雑記:文或と近代もろもろ、185


3月22日めも。


リアルタイムは12月3日、えっと、雑誌10種を書き始めたいなー、という希望があるのであと一応用意があるのでまず『国民之友』のWiki辞書を開き、開いて今読んでましたが、なんでこれ、文学史の人たち無視すんのかしら?
てか、鴎外さんと石橋忍月氏がどんぱちやってたのここか。
いやまああの、「舞姫」どうなんだよおいみたいなの…。
初めての評論とされている案件だそうです、義憤って気もするけど…(小説に対しての倫理感を問うのって大抵野暮だと思うけども、舞姫に限っては、そうだったんだ、当時の人たちそうだったんだ! みたいな誠意にしか取れないというか…)。
ちょくちょくこの紙面で起こってたことも知ってる名前も載ってるんですよね、私はまた戯作寄りの作品が多かったから無視されてんのかなー、と思ってたので正直だいぶ意外な感じ。
柳田さんの本なんかだと普通に出てきそうだしなー。
(そもそも文学史の最初の人たちは、歴史素養もあるプロの方たちに明治時代をお任せしていて分担しているので、文学史の後継者たちが明治に関してを一から考察し直したっぽいのは悪夢としか…、一というかゼロじゃん…。)

ただ、正直なところ雑誌に関して書いてある民友社のワードがよくわからず、対立する政教社ってのもよくわからない、てか、『日本新聞』って政教社の系譜ってことに…なるのかな、Wiki辞書に載っていたのを私が見落とした可能性もあるんですが、日本新聞に関しては前から見てたから、特にそれを主張してはなかったのかな…。
あ、いや、人名からの類推ですけども、ちょっと棚上げしておこう。


3月23日めも。


『国民之友』終了、一つでもいいから終わらせる目標だったのでまあノルマ達成ということで、並行してやってたCM読み込みが終了したのでまあいい感じかな。
内容がとっても薄かったんですけども、鴎外さんと忍月さんの論争みたいなの、いや論争って呼ぶべきなんだろうかまあいいんだけど、あれは別にこう、『舞姫』は別にこう、いいんじゃないかな明治の男安心したよ!! みたいな感情を長く語るべきでもないんだけども軽く触れたか程度ならありだし。
わりとそれなりに構成要素には触れてるので悪くはないんだけど。
残念ながら「民友社とはなんぞや」みたいな感じの内容になったのはさすがに薄かったのではないかと思います、読もうとしなかったわけではないんだよ、読んでみたんだけどその時点の私では駄目だったんだよね昔。
多分今読むと意味はわかるんですけども、なんだか若干「止めておいたほうがいいかもしれない」と感じる部分があるので止めておきます、深夜だからかもしれない、民友社と対立する政教社に関してはなんという括りで呼ばれているのか、ということだけ確認しました。
民友社が「言論団体」で、政教社が「政治評論団体」でした。
この違いがただ書いている場所が違うからであって本当は同じような団体なのかそうでもないのかはさっぱりわかりませんが、なんとなく違いはわからんでもないような気もします、政教社のほうが『日本人』とか『日本及日本人』出してる。

人気は薄いと評判ですが、国粋主義者の中では普通な人たちなので、繰り返すけど私は嫌いではないです、別に好きでもないけど。
だって南方熊楠載せてたり筆禍受けてたりすんだもん、マシなんだよ!!


3月24日めも。


リアルタイムは12月4日、今日の間には医者に行かないと薬が間に合わなくなってしまうんですけども、微妙にもう眠いです、でも今横になっても多分まだ眠れないんだよなー、せいぜい頭使ってから寝るのがわりと正しいんだよな…。
てか、ぺらっと『太陽(博文館)』のWiki辞書を開いてみましたらば「欧米に負けない総合雑誌を作るぞ」みたいな要綱を作ってらしたみたいで、なーんだ、世間一般にその単語が広まってなくてもすでに欧米にはその類型の雑誌があるって認識だったのか、なんだ詰まんねぇな。
にゃ、思った以上に「大正8年くらいまで雑誌のカテゴリとしては存在しなかった」という見解には信頼を置いています。
多分それは同時代の人が言わなきゃ思いつかないことだろうし。
その理由に関しては全然信用してないってだけね、同時代の人でもそこに関しては特に信頼するつもりはないですね、研究者のほうが遡るのは上手い。
ただ、〇〇はなかった、聞いたことがなかった、この時期が聞くようになった、という趣旨ならば同時代人のほうが上だと思うんだよね、まあそんな感じ。

よっしゃ、太陽は完成、てか、高山樗牛って主幹だったっけか、記憶が微妙だったんだけど、あの人亡くなる前にあらん限りの勢いで暴れてたけど大丈夫だったのかしら…大正中期に就職活動に行った帝大生が「すみません大学士はちょっと…(帝大卒業すると出る資格)」って樗牛さんのことを名指ししてたので、多分トラウマだったんじゃないかと思います、それ聞いた菊池さんはあんなん嘘だって拗ねてたけど。
そう思う気持ちもわかるけどすごかったんだよ…、相変わらず見てないね?!


3月25日めも。


あんまり気が進まなかったけど続けて『中央公論』、ぶっちゃけWiki辞書がだらだらと長い可能性を心配していたんですが、そういう心配はなかったようですシンプルすぎるな…、いや、中央公論なら別に困らないけど他の雑誌でこれだと困ったかも。
逆に言うとある程度のネームバリューがあるからわざわざ語るほどのこともないってことでもあるのかな、ポイントは押さえてあるぽいし。
まあ、ここが信じて任せた作家さん、結構大概な内容の書いてたけど。
読んでからしばらく信じていたんですが、説得力はあったし資料もあったし、だが時代背景としての雑誌知識が皆無に等しかった上、そこを想像で埋めてしまったのはなんというかちょっと…。
ちゃんと読んでったらすごくこう、覚えたことがいちいち邪魔だったな…。
まあでもそれがちゃんと公式の本になっていたので、ああうん、なんだ、仕方ないんだろうなとしか判断出来ないですね、どこで断絶したんだろうな歴史。
てか、さっきから言い回しが曖昧になってるけど中央公論って出版社あるよね? あるのはわかってるんだけどいつからあるのかさっぱり自信がなくて…。
今開いて読んでるページから簡単に飛べよ、流し読みじゃなきゃどっかに書いてあるんじゃないかっていう内心の声はあるんだけれども黙殺で。

中央公論終了、適当にやっつけたというか、やっぱり本のまんまになってるよなぁ、みたいな感じのことをそのまま書きました、内容が内容なので調べるところ調べりゃ普通に載ってると思うので…。
いや、確認取れないこと書くのはなんか嫌だけどね! 説の違いとかは放置。


3月26日めも。


で、次が『講談倶楽部』なのでさすがに寝ます頭が切り替えられないし!
講談倶楽部いつだっけか、あーと、明治44年か、そういや講談倶楽部が真似っこした「講談や浪曲の特集をやっていた雑誌」を文章倶楽部かと勘違いしていたんですが、文芸倶楽部ですね文芸倶楽部。
〇〇倶楽部って雑誌名だけど倶楽部系じゃない雑誌は二つあったか…。
てか、どっかでこれ勘違いして書いていた可能性を考えようかと思ったんですが、文芸倶楽部と文章倶楽部を両方知っている上、その性質の違いを知らない人という極小の範囲にしか迷惑にはならなさそうだったので考えるのを止めました。
近い時代を読んでる人が、あ、釣られてたって思う程度の実害くらいしか物理的にすら存在しなさそう。
あ、真面目な記事が増えるとなんか知らんけど見る人は増えるんだけど、少ない時点では増えないのよね、だらだら書いてる雑記を読んで欲しいとは別に思ってない。
理屈わからんのですが、かなり別系統を溜め込んでてもそういう挙動が。
あれ不思議なんだよなー、なんかのAIとかなのかしら(html直打ちサイトで日記スタイルで書いてても人どかっと増えたんだもん、不思議がりもするよ)。
(しまいにゃ創作の歴史ネタがWiki辞書に載ってた、それっぽく書いたよそれっぽく書いたよ!! みたいに悶えた、今は消えたかな…、当時は本を元にするってのがそんなに厳しくなかったんだよね。)

あ、文章倶楽部は素人投稿主体の雑誌、講談特集は、やんないかなぁ、素人に講談を書けってのはさすがにこう、なんか違うかな、いや微妙かな…。


3月27日めも。


リアルタイムは12月5日、わりととっとと駆け抜けて寝たいなというのが希望なんですが寒いし、『講談倶楽部』のWiki辞書のページは大変に読み応えがありました、なんかちょっと満足しちゃってるし、司馬さんもここから出たのかしらね? 一応懸賞小説に引っ掛かったのは信用してるんですが、にゃ、そこがスタートの人とそうでもない人っているじゃないですか、戦後はいまいちわからないので…。
戦後もあれ、取次とかなら少しわかるんですけども。
いや、そういう出版業界の戦後みたいなシリーズがあってね、出版社ちょっと忘れてるけど、戦前はメインではないながら「戦後の事情が戦前に源泉がある」みたいな場合は戦前の著者さんに依頼出してたりしてあのシリーズも良かったんだよな。
あとあれ、貸本屋は戦後は漫画メインだったようなんですが、私はどちらかというと明治時代の学生がよく来る専門書を中心にした貸本屋のイメージが強く、図書館に対して無料貸本屋という揶揄があった時に小首を傾げていたこともありました。
一応戦後の貸本屋も聞いたことはあるんだけど、明治のイメージからの継続というか、そもそも漫画に転向された方が地方文献メインのがっちがちの学術的な店だったので、トータルで考えて揶揄に使われると微妙にわからなくなるんだよ…。
(その漫画に転向した人がシリーズの1冊だったってことね。)

とっても話がズレましたが、この時のために平行でこっちで書いているのでなんの問題もありませんし、普段書いてるもんがこんだけブレまくってたらそりゃ読めねぇよとさすがに反省しました、だが、こういう思考回路であることを反省するのもなにか違うなと思うのでこのまま継続して書いてく感じで。


3月28日めも。


『講談倶楽部』に関して書き直し。
以下抜粋部分。
≪明治44年に創刊、てか、「講談社」ってのはこの雑誌が作られた時点での仮の社名だったようです、もうちょっと長い名前だよねなんか、そもそも野間清治って人が『雄弁』って雑誌を作りまして、まあこれがかなりお堅い感じの、帝大関係者の論文を集めたみたいな雰囲気なんですが、そこそこ好調でした。
そこに持ち込まれました講談の専門雑誌の話があったようで、そこで立ち上げたのがこの『講談倶楽部』、Wiki辞書の解説だとやっぱり三遊亭円朝の怪談本なんかは講談扱いになってるよなぁ、詳しい事情がわからん…(円朝さんは落語家ですね、落語って扱われてることのほうが多いと思うけどたまに講談扱いのも見る感じ)。
まあ円朝さんの本は売れてるし『文芸倶楽部』っていう雑誌でたまにやる講談や浪曲の特集号もだいぶ売れてるとのことでそこに商機を見出したってことだろうね、なんで上記程度の好調とはいえまだ微妙なサイズの出版社に持ち込んだのかは不明ではありますが、関係編集者たちは雄弁と講談倶楽部と両方の名刺を持っていて、講談倶楽部の名刺を出すとだいぶ微妙な扱いになるので出したがらなかったって案件で感じるところはあるかも。
あ、雑誌の境い目や誰が編集長であるのかは結構曖昧なスタイルだったようです。
ところでちゃんと会社名を把握すべきだと思う、えーと、大日本雄弁会と講談社だそうです、なんか合体した名前も名乗ってたの見たことあるな…。≫

内容に問題はないです、長文すぎて黒すぎて読みにくい…、これ書いてる間に事情を把握したのでもう一回整理して書き直します所存…。


3月29日めも。


講談倶楽部に関しては普段よく語られている講談師と縁を切って新講談でなんとか始動を始めたよー、みたいなところは書かずに「大日本雄弁会」と「講談社」をメインに触れてみたんですが。
あと、人名いつも有名人くらいしか書かないけど野間清治さんに関してをちょぴっと、講談社の場合は社長のパーソナリティが必要かなー、という気がするので、覚えておいたほうがあとあと楽だし。
中央公論も地味に社長が重要だけどね、重要というか編集方針に一言あったりするのでたまに顔出すんだけどね、この長さの文章に入れるほどではないからな。
というか、岩波書店の娘婿と、文藝春秋の三代目社長と、中央公論の社長の息子とでわりとつるんでたって聞いた時はおう?! となったよね…、特に後者二人が仲良しで周囲はてっきり同世代だと思い込んでいたようですが、確かに、先輩のことを二人してからかうなんてところを見ていて年齢離れてるとも思いにくいよね…。
下手すると逸話にも登場してるのに編集者だと認識しないっていう罠が…。
ていうか社長よりも編集者優先です、影響力のある人を重視していく方針です、たまに誰が影響力があるかわからないことがあるけどね毎日(日日)新聞とか。

じゃなくて、次はえーと、『主婦之友』か、わー、2008年に廃刊か、書いてもいいけど書かなくてもいいかな…(戦後には之がひらがなになってるよ)。
てか、「付録十年戦争」って初めて聞いた! へー、てか、実業之日本社の社長が仲裁に立って講談社社長との間で自粛協定だって、あと、180万部って認識してたけど163万部か、付録が理由でござったか…なるほど。


3月30日めも。


『主婦之友』終了、内容がちょっと偏ってたのでわりとそのままになってしまいました、あ、思想には偏りとかないですよ、書いてある項目が限られていたの意味です、ていうかここのWiki辞書、冷静だよなー、事実だけでちゃんと読める内容になってる。
と、思ったら参考文献に尾崎秀樹さんの本があったよ、女性との連名になってるんだけど多分女性のほうが婦人雑誌の専門なんだろうなー、秀樹さんは婦人雑誌はあんまり強くなさそうだったしな、ぶっちゃけ、大衆文学と婦人雑誌に関係性がなくて今の時点で両方そこそこ読んでますけども「どこが組み合うのかよくわからん」て感じなので、ちょっくら本を読んで来たいと思います、てか、もう一つの参考文献文藝春秋だ! ハイカルチャー以外を読むなら岩波か文藝春秋が頼りになるよなやっぱり…。
(特定のジャンルにおいて強い出版社さんは結構あるものの、「ハイカルチャーではない」を全体的に扱ってるのはこの2社なんじゃないかな、他にあったらすみません、ていうか他にあるなら知りたいけど。)

あと、主婦之友で小説掲載が載ってないと思い込んで別のことを書いてしまってきていたので捻じ込んできます、牧逸馬と小島政二郎だってー、昭和7年から載ってたらしいんですがこの時点で部数が10万部だって(小説が終わると落ちて別の連載で戻って、みたいな、結構お金掛かりそう)。
どんなもんなんだろ、正直、部数って比較してるものがなくてさっぱりわからないんですよね、全部純文学が売れない、すなわち出版業界の暗黒期であるって帰結しちゃうんだもん、ただ単独で語る本には書いてあるからな…、とにかく面倒だよなこれ。
『婦人公論』とか20万部って時期を聞いたことあるけど、んー、比較欲しい。


3月31日めも。


んーと、次が『改造』か、まあさすがに一気に3項目書いたのでこれで寝るつもりなものの、この雑記のページに関してはあと1日分なので書いてからにしたい所存。
あとあれ主婦之友のWiki辞書にあった参考文献を書き写してました、秀樹さんが関わってたほう、よく見たら「主婦の友社」の本だったしねー、どんな内容かしら。
にゃ、出版社が直接関わってるからって期待してるとは言い難いんですが、秀樹さんと出版社本体が組む場合はどんなになるのかはちょっと興味があるかも、あ、いい方向に行くと限ったものでもないことは把握してますが、ぶっちゃけてハイカルチャーは資料がめっちゃ少ないものの、それ以外のジャンルは売り上げが重要視されるシビアな世界観である関係上、だいぶ資料が多いんだよね。
なので正直、純文学関係の人たちが戦後に「そこだけ」取り急ぎ書き残していったのもそんなに違和感はないんだよね、その後、そこだけを超絶拡大解釈し、そこにないものを歴史から消してくとかやり始めただけで…。
繰り返しますけど資料が残ってるので、普通にその資料を掘り返していると卑怯だ!! と袋叩きに遭うみたいな世界観のようです、小出版社研究の人がやられてて戦慄が走ったもんだよ、「卑怯」の内訳ってなんなんだろあれ…(意訳してない)。

そしてそっちの出版社資料から見ると「純文学作家いるの?」になるのは私も経験しました、存在確認しやすい人ほど馬鹿にされてるし、探すのに1年半掛った人は天上の作家と呼ばれてました、残ってた分との整合性は皆無だったよ!
素人が探せるものをないって思い込んだのかなぁ、てのは邪推です。
ないから勝手に作る時点でどうかと思うけどな、売り上げの世界は諦めようぜ。

(文或と近代もろもろ、185)
最終更新:2020年12月05日 04:49