードを用いて、難しい医学用語や(後述する持ちネタ以外の)流行語を織り交ぜつつも山形弁でエロ漫談を語るという「医事漫談」の創始者。
かつては「グラッチェ」「セニョリータ」など怪しげなスペイン語をはさむことがあり、これが流行語にもなった。
母方は実際に代々医者の家系で、母は生涯産婦人科医として働いていた。自身も日大医学部に入学したが、医師免許が取れず程なくして芸術学部へ転部。このことから医事漫談が生まれたと言われている。
2019年4月8日死去。
◇大木こだま・ひびき
吉本興業に所属する正統派しゃべくり漫才を得意とする漫才コンビ。2000年代には持ちネタの「チッチキチー」が流行した。
2019年4月9日の「笑点火曜なつかし版(2010年7月11日放送分/2224回)」、翌4月10日の「笑点水曜なつかし版(2005年10月16日放送分/1988回)」、さらに翌4月11日「笑点特大号(2019年3月17日放送分/2654回)」と3日連続でBS版の笑点に出演するという珍しい記録を達成した。
◇おぼん・こぼん
◇夢路いとし・喜味こいし
戦前から活躍する兄弟漫才コンビで、1970年代から2003年9月25日に兄のいとしが死去するまで演芸コーナーの常連だった。
関西弁を用いる上方漫才を代表する人物ではあるが、一家が旅芸人で住居を転々としているうちに生を受けたことから関東出身であるという珍しい生い立ち。
このため、吉本をはじめとする上方の芸人に粗暴で下品な芸風の者が多い中で「都会的な品の良さ」が見られるのも特徴だろう。
「ハンバーガーショップ」「湾岸戦争」「ポケベル」など放送当時の時事ネタを主題としつつも、あくまで自身の年齢に合わせたネタを披露した。
弟のこいしも2011年1月23日に死去。
最近では又吉直樹の小説「火花」の一説に二人の漫才を盗作した疑惑が浮上し話題となった。その後映像化に際して漫才の映像をそのまま流用するという吉本ならではの荒業を使って解決している。
◇江戸家猫八(四代目) 初代・江戸家小猫
落語協会所属のものまね芸人。祖父は二代目、父は三代目猫八。妹は江戸家まねき猫。
ウグイスなど動物の鳴きまねの名手や、1994年~1999年までいっ平(現・三平)とともに「ゲーム王国」の司会を務めたことで知られる。
2009年に4代目猫八を襲名したが、2016年3月21日進行性胃ガンにより死去。
死去の13日前に長男の2代目小猫(現・五代目江戸家猫八)とともに出演した「徹子の部屋」が最後のテレビ出演となる。
◇海老一染之助・染太郎
おめでとうございま~す!!いつもより豪快に回しております!!
1980年代~1990年代にかけて演芸コーナーにちょくちょく出演していた兄弟曲芸師。
2000年頃には演芸コーナー最多出演のゲストとなっていた。
傘の上で毬や急須を回す芸や、「おめでとうございま~す」の名文句をご存知の方も多いだろう。
2002年2月2日に兄の染太郎が70歳の誕生日の翌日に胃ガンにより急逝、以降は染之助がソロorヨネスケを相棒に80歳を過ぎてからも糖尿病と闘いながら全国を飛び回っていたが、2017年12月6日に死去。
◇牧伸二
1970年代~1990年代に多々出演していたウクレレ漫談師。演芸コーナーでは2番目に出演回数が多い。
ウクレレの弾き語りで主に自虐ネタや当時の政治の風刺や当時流行していた出来事などを歌い、最後にオチをつける。この芸風は現在、ぴろきに受け継がれている。
笑点が始まる3年前から日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)で日曜昼に放送していた演芸番組『大正テレビ寄席』の司会者でもあり、こちらのオープニングでもウクレレ漫談を一席披露していた。
2013年4月29日自殺。亡くなる一ヶ月前には茨城の筑波学院大学で行われたイベントに参加していた。
◇綾小路きみまろ
昔は男に襲われたこともありました…あーれーかーらー40年!!今襲われるのは息切れ・眩暈・動悸
芸暦は長いが、注目を集めるようになったのは2000年代辺りから。
長髪のカツラに赤の燕尾服で高齢化社会や倦怠期夫婦をネタにした漫談で50代~90代のファンから人気を博す。
「ジジイババアの養殖場」「中高年予備軍」など毒舌が多いが、最後は「一言多かったことをお詫び申し上げます」でネタを締めるのがお約束。
◇堺すすむ
ギターを弾き、フラメンコを演奏しながら謎かけの要領でクイズを出し、答えを言った後観客に理由を問いかけ
とんちが利いた答えを発するという「なんでかフラメンコ」が人気。
実は現在たい平がしている森進一のモノマネを最初に行った人だったりする。
他局の『うたばん』では
西川貴教の顔が似ていることをしょっちゅうネタにされており、西川登場時に必ずセットでゲスト出演していた。
◇ナポレオンズ(ボナ植木&パルト小石)
1987年に初出演して以降、演芸コーナー最多出演を誇った大学同期生マジシャンコンビ。
ボナ植木が黙々と鮮やかなマジックを披露して、それをパルト小石が軽妙なトークで盛り上げるコメディマジックがウリ。
男性2人組マジシャンとしても2人組コメディマジシャンとしても日本のマジック業界では先駆者的存在。
2012年に還暦を迎え、40年以上を二人三脚で歩んだベテランのマジシャンである。
35歳と比較的若いうちに初登場してそこから演芸コーナーの常連になったので、衰え行く大御所らを抜いて出演回数トップになった。
小石が円筒状の小道具を被り、植木がそれを回すという「あったまぐるぐる」が有名。
空中浮遊のマジック(?)をする際は、「師匠初代引田天功が教えてくれた唯一の手品」という口上で始める。
植木はマジックのレパートリーが多くレベルも高いが、ナポレオンズとしては面白さ優先でショーを行うため、その実力を垣間見る機会は少ない。
ちなみに引田天功に師事したのは事実だが、空中浮遊を教えてくれたのはアメリカで出会ったとある胡散臭い大道芸人のオッサンらしい。
「金を払えばタネを教えてやる」と言われ、金を払ってタネを教えて貰ったらしい。
植木の実子・啓太は落語家で好楽の弟子の三遊亭好の助として活躍。
小石が2019年に白血病で入院以降はコンビで活動できなくなったため演芸コーナーには出演しなくなり、その後小石は2021年10月に死去。以降は植木がピンで活動している。
出演回数トップということもあり、笑点でも後日番組冒頭にダイジェストという形で小石の追悼特集が組まれた。
◇マギー司郎
6代目円楽がよくモノマネするマジシャン。
「縦縞のハンカチを横縞にする」「麦茶を烏龍茶にする」などと先にネタばらしをして、
インチキ手品を行うも最終的には正統派マジックに戻るという芸風が人気。
一門を築いて弟子を14人育成しており、この中で一番弟子の隆司と三番弟子の審司がマジシャンとして大成している。
マジシャン業界自体が狭き門なのだが、それでも2人が育っただけでも凄いことであり、うち1人に自身の独特な芸風をキッチリ継承させているのは師匠として有能と言えるかもしれない。
テレビ界では最も有名な弟子である「耳がでっかくなっちゃった!」でお馴染みのマギー審司とともに舞台に上がって2人でマジックを披露したり、若手の弟子をアシスタントに伴うこともある。
◇東京コミックショウ ショパン猪狩
1980年代~1990年代にかけて演芸コーナーに出演。
インド人(書籍などによってはアラブ人)のような衣装で上記のセリフを口にしつつ笛を吹き、3つある壷からヘビのぬいぐるみを登場させる「三蛇調教」で人気を博す。
1957年、鯉口潤一と「東京コミックブラザーズ」を結成。後に鯉口が脱退し、笑点に出演する頃には妻・千重子夫人と舞台を務めることが多くなった。
2005年11月13日死去。
◇テツandトモ(中本哲也&石沢知之)
「なんでだろう~」のリズムに乗せて日常のあるあるに突っ込む歌ネタを得意とする。
赤いジャージと面長な容姿が特徴のテツは会場を縦横無尽に動き回り顎にいろんなものを載せる芸を披露し、青いジャージと高い歌唱力がトレードマークのトモは弾き語りとボケを担当する。
2002年のM-1グランプリファイナルに出場し、1stステージで敗退するが、審査員であった立川談志から良い意味で、
「お前らは此処に出てくる奴じゃない」と評された。翌年には「なんでだろう?」で流行語大賞を受賞。以降は一発屋扱いを受けがちだが、ブームが去った後にネタが安定して万人ウケしやすいということがわかり、「偉大なるマンネリ」と評されるように。以降テレビの仕事は笑点を始めとする演芸番組や子供向け番組を中心にしている。一方の地方公演では呼んでくれた土地の情報を調べ上げて、そのステージ限定のご当地「なんでだろう」を披露する。それ故に評判が良くて色んな所から引っ張りだこなため、現在は笑点に年一度のペースで出演し、あとは地方公演でスケジュールがいっぱいになるほどである。
テツに顔が似ている円楽が混ざったこともある。
◇カンカラ(入山学・杉林功・石田武)
欽ちゃん劇団出身の3人によるお笑いグループ。
大江戸温泉物語など関東を中心に活動している。
笑点では水戸黄門のパロディコント等で木久扇と共演することが多い。
かつては鈴樹志保と松井天斗がいたが、2007年に脱退している(ただし鈴樹、松井ともに俳優としての活動は継続中)。
◇ナイツ(塙宣之&土屋伸之)
創価大学落語研究部出身の2人によるお笑いコンビ。2021年現在ではラジオ在京2局で週6日・3本のワイド番組に出演している人気者(うち1本は帯での出演)。そのうちの1本は昇太も出演する「ラジオビバリー昼ズ」である。
女流漫才師で漫才協会元名誉会長の内海桂子の弟子。その漫才協会では2024年現在、塙が会長、土屋が常任理事である。
また、落語芸術協会にも所属しており小遊三一門に所属している。
塙がインターネットで調べたという設定でいろいろな人物や流行を発表するが、
ところどころ言い間違えて土屋からの訂正が入るという内容の漫才が人気を博す。
M-1でも2008年大会から3年連続で最終決戦まで進んでおり、2018年大会からは優勝経験こそないながらM-1と漫才にかける熱意が認められた塙が審査員を務めている。
塙の実兄は「佐賀県」が大ヒットしたはなわ。土屋の実母は元演歌歌手の津島明希。
お正月スペシャルでは桂歌丸や城島茂と共演したこともある。
◇ぴろき
頭のてっぺんを噴水のように結んだ、丸眼鏡に大きい蝶ネクタイにだぶだぶズボンという特徴的な風貌のウクレレ漫談家。自虐ネタが多い。近年の演芸コーナーでは出演回数が増えてきている。
◇くまモン
おなじみ
熊本県のゆるキャラ。笑点の熊本ロケにたびたび登場。
ある時は山田君と一緒に座布団や大喜利の小道具を運び、そのまたある時はカンカラの時代劇コントに飛び入り参加した。
◇泉ピン子
「
渡る世間は鬼ばかり」等の橋田壽賀子作品や2時間ドラマでおなじみのベテラン女優。
…というイメージが強いが、もともとは前述の牧伸二の弟子であり、歌謡漫談家として芸能界入り。
その後同局の「ウィークエンダー」のレポーターとして人気を博し、1980年代から女優として活動するようになった。
笑点では漫談家時代に演芸コーナーへの出演経験があるほか、平成期以降は正月の振袖大喜利で好楽とコンビを組んで出演し、楽太郎(→6代目円楽)とコンビを組んだ山田花子と罵倒合戦を繰り広げるのがお約束となっていた。
他にもドラマスペシャル「桂歌丸」に歌丸の祖母・タネ役で出演している。
◇綾瀬はるか
ホリプロスカウトキャラバン出身の国民的人気女優。
2017年以降、笑点メンバーの正月大喜利では最早恒例となったゲスト司会。
女優としては実力派だが素顔は天然気味であり、毎回のようにグダグダな司会進行や干支に扮するなどでお茶の間に暖かい笑いを届ける。
マイペースながらも1人で司会進行を行なっているので、なんやかんやで笑点の舞台には慣れている。座布団をあげてばっかりで1枚も取ろうとしないのはご愛嬌。
2020年正月の放送では落語「たらちね」を披露。指導にあたった木久扇も絶賛するほどの腕前を見せた。なお、笑点地上波での落語はこの企画を最後に3年以上も放送されなかった。
◇チコちゃん
NHK系列の人気番組『
チコちゃんに叱られる!』のマスコット、永遠の5歳。
2023年3月12日放送回にて、スペシャルゲストで登場。
お約束の
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」も披露した。流石にコレを披露する時以外の顔はCGでは無かった。