文芸:文アル登場作家、その3。209
徳田秋声。11月17日。
ええと、明治4年生まれで旧暦だと12月23日、にゃ、一応文アルのゲーム基準にすると新暦換算になってるぽいんですが、気分です、新暦への切り替えは明治5年から6年に掛けてって表現するのがわかりやすいかな。
てか、加賀藩家老の家臣の家ってどの程度の家なんだろう。
ぶっちゃけて一番下には半武士みたいな農民に近い層がいて、有り体に申し上げるとそっちに近いほうがよっぽど裕福です、マジで、だが家老なんかの家は藩主と行動していたりするのでまたちょっと雰囲気違うみたいだけど。
かなり貧乏そうなので上級藩士かなぁ…(もともと藩で役職に付く訓練しかされていなかったところにその藩のほうが蒸発しちゃったって捉えるとわかりやすいかも)。
あの、Wiki辞書の彼のページ、めちゃくちゃ長かったんですが、作品タイトルを並べたところが一番長いみたいです、とりあえず、「さすがにど新人並みの金額で原稿書かせるのは問題なのかも…」と編集者に言われていたとは思えないような重厚な内容で…。
あとあの、荒れ放題の家で娘さんはまともに嫁に行けるんだろうかということが広く業界の心配事であり、若手トップの横光利一の弟子と結婚した時点で大勝利! とか…。
なんだろうね、業界の名物おじさんみたいなものだったのかな、とりあえず彼の自宅は博文館という当時の有力出版社は歩いて行けそうな距離で、ついでにプチ文士村と呼ばれていた菊富士ホテルも近かったです(作家に下宿割引とかしてた)。
尾崎紅葉門下の四天王最弱スタート、家庭小説で生き延び、自然主義に数えられ、ひよひよと低空飛行をして軍部には確かに空気読めない感を炸裂させてました、後輩作家の生活の面倒は見てたみたいです、なんかそれはわかる…。
島崎藤村。11月18日。
明治5年生まれ、旧暦で2月17日生まれ(新暦だと徳田秋声と同い年、旧暦だと一年違いか、ここら辺作家の生年がが団子状態なんでどっちで書かれてることもあるみたいね)、で、んーと、郷士身分で本陣、庄屋、問屋ってあるので名主なんかと近い身分だよねすみませんこの辺実例でしか知らないのであやふやなんだけど。
大雑把に最下層武士みたいな感じですが、農民トップクラスみたいな。
上級武士よかずっと裕福です、なんか、変な人多いけどね…武士にはああいう家系ってあんまりいないんだけど、どうも血が濃いみたいです、ああ、なるほど本陣…(横溝正史的なあの)。
ところでお兄さんの一人が半分犯罪者って言われていたので何事かと思っていたら大陸に渡って商売を起こしてました、そんな、扱いなんだねこの時代!!(否定しない)
自然主義で重く扱われてるっていうと島崎藤村か正宗白鳥って感じで、作家としてならこの藤村氏みたいですね圧倒的に、『夜明け前』という晩年近い頃の作品など特に関係のない編集者を読んでいても編集者ネットワークで「新作着工!」みたいな伝令が流れており、これは重鎮…、と深く納得しました。
まあ、ごってごて盛りの文章でこの作風でこの文体! 耐えられない!!
みたいなことを言われていた側にどちらかというと加担するのですが、ものすごく無茶苦茶これでなきゃならないみたいな人にもわりと理解出来るものはあります。
私の主観ですと「イラストで見たい描き込み多すぎて落ち着かない漫画」みたいな感じです、詩人って知らなくても言われた途端に納得したと思う。
血の狂気に創作で抗った人という中村武羅夫の表現が一番好きだな、人生お疲れ様。
岩野泡鳴。11月19日。
んーと、明治6年生まれで1月20日、素晴らしいですね、新暦始まってすぐじゃん、これ以降は新暦表示しかないわけだ、何年に亡くなったか知りませんでしたが大正9年に死去か、思ったより早かったな、享年47歳ですね。
あ、享年は書いたり書かなかったりします、というか、この人が芥川に絡んでいって芥川にお前が売れてるって聞いてるけど大したことがないだろう! とマウント取ったら芥川のほうが多く、あのでも、僕より上が、と言われ、「世の中のやつらはわかってないからな」的に返したという逸話があるらしいんですが。
何故かこの逸話から漂う清涼感が好きです。
なんだろう、芥川を見下ろしているのに適当なことを言ってるのに嫌な感じしない。
てか多分、パクられて裁判やってた頃ですよね、芥川と会ったの。
だいぶ劇的に部数が跳ね上がってたぽいからなぁ、業界人…。
で、もうちょっとその恩恵を受けられたのかなと思っていたんですが、どうも大正8年前後から始まりました総合雑誌ブームから始まりましたため、うん、そんなに長い春じゃなかったのかな…。
あと男女で女に浮気を訴えられて離婚てことになった時、日本の男って普通女を責めるじゃないですか、今よりずっとその傾向が強いはずにも関わらず、裁判所まで含めて全てが嫁の味方をしたエピソードもなんか好きです、なにもかもが正直だからかな…。
詩人出身の自然主義作家、正直お世辞にも良識はないんだけども、周囲の人が普通に抵抗してて実害がなさそうだし、なぜか女性運動家のとこにもいる。少しわかる。
作品もそんな感じぽいですたまに褒められてる、嫌味が、下手なんだろうな…。
河東碧梧桐。11月20日。
かわとうへきとうご、じゃないよ「へきごとう」だよ! 記憶はないですが多分前から間違えていて何度か訂正してるはずなんだよ、たまにあるよね!!
明治6年2月26日生まれ、昭和12年没で63歳。
Wiki辞書のページを眺めているのですが、明治35年に新聞『日本』を亡くなった子規さんから受け継いだあとは新傾向俳句に走り、明治39年から明治44年に掛けて全国行脚を行う。
で、昭和8年に引退、昭和12年に身体を壊してそのまま死去、みたいな感じに、私が略してるだけじゃなくてこの内容の詳細しか書いてないですね。
ところで私、藩校の教授の息子さんっていう身分の方初めて見ました、新聞記者も含めて文士では見たことないってなんか不思議、全国に結構な人数がいたろうに…、それともこの家の方たちはわりと素直に教育の道に行ったりしてたのかな。
明治に入っての数少ない知的エリートなので、まあなんらかの地位には着いてると思うけどねー、明治政府人いないし、どの分野にいるんだろ。
あとあれ、子規さん関係の本を読んでいると海軍中将である秋山真之か文学関係者か大抵片方しか語られていないんですが、初めて両方書いてある文章を見ました、にゃ、純粋に碧さんも普通に先輩付き合いしてたみたいですね、つか子規さんよか出会い先か。
虚子さんとは中学校の同級生で、野球を通じて子規さんと知り合い、虚子さんを誘って俳句を習うことにしたってことかな。
この時点でまだ虚子さんは高等中学生なので(のちの高等学校)まあ子規さんはアマチュア文学青年みたいですね、一番弟子ズなわけだな、自然だわ。
泉鏡花。11月21日。
明治6年11月4日生まれ、昭和14年没で享年65歳。
そういや映画で鏡花ブームが起こったって聞いたことがあるんですが、時期がこれだと当人が知ってたのか知らなかったのか正直わからんな…、なんか自然発生のブームだったぽくて流れでしか知らないんですよね、あんまり離れてはなさそうだけど、また微妙にどっちが先かわからない。
まあ、遺族のほうが頼みやすいくらいはあったかもしれんけど、死後もある程度続いてることは間違えなさそうなので。
それと新派関係の本を読んでるとちょくちょく出てくるので、舞台化は定期的にしてたぽいですね、いや、その本ではあくまでも新進気鋭の演劇関係者を触れてるだけなのに鏡花がずらっと並んでたので(あと逍遥さんとか)。
もうちょっと地味なところだともっとたくさんあったんじゃないかな。
で、「自然主義と対立していたのかどうか」ということだと、『新小説』の自然主義撲滅運動とかやってた編集長と友人関係で、作家で普通に参加していたのは鏡花だけです(あと赤門の三流文士ども☆)、みたいなことがぺろっと語られていたので別に疑っていなかったんですが。
懇切丁寧にそう言われていたがデマなのだということを解説している人もいたりしたのでまあなんだ、いろんな人がいますよね。
多分あれ、悪気とかじゃなくて新小説が「それ」以降、急激に存在しているかどうかわからなくなるので時期を絞らないと読めないせいじゃないかと思います。
紅葉門下時点で川上音二郎に無断使用されてるしな、舞台化はガチ常連。
高浜虚子。11月22日。
明治7年2月22日生まれ、昭和34年没なので(享年85歳)、戦後14年後まで生きてたのか、戦時中に名前を見た覚えがなかったんですが「日本文学報国会」の俳句部長…ああ、これは「日本俳句作家協会」という昭和15年に出来た会が翌年には改編されていたということのようなので、合体してたのね。
だったら単純に見落とされただけで表に出てる勢との話し合いもあったかもね。
(むしろ「表に出ていない」菊池寛て可能性もあるけど、彼は立ち上げ時点で主導しているのに当人は役職をパスしてる、若手なんかは書き残してるね。)
Wiki辞書のページは悪い内容でもないかと思うんですが、なんだろう、私、新聞のコーナーや雑誌を担当すると人気が出るって認識していたんですよね、虚子さん。
見事にそこだけが穴あけになったみたいな内容なんですよ。
こう、そこが低く見られる原因みたいなところはあったんですが、なんだろう、人気を求めるあまり低俗になるとかそういう理由でないなら人気そのものを省いて語らないほうがいいような気がするんですけどね。
というか、私はそこの人気の理由(雑誌の歴史見ててもものすごく露骨に彼が担当した途端に部数が上がり、去ると落ち目になってる)の分析して欲しいんですけどね、にゃ、知名度って意味ではさすがに子規さんのが上だろ、子規さんは当時から普通に俳句リーダーとして与謝野さんクラスの知名度だろう。
あとあれ、『ホトトギス』は漱石さんの「吾輩は猫である」を掲載していたことで知られているんですが、その前後から小説に熱中しており迷走、俳句に根本を戻したとか、漱石門下の人材を国民新聞で受け入れたとか気になるんだけどなぁ。
有島武郎。11月23日。
明治11年3月4日生まれ、大正12年に死没、享年45歳。
ゴシップに関しては「心中相手とは恋愛関係などではなかった」と熱心に語る人を見たことがあり、どうも重厚な作品で知られるってイメージのようですが。
ぶっちゃけまして新潮の社長の扱いがいささか。
島田清次郎と似たような扱いをしていたのではないかと本で見たことがあったんですが(同時期に売り出したい若手作家がいたため、前座として使い潰したというか)、確かにいろいろ見てると違和感はないな、という印象。
そもそも国木田独歩の逃げた元妻の作品で名前が売れてるからなぁ…。
(この案件、若者には受けがいいんだけど年配男性の扱いが最悪なんだよね…、身分高い女にする態度ではないよな…。)
そういう意味で正直苦手だったんですが、どうもこれ、彼女の立場を借りて自分のことを書いているということで評価は固まっているようです。
最初に見た時はこれもびっくりしたけどね、マニアックだな!
で、さらに「白樺の時代」もどうもこの有島さんの一般人気を指すらしく(大正8年くらい、新思潮の零落ということが一部で語られていた時期のようです)。
煤煙(漱石門下の人の実録心中小説)や新思潮の三角関係関連作品なんかの系譜として捉えられたのではないかな、と思ってるんだけどどうだろう。
いや、とにかく重厚なイメージみたいで、ちゃんと語られてなくて…。
『種蒔く人』を媒介にしたプロ文との関係も中間作家(創作ありの自伝風)との絡みも込みで語ってて欲しいんだよな、あちこちに説が散らばっててね…。
正宗白鳥。11月24日。
明治12年3月3日生まれ、昭和37年死没、享年83歳。
んーと、網元の家の人みたいですね、初めて見たな、だいたい本陣とか名主なんかと同じ括りで捉えてるんだけど別に自信はないです(近代の建築物なんか見てるとこの層が多い)、まあ田舎にいた完全識字者ってやつではあるよね。
デビューが明治37年だから自然主義の台頭よりちょっと前かな、その後、『読売新聞』の記者として働き、明治41年に作家に専念するために退社、と。
読売新聞だとあれですね、硯友社と袂を別っているので自然主義寄りの新聞って認識で良かったはず、漱石さんにアプローチをするためにお使いに出されてたりもしますね。
(対面した漱石さんによると小説は認めてなかったぽいよ、白鳥さん。)
あとあれ、作品評論すっごく上手いです。
ただ、本にまとめられてしばらく時間が経っていたりすると立場がころっころ変わるのでどれが本音なのかさっぱりわからず。
ついでに作家論を語ってくれてるんですが、とりあえずきちんとした経歴を把握したあとで推理を展開されたほうがいいような気もします。
トルストイの真実を暴露みたいなのも、天から降りて来た内容ぽくて…なんとも、作品論はある意味で流されやすいほうが上手いのかもなぁ、とちょっと思わないでもなかったな。
『中央公論』の編集者の本を読んでいた時に大正後期くらいの戯曲ブームの頃に「白鳥氏が戯曲に興味を持ちました!!」みたいなことが編集者ネットワークで伝わって来ていたので、扱いは良かったんじゃないのかな。
作品は、語られているのを、一度見たことがあるくらいですかね…。
永井荷風。11月25日。
明治12年12月3日生まれ、面倒なので戦後まで生きておいでです、長生き組です、というか
『東京人』とか下町の本とかでたまに出てくるよね、ファンとアンチとがばっきりと別れてまして、ファンは正直ネタがそこまでバリエーションがなく、評価がそう高くはないんですが、アンチが愚痴と非難だけでマイナーな土地のページをみっしりと埋めているので圧倒的にファンのほうがマシですね!
ただ、なんというか、薄っぺらい下町趣味だなー、とは思いますね。
それと明治後期くらいを壮年で活躍時期にしている文化人を見ていると時々出てくるんですけどね、なんか、好みで勝手に改変紹介とかするらしいです、いつもはわりともごもごと怒られてることが多いんですが、「この方向性に盛るのはオッケー」みたいな感じで明確に改変部分が語られていたことがあり、有名だったんだろうな、としみじみ。
黙阿弥さんの本が一番辛辣だったんですが、歌舞伎舞台の辻褄を消して見栄の部分だけを残して改変するということが語られており…。
なんとも言えない読後感でした。
芥川の批判もスタンスのわりに軽薄みたいなこと言ってるよな、うん…(荷風さんの本以外で読んだことはないんだけど、荷風ファンはやはり良識がある)。
が、それが作品にとってマイナスかどうかは別の話だよな。
私は趣味ではないんですが、ファンの人たちが彼の中にある狂気めいた部分を踏まえた上で愛好してるなら立派に一芸よね。
ところで慶応講師時代に完全に政府の槍玉に上がってるんですが、それを「素行が悪い」で済ませる本が結構多くてちょっと、まともに読みたいなあれも…。
小川未明。11月26日。
明治15年4月7日生まれ、戦後16年くらい生きてますね長生き組。
てか、修験者の父親って初めて見ました、神道系の人ってことかな? 春日山神社を建てるために奔走したってこの時点で面白いな。
生粋の早稲田っ子ぽくて逍遥さんやら島村抱月などの授業を受けており、同級生に相馬御風さんがいるのか。
明治37年の時点で『新小説』に作品を発表してデビュー。
あー、ひょっとしてここから数年で自然主義が台頭していまいち目立たなくなるってことになるのか多分、とはいえ、早稲田文学社に属して編集者として働いていたようなので生活に困ることはなかったのかな、ちょっとこの辺は白鳥さんに似てる。
で、大正5年の「遊蕩文学撲滅論」の時点で漱石と小川未明だけは関係ないよねって言われてたらしいよ、あれも確か漱石門下の人がやったんだっけ。
この手の文学派閥の攻撃は正直評価が低いことが多いんですが、この案件に関してだけは「一理ある」って言われてるやつだよなぁ(だがその言いだしっぺの当人はその後さして鳴かず飛ばずぽいけど)。
そのあと大正14年に早大童話会の立ち上げメンバーになり、こっからはその会のページを見てるんですが、なんか政治傾向になってしまったので未明さんは攻撃されていたってことになるのか…、この会初めて見ました、農民文学に近いのかな?(社会派傾向のある作品群、未明さんがカウントされてることもある)
生活が苦しかったっての、短編ばかりだからってのもあるのかしら?
普通にお仕事は淡々とやってるぽいからなぁ、あくまで芸術論争ぽいし上の。
(文芸:文アル登場作家、その3。209)
最終更新:2021年04月14日 22:56