雑記:文或と近代もろもろ、184


3月12日めも。


リアルタイムは11月30日、そういや今月は30日までなんだっけ、あ、今、12月になりました、あー、12月か…、身に沁みる…。
とりあえず次に予定してる真面目なページが「有力雑誌10種」なのでそれをここの雑記でいきなり始めるかどうかちょっと迷ったんですが、とりあえず、次のページを用意(タイトルと日付けを用意する感じ)して、それと平行すればいいやという勢いで断行、そうしてから「いや、2ページあとにすべきか…」みたいな感じに悩んでいます、カウントがどこだろうがあんまり物理的な違いはないんだけどね。
改めて考えてみても雑記のページが10日前だろうが20日後だろうがわりとどうでもいいんだけどね! ややこしいことするとたまにミスるので、それはあんまりしないようにするくらいしか縛りに意味はない。

あとあれ、前のページの雑記で「劇場10箇所」を書こうかと悩んでいたものの、それよりも「演劇関係10項目」のほうがいいんではないかということに気付き、今はそれも思案中。
ただ、演劇というより歌舞伎に片寄りそうなんだよな…。
新富座、福地桜痴、歌舞伎座、団十郎、活歴、黙阿弥、散切物、菊五郎、左団次、とつらつらっと上げてみたけど、あらやだもう9項目になっちゃった、これで計画したほうがいいかしらね。
あと1項目、となると微妙な、2つ余ってたら鴎外さんと逍遥さんにするんだけど、いや、まとめてしまったほうがむしろ無難かしら。
(歌舞伎は外部からの脚本を受け入れなかったんだけど二人が同時なのよね。)


3月13日めも。


うーん、いや、散切物に関しての知識がないから黙阿弥のところにまとめておくほうが無難かな…(黙阿弥が書いてた、大雑把に言うと髪の毛を切った人情もの、要するに古典作品の近代リライト作品)、なんだったら団十郎と活歴をまとめてもいいんだけど、こっちもそんなに情報ないしなぁ。
情報がないというか、そんなに根付かなかったみたいなんだよね。
とはいえ、Wiki辞書頼りにすればいいから「なんにも書けないかも」みたいな心配をする必要はあんまりないんだけどねー。
単独ページや情報があんまりなかったらネットに頼る所存で。
ものすごくざっくり申し上げると知名度が低いものに関しては情報ノイズの心配をあんまりしてないんだよね、載ってるものは最初からある程度信頼が出来るものだっていう前提にしてるというか、Wiki辞書と同程度に信じてる感じ。
ケアレスミスや勘違いみたいなものまで責める趣味もないしね…。
Wiki辞書ならまだしも(でもあれは本が元ではある)、マニアの人が作ってくれた有志のページとか、好きにさせてやれよとしか…。
んにゃ、怒ることはあるけども、直すべきとかはないな本当に。
どっちかというと本のほうが嫌だしなぁ。

だからどうするんだっけか、どっちの項目もまとめられるかというとまとめられるんですよね項目に書いてしまえばいいだけだし。
その場合、他のなにかを考えるべきなのか、うーん?
にゃ、長々と悩むのもなんだし、前のページの一覧と鴎外さん逍遥さんにしよ。


3月14日めも。


演劇に関して丸々雑記一日分掛けて悩んでおいた分がさっぱりと無意味になりましたが、まあそんなことはどうでもいいとして(他の案を考えても最初に出した案のほうが妥当かなって思えたってことでもあるし)、なんならいっそこのまま並行して次のページで書き始めてもいいんじゃないかと思いもしたんですが。
別にそれでもいいんだよな…。
新聞関係は続けたほうがいいんじゃないかとか、有力雑誌の次は有力じゃない雑誌を続けたほうがいいんじゃないかなどはあっても、前まで新聞に関して続けて打ち込んでいて、次に予定されてるのが雑誌10種だしなぁ。
先に思い付いたから思い付いたほうからって別にさして利便性もないし。
なんとなく今は気が進まないから今はやらないけど、次にパソコン開いた時にそのつもりだったらそれでいいんだよな…。
私のモチベーションが上がるほう以外の優先順位ってないし。

だが今は現代劇のほうにします、現代劇って言うのかどうか知らんけど、近代劇でいいのかしらなんかピンと来ないけど(ヨーロッパの作品がそんなイメージが)。
壮士劇と書生劇って別けるべきか同じ項目にすべきか…。
これ、別れてるのかどうかが微妙なんだよな。
壮士ってのが政治運動やってる浪人、書生ってのが主に学校に通うために人の家に住ませて貰って家の仕事してたりする青年なので。
いやそりゃ、別物ちゃあ別物だけど劇団として別ける意味あるのかっていうと、どっちも属してそうじゃん普通に、なんか違和感あるのよね…。


3月15日めも。


えーと、壮士芝居と書生芝居、川上音二郎と貞奴、文士劇、若葉会、坪内逍遥と文芸協会、島村抱月と松井須磨子、なんかほとんど長い!!
あとえーと、小山内薫と自由劇場、新国劇、築地小劇場。
でいいかな…。
帝国劇場が入らなかったんですが、だって流れとあんまり関係ないんだもん。
なんかやたらと評判悪いんだよねあそこ、無関係の劇団と関係があるかのように見せ掛けて資金援助して乗っ取るとかそんな域で。
汚いことはするんですけども、わらわらまともな人から逃げてくのでどうにも人気がぱっとしないというかなんというか、一応帝国劇場を檜舞台みたいに捉えてくれてる劇団とかもあるにはあるんだけど人気がぱっとしないというか。
(自由劇場とかそんな感じだったので、人気が薄めなところには多分あんまり無理強いとかしないんじゃないかと思う言い草酷いけども、浅草オペラの本読んでた時にも帝国劇場から逃げて来たんだったか追われたんだったかの人がいたんだよな…。)
いや、近代劇場って意味ではとっても重要なんだよ、近代劇場って意味では。
設備はちゃんと計画的に作ったから、ここがあってこその次のステップだと思う。

なんか資本家からして、普段の面子をお見掛けしないというか、今思い返すと「汚いことをしたい」わけではなく、純粋に商売が下手な方たちが集ったのであんなにがつがつしていたのか、売れない知名度高いところとはまともな関係だったのか。
帝国劇場に関して書いたことはかなりただの憶測です、見掛けたって書いてるのは本当です、わりとあっちこっちに書いてある…。


3月16日めも。


てか、前日分の雑記で新劇とか新派とかそういう項目に関して書くのをすっぱりと忘れていたんですが、なんかもうそぐわない気がしてきたのでいいか別に…。
あと書き出してみたら項目が9つだったので、岸田國士を捻じ込んで終了しようと思います、どんな感じの影響力だったのかとかいまいち知らないけどねー。
新派とか新劇なんかに関してはあれだ文楽、能、歌舞伎、新派、新劇、新国劇、みたいな感じで書いていくのがいいんじゃないかな新国劇だけ2回出てるけど気にしない(新国劇って演劇のジャンル名でもあるけど劇団の名前でもあるんだよね、なのでジャンル語ってても具体的に語ってても出てくる感じ)。
落語、講談、浪曲、うーん、とあと二つか。
いっそのことこれ、ラジオ、レコード、で〆てもいいんだけど…。
あ、うん、これでいいやこんな感じで、メモしてしまおう。

映画とか相撲とかあるじゃん、という気もするんですが、規模が違うからなぁ。
あ、相撲を挙げたのは初期の映画が舞台をまんま撮ったり(蘆花さんの不如帰とかが流れてたあれ、オリンピックの大河でやってたね)、相撲を撮ってたりするからなんですけどもね、映画はなんかもう規模が違う気がするので。
初期の映画の規模のまんまなら入れてたかも。
それこそ舞台と一緒にやってたみたいだしねー、連鎖劇ってやつ(全然調べられなかったけどねー)、てか、演劇関係者ミニマム版も作ってみたいな。
でもさすがに計画だけが溜まりすぎてるので保留にしておこう。
なるべく早く片付くのから書くのが手ではあるかな…。


3月17日めも。


リアルタイムは12月2日、日付け越えたあとですが、とりあえず今日はこのページの雑記を書き終わったらいいなぁ、という希望は持っているものの、別になにかを書き終えなきゃならないという目標もないし、目標に関しては今ばかばか立ててしまったのでなんとなくモチベーションが落ちています。
いわく「あんだけたくさんあったら終わらなくてもしょうがないよねー」的な。
あんまり頭が良くないなということを思いますが、人間ってこんなもんだとも思う。
これの次ページの雑記じゃなくて次の次の日付けのところにしよう。
あとあれ、寝るまでにではなく、今日の日付け中にこの雑記の10日分を終えると軽く脳内で修正を掛けたのでモチベーション上昇中、それならなんとかなる。
次に書くのは有力雑誌に関してで、単純に演劇に関しての今なら書けそう、と感じたあれが抜けてしまったためです、今はもう忘れた、さっぱり。
それと私の場合、脳内で考えてることをそのまま打ち出さないほうがいい。
もともと曖昧な理論を言語化するかしないかみたいな時はそこそこ上手く行くんだけど(なんか説明が少なくなるんだよね、多分脳内の余裕が少なくなってる)、長いこと脳内で捏ね繰り回した内容を打つのはかなり良くないので。

Wiki辞書を開きつつ、その内容を反芻しつつ、突っ込みつつ、これに関しては私の情報ではわからんから保留、としつつ進めるのがベターですね。
そういやさっぱり忘れてたけど、久米さんと漱石さんとこの娘さんのゴシップまとめみたいなのも書く予定にしてたんだよなー。
とりあえず、雑誌打ち込んでから考えよ、少なくとも。


3月18日めも。


そういや「座談会 大正文学史」って本を読み終わったんですが、これの前巻が「座談会 明治文学史」で、なんかこう、だいたい私が普段から神経尖らせてる文学ジャンルに対してのなにこれ?? みたいなのの結論が出ていた気はするんですが。
ここの人たちがこんだけすかすかだと、話を作ることになった理由はわからんでもないかなー、ていう方向にも傾いたかな。
要するに推測、仮説ってやつなのね、単純に。
一旦作られた仮設を語られている範囲をはるかに超えて日本史や権力構造にまで触手を伸ばし(まあその辺に関わった作家は実際にいるからだろうけど)、実際に存在する資料を研究する人たちを罵倒してまで仮説に拘ったことに関しては全く許容しないものの、狭い特定の範囲に関して仮説作ってた人を責めるのもそれも違うよな。
えーと、ああ、思い出した、平野譲さん。
この人が謎権力を振りかざした純文学作家集団に関して語っていたんですが、この方、菊池さんに関しては「謎じゃない権力」としてわりと普通に詳しかったです、というか、純文学関係に関してはなんの話をしているのか抽象的すぎてなんのことかわからんってことが多々あったんですが(瀬沼さんが言ってた、身内じゃん…)。
菊池さんに関しては簡潔明瞭、つーか、作家論も作品論もなかなかで概ね異論はないですね、そして実際の関係者。

多分純文学作家の謎権力が「大御所御一同の権力」を浸蝕するみたいな仮説じゃなかったのねあれ…、ただ、本当になんのこと語ってるかわからんのだけど。
後続者たちが勘違いしてその方向で爆走したこと、なんのジョークだろうな?


3月19日めも。


今あれねー、「日本文壇史」と「座談会・明治/大正文学史」の文庫版があるのでそれで1冊につき雑記10日分ずつ書いていこうかなー、みたいな計画も立てていないでもないんですが、まあ、煩雑になるから今やってることがある程度終わってからかなぁ。
雑誌10種、ニッチめ10種、明治文士10人、歌舞伎10項目、近代劇10項目、芸能10種だっけか今のところ、一応メモ帳に書いてはあるのですが。
あとあれ、文アルの作家さんたちをWiki辞書を見ながら書くみたいなやつ。
これ、どうしても最初のページに海外作家さんたちが集まるので、そこを後回しにして一覧にする時に順番変えてリストにしてもいいんだよな。
今までやってたキャラ言及は特に順番なかったけど、どうせリストに並べてるだけだったからなぁ、まあ、雑誌10種書いてから決めます。
少なくともそれよりはあとに始めるつもりだし。
なんかこうして積んで後回しにしてるような気もしないでもないけど、どかどか計画積み上げてたらどうせやる気がどこかに飛んでいくので、なんとなく最初にやることだけは決めてる状態でまあまあいいのか。
さすがに今日始めるつもりはないからな…。
項目作るところだけやってもいいようなもんだけど、いやうん。

実行してます、日付けのあとの「めも」の文字を消して国民之友、太陽、中央公論、講談倶楽部、主婦之友、改造、新青年、文藝春秋、キング、新潮。
よし出来た、次の10日分はもう用意してあるので、こっちを書き終えたらそのまま使えばいいし、それで足りなかったら追加、と、よし…ガワの準備はした。うん。


3月20日めも。


そういや「総合雑誌」って呼び方、わりとどの本でも使われてるものの、『改造』の登場、えーと、大正8年だっけ、あの辺りまでその呼び名がなかった、それはどれそれという事情により、みたいなことが語られていたんですが。
その説においてはそもそも総合雑誌が『中央公論』しかなく、大正8年に出た他の総合雑誌も全く知らないみたいな感じだったので勢いよく棚上げにしていたんですが。
今よくよく考えなおしてみたら、国民之友、太陽、中央公論、と時期の重複してはいるものの有力な雑誌が完全に一つしかない雑誌のスタイル(政治と小説と両方載ってるみたいな意味、中間文学の有無は知らん)に名前がいるかというといらんような気がするし、大正8年に一気に3種出た雑誌には「さすがに」名前がいるよねってことでなんとなく納得しました。
LCCって名前よりも前にLCC的な航空会社って多分あったよねという。
ぶっちゃけこの場合「なんとなく」呼び名が決まっていったのだろうと思えるので、時期は判明しているものの資料が特にないみたいなふんわりした見解との相性は悪くはないような気もします。

呼ばれ始めた時期に関しては正しかったけど、前後の事情はさっぱり知らなかったよといったところか。
大正8年の総合雑誌は、その前年の米騒動、あとなんかロシアの革命がどうたらとかそれと世界恐慌とかも関係してるのかしらね、第一次世界大戦終わったんで、なんか連鎖反応的につらつらつらっと。
同時代の人がなぜ政治雑誌が増えたのかと語った気はしない、増えるわそりゃ。


3月21日めも。


本日書き始めた時点で5日分あったので特に書き上げるつもりはなく、「わざと長めのスパンで計画を立ててみた」ところ、案の定重圧がなくなり内容が薄くなったのでだいたい想定の通りです。
内容が薄かろうがなんだろうが、打ち込まないとなんも進まないからな。
脳内で考えたことってこう、本当にすっかんと忘れます。
鉄道ジャンルの基礎知識とか消えてるからなー、真面目に、あの頃にはちゃんと覚えてられるつもりだったんだよな、本とか読むとそれなりに基盤があることはわかるんですけどねー、そこまでしないと出て来ないとも言う。
意外と忘れないのが政治の事情で、これは多分関係者の言及とか読んでるせいなんだろうな、なにそれとどれこれが同時期なのでこういう感じのエピソードがありましたみたいなの、あ、逸話じゃないです、当事者が語ってたことは逸話じゃないので。
たまに当事者がおま、それ物理的に成り立ってねぇよな、他と兼ね合い付かないぞこら、みたいなことを語っていることがあるので、多分それは逸話なんだろう。
逸話に対して恨みがあるわけではなく、本当にそういう定義なので叱らないで下さい、逆に、逸話に妙なのがあってもそれもそれで叱らないで下さい、構わないものなので、だいたい人柄を示す指標として扱われてるからなー。
あれを経歴無視って別の随筆と合体させてるほうが暴挙なんだよ…(発言者特定、時期確定、背後環境補い、で研究に使う人はいるし本来はそこまでするもん)。

あ、私の好きな編集者たちの直接聞いた話とかもなかったよ、駄目かー、信頼度が高いとやっぱり駄目かー、行きずりの一般人はいいぽい(菊池さんの逸話本がそんな)。

(文或と近代もろもろ、184)
最終更新:2020年12月02日 14:57