雑記:文或と近代もろもろ、199


8月19日めも。


リアルタイムは2021年3月5日です、ノルマは今日も特に内容がない感じで1日分の予定です、とりあえず、机に斜めに座るとそこそこいいような気もする、いや、真っ直ぐ座ってるとどうにも背筋がくにゃんとなりがちでね…。
あとあれ、部屋の籠の上に置いて寝床の枕元に座って使っていたパソコンをリビングに持ってきました、食事をするには明らかに狭いので仕舞い忘れないようにしないとなぁ、あと、Windowsの立ち上げ時点でパスワード忘れ画面に頻繁に飛ばされるようになりました、更新する前にも確かに似たようなことはあったけど、「あ、やらかした」というはっきりとした感触と共にだったんだけど、なにが変わったからこんなことに…。
とりあえず、入力窓より上めでクリックするように心掛けよう。

て、ここまで打ち込むのにだいたい4分くらいです、あと5分くらいで農園ゲームを立ち上げないとパンこうぼうが…。
一応この名目上の日付けよりもだいぶあとに生まれましたね、あれ。
このゲームも初めてからどのくらい経ったものか、記憶がもうない。
歌舞伎に関しては多少は見てみようと思ったんですが、項目の辺りをざっと流し見ただけで終わりました、なんかまだ思い出していない模様で。
せめて向き合って読み上げて首を傾げるくらいにはなりたいんだけど。
なんかこう、ちゃんと計画的に物事を進めようとすると忌避するのってあるよなぁ、二次小説書くのですら途中で飽きて、「他の二次創作を書きたくなる」のはなんなんだろうか本当に、しかも違うジャンルならまだしも、同じジャンル!
短期間で成果が戻ることをやりたがってるんだろうなぁ、本能が…、精進。


8月20日めも。


3月5日引き続き!
で、一応ちゃんと歌舞伎の雑記まとめを読み直して、内容がとても惜しいので書き直し予定で以下削除分。
≪さらにそこから近隣の堺町へと移転。
これは事情が書いてないものの、堺町が他の芝居小屋や浄瑠璃や人形芝居が集まっていた土地らしいのでその関係なのかしらね、隣の「葦屋町」まで含めてそういう土地だったようです、道を挟んで二つの町に展開していたと、どうも本気ででかいな芝居小屋…。
ちょい遡って1634年に堺町、じゃなかった隣の葦屋町のほうで立ち上げられたのが村山座、ここが経営不振になったために権利を買い取ったのが江戸三座の市村座か。
これ、猿若座(中村座への改名前)と2年しか離れてないのでむしろ猿若座を慕って作られたんだろうな、ちょっと離しておいたらそっちにむしろそっちに芝居小屋が集中したのかな、小芝居の玉川座、古浄瑠璃の薩摩座、人形劇の結城座などが周囲に展開。

猿若座の移転の時期が1651年で、江島生島事件の1714年の芝居小屋の施設取っ払われる前か、てか、寄り集まってるせいでますます警戒されてるような気がするよなぁ、チャンスを逃さずに規制されたのもわからんでもないかも。
て、1651年の小規模移転の時点で中村座へと改名してるんですが、猿若勘三郎を贔屓にしてた徳川家光が死んだ年だな…、念のため距離を置いたかなぁ。
てか村山座から市村座になったのが1952年、向かいに来た中村座のせいかなww≫
内容はいいんだけど、書きながら気付いたせいでごっちゃになってるんだよね、再構成してちゃんと書けるかわかんないけどね!!


8月21日めも。


書き直しました、正直書いてる間に「幕府…少し君の気持ちがわかるような気もするよ」みたいな気持ちになってました、あと、ちょっと離れた土地に作られた歌舞伎小屋のお迎えにどーんと引っ越した中村座の気持ちもいまいちよくわからない。
中村座の座長は生前は猿若って名乗ったままだったそうなので(死後中村と呼ばれるようになったそうですが、まあわかりやすさのために仕方ないよね、ちゃんと死後にって書いてあったしそれでいいと思う)、少なくとも座長の意思と完全には連動してはなさそうだしなぁ、とも思わないでもないしね。
実家の中村って名乗っておくか、みたいな簡単な話ではないのかもね。
ただ、女取り合ってたことで有名な遊女歌舞伎ならともかく、猿若に関してそんなに嫌わなくてもって思わないでもないんだけどね、物真似ってそんなに駄目なものかしら…、いや、猿若ってのは阿国歌舞伎の存在なんだっけ…。
阿国さん、江戸城で踊ったあとどこ行っちゃったんでしょうね…。
ひょっとしたら江戸城の関係者も「その後消えた」と認識していたのかもしれないなぁ、いまいち消える理由とか思いつかない、誰になんの得があるのよ。
ぶっちゃけ嫉妬で消されてしまったとしても、普通に数多の権力者の後援のある阿国たちならそう書き記せばいいし、逆に無礼打ちされていたとしても、「それを隠さなくてはならないほど」には偉いってこともないだろうし、徳川そんな短気でもないじゃろ。

いきなり消えてしまう理由が本気でわからんよな…。
で、なんか嫌だなって思われていたとしても、正直、人間として仕方ない気もします、全部妄想なのでこっちで書いておこう、つか、項目にならんこんなん。

8月22日めも。


3月5日引き続き、こっからはさすがにWiki辞書と再度睨み合わなければならず、ぶっちゃけそろそろ寝ることを視野に入れたいので今後にしたいんですが、明日またパソコンを立ち上げるかどうかはちょっとわかんないんですよね。
ただ、無理をせずに途中で止めるほうがまだしもちょっと確率は高いかな。
あとあれ、パンを作ってますね、農園ゲームで、パンは5分で焼きあがるのでちょっと目が離せないんですよね、でも立ち上げっ放しにするとちょっと電力消費が激しくて、起動にはそんなに時間掛からないんだけどもこう。
なんというか思考がそれぞれ独立してないなー、としみじみ。
まあ本当にこんな感じに物を考えるんですけどね、文章も規律を保たないとこんな感じ、本来そこまで文章がわかりにくいわけではないんですよ、限られた条件下だと本当にわりと書けるし、ただしそれがあんまり楽しくないんですよね、モチベーションが保てないんですよねどうにも。
楽しく書くとこんな感じなんですよね、読む側が苦痛なんですよね。
謙遜とかじゃなくて、本当にぐちゃっとしてますよね、切れ目がわかりにくいというか、いや、自分で読んでも数日くらいで意味取れないこととかあるし。
面白い時は妙に面白かったりもするんだけど、思考まんまだからね。

反省したのではなく、あかんことをがんがん他所に流し込みながら本体部分を仕上げるみたいなこのスタイルはやっぱり悪くないですね、なんでそれを忘れてたかなぁ、読み直したら本当に最低限の混乱しかなかったし。
それを引き上げて没部分も無駄にせず、他所へ、うん、微達成感ある!


8月23日めも。


リアルタイムは2021年3月6日、一応これで3日連続に、なるのかな? いやまあ一昨日は…違うな、4日連続で昨日初めて真面目な雑記を訂正する気になったところでしたね、本日は文アルを閉めてあとちょっとなとうらぶを開けています。
明日は逆にするかな、とうらぶはそろそろそんなに焦らなくてもいいような気もするんだけど正直期間がいつまでか把握してなかったな、大阪城から出るのが面倒なのでまたあとで確認するつもりで。
にゃ、1階終わったところで出ればいいやんとも思わないでもないんだけど。
なんか今そんな気分じゃないのよね…。
計画性よりも優先されるべきはモチベーション!! あ、サボってて再開する時とかは残り日数を見て「どこまでで妥協しよ」みたいな計画が必要ですけども。
ゲームは欲しいもののために戦う以外で計画性なんかいらないよね。
脳死周回が楽しい時にまとめてやればいいのよ、どうせ新キャラだってゲーム用具だってあとから取ることが不可能でもないし、なんなら無視でもいいし。
モチベーションが最優先じゃなきゃ得る満足感と釣り合わないよなー。

で、こんなことだらだらと打ち込んでる間に一日分は終了しました、とりあえず大阪城は91階です、日付けに余裕があるようならこの階で終えてもいいんだけども、なんとなく続けたいなー、という間は続けます。
Wiki辞書開かないと真面目な雑記のほうは書けないんだよね、なんだっけあれ、確か…江戸三座のページを見ながら書き進めてたっけ、次の項目は「木挽町」です、歌舞伎座があるんじゃなかったっけか、移転したのかしら、もとから?


8月24日めも。


3月6日引き続き、あれなんですが芝居小屋がなんか主に2箇所に別れてたんですよね(猿若町に寄せ集められるまでですけども)、その非主流の場所が木挽町なんですが、今もあれ、歌舞伎座がありますよね。
ただ、この木挽町って名前は確か木場って意味なんですよね。
いや深川ってあるじゃないですか、岡場所だった、辰巳芸者とか呼ばれていたあの、基本的に木材って海に浮かべていたらしいんですよね保管のため、で、そこから引き揚げて作業するみたいなの。
まあ時代によって機能が少しずつ変わってるのでそこを厳密にするつもりはないんですが、なんか結構人足の人数が必要だったみたいなんですよね、体力労働者。
彼らのために深川の岡場所もあったらしいんですよね。
この木挽町、そこの近くなんですよね。

要するにこう、そこターゲットにした芝居小屋だったんじゃないかなー、なんか昔の芝居小屋って物食べながら一日中ごろごろしてたらしいじゃないですか。
岡場所が出来る前ならその辺もありだったんじゃないですかねなんとなく。
証拠とかはないんだけどね、ただ、突飛ってほどでもないよね。
堺町なんかは普通にギリ繁華街に作ってったんじゃないかなー、と予想してるんだけどねー、もともとが中心街、その次が京橋なら客層考えたらそれが妥当じゃないかと。
ぶっちゃけ、岡場所が出来てしまった時点で芝居小屋は…ちょっと違ったんじゃないかな、という気もしないでもなく。
なんか経営が難航してくんだよなぁ、まあ、適当に読んでるけど。


8月25日めも。


リアルタイムは2021年3月7日、今日も最低ノルマは雑記一日分だけです、今が23時くらいなので24時を最終リミットに想定。
で、Wiki辞書の「江戸三座」より木挽町の項目。
えーと、ちょっと予行練習的にそれぞれの座の年代を書き出していきたいんですけども、山村座が木挽町の最初で1642年、てことは…、芝居小屋が堺町近辺に集結するよりは10年ほど前、村山座(2番手、のちの市村座)よりはやっぱり10年くらい後になるのかな、まあこの刻みはかなり適当だけど。
この村山座ってのはあれですね、江島生島事件の連座したとこだよね。
で、次が1648年、河原崎座。
これは江戸三座の森田座の控櫓だよねー。
なんかこう、河原崎座のほうが幾分マシだったかなみたいな、倒産コンビです、どっちかが倒れるとどっちかが引き継いで借金を踏み倒すんだって。
で、1660年に森田座。
江戸三座の中でもっとも倒産している期間が長かったので、浮世絵を書くと半々の確率で河原崎座だったという! なんでそんな歴代似たようなことになってるのかはよくわからないんだけども、立地とかかしら…。

で、1663年に河原崎座が倒産、森田座が吸収しました。
そして1714年には山村座が連座しました、島流しー、待ってー。
なんとなくこの後、森田座が大変になったのは想像が付くんですけども、地代の滞納で地主に訴えられて大岡越前に休座にされたって、これは当然の措置だけどね!


8月26日めも。


3月7日引き続き、前回分の雑記が思ったよりもいい感じになっていたのでそのまま手直しして投げようかなと思ったんですが、やっぱりいろいろ不備があるので、あれを素材にして組み立てるほうが無難かなー。
木挽町が深川の岡場所の近くってのは書いておいたほうがいいと思うしねー。
それが設置されたのがだいたい明暦くらいだって、岡場所はそんなに正確には記録がないんだろうねー、非合法なんだっけか。
明暦が1655年から、有名な明暦の火事が1657年ですね。
芝居の歴史ではこの火事は出て来ないので、まあ多分、巻き込まれてはないんじゃないかな、にゃ、堺町辺りはわかんないけど。
ぶっちゃけ木挽町が焼けてたらそれも経営不振の理由になってるだろうからなぁ。
これも地図が頭に入ってればすぐにわかるんだろうけども。
近代ならそこそこわかるんだけど、さすがに明暦の大火はわかんない。

で、そういうのはどのくらい入れ込むべきかー、みたいなの。
あれなんですよね、江戸においてはどうも歌舞伎とお茶屋とか陰間茶屋って連動してるぽいんだよね、合わせて「芸能界」とか呼ばれてるやつ。
さすがに江戸の初期からはなさそうだけど、どの道どっかしらで仲良くなるんだろうなー、とは思ってるからね。
芝居小屋が猿若町にまとめられた時も近くに吉原が越してくるし。
深川の岡場所が近くにあるよん、明暦の頃からだよん、多分これ、芝居小屋も含めて目当ては木場の職人だろうねってのもまとめたい、性質がちょっとずつ違う話なんだよな。


8月27日めも。


3月7日引き続きリターンズ、どうでもいいんですが『超高速参勤交代』の映画の続編が『リターンズ』だったんですよ、「本当に帰り道だったの史上初めてじゃないの馬鹿じゃない?!」という友人の子牛の突っ込みは時々思い出しては元気になります。
あ、誉め言葉ですとも、本当に癒されますよね。
癒されるじゃないな、適度な突っ込みは身体にいい、これもなんか違うな。

いえあの、木挽町なんですけどね、そういや歌舞伎座があるじゃないですか、移転したんだったか移転したんだとしたらいつなのか、そういうのがよくわからないんですけども、正直木挽町に関してちまちまと書き込んでる間に「この土地でいいの、縁起が悪いとかない?」みたいな気持ちにはなりました。
うん、判明しました最初からですね。
福地桜痴、気にならなかったのかしら、まあ、芝居小屋が血塗れとか慣れてた可能性もありますが団十郎いるじゃないですか、父親殺されて養父は目の前で殺されたそうですからね、他にも何人か身内が沈んでるぽいんですけどね。
なんでか理由が書いてないんですよね、隠してるとかじゃなくて、ごく普通のことのように書いてなかったんですよ。
うん、木挽町ごときで気にしなくても良かったかな。
新富座をついでに調べてみたんですが、いや最初の近代劇場なんですけども、歌舞伎座のちょっと前で歌舞伎座の構想のもとになったとかなんとか(経営者たちは仲良くないけど)、京橋の新富町でした、歌舞伎座が京橋の木挽町、うん、そうか。
自主スタンプラリーでもするかな…、地図でも買うべきか。


8月28日めも。


一応終わりました「木挽町」、とりあえず予定していた24時まであと4分、今3分くらいになりまして、テレビで付いていた『サイエンスゼロ』がそろそろ締めの挨拶をしているような感じです。
いやまあ、さすがに数分はみ出たとかその程度のことを気にするつもりもないものの、なるべく時間内に少しでも進めておきたいかなー、みたいな意味で今勢いよく打ち込んでいますがそれで打ち込まれる内容が「今急いで打ち込んでいる」なので意義があるかというとないですね!
別に気にしないけど!!
とりあえず、ノルマとしてこの仮の日付けが一日でも多く消費出来ればいいみたいなそんな動機です、あくまでも自分で付けた義務ですが、自分で設定した義務なので比較的大事にしたい。
こういう意味のない文章を打ち込むことで何故か真面目なほうも進むようになるしなぁ、本当になんか不思議なんだけど、全部意義のある、意味のあることにしようとする以上に滞ることってそんなにないですね。
私の場合、意味のある内容が意味のない文章の中に紛れてるから良くなかったんだけど、さすがに自分で考えてもそれは勿体なかったんだけど。
今日も内容がないようを適当に書き散らし、意味のあるものが弾みで進展したらいいなと深く考えないようにしています、考えすぎるとあかんのだと思う、人間面倒くさい性質持ってるよな。

なんか『地球ドラマチック』でうさぎの番組が始まってしまったけど、切ろう!

(文或と近代もろもろ、199)
最終更新:2021年03月08日 21:21