雑記:文或と近代もろもろ、164
8月25日めも。
リアルタイムは2020年7月16日、昨日打ち込んでいたものが「2020年までに認識した学校制度」としては悪くないのでは? となったので急遽残すことにしたんですが、レイアウトとかよく考えてないのであれだ、ついったの記事のところをお気に入りにしてしばし保留。
永久保存版とか入門に読んで! みたいな意味だといつでも足りないんだけども、よく考えたらだいたいのジャンルが2~3年くらいで地味に更新されてることが少なくないので途中経過として残しておくのは結構ありだった。
ああ、そういや今更だけど何年か前についったのあれの機能、「お気に入り」ではなくなったんでしたっけ…。
新しい名前を覚えてないし私のクライアントとか確かしばらく変えてなかったし、ハートになってようが意識を刷新する必要もないですね、うん、通じればいいし。
あとそれと、「身分制度のハナシ@2020年度版」みたいなのも書いてみたいな、これもなんかじわじわとしか進展しないからなー、と考えてみたんですが、どうもこう、断片的というか、これが、気になるのよ!! みたいなのは幾つか思い出せるもののそれを体系的に語れる気がしないというか。
この国、なんか地味に農民意識が価値観の大半を決めることになってねぇ? みたいな結論になってしまって常に終了というか。
貴族意識が蔓延してのがんじがめの差別ならば戦うべきなんだけども、農民根性がいつまでも残っていてがんじがらめとか、他人がどうこう言うべきことでもないというかこう…、私に迷惑でなければいいです、通じやすいように頭には入れておくけど。
8月26日めも。
んー? なんか思ったよりは続けられそうなんで一旦書いてみるんですが、私が普段「上級士族」と言ってることがあるのはこれはどの藩にもあった概念というわけでもないようです、まんま「上級藩士」と呼んでるところなんてのもあったけど。
すごく大雑把に上級士族が役人で、下級士族が農民みたいなの。
あのあれ、苗字帯刀を許された家ってのは士族までなんですが本来、それ以外の身分に褒美として与えられるそれが伝来していくものなので、そしてあと、士族なんだけどもこう…、『八重の桜』なんかでもあったけども畑耕してたりもするんだよね。
この辺がグラデーションでどうも存在しているらしく、藩によってもなんか扱いが違ったりするみたいでいまいち把握しきれない、反乱分子として幕末に下級藩士が目立ってることもあるし、能力あるというか特殊技能を持っているのは上級藩士が多くて明治になって目立ったりもするし。
下級藩士の中にも農村を収める名主みたいな人たちは立派に技能持ちだしなー、ていうかこれを下級藩士扱いしていいものなのかどうかも自信ないけど…。
両方見たことがありますマジで…。
ところによっては「畑を耕したら武士ではない!」みたいな世界もあるぽいんだけど、そうでもない土地もあるみたいだよね、てのは上の大河参照するしか。
この辺をどうやって書いているかというと、各県の藩事情みたいなのが新書になっていたレーベルです、脳内でぐちゃぐちゃになってる、まとめられる気がしない。
学者が偉い土地とそうでもない土地とかもあるよね、土地じゃないのか個別案件なのか、つか、新政府は地位低め技能持ちを大事にしたってのは、まあわかると思います。
8月27日めも。
あとあれ、引き合いに出して大変に申し訳ないんですが、日本に貴族っていたじゃないですか、あれは藩主のみです、士族が含まれてる前提の要約を十数回ほど聞いたことがありますがそんな実例はないです…。
というか多分、公家の側には「新蔵人」って層がいて、これが幕末の頃にえーと、あれだ、岩倉具視か!! ありがとう三条実美さん、貴方検索したら出て来た!
まあ「人柄は信用出来ないけど脳みそは信用出来る唯一の公家、あんま地位は高くない」な人を支持した層として明治以降ピックアップされまして、こっちは上位貴族に傅く下位貴族に近いイメージになるんじゃないのかな。
新蔵人ってのは殿中人の中で最下位、下働き層らしいです。
半分だけ殿中人って認識するとわかりやすいかも、重要なところには入れたりしないし、外に出るのも彼らだしね。
まあただ、明治政府の方針によってめっちゃ大事にされたけどな、察しろ!!
岩倉具視は全く信用出来ないって言われてた人なんですが、頭は随一に良いというか、明治政府ろくな頭脳から先に死んでったんでわりと普通に頼りにされざるを得なく。
彼と完全に対極の公家に三条実美さんがいるんですけどね、上でも挙げた方。
「知能は低いけど誠意だけはばっちり、地位めっちゃ高い」みたいな感じの人ともともと対立してたはずなのになんか自然にいい感じの距離に収まり。
この二人以外の公家を引き連れることに成功しました、どっち欠けても日本がやばかったように何回見ても思う。
他の公家は概ね政変において役立たず、仕方ないよね実権なかったしな!
8月28日めも。
で、貴族の話に戻るのですが藩主いるじゃないですか、江戸時代におけるお殿様、一応それ以前からお殿様なんですがまあ、あの呼び方は城に付随してるみたいなものなので城があるとわりと「殿」なんだけど(正確でもない)、まあまあ江戸時代からって考えたほうがわかりやすいんじゃないかと。
ちなみに江戸時代は一国一城制度なので藩ごとに城があるわけでもない。
国はあれです、古代から続いてるあれ、残ってるんだよね江戸時代、藩が地域意識を作るのか国が地域意識を作るのかって聞かれたら両方あったよ、と答えるしかないですね、全県読んだわけでもないけどどっちの地域もそれなりに見たよマジ。
しかしこの世界、本をたくさん読むと「ばらばらなことだけはわかります」が確定するなんか少し不毛。
藩主が貴族なんですが、まあ城がないのもいるから地位よくわからんけど、でも「旗本ぎりぎり」みたいな方たちも参勤交代してたらしいとは『超高速!参勤交代』でやってたしなんか信じてる、あそこもなんか城あったっぽいし壊されてたけど。
というか書いてて曖昧だなって思うことが多すぎる。
藩主いるじゃないですか、貴族にスライドした人たち。
彼らは生活が公家化していたそうです、公家、二人しかまともに政変に役に立たなかったって言われてて地位も身分もぐっちゃぐちゃになってそうなあれ、新蔵人がなんだかんだと優遇されてしまったというあれ。
貴族素敵よね、的なことを呟く人たちが本来の貴族を挙げることが異様に少ないというか、士族の金持ちばっかり挙げてるのはこう、仕方ない側面もあるのだろうか。
8月29日めも。
明治政府になった時にまず士族の自主身分返還が行われまして、そののちにて一斉返還が行われんですけどもね、これはなんでかというと彼らの身分そのものに給料が発生するからなんですが、なんでって武士だし。
戦力なんですよね彼ら、それに伴う技能とか義務とかあるし。
職があるとそれとはちょっと別に出るけど。
ていうか学者が身分低かったりそれなりだったりするのは、あれは学者に職務先がどの程度あるのかが藩によって違うからか、あー、確かになんか差異出てそう。
で、金というか債権貰って、商売に投資することを推奨されたりしたんですが、いろいろ失敗したんですね、やったことがないから。
この当時の「実業家」の内実を聞いていたら偉い人とべったりになって政策をどの程度教えて貰うかが肝である的なことが語られておりまして、それまで若干評価をしていた実業家たちを脳内で引き下げました。
確かに絶妙に政策にがっつり合いすぎた設備投資してた人いたな…。
それ以降にもある程度のノウハウ取得してもいるみたいだけどね…!
(小説家の志賀直哉の父ちゃん、どない? と聞かれて、あー、総武鉄道の、あのやたらと的を得た、とか高く評価してた、違った、ただこの人私大出てる。)
財閥だけ、学校抱え込んで「軽工業止めとこ、重工業で行く」とか「海外でビジネス促成学校行かせる手伝いを」とかやたらとまともだったから、なんか明治のレベルを勘違いしてたよ、危なかったろくでもないの聞けて良かった!!
てか志賀さん父、財閥と娶せたかったのか、貴族寄り生活させたのももしかして…。
8月30日めも。
えーと、あれか、士族身分の一斉返還の話してたっけか、これが「廃藩置県」です、というか長いことよくわからんかったけど、こうやって書くとそれと連動して文部省が作られたってのは意味不明ってほどでもないかも。
農民にも町人にも教育は与えられたものの、彼らは農業で生きていけるしね。
文字覚えて計算が一通り出来たらまあ別にいっかなー、みたいな水準だったのも(キングの傾向から逆引きで推定してみた)、そう考えるとわかるような。
あとあれだ、道徳(これを念頭においたのが教育勅語、そう言われると多少の神格化もそんなに不健全でもないよな、シンプルにわかりやすい)。
中学校にて資料が自力で調べられるようにする程度かな、現代もだいたい同じような気がしますね、これが中学校の教師の下限になるわけか。
で、岩波書店の水準がこの辺、と多分明治から変わってないなここは。
当面、これ以上の教育が必要だったのが役人だけであり、他の専門家たちは職人として別個に存在していた認識でいいのかな。
貿易っていうか輸出産業になりそうな工芸品に関しては美術学校のほうに招聘されていたみたいなんだけどねー、あれ、高村光太郎さんのお父上とか、この美術学校ってのは工部省の学校の分校だったらしいので二番目の発祥です。
結構場当たり的に作られてるっぽいって印象が出来ればいいんだけども、それ以前に親の職業を引き継いでいた層ではなく、勉強が必要だったのは基本士族「しかいない」ってのは伝わるかしら?
勉強の特権とかじゃなく、そうでもないと生きられない層なんだよね彼ら。
8月31日めも。
まー、公家も酷かったみたいだけどね、あんまり酷いので学費無料で必要学力というものが存在しない学習院とか作られたわけだし、そこそこのイメージがあるのも学校改革してからだからなぁ。
そののち、行儀めっちゃいい、と言われてたよ、高等学校と比べてだけど、高等学校ってあの、頭の悪い行事がたくさんあるあの…殴ることはなくなりましたか、のあの。
皇室の守りために貴族を残す、のコンセプトがいいのか悪いのかは知らん。
現代建築でお見掛けする3つくらいの家は知性と共にあってその顛末の如何と関係なく評価してるしねー、女遊びと酒で身を持ち崩したんじゃなくて学問傾倒で家が傾いたとか言われても、恥と思うかどうかは現代人にはちょっと…。
他が死屍累々の中で特筆して責める必然性とかまして全く…。
貴族に憧れを抱く場合に、それ貴族じゃないよ、になるのは果たしてこう、果たしてこう、いやまあ、私はいかにもそれっぽい感じの人たちの本読んでるけど。
有馬の長男と近衛の長男ですが、いやー、公人って大変だね…。
同人誌に参加してたことが検閲でバレたので、宮内省に呼びだされたとか、結婚相手は決まってるとか、その分女性に関しては愛人くらいまあ普通の意識とか、そうね、公人だもんね…(士族煩かったけど、貴族だとあんま見ないそういうの)。
これ見たあとでいかにもな貴族だわー、うっとり、とか見ると「これ? この家族間の争いの煩い感じの」とか「そういや家庭内で特に顔合わせてなかったな華族…」となったりするんだよねどうしても。
今まで貴族って打ち込んでたけどよく考えたら資料だと華族だね、まあいいや。
9月1日めも。
大雑把にまとめていくと、上級士族はわりと仕事があって新政府に取り立てられはしなかったものの能力のある家なので最初露骨に貧乏、だがしかし、帝大にはわらわらいるみたいな感じのイメージだとわかりやすいかと。
下級士族はこれは文士なんかにもわらわらいますが、農民に戻っちゃってる家なんかも結構あるし、商売やっても上級士族よりはマシってわかりやすいかと、士族の名乗りを残してる場合はそこそこの生活をしているし、上級士族ほど全ては失っていない。
上級士族の中でも権力の中枢に近い辺りはそれで投資に成功するケースもあったようで、あー、それで成金って呼ばれてたんだなあれ…。
(鉄道成金とか戦争成金とか言うんだよ、財閥らがこう呼ばれてないのでなんか違和感あったし、どういう層がこれに当たるのかよくわからんかった。)
まあただ、その層の中にもちゃんと商業の勉強した層もあるのか、そういや公家の中にも財閥と仲いい人らって何人か知ってるな、ちゃんと対等なやつね。
これは財閥が国以外の教育を担っていたってのもあるんだろうな。
あと宗教関係くらいしかないんじゃないかなー、教育となるとさすがに。
藩主と最上級の士族をセットにしてこれが立ち回りの結果の逆転、公家も新蔵人を入れて頂点として維持された辺りを除いて優遇により逆転、中級士族と下級士族だと下級士族のほうが商売がマシだったのでこれも逆転、この辺全部金回りの話です。
貴族って褒められてるとだいたい士族の成金だし。
上流階級って言われてると下級士族みたいな感じに展開してく感じ。
全ては金!!! みたいな感じの血走った結果だよなぁ…。
9月2日めも。
ところで私が財閥をよく褒め称えているのはとりあえず彼らの前身がだいたい両替商でね、初っ端頼り切ったんですよ新政府、そして潰しに掛ったんですよ、幾つかが英国の銀行(どこかわかってるけど、鉄道とかも融資してくれたとこ)に助けられて切り抜け、三菱の場合はまあまあ政商って言われてたから成金じゃん?
潰しに掛かられたんですよ、大隈重信がどーんと跳ね返してたけど。
大隈さんがその後(だっけ? 前後自信ない)槍玉に上がってた時も三菱が金ならあるよー、とか助けてたんでいい感じの関係ではないかと。
あとあれ、森村財閥ってのがあるんですよ、森村商会って言うんだけど小さいとこ、なんか知らん間に貿易牛耳っちゃってて、なんでかニューヨークに支店出すことになって、「見本と同じものが届く奇跡の商会」みたいな感じの呼ばれ方してしばらく大使館の変わりしてたみたいな感じの正直さだけが取り得みたいなお家なんですが。
生き残った財閥はこの森村財閥にだいたい頼ってたので評価が高いです。
だって他の日本人全く信用されてないし、そもそも蚕の卵とかフランスに売る商売とか横浜正金銀行が援助しながらやってるわけじゃないですか、蚕の卵の偽物とか送るんですよ日本人、止めてって言ってもなぜ駄目なのかわからない。
何度言ってもなんで偽物送っては駄目なのかがわからない、何度言ってもわからない、そんなだからまともに商売してるだけで奇跡とか呼ばれることになるんだよ森村さんたちのことはまあいいけど彼らが報われるべきだけど!!
そしてその後、教育が一番大事、とか福沢さんと仲良くなるような財閥ーズと、政策を先に知ることが商売の極意みたいな輩を同列にする気は、皆無ですね、ないよ。
9月3日めも。
ぶっちゃけこうこれを「身分制度のハナシ@2020年」にしていいのかどうかはまあ別として、財閥と大隈さん以外の金がある家のほうが尊いというイメージに対して、いやまあ金があるほうが尊いって呼ぶんなら全く止めないけど、なんか別の概念を使って褒めるのはさすがに見ててあまり楽しくはないかな…、となるのも仕方ない気もするんだよね、成金ってのは特定の人たちを指すというより、一夜で金を手に入れたみたいな事象のことを指すので、私が成金って呼んでるのはだいたい鉄道成金とか戦争成金とかあの辺だけです。
一代でのし上がった実業家って概念は戦後まで現れないんじゃないかなぁ?
だって明治のあとに残った金持った名家ってそもそもどこよ一体、基本的にほとんどの財産が一旦没収されてるんだもん、いろんな形で。
たまに名家として本陣、網本って挙げたりしてるのは、だってそういうお家がだいたい代表的な建築として残ってんだもん。
あとのはなんで建てたのか存じ上げているのであまり…。
建築で名を馳せた方とかが貴族として褒められてるの見たことないしなぁ、なんでここがズレてるのかはよくわからんけど、ひょっとして私の言い間違いじゃなくて華族と貴族って概念として別なんでしょうか、わからんけど。
まあ、プロ文の演劇家たちも似た雰囲気のこと言ってたけどね。
悪県令よりも実業家の俺らの家のほうが偉いんだぜ的な感じの、『不如帰』の悪役のあの家の的にくすくす自分たちのパトロンの土方さんのことを嗤ってました。
なんとなく五十歩百歩な匂いがする、偉くなりたいなら勉強しようぜ?
(文或と近代もろもろ、164)
最終更新:2020年07月21日 01:39