雑記:文或と近代もろもろ、156
6月7日めも。
『菊池寛文学全集』、第4巻、だいたい人気作家になってから、昭和2年くらいまで、て、一応ここでも芥川の死の区切りがあるんだなー、最後の作品「噂の発生」がほとんどリアルタイムみたいに触れてますね、女性と関わると性的な噂にされるみたいなの。
「蘭学事始」、妙にお高い完璧主義者である前野良沢と、とりあえず結果を出すのが大事! なリアリストである杉田玄白との話で、良沢って芥川のことかなー? みたいなことはやっぱり言われてるよね。
いわゆる『解体新書』を一刻も世に出したい玄白と、この翻訳だとまだ未完成っていう良沢の対立というか…。
好対照でいい感じなんだけど、若干こう、芥川の卒業研究のことを思い出してしまい、どんどん縮小してってしまいにはちょっくら他所から…、みたいなの。
(正式に岩波書店店主と菊池さんに葬られたことは確認取りやすい。)
同人誌で忙しいにしても手を抜くまでの計画が壮大なせいで計画に時間掛かったんでねぇの、という身も蓋もないことを考えてしまい、こう書くと綺麗な話になってるようなとなってしまい。
計画の度重なる変更する前に手抜き論文出せよみたいな?
菊池さんからはこう見えてたんだろうなぁ、としか…、普通級友のピピーとか友人なら知ってるよな、そこ騙す手間は惜しむなよという感じ。台無し。
「啓吉の誘惑」、女そんな悪いことしてないよ特に騙されてもなくない!?
「妻の非難」、絵入り小説を書くことにするならもうちょっと早く言ってくんないととしか含みはないわよ、『真珠夫人』書くの恥ずかしかったんだなー。
6月8日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、えーと、31作品です多分、小品多い。
「入れ札」、自然主義の50歳誕生日おめでとー会にて遊蕩系作品を書きすぎているというためにとある作家のことをその会の作品集に入れる入れないという話から投票になったらしいことを書き換えたらこんな感じに。
戯曲版でも読んだけどそんなに違いはないのかな。
なんかちょっと心理描写が変わってるよね、自薦をすれば3人の中に入れるかもしれないとか考えた末に自薦1票とかな。
この書き換えならまあ当事者の気持ちは無事だったろうけど、なんでこうとことん惨めにした挙げ句に惨めには見えないのか、みっともないとは思わないからなぁ…、いや、あるでしょこのくらいの気持ちなら、誰でもさ。
「乱世」、半端に小さくて失敗したクーデターに間接的に参加したという案件だとどの程度の罪として裁かれるのかがわからなくて不気味…。
みたいな感じの話。
幻の罰に怯えた男のことを絶対に笑わないのが菊池節だよなー。
「流行児」、わかった、人気作家はこういう思いをするわかる、でもな大正9年(大当たりの年)に感じるのは早すぎるさすがにもうちょっと有頂天になってろ!?
みたいな感じの話、確かに自信ないようにも見えないでもないか。
「R」、ところでここの先生がどうも厨川白村さんらしく(ベストセラー本書いた)、あの、前この教授への思いが上田敏に転用されたお話ありませんでしたかと怯える。
ていうかアルスの社長に春陽堂の番頭ておい、気楽に飯食いに行くのか。
6月9日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、小品というか起承転結つながってない作品多い。
「晩年」、自分のやってきたことが無意味だったのではないかと思いなにもかもを投げ出してしまうこともあるよね、という感じの研究者の晩年の話。
だから、だから書くのが早い!! あと2年は浸っててもいいでしょ!
「父、母、妻、子」、なんか知らんけどばらっばらの時代と設定で立場に関してはタイトル通りの4人が並んでます、別に悪い内容でもないけどつながってたのかしらあれ…。
なんかこう、揃って誰かを裏切るみたいな立場ではあるかな。
織田信長に逆らえない徳川家康の父から始まってあと現代ものみたいな、半端かな。
「特種」、愚鈍な新聞記者の自死と彼の失敗を綴る手記、自身の死を知らせることだけは自分が早いのだろうという手紙と、それよりも早く来る特報。
でもやっぱり、見苦しくはないんだよな、この話の彼も。
もうちょっと人を馬鹿にする気持ちを持っていればこんなに苦しまなかったろうに、という形でまとめてる、このまとめだよなぁ。
「首縊り上人」、なんとなくしか話を覚えてなかったんだけど、つれなくした稚児が死んで自分も死ぬかと思い、しかして、思い付いただけだと止めるかもしれないから人に話していたらいつの間にか話が膨らみすぎ、怖くなり、失敗し、その上で奇蹟のお迎えが来るのを人々が眺める話のものの善悪のジェットコースター感よ。
ていうかこの死ぬことを思い付いた理由から微妙にあれだし、当人全くその気がなかったのに一大行事みたいになって複雑な気分にもなろうし。
どうしてこの話で人生の儚さの片鱗が見えるのか、設定からは予測も付かない。
6月10日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、そういや肉親の話地味に多いね、この巻。
「肉親」、こう言ったらあれですが、この真ん中のお兄さん、全集3巻にあった似てるという「中傷者」の青年とは似ても似つかない正統派の正義漢じゃねーか兄、なんとなくそれを貫けてないところはあるにはあるけど動機が不純だったこととか経歴詐称くらいしか見当たらないよ?
お母さんがやたらと贔屓してたのも、長兄が大事にしてたのも、周囲から孤立しかねない時に真っ先に手を差し伸べるあと先とか損得勘定が苦手な人だったからだよね。
などということが完璧に伝わって来るのに評価低いってなんでよ。
菊池さんがこんなに冷静じゃないの初めて見たなー。
「遊女の天国」、心が純粋なうちに死を迎えたいと思いますって。
好きだね菊池さんこういう人…、厭らしさがないというか、女はこうであって欲しいとかそういう感じじゃなくてこういう人間でありたいなんだよな…。
繰り返すけど史上有数の成功作家になってから何年も経ってないの、早いよ。
「従妹」、短いスパンで出て来た美しい、あるいは菊池さんがほどほど出世なら結婚していたかもしれない年上のいとこの話なんだけども、真ん中の兄、娘を芸者にしてしまったいとこが菊池一家にとっての最大の堕落選手か…、だいたいわかった。
だいたいこういう感じの家か、まともな人どこー?! みたいな家に二分されてるよね文士の家庭、まともなお家の人ほどシニカルっぽい。
「法律」、ばあちゃんに同情したクズ屋が報われて高利貸しが締め上げられる世の中であって欲しいよね法律邪魔としみじみされてもわかるけどぉ。
6月11日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、今15作品まで消化したかな、あと半分くらい。
「石本検校」、わかるとは言い難いんだ、将棋で全力でぶつかりあって勝ったんだけどなんかこう、相手がずるいと思ったんだけどなんかこう、盲目を持ち出すのずるいとかこんな相手に勝っても嬉しくないとかまあいろいろ。
虚しさというかなんというか、虚しさが伝わってくればいいのかな。
「写真」、あー、成瀬さんとこの奥さん。
彼女の伝記を書いたんだけど、写真がいまいちですぜ優しさ出てないよ旦那さん、てな感じの話なんだけどいまいちな写真でいいんですよ、と言われてから、独り占めにしたいってことかな、みたいな感じのホップステップ乙女だね。
菊池さんの妄想って全く間違ってもなんとなく相手を上げてるからまあいいよね。
「ある記録」、小久保さんてば妾がいるんだわ三人も。
なにしろ三人もいるので平等に回るのが大変でタイムレコードを参考のために付け始めたらタイムレコードに夢中になった話であり、なんで滑稽に見えないんだろうね、普通は笑うために書くよね。
あるよねこういうのって思わされるのなんでだろうな、てか妾三人が全然楽しそうじゃないっすね、でもタイムレコード楽しそうだね!!
「羽衣」、天女と身勝手男の話、多分本来ならば男の身勝手さを描き罰を受ける展開になると思うんだけども同情に至るところまでが菊池節っていうか。
この同情って全集の1巻2巻では立場の弱い女性に向けられてたよね、この男の振舞いはなんの言い訳も出来ない、けどまあ、うん、可哀想、作家の腕かこれは。
6月12日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、あと12作かな、間違えてないかな…。
「墨」、人気作家になったばかりは見付かりたくなかったものだがだんだん慣れて来て、気付かれないとむしろ軽い苦痛になる時にじろじろ眺めて来る女の子が見て来た理由がタイトルが顔にー。
大丈夫、女の子ほぼ多分可愛いと思ってるから、気にすんな!
しょうもない自意識もちゃんと客観視して失敗まで書いてると可愛いよな。
「自賛」、この作品は菊池さんなのだろう作中の人物よりも相手方になって読んだほうが面白いんじゃないかと思います、騙すなら貫き通してもいいんじゃないか、なんか半端だなにもかも半端だ。
そういうなにもかも半端なところこそを許すよと言われると宗教家かよとなるんだけど、聖人だからって感じではないんだよね、面白がってるってのも本当なんだよな、ていうかこういう客観視したメンタル持ってたら人生違うんだろうなー。
「不孝」、めっちゃ可愛がってくれたというか学費を送ることを血反吐を吐きながら承諾し続けてくれた母親の死にも帰らず。
お前の知名度のおかげか諸々めっちゃ葬式豪華になってたよー、とわりと長兄がさっぱりした感じで伝えて来てくれてたんだけどどうもこれは裏に含むものなしに本音という気がしてならず、いやだって菊池の血ってなんかそんな感じみたいだし。
父親にお金を送ったら寛兄、とか手紙に書かれちゃった、ぎゃー、どういう意味、どういう意味怖ー!!!
菊池さん、それ、学費諸々の罪悪感てやつだと思う、向き合お?
6月13日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、この辺の3作品好きだなー、掲載どこだろ。
「愛児不死」、とある夫婦の元に息子が生まれて相場師だった夫のほんの不調の隙にお金がないことが遠因でその息子を失ってしまい。
が、その死がきっかけになったかのようにトントン拍子に復活。
下の子どもも生まれて家庭は円満になるが、母親はいつまでも生まれて来る弟妹たちにその死んだ息子の話をする、今生まれていれば絶対に生き延びらせられたのにという後悔が口にされる、それがいつまでもいつまでも続き、母親から死んだ息子の話が途切れた時に弟妹たちが今度は会ったこともない兄の話を母親にし始める。
死の床でまでも彼はいるよ、みたいな展開で。
妄想と暮らせて幸せでしたとかいう話見たことないんだけど!!
という気持ちになったんだけど、誰も止めてねぇし、そもそも母親の態度も落ち着いてるし全員で支えた妄想の息子だったなぁ、というか。
なんという壮絶な話なんだめっちゃミニマムなのに(短いの)。
「敗北」、めっちゃ嫌なばあちゃんがいる、いずれ死ぬだろうと好きにさせていたら自分の子どもたちのほうが彼女の家明け放しのせいで病死するという、なんというかこう、なにを感じ取ればいいの生命力? 人の不幸を祈ってはいけないよとかそういう感じのか、でもなんか反省を求められている気は全くしないんだ、人生サイコロ怖い。
「恋愛結婚」、そっちかー、そっちかー、ていうかそもそも最初の時点で占いに来た時に迷ってたのってのがどっちにしよ、だったのかー!
みたいな感じのジェットコースター、多分彼女は幸せになれます。
6月14日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、ていうかここらは小品すぎて配分間違えたかな…。
「歓待」、あれです、将棋をしに通ってたんだよーん、みたいな京都時代の床屋再びという感じの話で床屋は別の人に譲って綿屋をちまちまやって悠々自適な生活を送っているのを羨ましそうに見てるみたいな感じの。
いやだから、大正9年から昭和2年までの間で多分昭和2年寄りの時期なんじゃないかと思うんですが、3巻と4巻だと時代順じゃないけど同じ巻の作品は概ね時代順ぽい感じだしね、てことはこう、『文藝春秋』がぼこぼこ成長してる時期っていうか。
訪ねたらくれたお手紙嬉しかったです、てほど孤独じゃないんだけども、なんか嵌まるものがあったのかな、まあ、ここの床屋さん一家は本当にさすがに孤独な時期からの人だからなぁ、ていうか、態度に相手が有名人という気配がそういや一瞬もなかったな。
古い若い友人だわーい嬉しい! しかないな、確かに貴重だった。
「敵薬」、なんともこう、内容が薄いというか起こった出来事まんまというか、麹町のでっかい社宅とか表現の端々にこれあの時期かなー、みたいなことは感じ取れるからそんなに退屈はしなかったけど、あと別に詰まらなくはないけどこう。
やる気はあんまりないよね、起承転結もないというか…。
似た時期に突然訪ねて来た女性二人の話、学歴ないほうがまとも、という感慨かこれ。
「安楽椅子」、お金で出すと使わないことはわかってたんだから物買って贈るほうがいいよって多分誰かに相談してたら言われてたと思うな!
ただまあ、お父さん、そういう問題ではなかったのかなぁ、という気もしないでもない、お母さんに続けてお父さんも亡くなりました、さすがに帰ったよ。
6月15日めも。
『菊池寛文学全集』第4巻、これで終了、本返しに行こ。
「蠣フライ」、めっちゃ短いし決着もなんにも付いていないというか、昔の親しかった女性の覚え方独特でしょ、とも思わないでもないし、まあ実際、誰でもこんな感じに断片だけが残るのかなとも思わないでもないし。
よくよく見たらめっちゃしょっちゅう食事した以外にどんな関係だったのか明確に書いてないんだなこれ。
そして通りすがりの女性がカキフライが好きなことしか最終的に判明せず、再会していたのかそうでないのかも不明、悪くない。
「盛岡にて」、たかり男よりもむしろ宣教師にムカつくんですけどー!
みたいな感じの話でござる、同感、Sくんていう一高の同級生でわりと早死にしちゃってた人が出てくるけど特にどうこうもなく、詰め込み系話ねこれも。
「噂の発生」、こんなスキャンダルがありますと仰々しく示されていた逸話と同じものが示されていてなんだこれ面倒くせぇ、となってるんだけど、時期と女性がなんか、違うようなのでさらにげんなり。
ところでこの作品の時間軸の中で芥川が死んでるんだけど、彼が共に死んでもいいと思っていたっていう女性、ここの場合は片岡広子女史だよね多分。
でも心中事件を画策して止めた相手は別だよね、奥さんの親友。
あと数年引き摺ってる妙な関係の女性も多分候補に挙がってたよね。
なのに一番モテるの久米さんってどういうことなの、上手い具合に渡ってることにひょっとして菊池さん、ようやく気付きましたか、妙なとこ鈍いな…。
6月16日めも。
2020年1月21日です、めっちゃ間が空きました、これを打ち込んでる時はこのまま順調に続けてく予定だったのにそこから何か月くらい開いたのか遡って確認してみないと全くわからない体たらくという…。
てか、この前日分までで全集の4巻の小説部分は終了していて、それまで無類に面白かった解説が詰まらなかったのでまあ適当にでっち上げるかってそこで切り上げて急いで本を返しに行っちゃったんですよ。
だって昭和初期のメインストリームが白樺派とか言うんだもん、しかも多分これ志賀さんが頂点なんだよね、なんだよあの「売れない作家」代表格(なぜか改造社の社長がそう言ってるんだけど、これでマシなほうなはずなのでなんで名指しなのかわからない、ただまあ、頂点って言われるとさぁ、さすがに寒い)。
が、あれやこれやと昭和文壇とやらをひっくり返していたらどうも「白樺頂点説」を最初に唱え始めた人という可能性が浮上して、あら、びっくり…と。
庶民人気があるほうが売れるので、メインストリームは出版社が恭しく扱ってる人という観点で私は考えるので、まあ昭和初期は菊池さんのほうだろ、という感覚なんですが、文学に携わる学者たちも同時代にもっとも評価の高い評論家である白鳥さんもその辺はどうも同じ意見らしく、他に誰を尊重しなきゃならないのかさすがにわからない。
上の人はむしろどこ派閥? みたいな好奇心にかられています。
ただメインストリームと外れててもわりと堂々と生きてるよ! みたいな感じの言い分なのでそんなに変な内容でもないです、曇りなき眼っていうか、関わった人たちの心象も悪くない、が、つまり妄想の歴史を語る人なのね、奥が深いな…。
(文或と近代もろもろ、156)
最終更新:2020年01月21日 15:27