雑記:文或と近代もろもろ、171


11月3日めも。


リアルタイムは2020年10月25日の日付け越えからあとちょっとで1時間くらいかなー、この雑記の名目上は2019年です、一応1年内に縮まったけど、やっぱりこのまましばらくはこの言い方続きそうかな、あってもなくてもどうでもいいけど。
てかなに書くかとか特に決めてないですけども。
えーと、あ、あれか、学習院に関してかな…。
というかちょくちょく呟いてるのが「学制」のほうなんですけども、長男は学を与えられないよね、みたいな話がとある理由で流れて行きまして、いやでもこれ、必ずしもそうでもないのではと考えたものの、まとまって理解してるわけでもなかったので一旦取りやめたものの、ぶっちゃけどこを理解してないのかよく自分でもわからなかったのでもう一回文字にしておこうかなと。
そういや、何度か学制について書いてるけど、あとに残すほどちゃんと書けないんだよなー、んにゃ、一回は残そうと思ったこともあったけど、あとから読み返すとそこまでのものでもないな、と叩き台という程度かしら…。
というかなにか全体的に組み立たないというか、小学校からの延長(これが中学校までつながっているはず)と、大学からの逆算があるはずなんだよね。
そういや小学校も中学校も2種類あるっちゃああるんだよな、あれでいいのかな。

あとあれ、学習院に関してはある時点で国が「虚学」を学習院の生徒に学習させようとしてましてね、これに対抗するのが実学、要するに就職に直接結びつくというか、この場合は帝大に関しての話題なので役人になれたり就職口の宛てがある学部(じゃないけど)が実学、そうでない学問が虚学。これが実は地味に意味がわかっていない。


11月4日めも。


意味がわかっていないというのはなにも自覚してないわけではなかったんですよ、ところがいわゆる華族は比較的長男が役職に着いている例を思い出せる、そして彼らが当主も兼ねている、完全に一致してるかどうかは自信がないですが、少なくとも数例は思い出せ、そこが乖離している印象がない。
(多分これは現代と大差がないので意識しにくかったとも言うけども。)
というより、政府要職に着けない場合、結構な勢いで転落していく。
上手いこと商売が出来ればそうでもないんでしょうが、それに該当しそうな家が幾つかしか思い出せない、家老なんかのほうが正直商売上手いんじゃ、ないかな…。
家老ってのはあれ、志賀直哉のおじいさんですけども、てか家老だったんだよな?
彼が主君(要するに藩主)の毒殺を疑われ、証拠不十分、というか毒殺ではないという医師の診断を得たものの、次代に跡目を譲り、その息子がやったのが足尾銅山事件の銅山への資本提供。
これはまあ、主君の家の意向で志賀氏が決めたわけでもなさそうみたいなことを言われてましたが、詳細は知りません。あくまで出資者だしなぁ、経営者ではない。

このケースは直接の資料ではないけど、まあこういう分布だったぽいよ的な、華族はちょっとこう、華族銀行って言われてたところがぽしゃりまして…。
破産まではしなかったのか、どこかからか体面を保つために資金投入されたのかネットで検索出来る範囲でわかんないんだよなぁ、まあ、華族を単独で追い掛けてると財産を失った経緯みたいには出てくるんじゃないかな、私は銀行の本で読んだけど。
で、なにが言いたいかというと全部の情報がまだ組み立っていない。


11月5日めも。


華族の出資が全体的に上手く行ってたら役人や政府(同じ? 違う?)に潜り込めなくてもそうそう貧乏にはならないだろうなー、と思って。
まあなんか、学習院も「身を持ち崩すの止めて!」って作ってたしなー。
なんか皇室の藩屛として残しておきたかったんだって華族。
とはいえ、これのニュアンスがわかってるわけでもないけども、だって優遇されているのがまず新蔵人層みたいだし…(層丸ごとが岩倉具視の支援してたんだって)、最上位の五摂家でまともに出てくるの西園寺と近衛しかいないし。
次の九家(名前なんだっけ)だかの中の武者小路とか政治小説とか書いてるみたいだし、係累よくわかんないけど長男っぽい名前だったので「なにしてんの」となったなぁ、この最初期の政治小説はまだ新聞小説の本でしか見たことないので正直わかってない。
政治小説も単純に政治手段でもあるみたいだから、一概には言えないんだけども。
だがしかし、対象が庶民なことは間違えがないんだよなさすがに…。
(えーと、あとの政治小説は自由民権運動やってたところだね、板垣さんとこと大隈さんとこの政党、この頃の話ではないです、武者小路さんとこはそもそも華族の遊撃的な政治手法みたいに語られてたなー。)

さて、華族の長男は虚学を習うのでしょうか、華族の次男以降が実学を習うのでしょうか(民間の家を継ぐルールだと多分こうなる)。
よくわからん。
いやまあ、虚学習っとけって言ってた時はなんか家っぽいものを継ぐ、地主らよりインテリのほうがいいよね的な雰囲気だったのよ、まあ虚学でもいいやね。


11月6日めも。


てか、多分ですが一時的に学習院から「一部の帝大の学部に限り」無試験による入学を認めるって言ってた時なんじゃないかなー、これ、人に手伝って追跡してたので。
もう少しあとの時代になると高等師範学校と同じく、帝大に進学可能になる学校へと変わるんですけどね、確か大学令の大正8年の前後だったと思うよ(大学令は完成版みたいなものなので多分それより前の話ね、そういや菊池さんが帝大入学する段階で高等師範学校からの進学可能になっててショック受けてたなー、何年だっけ)。
あ、菊池さんの段階「で」なので白樺派は関係なく。
その上で無試験なので、虚学がどうのってあれだろうなー、と。
高等学校入った人たちはあんまりお金があるわけでもないんですよねたまに金持ちいるけど(ご身分低め)、貧乏な人もいるけど(身分高め)、まあ中間もいるけど(めっちゃ勉強が得意)。
まあこれも大学令の前後で変わるので皆が目指すみたいな学校になってくんだよね、理由が正直よくわからんけども。
なんでか本を読んだけどわからなかったんですよ、そういう、受験大事ー! になる中で登場するのが「受験生の手記」でね、久米さんの作品。
私、文アル始める前まで久米さんの存在知らなかったんですけども、学制の本で読んだので文アル以前に読んでたら名前知ってたことになったんだなあれ。
(本もそんなに最近のものじゃないしねー、そんなに古くもないけど。)

貧乏人が多いので就職先がない学部が定員割れしやがりまして。
学習院から突っ込んどけ、というお話があったというのが全貌です。ざるい。


11月7日めも。


まあとはいえ、この時点で「虚学は就職出来なかろうが国のために必要だから、維持はしないとならんからな」てなことを言ってらしたので悪い印象でもないんだけどね。
学習院ってただでさえなんか評判悪いしなぁ…。
ああ、これも酷い、これも言われてますねっていうことを一緒に探してた(生徒側で見ると普通にぼろぼろ出てくるので)人があとで学習院というセレブの極みみたいなことを別の人から吹き込まれてしまいまして、一緒に探していた資料をすっかり忘れてそちらに宗旨替えしてしまったのは大変に残念でした。
かなり助かったのでまあいいんですけども。
虚学と無試験入学の関係とそのあとの帝大入学枠確定までの因果関係は多分私一人だと掴み切れなかったからなぁ。

帝大にも何人か学習院出身の人らがいましてね、彼らは「まともに勉強出来ない」からと高等学校を受け直していたそうです、高等学校からかー…。
実学年との差は菊池さんと同じ感じだったので(菊池さんより1歳上で1学年上、有三さんとどっちも同じだったので覚えた)、中学校から一高までに大学含めて学校3つ経由した人と同じか…。
この方も政治家になってるので虚学でも良かったのかしら、運の悪い。
間違えてる可能性があるので伏せとこ、一回確認した覚えはあるんだけど。
あとあとよく読んでみると勉強が出来ない環境でもなかったみたいなんですけどねー、駄目なところは本当に駄目だったらしいですね、まあ学制もまだ安定してないしな。
これは近衛さんとこの弟の証言です、学習院も改革はしてるからそのせいかな。


11月8日めも。


あとあれ、こないだ花袋に関しての年表貰いまして、まあ伏せとくけど、その中に「英語学校」というのがあったんですよ、これは聞いたことがあったので調べてみたんですが、英語学校の中で一部中学校へと転換してるものがありまして。
それ以外の学校も多分どこかに吸収なり転換なりされてるのが追い切れなくなってるんじゃないかと思うんだけども。

これあれですね、まず「大学」というのが他言語授業しかないところからスタートしております、だって日本人講師しばらくいないんだもん。
日本語覚え貰える立場になかったんですよ…。
で、まず語学を覚え(語学学校、塾とかもあったよ)、今の大学教養課程を経て(これが中等学校→高等学校と改名、ナンバースクールのあれ、帝大に入るための学校)、専門教育を受けるための帝大に進学する、みたいな感じ。
花袋が語学学校に入ってる理由はわからないんですが、ちゃんと進学出来なかったあとに入学しているようなので、本来の年齢ならそこそこのところまでは行けたんじゃないのかなぁ、言いきれないけども。
鏡花なんかは高等学校までですよね確か。
なんでそれで教師やってんの、みたいなこといわれてたんですが、中学校出身の教師というのが一番ボリュームが厚かったそうなのでそれ考えると不思議でもないかな。
あ、あれ、岩波書店の本で読みました、岩波書店はこの教師層がメインターゲットだったらしいので(なので小学校卒の大衆雑誌『キング』とは隣では? となってた)。
これ以降はただの推測だけど書いておくべきなのかしら…。


11月9日めも。


ええとあれ、小学校ってなんか2つあるじゃないですか、違いがよくわからないけど、中学校もなんか2種類あるじゃないですか、小学校の違いと同じなのか違うのかすらわからないんだけども。
これ「進学するつもりか、そこで卒業するのか」の違いじゃないかなー、と。
いえね、菊池さんがなにかの進学の時点で途中で退学しなきゃならないの知らなくて大変な目に遭った的なことを言ってまして、中学校だったかな、進学予定じゃない学校のほうに入っちゃってたんじゃないかと思ったんですが。
あ、あくまでも数日前にこれかな? と考えてしまっただけでなんも資料ないです。
ただ、いろいろ読んできてはいるので、一応これだとなんというかそれっぽいというか、語学学校から転換した中学校が庶民にそうそう必要だったとも思いにくいしね。
ていうか、帝大にも日本人講師が増えるじゃないですか。もこもこ。
語学が必要なのがいつまでか、それ以降も覚えとけされてたのかなんなのかが全くわかりません、とりあえず明治末くらいの大学生は翻訳なしに海外の小説とか読んできゃーぎゃー騒いでたけどな、趣味のもんも他言語で読む(多分帝大、なぜならば、私大はまだ大学と名乗ったかどうかで大学生とだけ呼ぶと考えにくいから、私大の正規の大学昇格はそれこそ大正8年の大学令だし、まあ大学って名乗ってるけどね)。
おかげで未翻訳なのに言及残っててなんかちょっとわかりにくくて。
初期とか翻案だし紹介だし、初紹介されたのがいつ! とかなかなか昨今では見ない表記だよね、紹介も重要だった時代なんだろうなしかわからんけど!

つまり今欠けてるっていうか意識しといたほうがいいのはどこだっけか…。


11月10日めも。


ええとあれですね、まともめな本で小学校や中学校を見たらその名称の違いみたいなものにちゃんと注意をしておく、だなまず。
ネットで調べてみてもいいんですけども、読み取る自信がなくて…。
というか、小学校からの本が見つけ出せなかったのに果たしてネットに正しいデータが載ってる可能性はどのくらいあるの?! となるんですが、めっちゃマイナーなところは結構しっかりしていることがあり、出展がない。
ご本、ご本出してそのままああああ!! となるようなことはあります。
どっかの共著本に論文載ってたりはするんだろうな。
なんというか恣意が入りにくい分野だとその辺適当になってたりすることあるんだよね、たまに間違えも見付けるけど演劇とか。学制でミスがわかるかどうかは私には全く不可能なので今は止めておきます。
尋常小学校、尋常高等小学校とはなんぞやくらいは調べてもいいかもしれないけど、後者を略したのが前者なのかしら、そう、これは祖父母の時代にもよく聞く単語で、尋常ってなにかしらと考えたんだけども、調べてガチで意味がわからなかったので、今それだけなら読んでしまってもいいのかも…しれないな、読んで、きます。

えーと、明治19年小学校令にて、尋常小学校、高等小学校が設置され、尋常小学校が4年、ここまでが義務教育期間、そののちに高等小学校に行き、これも4年間。
種類じゃなくて段階だったのかこれ、昭和11年の時点で尋常小学校からの進学率が66%ということはそれ以下もそれなりにいたわけね、ここまでで完全識字者になってるはずなので(キング読者)、高等小学校はどうなのかしら。


11月11日めも。


んーとあと、中学校のところを見ようとしたら「尋常小学校から進学するよ」みたいに書いてあってあれ、となったんですが、ぐちゃぐちゃしててわからなかったので一旦棚上げして、「学制」ってのはあれ太政官第214号、法律みたいなやつですね初期の。
明治5年でこれが初の近代教育の規定で、明治12年の教育令にて廃止。
あれま、知らんかった、学制学制って言ってるのは受け売りです、まんま。
そして学制の単独のWiki辞書の記事はあるんですが参考文献が政府サイトとか、法律の現代語訳とか、ないかー、教育令のページに飛び、参考文献を開きましたがないなー! てか教育令のほうはいっぱいあって面倒なので割愛、今日は小学校までかな、尋常高等小学校ってあれ、尋常小学校と高等小学校がくっ付いてるのを指すのかしら、合ってたー、併設学校のことぽいです、途中から学費の徴収をするのかなるほど。

あ、そっかさっき読み飛ばしたのこれだ、高等小学校には旧制中学校や高等女学校への進学を失敗した人が進学してもいたっていうの。
予備校としての役割もあったのか、へー。
てか、これではっきり「尋常小学校」から中学校に行くと確定、やたっ!
で、中学校と中等学校が、あります、わからない、わからない!! ぶっちゃけ同じものか別のものか数回見直したけどWiki辞書のページが違うことでしかわからなかったし、旧制って付いてるしややこしいのよー!?
いやでも教育令の流れて見ていくと中学校は「初等中学校」と「高等中学校」ってなっているから中等学校は一旦置いておいて(区分の違う呼び方っぽい?)、高等中学校があれですね、改名されて高等学校、ナンバースクールのあれか!!


11月12日めも。


高等学校は明治30年までは最高学府(カレッジ)、うん、わからないけど確か大学は一度内紛で消滅しており、別の名前になっていた覚えはある、後に予備教育機関になっていく、わかったえーと、改名が第1次の高等学校令。
初等中学校はページが存在しなかったので、えーと、中学校のページに、えーと、「旧制中学校」、明治27年に高等中学校が分離独立して高等学校になり。
尋常中学校のみになり、明治32年の時点で中学校に改名。
あれま、名前はややこしいものの、中学校は一種類しかないっぽいな、菊池さんに関してはなんかの部分を見落としてたかスライドさせてたのかも、まあいいや(あまりの混乱っぷりに別に恥ずかしい間違えとも思いにくかった)。
旧制中等学校となってるのは中学校、高等女学校、実業学校を合わせた概念、ということのようです、あれま、実業学校って中等学校の部類なのか。
ただこの実業学校、どうも高等小学校を卒業してから入るものみたい、ややこしいなこれ、えーと、うん、細かい規定はあるけど高等小学校卒業程度ってあるわ。
そういや中学校を出ずに早稲田に入ろうとしていた人っていだけど、あれ多分、高等小学校の卒業生だったんだろうなぁ(試験を受けての入学、中学校からだと試験なし)。

頭の中がぐるんぐるんとしてるけど、今日はここまでにしておいてやらあ的な。
私は一旦進んだけども、果たしてこの雑記がどうなっているのかは今は見直すつもりはないですねマジ、ていうか寝たい。
一応役割りは果たしたんだからまあいいか、小学校と中学校に関してはネットで調べて正解だったかもしれない、高等中学校って尋常中学校とセットだったのかの辺り特に。

(文或と近代もろもろ、171)
最終更新:2020年10月25日 03:15