雑記:文或と近代もろもろ、178


1月12日めも。


リアルタイムは11月5日、あと1時間くらいで日付け越えくらい、えーと、10か月くらい遅れてることになるのか。
一応まともめな内容のある記事を一つ仕上げたんですけども、タイトル忘れたけど…あと、〆のところのタイトル変えるの忘れてたけど、今それだけ直してきました「明治の新聞事情」か、頭のところがいつも「雑文」なんだけどそこも「雑学」にしてみたけど、通し番号だけは共通。
我ながらシンプルですね、あんまり凝ってないけどそこまでシンプルでもないからな私、なんか少し抜けてる感じを心がけています。
完璧主義以上に何事かを完成させるのに障害になるものがないからね…。
で、今計画してるのがあと「新聞社10社」、んーと、これに近代って付けておくか、主要かどうかは自信ないので付けないほうがいいかな。
五大新聞に関してはちゃんと決まってるんだけどね、日日/毎日、報知、国民、朝日、時事、で、読売は問題ないとして、みたいな感じね。
一応順序とかデータとか書き出してるんだけど、流れになるかどうかがあんまり自信ないんだよな…。
それとあと雑誌10種、選んだのが「その時代において小説を載せることで一般に影響力のあった雑誌」なんですけども、概念はまあいいじゃん、そこそこ流れは作れるとは思うんだけど、これの並べ方はいまだに迷ってるし、タイトルもっと迷ってる。

なんというか文学史からは何冊も消えてるからなー、半分くらいしかないんじゃなかろうか、周縁人物の発言しか情報がない、まあ長さはさほどでもないけどね…。


1月13日めも。


あとあれ、わりと最近書いていた久米さんとこの三角関係について、我ながらふわふわした見解しか持ってなかったので(というか、ゴシップには基本的には興味がない)、ちゃんと書く気はなかったんですが、なんだかんだと並べ変えるといけそうだなー、と思ってしまったので今度計画立ててみよう。
さすがに今日は眠いので止めておきます。
いや、無理に打たなくてもいいんだよ無理に、だがしかし、ここ数日文章が打てなくなっていたので特に内容はいらないという大前提でちょっとだけ進めるみたいなつもりだったので頭まで使うのはなんかちょっと…違うかなって。
いや、あの案件に頭使うのかはわかんないけど。
見たものがあちこちに散らばってると思い出すのに時間は掛かるかな、てか、噂話本だけはちゃんと調べておこう、なんだっけ、明治の作家さんの息子さんでなんか数字が名前に入ってる人で文芸家協会の理事やってて…。
出たー、巌谷大四さんか、巌谷小波さんの息子さんだね。
ぶっちゃけて彼の本を最初に読んだ時は「なんでこれが参考文献に??」と思う程度には噂話本だったんですよ、私逸話単独では読まないしね。
なんというのか全体的に漂う邪推がなんとも濃かったんですが。

が、正直よくよく考えてみれば邪推には満ちていたものの大四さん自身の意識のベクトルがなく、どうも概ね同時代に流れていたままのものではないか、しかもそれがかなり無造作に詰め込んである、今思い返すと確かに参考文献としてあり得るのか。
てか、逸話って経歴とか物理とか無視ってくし数倍マシじゃん、となるよねー…。


1月14日めも。


話が勢いよくスピンアウトしていったものの、あとどなたが書いたのかはなんとか思い出せたものの、巌谷大四さんのWiki辞典に本が載っていたものの、どの本だかさっぱりわかりませんね…。
何冊書いてるんだよこの人。
時期がわりと限られてたので(なんというか、漱石さんの木曜会絡みのネタがやたらと多かったような印象)、タイトルで見当が付くと思ったんだけど、あの時期が限定されていたのは他にも大量に本を書いているからか…。
学術的な価値みたいなものは全く期待していないものの、同時代資料としてなら使えそうなんだよな、何冊か読んでみるかな、結構絞ったテーマの本もあるし。
まあ1冊しか読んでないんですけども、基本が参考文献になってないもしくはテーマ限られてないと読まない方針なので。
あと、邪推には満ちていたけども…。
だが本当に、誰の邪推だったんだろうかあれは…。
(あのねー、主な内容が漱石さんの後期弟子vs新思潮な感じだったの、未亡人の鏡子さんが新思潮寄りなのでまあ場外乱闘的に揉める揉める。)
(これを読んだあとに弟子たちが未亡人を取り巻いていた文化サロンを前提に展開していたらしい逸話を読むと「ぴ??」にもなるよなー。)

何回か言ってるけど、ゴシップ自体には別段興味がないんですよね、というか正確に言うとゴシップとして処理された情報には用がないというか、俗物であって欲しいという願いが趣味合わないんですよ、なら逆の処理すればいいだけね。


1月15日めも。


あとあれ、菊池さんの「無名作家の日記」のあれでも書いてみようかな正誤表みたいなの、いや、作品内容そんなちゃんと覚えてないのでふんわりバージョンだけど、いやなんとなくちゃんとやると辻褄合わなくなりそうなのでふわっと。
一応作中の順番と、学生時代がどんな順番で起こったのかは覚えてるんですけどね、順番は覚えてるんだけど記述をちゃんと覚えてないんだ。
だって、どう見ても菊池さんのことじゃないんだもんあれ…。
聴講生(予科性)として入るじゃないですか京大に。
その年なんですよね、第3次『新思潮』、しかもなんかかつてのクラスメイトが京都に集結してるっぽいから…さすがに菊池さんに会いに行ったんだよねあれ。
翌年夏に高等学校卒業試験を受けに行きまして新思潮の最後の号の編集を初めて手伝い、なんか芥川と初めていちゃいちゃしてたらしいという記述があり(いちゃいちゃが初めてなのではなくてそれなりに話していたことを見たことがなかったけど、なーんだそんなことないじゃん、て誰か忘れたげと言ってた、初がいちゃいちゃ)。
そして2年になってちゃんと授業が受けられるようになって周囲から浮いたわけなんですよね、「無名」と厳密に突き合わせる方法がわからないのは私だけじゃないと思うんだ、なのでまあ、ざっくりと積み立ててく予定でいこう。

この辺のクラスメイトの証言ってのがどこで見たのか曖昧なんだよな、あの辺りの時代は文士が多くてさ、あと軽くだけ言及してる人が断片「だけ」挙げてるとさすがに覚えられない、上の目撃証言も確かそこしかなかったやつ。
なにかに反論したいわけではないので、資料元もいらないかしら(皆知ってるし)。


1月16日めも。


リアルタイムは11月11日、ここ数日鬼のように眠く、本日も昼に潰れていたんですが夜までになんとか復活、うーん、どうしたんだろう一体…。
でもだるがってる人自体はちまちま見掛けるんだよね。
ところで「明治の新聞事情」から「明治の新聞発展事情」へと改名しました、にゃ、前のWikiはページそのものの名前を変えようとするとゴミデータとして残って他のページに残り続ける感じだったんで(なんだろうなあの仕様…)、改名が簡単ならば、という前提でめっちゃ簡単だったしわかりやすかったので褒め称えておこう。
前に文章のど真ん中に広告入れたことだけは許してないけど。
小見出しと小見出しの間になって本当に良かったよ、ちょっと数が多いけどまあ私の場合はそこそこ別けてるからまあいいか。
いや、あれが通ってしまう経営体質がちょっとさすがに…。
(ミスとかなら別に気にしない。)

えーと、今後の真面目寄りな記事の予定、手元に手帳を持ってこないと進まないかな。
というか、あくまでもネットに載っている程度の文アルの各キャラの生年月日やその他簡単な経歴に関してのまとめみたいなページを作ってもいいものかしら。
新聞社なんかでも予備知識を付ける前にはさっぱり理解出来なかったけど、正直ほとんど知らない新聞社に関しても同業他社の知識を入れてからWiki辞書を読むと理解度合いが全く違ったからなぁ。
ぶっちゃけあー、これ、政党新聞か! なんて気づきは数年前には全くなかったろうしな、そういう意味で一旦作家さんのWiki辞書を写してみるかな。


1月17日めも。


えーと、ちょっと試しに調べてみよう、エドガー・アラン・ポー、1809年生まれの1840年逝去、文化6年…うわぁ、把握してないぞこの年号、亡くなった嘉永2年もいまいち…あー、あれか、短期間でくるくる変わってる辺りかここら辺。
世が荒れるとたまにあるのよそういう時期が、で、見覚えはあるけど順番がわからないみたいな。
文化6年生まれなのは島津斉彬、というと若干時期わかるかなー。
最初の近代人みたいな人よね、ここからわらわら実働部隊が育ってった感じの。
嘉永2年に亡くなったのは葛飾北斎ですね、あの人もイメージと違ってかなり幕末寄りの人なんだよな(寄りというか、幕末の人らが思い出のある人物として挙げてるみたいな感じ、北斎と関係あったの誰だっけ…黙阿弥だったかあの辺りの)。
なんとなくそう言われてるのを聞いてるだけだけど、ポーさんが最初でいいのかしら、世界史で言うと生まれる2年前にナポレオン1世の大陸封鎖(ロシアも参加)、亡くなる時点でアヘン戦争か。
イギリスは産業革命の辺りの時代かな、結構長いけどあれ。
というか、イギリス+1809年で検索してもろくになんも出て来ないわけだな(産業革命関係の法律しか引っ掛かんなかったんだよ)。
えらい時間掛かったけど、次誰だ一体…。

ドイルさんが1859年生まれ、1930年逝去。
キャロルさんが1832年生まれ、1898年逝去、あれ結構年齢離れてるのね。
ハワードさんが1890年生まれ、1937年逝去、享年49歳か。続く。


1月18日めも。


ドストエフスキーさんが1821年から1881年まで。
トルストイさんが1828年から1910年まで。
日本組の最年長って確か八雲さんだっけか、1850年から1904年、享年が54歳か、海外組のあとだと短く感じるな…(はわわさんのが短いけど、彼がわりと若かったのはなんとなく聞いてるしねー)。
あとは逍遥さんでいいのかな、1859年から1935年、安政の大獄の安政6年ね、ほらー、短いんだよーこの辺りー。
亡くなったのは昭和10年か、ちょっと想像より長かった。
次は鴎外さんでいいよな多分、1862年文久2年、あ、逍遥さんとは3歳違いか…微妙な、そして元号が短い、どっかで私年号って書いてなかったか。
1922年、大正11年死去、享年は60歳か。
こっからあとはゲーム関係の資料に頼ったほうがいいかな…。
誕生日に関して残しておくべきかどうか迷うんだけども、どうすべか。

ここに至るまでで9人だから、あー、ポーさんに関して2日分使うかな、いまいちあの時代に関しては自信がないけどね、ロシア組とキャロルさんはちょっと時代が被ってるのか、享年は無視って年齢順にしよう。
私あんまりちゃんと産業革命のこと知らないんですけども、誰が王なのかしらって調べようとしたのが間違っていたのかしら。
1837年にヴィクトリア女王の即位って辺りになるとわかるんだけど、となるとその前がナポレオンの時代になるのか、ピンと来ない(国跨る知識に乏しい)。


1月19日めも。


ありゃしまった、はわさんだけだいぶ離れてるので日本組のほうが早そうだなこれ、えーと美妙さんは確か紅葉先生と似た年齢のはずだから(この辺の時期って学年の概念がなくて曖昧なのよ)、あー、四迷さんかな。
念のため美妙さんも調べてみたんだけどやっぱりあれだ、慶応4年組だ、紅葉先生と露伴先生と漱石さんと子規さんがここだったはず…あ、忘れてたサッチーがいた。
えーと四迷さんが1864年4月でサッチーが8月か、ちょっとわかりやすいところで切れててくれて良かったかな、四迷さんが1909年の明治42年、サッチーが1913年の大正2年、キリがないので実際に打ち込む時に享年を書き込むつもりなんだけども、日本人文士って寿命短いよなぁ…。
作家なんてそんなものではって若干思ってたけど、他国の退廃的な生活してる人たちそんなに短くないじゃん、日本の長生き組くらい生きてる。
はわさんが「日本人文士と比べたら」特に夭逝でもないのになんだか若死にしていたような記憶があったのは彼らの文化においては十分短いからか、ううん複雑な…。

あと慶応4年組より年上な弟子とかもういないよなぁ、微妙に自信ないしその中での前後とかさすがに覚えとらんぞ。
あとそうだ、何人か誕生日が2通りある…。
というか一応日本人たちは両方載ってるのか、あり、ゲームってどっちに合わせてあるのかしら? おー、西暦換算になってる、まあ、そうでないとややこしいからなぁ。
さすがに順番わかりにくいので誕生日だけ書いておくか、いらないかな…(さすがに慶応4年組だけはどうあっても書くつもりだけどね5人いるからな!)。


1月20日めも。


日付けが越えて11月12日、そろそろ眠くなってきました、ていうかよく考えてみたらイギリス組以外はこの名目上の時期におらんかったんだっけ…。
うーん、どうしよ、なんかもうあくまでも建前でしかないし無視っちゃってもいいかな、どうせ毎回実際の日付けも書いてるし…。
いやでもそれをやると「今やってるイベント」をだらだらと書き込みそうでちょっとなという気持ちがあってなるべく止めてたんだよな。
それならついったで十分だし、私は正直実況はだいぶいまいち…。
あれは感情の動きを書き込むものだと思うからなぁ、感情が動くほどのことがあんまりないんですよね、どうにもだらだら解説しちゃうというか、詰まらん。
まあただ、Wiki辞書の内容をひたすら要約していったり、そういやこれなんの時期だろうみたいなことを詰め込むだけなら別にいいかな。
えーと、久米さんとこの三角関係についてと菊池さんの「無名作家の日記」と、小説掲載雑誌に関しての覚え書きと、だいたい主要新聞社10社が計画されてるから、て、タイトル概ねこのままでいいや。

久米さんの案件と菊池さんの「無名」に関しては10項目作らないとならないんだよな、10揃わないにしても挙げることはそんなに大変ではないんだけど、順序が、どうにも、うーん…。
久米さんのほうだと漱石さんの全集の話とか、噂話本の内容とか、あとあれだ、菊池さんの小説と松岡さんの随筆と、松岡さんの小説および久米さんの小説はとりあえず両方まとめてなにがあったかだけ書くとか…。


1月21日めも。


てか巌谷大四さんの本、どれを読んだかはわかるんだった、読書メーターで検索して、あったーー、「物語大正文壇史」1976年、ええええ、昭和51年?! てか、芥川と漱石さんが一応の(いやさすがに1年くらいだから)師弟関係ってことを私は全く聞いたことがなかったんですが、この頃には前提となるような時代背景に関して知ってる人が少なくなかったのか…。
久米さんの腹黒説がなんか妙な感じに入れ混じって生きてるのもこの時期だと仕方ないものがあるのかもしれない。
腹黒説から「なんでそんなわざわざなんの得にもならない令嬢を構うのか」を完全に省き、完全無欠令嬢にした挙げ句に生き残った腹黒説とか読まされたので頭ぐるんぐるんしてましだけども。
邪推ってもうちょっと礼節を弁えるべきだと思うの。
菊池さんのもそうだけど、元になる資料を並べるほうがいいのか。
資料をどうやって並べるのかはまだちょっと悩みたいところだけど、新聞社のほうを先にやってくかなぁ…。
どの道どっちにしてもずーっと検索画面出しっぱなしでぐるぐる行ったり来たりするんだよね、出来上がったら多分それなりに読めるだろうけど面倒臭い。

菊池さんだとえーと、あれだ、「友と友の間」はいるかな…、いや、これは久米さんのほうの資料なんだけども。
あとあれ、菊池さんがなんか漱石さんに含むところがあるみたいな案件が資料が近似値なんだよなぁ、おおおお、どうするか…。

(文或と近代もろもろ、178)
最終更新:2020年11月12日 17:10