583系特急型電車

登録日:2022/01/03 (月) 19:33:33
更新日:2025/04/11 Fri 19:41:10
所要時間:約 18 分で読めます




583系電車とは、国鉄が開発した交直流対応特急形電車である。
本項では、先行して登場した581系についてもまとめて解説する。

■概要

世界初となる寝台・昼行兼用の特急車両で、交流60Hzと直流のみ対応の581系、581系を交流50Hzにも対応させて3電源走行可能にした583系の2系列がある。
両者の違いは先頭車のみで、運転席と乗降口の間に機器室があればクハネ581、なければクハネ583となる。
なお、付随車(サロ・サシ・サハネ)は一貫して「581」の形式を名乗ったほか、583系登場後も一部の先頭車はクハネ581のまま増備された。


■開発の経緯

戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、国鉄の輸送需要は毎年増加の傾向を示していた。通勤客は勿論、長距離都市間輸送需要も増加傾向。それこそ夜行列車の自由席では座席に座れなかった人が通路やデッキに新聞紙を敷いて一晩中座り込んでいるなんてこともザラな程度。
増加する輸送需要に対応するには複線化や勾配の緩和などの線路改良による所要時間短縮は勿論の事、車両の増強だって必要。
しかし国鉄の予算は潤沢ではなく、線路改良と車両増備にほぼ全振りした結果、車両基地の増設は後回しになっていた。
当時は寝台列車と座席列車が多数走っており、車両基地はその両方を留め置けるよう広大な敷地を必要としていた。
当然のことだが、寝台車と座席車は混用できない。寝台車なしの夜行列車を華の特急でやったら総スカンを喰らう*1

そんな時、とある国鉄職員がこんなことを思いつく。

昼夜兼用電車を作って寝台列車をスピードアップさせて基地に居る時間を極限まで削れば容量を節約できるんじゃね?

こうして昼間は座席列車、夜は寝台列車として運行可能な581/583系の開発が決まった。
実は寝台電車というコンセプト自体は、新幹線開通で余剰となる急行用電車を改造して製作する予定で立案されたことがある。


■車両構造

基本設計は先に登場した485系電車をベースとしており、電動車2両に走行に必要な機器を分散搭載するMM'ユニット方式を採用。モーター出力は1機120kwで、これを電動車1両に4機搭載する。走行機器類は485系と共通であり、車両単位・編成単位で混用することが可能。
車体はベッドを3段配置することを前提に、天井を車両限界一杯まで拡大し、断面積を大きく取っている。
先頭部は運転席を高所に上げた高運転台・左右2分割でスライドして開く外扉を持った貫通路を備えている。これは複数編成を連結して途中駅での連結・切り離しや多層建て列車に対応させたものだが、国鉄時代にこの構造が活かされることはついになく、隙間風・腐食対策などから貫通扉を埋めてしまう例も多かった。
とはいえこの高運転台のデザインは以降の485系・183系と言った国鉄特急電車の前面形状に引き継がれ、JR化後の特急車両でも本形式に近い前面形状を持った形式が登場するなど、国鉄車両において最も優秀なデザインとして脈々と引き継がれている。
先頭外扉は上部に特急のTを模した特急エンブレム、中央にヘッドマークが配置される。ヘッドマークは手動巻取り式で、ターミナル駅から車両基地への回送中も基本的に到着列車のマークのまま走行していた。

クリーム色をベースにしたカラーリングは485系と同様だが、窓まわりが青色で塗装されていることが特徴。これは寝台特急のイメージカラーが青だったからというのもあるが、新幹線との連携を示す意味合いもあった。
乗降口は食堂車以外の各車両に片側1箇所ずつ配置され、幅700mmの2枚折戸を採用。乗降口横には行先表示器がある。行先表示器は自動巻き取り式で、乗務員室からの操作で全車両が切り替わる。

車体が485系に比べて大型化しているのに動力性能はほとんど同じであるためパワーウェイトレシオが低く、立ち往生の恐れのあった奥羽本線板谷峠区間へは定期では入線しなかった。

寝台列車にも使われるという性質上、客室の防音対策には特に力が入れられており、床下に走行に必要な機器類を多数装備していながら客室は極めて静かな空間となっていた。

冒頭に書いた通り先頭車は途中からクハネ583に変わったが、これは先頭車に搭載する電動発電機が小型大出力のものに変わったことで、これを床下に搭載して寝台のスペースを増やす設計変更を行ったためである。


■車内

  • 普通車・B寝台車(クハネ581・クハネ583・モハネ580・モハネ581・モハネ582・モハネ583・サハネ581)
4人が向き合って座るボックスシートが並ぶ。座席はリクライニングしない。
昼間はボックスシートで運行し、車両基地内で寝台への転換作業を行う。寝台はB寝台で標準の3段寝台としたが、通路を片側に寄せてレールに対して直角にベッドがセットされる客車B寝台とは違い、通路が中央に位置し、レールに対して平行にベッドがセットされる。
夜行仕様では座面と背もたれを引き出して下段寝台とし、中段寝台は座席の背もたれの上に乗せ、上段寝台は昼間荷物棚として使用している箇所にセットされる。転換の仕組みはかなり複雑で、グリーン車・食堂車以外の11両の転換にかかる時間は10人がかりでおよそ1時間程度。
この転換方法は鉄道雑誌や児童書などに掲載されていたこともあり、一部の乗客やマニアが勝手に座席から転換してしまうケースもあり、後にロック機構が追加された車両がある。
なお、パンタグラフのあるモハネ580・582では、パンタグラフの真下に相当する区画のみ寝台が2段になっていた。

寝台の幅は上段と中段が70cm、下段が106cmと初代ブルートレインの20系と比べて大幅に広がり、特に106cmというのは客車A寝台に匹敵する広さで、A寝台よりも安い料金で寝返りの打てる広い寝台は人気を博し、後に登場する客車の24系や14系のB寝台の幅も70cmで設計された。

ただし、上下方向は窮屈である。

  • グリーン車(サロ581)
中央の通路を挟んで2×2のリクライニングシートが1,160mm並ぶ。これは昼間専用の485系と全く同じだが、車体断面が普通車と揃えられている関係上天井がとても高い。また、トイレが出入口とは反対側の車端に集められている。
当初はリクライニングシートと寝台を両立する予定だったのだが、開発時間が足りずやむなく断念された。このため寝台特急として運転する時もグリーン車は座席のままである。イメージとしてはゆったり4列シートの夜行バスだが、高いグリーン料金を払ってるのに横になれないリクライニングシートというのもかなりの仕打ちである。

  • A寝台車(サロネ581)
A寝台需要の多かった急行「きたぐに」を583系に置き換える際、サハネ581から改造されたA寝台車。オリジナルのサハネ581と比較するとベッドの段数と幅、座席モケットの色、寝台用小窓の数などが異なる。
基本的に寝台車としてのみ運用されるが、極稀に座席車として運用されたこともあり、その時は普通車扱いとしていた。

  • 食堂車(サシ581)
4人がけテーブルが10卓並ぶ客席と厨房を備える他、食堂車授業員用のトイレ、仮眠室が存在する。
他車と車体断面は揃えられているため、車内は天井がとても高い。窓と窓の間にブラインドを挟む通称ベネシアン式を採用し、以降他形式の食堂車にも普及している。

■運用

登場した1967年に南福岡、1968年には南福岡に加え青森にも配置された。なお、南福岡配置車はしばらくして向日町に転属している。
南福岡車は寝台特急月光昼行特急みどりに、青森車は寝台特急ゆうづるはくつる昼行特急はつかりにそれぞれ使用された。

南福岡車
  1. 夕方、南福岡を出庫。博多まで回送し、博多19時45分発の寝台特急月光で新大阪へ。新大阪到着は翌朝5時45分。
  2. 新大阪到着後、向日町まで回送。向日町で寝台から座席に転換。転換完了後、新大阪9時30分発特急みどりで大分へ。大分到着は19時35分。今日は大分で一泊。
  3. 翌朝、大分9時30分発のみどりで新大阪へ。新大阪着は19時47分。着後、向日町に回送。
  4. 向日町到着後、座席から寝台に転換。転換完了後、新大阪に回送し月光として23時30分に発車。翌朝9時20分博多着。その後南福岡に回送。1.に戻るか、予備車と交代する。

青森車
  1. 夜、出庫。青森21時10分発の寝台特急ゆうづるで上野へ。上野着は翌朝6時36分。上野着後、尾久に回送。
  2. 尾久で寝台から座席に転換。上野10時15分発の特急はつかりで青森へ。青森着は18時47分。到着後、車庫に回送。
  3. 青森の車庫で座席から寝台に転換し、青森23時55分発の寝台特急はくつるで上野へ。上野着は翌朝9時10分。上野着後、尾久に回送。
  4. 尾久で寝台から座席に転換。上野15時40分発のはつかりで青森へ。青森着は日付変わって24時10分。
  5. 青森で一夜を明かし、青森4時40分発のはつかりで上野へ。上野着は13時10分。尾久で座席から寝台に転換し、上野19時30分発のゆうづるで青森へ。翌朝5時青森着。


…休んでる間がほとんどない過密スケジュールである。24時間戦えますか?

ただ、寝台車と座席車を兼用させる役割から長距離列車を抱える車両基地で583系は渇望され、増備車の投入と「間合い運用でもいいのでとにかく稼働させる」方針での運用ダイヤ作成によって昼行では

  • つばめ(名古屋~熊本)
  • はと(新大阪~博多)
  • しおじ(新大阪~下関)
  • 有明(門司港~西鹿児島)
  • しらさぎ(名古屋~富山)
  • 雷鳥(大阪~富山)
  • にちりん(博多~宮崎)
  • みちのく(上野~青森 常磐線経由)
  • ひばり(上野~仙台 東北本線経由)
と使用され、夜行では
  • 明星(新大阪~熊本)
  • 金星(名古屋~博多)
  • きりしま(京都~西鹿児島)
  • 彗星(新大阪~宮崎)
  • なは(新大阪~西鹿児島)
にも使用された。なお、きりしまは走行キロが1001.7kmと非常に長く、鹿児島サイドでも京都サイドでもペアになる昼間の列車を持てなかった。


さて、運用列車の拡大は1970年代に入ってからのことである。ここで問題が発生した。それは…


座席が固定式のボックスシートであるという点。


座席の快適性こそ181・485系の回転シートと大差なかったが、中近距離用の183系が体重で抑えておかないと勢いよく背もたれが戻る簡易式ながら普通車もリクライニングシート装備で登場すると流石に見劣りするようになった。
かと言って、座席をリクライニングシートに交換してしまえば寝台列車としての運用はできなくなる。このため特急用でありながらボックスシートを維持するしかなかった。
そもそもボックスシートなら特急じゃなく急行で使えばよかったのではという考えも浮かぶのだが、急行で使うと平均速度が遅く車庫での座席/寝台転換に必要な時間を確保できない恐れがあったため、特急とせざるを得なかったのだ。

また拠点に帰る間隔が長く、走行距離の累積に伴う老朽化の進行も車齢の割に早かった。下手すれば行って帰ってくるまでに1,500km以上走っていることも珍しくない。しかも一晩で寒暖差の激しい地域を行き来するため、走行距離の累積と合わせて故障が増える原因となった。

更に新幹線ネットワークの拡大で昼行特急の廃止が進んだ結果ペアになる昼間の列車を失い、ただの寝台電車として使われるケースも増えていった。その寝台列車でもB寝台の2段化が進められており、3段かつ上下方向の余裕がない本形式は次第に運用を失うようになる。
このために余剰となった車両も多く、通常なら廃車にしても問題ない*2のだが、当時の国鉄は財政問題で会計検査院から睨まれていたこともあり*3すぐに解体処分に出来ず、駅や操車場、車両基地の片隅に放置され、幽霊電車のような無残な姿を晒している車両も存在した。
電車でGO!』の山陰本線二条駅に中間車が放置されているのを見たことがあるプレイヤーは多いだろう。あれはTAITOスタッフのお遊びでも何でもなく、本当に置いてあったものである。

ただ特急列車としては不足気味の車内設備も急行列車としては十分なレベルであり、余剰となった頃から比較的マシな状態の車両を急行として使うこともあった。定期の急行としての使用は夜行列車ばかりで、立山(大阪~富山)ときたぐに(大阪~新潟)の2列車で使用された。
これらの急行列車は全車寝台車とはせず、一部の車両のみ寝台車として扱っており、座席車と寝台車を混在させていた。寝台の需要が多い時は寝台車を多く設定し、そうでなければ座席のままとしておけるという点で一種の理想に近い。

一方、先に記した駅構内で無残な姿を晒していた車両たちはどうなったのかというと、なんとまさかの普通列車用車両に生まれ変わった。
国鉄では異例の特急型から近郊型への格下げである。詳細は個別項目に譲るとして、その姿はまあ、うん。独創的である。

近郊型改造以外では食堂車の構造を生かして食堂に転用されたものもあるほか、変わり種では梅田貨物コンテナヤード跡地に建設した輸入雑貨店の店舗として、世界各国の特急列車(フランスTGV・イギリスHST等)の塗装に変更したという1/1マイクロエース*4なものまで現れた。


■JR化後

北海道と東西JRの3社に合計208両が引き継がれた。

西日本では国鉄時代から引き続き向日町を拠点に活躍。定期運用はきたぐに1往復のみなのに対して配置数は10両編成6本と車両数に余裕があったことから長距離団体列車やシュプール号などの夜行運転を伴う臨時列車、時には485系の代走もこなし、果てには後述の「ナインドリーム甲子園」としても活躍した。
特にシュプール号では485系との混結も実施され、開かずの扉と化していた正面貫通路が活用されたこともあった。ほくほく線への入線実績もある。
1991年からリニューアル工事が実施され、国鉄色から淡いブルーをベースに紺と緑の帯をあしらった新塗装に変更された。その後1997年からホワイトを基調に、窓周りと正面貫通扉をグレーで塗り、その下側に金色とブルーの帯を配した当時のJR西日本特急色に近いものに再変更されている。

2007年、予備部品の確保を目的に10両が廃車。2010年には臨時列車の縮小に伴って余剰となった20両が廃車となり、この時に先頭車がクハネ581に統一された。
2012年のダイヤ改正で急行きたぐにが繁忙期のみ運転の臨時列車に格下げ。同時に10両から7両へ編成短縮が行われ、電動車ユニット1ユニットとA寝台車1両が編成から脱車した。
2013年1月の運転を最後に臨時きたぐにの運行も終了し、残っていた3編成21両は京都鉄道博物館に保存の1両を除き、全て廃車・解体された。


東日本では国鉄時代から引き続き青森を拠点に活躍し、昼間のはつかり、夜行のゆうづる・はくつるに使用された他、臨時列車にも使用された。
しかし93年のダイヤ改正でゆうづるとはつかりの運用から撤退。はくつるが最後の定期特急運用となったが、これも94年12月で撤退。9両編成3本が残存し、臨時列車・団体列車で活躍した。
東北新幹線八戸開業後も、残ったグリーン車を含む9両編成1本とグリーン車なしの6両編成1本の合計2編成15両は引き続き波動用として使われることになり、9両編成は秋田へ、6両編成は仙台にそれぞれ転属した。
原型を比較的保っていたため、JR東海に貸し出されて品川発名古屋行のリバイバル特急つばめ、JR西日本に貸し出されて新大阪発下関行のリバイバル特急月光にも使用されたことがある。
ちなみに秋田車は潮風の強い日本海側を走ることが多く、蓄積したダメージを修復すべく2006年に電動車1ユニットとグリーン車を編成から脱車させ、残った6両に徹底した修繕工事を実行した。
長らく秋田・仙台の2編成体制で管内の臨時列車で運用。首都圏にやって来ることも多々あり、中でも京葉線発着のわくわくドリーム号は寝台をセットして運転される数少ない列車だった。
特に仙台編成は東日本大震災直後、不通となった東北新幹線の代替手段として設定された臨時快速「新幹線リレー号」にも使用された。
初代秋田編成は、2011年3月に運転された秋田発関西行の団体列車を最後に運用を終了。9月に廃車された。なお、初代秋田編成の廃車で開いた穴は、仙台編成が秋田に転属することで埋めている。

2017年、多くのファンの願いも虚しく引退が決定。ラストラン後、工場に廃車のために回送された。
工場へ回送された最終編成は以下のその後を辿った
  • クハネ583-8:2017年9月2日廃車。国内譲渡。
  • モハネ582・583-106:2017年10月14日廃車。台湾の鉄道博物館へ譲渡。
  • モハネ582・583-100:2018年3月1日廃車。
  • クハネ583-17:車籍残存。現車は秋田総合車両センター南秋田センター内に留置。

さて、最後に残ったのは北海道である。でも、北海道で583系が走ったという記録は残っていない。そもそも電化区間が短すぎて583系を使えるエリアが狭い上、構造上酷寒の北海道に耐えられない。
なのに、JR北海道にも583系は足跡を残している。
JR北海道に引き継がれたのは中間車のサハネ581が7両のみ。何のためか詳細は不明だが、イベント用車両製造のためというのが一つの説。
しかし利用されたのは1両分の台車と一部の座席だけですぐ廃車になり、民間へ譲渡された。北海道の厳しい気候のためか、今も残っているのは美幸線の仁宇布駅跡に置かれている1両のみと思われる。

■583系を使用した列車ホテル

583系が列車ホテルとして営業したという記録が3列車存在する。
いずれも大量の来場者が予想される大規模イベント開催地周辺のホテル不足を補う役割が持たされていた。

  • エキスポドリーム号
駅名
土浦(発) 2147
土浦(着)
(発)
0743
0753
万博中央 0803
1985年に茨城県のつくばで開催された国際科学技術博覧会に合わせて運行。
土浦を21時47分に発車はするが、向かう先は駅構内の留置線で翌朝まで停車。翌朝土浦駅ホームに再度据え付けてドアを開け、それから万博中央駅*5へ向かった。

寝台料金は一律3,000円で、これに土浦から万博中央までの乗車券を必要とする。簡易ホテルだと考えればまあ相応の値段だろう。

なお、エキスポドリーム号には583系の他、既に第一線から身を引いていた20系客車も使用されている。

  • エキスポトレインわしゅう号
駅名
岡山(発) 2208
茶屋町(着)
(発)
2224
2225
児島(着)
(発)
2236
0707
茶屋町(着)
(発)
0717
0720
岡山(着) 0742

1988年に岡山県で開催された瀬戸大橋博'88・岡山に合わせて運行。
岡山駅を22時8分に発車後、宇野線を走行し茶屋町駅に停車。瀬戸大橋線児島駅に到着後は24時30分までドアを開け、以後施錠。翌朝5時頃にドアを開放して7時7分まで停車。同時刻に発車して岡山駅へ戻るダイヤを組んでいた。
児島駅のホームでは夜と朝に飲料や軽食の販売が行われ、ホテルの代わりを勤め上げた。寝台料金はB寝台がエキスポドリーム号と同じ3,000円、A寝台は5,500円とし、更に岡山と茶屋町・児島の間の乗車券が必要だった。

  • ナインドリーム甲子園号
駅名
新大阪(発) 2210
大阪(着)
(発)
2215
0630
甲子園口(着) 0645
1991年から93年にかけて春と夏の高校野球シーズンに運行。
大阪駅に22時15分に到着後、24時頃までドアを開け、以後施錠。そのまま大阪駅で一夜を明かし、翌朝甲子園口駅に向けて発車。甲子園口到着後も8時半まで停車し、乗客が休めるようにしていた。
専用きっぷのお値段は大人3,500円。この専用きっぷはJR東日本以外の主要駅窓口か旅行センターでしか購入できなかったため、団体列車の性質がやや強い。
わずか5駅16.7kmしか走行せず、所要時間のほとんどが駅に停まっている時間のため、距離÷所要時間で求められる表定速度はなんと2km/h!歩いたほうが早いレベルになってしまった。
そもそも高校野球観戦をしたい場合、甲子園口駅は割と不便なのは内緒。*6

■保存車

きちんとした形で保存されているのは以下の車両たち。

  • クハネ581-8
福岡県北九州市の九州鉄道記念館で保存。
この車両は国鉄末期に食パン715系に改造されており、塗装こそ583系時代に復元されているが、増設されたドアやセミクロスシート化された車内はそのまま。
ちなみにこの車両は先述したマイクロエース社が419系を発売した際にある意味忠実にNゲージ化されており*7、セットの初回特典として配布されたことがある。
アリイくんほんと変なのばっかり出すな。

  • クハネ581-35
京都府京都市の京都鉄道博物館で保存。塗装をきたぐに色から国鉄色に復元、JNRエンブレムの再取り付けなどの整備を施し、可能な限り国鉄時代に近い姿へ戻している。
気軽に見学できる583系保存車で最も原型に近いが、車内公開は基本的に企画展扱いで臨時にドアを開けているのときのみ。

  • クハネ583-8
滋賀県内で個人が保存。JR東日本で最後まで残っていた583系の1両。

  • モハネ582・583-106
台北市信義区の台北機廠(台湾国鉄の車両整備工場)跡地で保存。

  • サハネ581-19
北海道中川郡美深町のトロッコ王国美深で宿泊所として使用。

  • サシ581-31
青森県八戸市で倉庫として使用。解体を検討していたが、原形を残す貴重な個体であることからクラウドファンディングによる保存運動が実施され、千葉県いすみ市にある「ポッポの丘」への移設が決定した。

変わったところでは、学研都市線の同志社前駅にグリーン車の廃車体を利用した駅舎兼喫茶店が設置されていた。しかし利用客の急増で手狭になったこともあり2005年に新駅舎へと建て替えられて解体された。

上述のサシ581のように個人に譲渡された車両も少ないながらあるが、静態保存車にはつきものの問題である「経年劣化や心無い者の手による荒廃」に悩まされ、ほとんどが解体されてしまっている(これは本形式以外にも言えることであるが)。


■583系が登場する作品


昭和40年代の国鉄を舞台に新米カレチ(車掌)荻野の奮闘を描く。第20話と第21話で荻野カレチが583系を使う寝台特急に乗務している。

原作6巻と12巻で登場。6巻では白浜で実施された「世界万国パンダ博覧会」開催に伴うホテル不足解消のため列車ホテルとして登場。モチーフはエキスポドリーム号。
12巻では新特急谷川の代走要員として583系が動員されている。

プロフェッショナル仕様、FINALで登場。プロフェッショナル仕様ではJR京都線急行きたぐに、ほくほく線臨時急行シュプール野沢・苗場の2ダイヤ、FINALではJR京都線急行きたぐにの上下ダイヤで運転できる。
性能は加速も減速もまあまあといったところだが、悪天候による性能の変化が少ないという特徴がある。
元から高性能な車両ならともかく、そうでない車両としては珍しいと言える。

人気企画サイコロの旅の記念すべき第1弾で登場。
第5投目で新潟行きたぐにが割り当てられた出目を出したことで乗車となったのだが、ロケ日が3連休の前日ということで寝台券が4人分確保できず、どうでしょう班の中で一番若い大泉が痔を患っているのに一人自由席に乗ることになってしまった。
結局何らかの手段でヒゲと同じ寝台に転がり込んで新潟までを過ごしたのだが、1つの寝台を大人2人で使用することはJRの旅客営業規則に違反する。
寝台の使用制限
第181条 同一寝台券によつて、2人以上の旅客が、1個の寝台を同時に又は交互に使用することはできない。
ただし、大人が使用する場合は、小児・幼児又は乳児と合わせて2人まで、小児(第73条第2項第4号の規定により小児とみなした幼児及び乳児を含む。)が使用する場合は、小児・幼児又は乳児と合わせて2人まで使用することができる。
(JR西日本の旅客営業規則より引用)

■余談

  • アプリ『ステーションメモリーズ!』に登場する新阪ルナのモチーフは583系と特急月光である。以前は「…と思われる」であったが、先述した京都鉄道博物館とのコラボレーションで事実上公認となった。いろいろと縄張り争いがあったのか、現状では583系のキャラクターなのにJR東海管轄になっているが。
  • 東京都清瀬市に本社を置く貸切バス会社「バスウェイ」のある役員が鉄道ファンで、所有するバスのカラーリングはJR西日本の583系が晩年まとっていたものと同じものに塗られている。

追記・修正は24時間走り詰めの人にお願いします。

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  • そして伝説へ…
最終更新:2025年04月11日 19:41

*1 座席車もある、でも当時は本当に最初期の「あさかぜ」程度であった。

*2 電車の減価償却期間は税制上13年と設定されている。

*3 実際、DD54やキハ91系と様々な理由から登場後10年程度で廃車となった車両があり、国会でも無駄ではないかと問題になっていた。

*4 当時、国鉄の機関車と客車を世界各国の列車の色に塗り替えた商品を発売していた。

*5 現在はほぼ同じ位置に「ひたち野うしく」駅が設置されている。

*6 阪神タイガースの球場でもあるので当然だが、阪神電鉄の甲子園駅を利用した方がうんと近い。ほぼ団体列車であったことを考えると甲子園口駅からバスに乗れたものと思われる。

*7 厳密には「715系の塗装を581/583系準拠に戻した、という設定の架空の編成」