雑記:文或と近代もろもろ、169
10月14日めも。
昔私は新聞社にいた女性たちみたいな章を読んでいたことがあったんですよ、各社に1人ずつはなんだか残っているんだけども、なぜかそれ以上は残らないみたいなの。
で、彼女らは「お前が仕事をしていることで男が1人弾かれた」ということに対しての反省や保障をわりと執拗に求められていたりもしたんですが。
あと、食事を男と同じところで取っているなんて恥を知れとか。
ほほほほ、お前が無能なだけだろ! と受けて立つとそれなりに扱われるようになるのですが言い返せるようになるまでは酷いもんだったみたいなの。
まあまあ今と似たようなもんじゃん。
人間の権利って言われた時に女が持っているものは人間である男が取り戻すのが正しい人の道みたいなこと言い出す感じの。
うんざりはするけど、日本の人権意識レベルの低さから苦痛ってほどのこともなく読んでました。
ただ、当時の日本の社会ってそもそもが「働いてる女性」は「性を売る女性」とイコールであるっていう前提があるらしく、そういや、飲食店だとか銭湯とかにサービスする非公認の女性がいたな、とふと思い出すわけですが。
普通に物を言い返してくる、男に手を触れるダンスをする、という意味で、女学生のことを娼婦だという認識しか持てない人たちがいたって語られていたな? 良家の子女である女学生を勝手に男に売り飛ばす下宿の大家がいたな?
多分こう…、どうしてもそれが悪いってわからなかったんでしょうね。
金貰って預かった娘を売り払ったのが知られても悪いのは女学生だろうし…。
10月15日めも。
リアルタイムは2020年10月22日、この雑記の名目では2019年となっております1年ほどの差が埋まって追いつくまでは基本的に年度を入れていくような所存、基本的にはいつのことでもいいって内容ばっかりになってるけどね。
で、前日分で書いてたのは女性の立場の戦前仕様みたいなやつ。
インテリがねー、あんまり今の「まともな男」と変わらないんだよね。
ていうか西洋教育受けてるから今の日本仕様よりまとも、あ、ただ、作家がインテリかっていうと多分イコールじゃない、だって妾持つことを恥じるようになった頃に「妾と妻を同居させるその蛮勇、そこに痺れる憧れるっ!!」なこと言い始めてたし。
ああうん、独歩さんが確かそんなで、でも憎まれてなかったんだよ! とか褒め称える感じでフォローされてたんだけど、ブームだったの? と聞いて、まあなんだ、評価滑落してました、同意の結果ならともかくなんだブームかよ。
というか、その辺の江戸時代においても獣に劣るってされた行為を誇らしげに行っていた人らを辿って行くと初期のキリスト教関係者がわらわらと出てくるので、まあ独歩さんもそういう括りの人だったんだろうな。
愛人持ってる人はそれ以降もちょくちょくいるけど、女をこーんなに足蹴に出来る俺らはなによりも尊いって世代はさすがに限られてるからなぁ。
泣菫さん(芥川や菊池さんの新聞社においての上司)のとこは、確かに女性を見下すことが挨拶みたいな新聞連載持ってたけど、あそこの奥さんは黙って毒になるような怪しげな健康薬とか飲ませてきてたぽいので…上のチンピラ勢と一緒にするほどでは…。
てか、女は見下すけどインテリ教育受けた令嬢は人間扱いしてたし、まあうん。
10月16日めも。
いやね、「自称保守の人たちが振りかざす日本の謎伝統」みたいな話がついったで回って来たんですよ、主婦のイメージとか戦時下ですよ戦時下、と思い返してついでに呟いていたんですけどね。
多分あれ、戦争のあとで断絶した明治以降の習慣をまるで古来からの伝統のように思い込んじゃったんでしょうね。
この謎伝統、あっちでもこっちでもよく聞くわー、みたいなことを頻繁に読むからね…、若干段階が違うけどまあ似たようなものだろう…(よく見るってぼやいてる人を主に見てる)。古来からの伝統って言われてるのを調べると明治由来みたいなの。
調べた中で一番強烈だったのは相撲の土俵に女を上げない伝統なんかねーよ、て言ってる人がいたのでそうなの? と調べてみたら明治時代に上半身が裸の、なんというのかな、「おっぱい相撲」みたいなあれがありまして、これが怒りの禁止喰らっていて女性が土俵に乗ることが禁止されており。
医療関係者が命を救った案件に対しての説教がおっぱい相撲の取り締まり由来?!
という意味で強烈でした、あ、おっぱい相撲ってのは多分正確じゃないです、まあそこがお目当てだよねちょっと真面目な本だったのでもごもごしてたけど。
まああれ、神社仏閣とか江戸の当時は総合アミューズメントパークだったらしいからなぁ、相撲も歌舞伎も気楽で砕けた庶民向けの伝統であり(伝統ではあるよちゃんと)、色物担当だったようなのでそう驚くこともないみたいです。
問題はあれか、そのことをさっぱりと忘れて説教する伝統的ニワカか…。
あ、相撲協会は伝統振りかざしてなかったです、外野が言ってたからね。
10月17日めも。
なんか、戦前戦後までに至る(戦後の男は明治以降の女性の扱いを「江戸よりははるかにマシなのでスタンダートであるべき」と思ってるような気がする)家族制度ってどうなのよ的なことを語るつもりで開いてあっちこっちに話が散らばってますが、この話を真剣に突き詰めたところで特に誰も幸せになれないので適当にしとこう。
江戸時代の母親の尊さとか言われたら否定するけども。
そもそも多分、幼児教育とか存在してないよね、ていうか名前を付け直すって習慣あるじゃないですか幼名、あれ、特に言われてはないんですけども、半分くらい減るから、いちいち名前を付けると大変って意味じゃ、ないかと、思ってるんですけども…。
人の名前に一年草の文字を使うことがない伝統を知らないのね! とこないだももまんが呟いていて、いや、茉莉さんおるじゃん森さんとこの、みたいな感じのところに話を持って行ってたんですが(茉莉さんだとバレるとレアケースではと言われる可能性があったので他のことから話してったけど、うむ、彼女の家は名前がそもそも変だ)。
幼名に一年草の文字を避ける伝統があっても、暗黙の了解があっても私には違和感はないというか、私も知人レベルでも止める多分。
あ、現代なら全然構わないと思います正直、不幸にして儚くなってしまったとしても不可抗力だし、半分には減らないし、半分減るのは無視出来ない、神経質じゃない。
なんの話をしたいかというと半分に減る前提ならそりゃ逆に余剰の子どももいるだろうと、その子たちを奉公に出して食い扶持を減らすとか、置屋に売るとかがそこまで問題があるかというと、まあ、無理もないところはあるんじゃないかなってことでね。
そういう前提抜きに批判するのも、ましてや賛美するのもあんまりなぁ…。
10月18日めも。
そういやちょっと話はズレるんですけども、前に織田信長のことを呟いていたんですよ、いや、彼にはどうも亡くなった長女がいるみたいなんですけどもね、母親不明の幼名しか付いてない長女。
これが正確なのかはよくわからんです、それ紹介した本1回しか見てないし。
母親が誰かという記録が残らないほどの女性との間の、幼児期に亡くなった長女の記録があるみたいだったんですよ、彼。
「普通の人間じゃあないよね」って言うと今だと多分幾分伝わりやすいんじゃないかと、忘れるか忘れないかって言われたらそりゃ最初の子どもなんて忘れないことのほうが当たり前かなと思います、あとになると忘れそうだけど。
それが現代まで残ってるってことは、残されたんだよね意図的に。
1回しか見てないんですけども、あんまり一般受けしそうな題材でもなかったので、他で見ないことでそう積極的に疑ってもないです、それを盛っても面白くない。
あくまでもこういう、半分が減る、その子どもを普通に人間としては見ることが難しいっていう前提があってこその違和感として出すのが自然かなー、と。
女が物扱いされ、殴る蹴るの扱いを受けて当然の社会だったわけじゃないんですよ男尊女卑(これが指すのは明治以降の社会みたいだけど)。
というか「物」というのは財産なので、そりゃ間男とか逃走とかだと暴力支配になるけどそれはあくまで財産として棄損される前提。
従順に振舞うと殴る蹴るってのはかなり特殊な性癖を持った人か、明治以降じゃないですかね、明治以降の女は働けるから男を捨てる能力があるので…。
10月19日めも。
というかいつからそういうイメージなのかよくわからないんですけども、「奴隷」って聞くと殴る蹴るセットが必須ですよね少なくとも現代日本人。
中世ファンタジー(中世初期にローマ以降の技術力が隔絶していて家の建て方を懸命に模索してたよ! 屋根作るのがとっても大変だったみたい、君のイメージする中世は本当に中世かな?! みたいなあれ)でも奴隷って殴ったり蹴ったりの描写が必須ですよね。
そりゃ、良い服着た家の家計簿付けてるのが奴隷ってわかんないもんね…。
ただ多分殴られてるのは近代の奴隷だと思うんだわ。
使い捨ての労働奴隷、働かせる方法が暴力支配しかないのも致し方ない。
フィクションにおいてもそもそも種族が違い、戦争などが直近にあったために大量に手に入り、ぶっちゃけ余剰があるような感じ、だとちゃんとした設定だなと思います、近代奴隷じゃなくても「財産じゃない」感じの扱いにはなるわな。
というか奴隷って大量生産出来ないんですよ、基本的に増えないし。
かなり大事にされて家庭を持つことが認められて、子どもも同じ家に勤めますみたいな感じの奴隷もいたぽいです実際、殴ったり蹴ったりした結果かというと、いや、多分違うだろ、移動の自由まではなくても多分単なる使用人と見分け付かんだろ…。
家財の持ち逃げをしても他所で生きていくのが難易度高めな分、戦争などによって教育受けた奴隷なども混ざっている分、普通にかなり高価で稀有なもんだろ奴隷の一部。
奴隷を描くと殴る蹴る、必ずセット、必須かっていうと、多分違うんですよね、それを成立させるためにはかなり限定的な状況があるはず。
さあ女性が「物」だった時代、殴られたり蹴られたりは当たり前だったでしょうか。
10月20日めも。
あくまでも財産なので主人がいて、その意思に反しての自由は多分少ない、確かに現代においての人とは違う感じの扱いですけども、それと殴ったり蹴ったりって全く無関係なんだよね、だって蹴らなくても殴らなくても女性が働けない時代、そんなことしなくても言うこと聞くもんなんだもん。
あとあれ、主人がいるわけじゃないですか、妻が補佐だよね。
主人以外の男は下僕です、そういうルールなので家父長制。
確かになんかやべー感じのサディストがいて、それが主人だと逃げられないことはあるのかもしれないけど、まあ妻じゃない女性が…あてがわれてるのが普通かと、だって女は財産だから。
無意味に目減りさせられたりすると家の維持に関わるし…。
男の長はなんなら無能を極めていても女がしっかりしていれば家は回る、それが男尊女卑の世界観、てか多分、人間の種族特徴的に「そのほうが社会が安定」な可能性すらある、女性が家政を担ってることのほうがどうも伝統的に多いのです。
プロ雇って分業してることもあるけどね、あと、未亡人だけだとなんとか家が回るけど、妻が死ぬと家が回らないからって荒廃してくみたいなケース、思い出せるんじゃないかなと思いますざらなので。
女が財産ってのはまあ、そういう状態なんだよね…。
逃げられるとめっちゃ困るけど、殴る蹴るがデフォルトかというといや多分ない。
殴る蹴るがどこから来たかというと、奴隷を思い返すと暴力支配以外に働かせる方法がない男に限られる、要するに貧しい男か悪くてヒモ、現代と同じだよね、それ。
10月21日めも。
そこでこう「女を無下に扱えるなんて痺れる憧れる!!」の若手文士集団と、それに対してあいつら頭おかしいんじゃないかという目で見ている明治後期のインテリたちという胸が熱い展開が脳内にて繰り広げられるんですが。
それを現代人が読むと若手を女に対して平等に扱い、年寄りが女に殴る蹴るを行うという前提で何度も何度も何度も再構成しようとして、いまいち上手く行かないのかエピソードが散り散りになっているという感じの本が時々読めるのでそれも感動的です(嫌味とかじゃなくて、経緯を推測してくとなんか本当に胸がいっぱいになってくる、よくここまで捻じれたまま存在していることが出来たよね)。
というか正直言って、明治時代にはもうすでになんか謎の伝統みたいなものがあるように見えるんですよね、西洋教育とか全く違う、江戸時代とすら被るところがない、どこから湧いて来たのかがよくわからない、守るべき人としての道。
古い世代を否定して、今、女を人として認めず、殴ろう!! 目指せヒモ!!!
あ、作家が「働いたら負け、売れたら底辺」みたいな概念のために女性を殴ることに対して誇らしげだったのは昭和になると本当に展開しています。
どうもこの彼らよりも、売れた作家のほうが人として底辺って扱わないとならないみたいんだけどね、なんだろうな本当に、この謎伝統…。どういう認識なのマジで。
正直家父長制は女性に進路の自由がないので今は否定されるべきものだとは思っているものの、最終的にヒモを目指すことこそが男としての本当の人の道、女を殴ることを躊躇っちゃ駄目だヒモになれない、系より悪いかって言われると。
家父長制のがだいぶマシかな…、謎伝統、なんなんだ本当に謎伝統。
10月22日めも。
男女差別がどうのって話をしようと思ってたんだよね多分私、女性の身分が低いとか言おうと思っていたんだよねこれ開いた時点では多分。
「男に生まれなくて良かった…!!」となるんだよなぶっちゃけ。
いや、教育あるまともな家だとこんなよくわからない伝統はないみたいなんだけど、究極的に女をヒモを目指す道具として扱うことを根幹に持っている謎伝統の系譜に絡め取られるのって死ぬほど辛い人生ぽいじゃないですか…。
売れることは恥ずかしい、女を働かせるために殴れないなんて恥だみたいなの。
いや、本当に明治期に文士村で繰り広げられてたあれなんだけど、まあ正直、本気で辛かったと思うよ彼らみたいなことを書いた女性が語ってたので。
謎伝統の系譜に捕らわれると、最終的に突き詰めるとあのルートに入る…。
芸術の本道は女食い散らし、目指すべきは作品の完成度の低下!! みたいな感じになってしまっている高尚な芸術って思い返せばわりと聞くしなぁ。
私はこれを書いていて、嫌味言いすぎてちょっと偏執的なところに入り込んでしまったのではないかという疑いに駆られるのですが。
全員が「この域」には達してないけど、社会が閉塞するとわりとすぐに目指そうとするってのは、思い返すと、あれやこれやと。
でも多分、女を働かせて男はヒモっていう信念ではないはずなんですよね、なんか別のはずなんだよ、あれかな、女が家を経済をも含めて回し男は兵隊になるのバリエーションなのかなひょっとしてこれ。
兵役がなくなるとヒモになる…? ああ武士か、江戸時代の余剰戦力…。
10月23日めも。
一旦事実ではあるから、という思考停止をやめてみて良かった、最終的な結論はあれだ「髪結いの亭主」だよね要するに?
多分旦那は素浪人、確かに士官が出来ていない無職なんですが彼らが悪いわけでもない、いるんだよな社会に余剰戦力、そこで剣の道を捨てずに内職以上のことはしないってのを一概に否定するのもなー、という納得の行くあれ。
彼らが完全に諦めてしまうとそれはそれでそんなに健全でもないんだよな。
どこかの段階でなんかしらの戦いが起こるのだというのは、ぶっちゃけ江戸時代においてはそんなに長くは忘れられてなかったと思うので、江戸の社会ってのは全体的に戦力を持つ可能性のある存在を削ることに特化していてその結果のぎりぎりの平和だったということが社会制度から透けて見えるような構造になっているので。
どこまでも、いつか、いつかこの社会が崩壊するって気持ちはあったんじゃないかな、特に末端の武士たち、それがどんな形かはわからなかったんだろうけども。
作家たちも売れることは悪だって断言になったからあれだけど、良くて3年程度のブームに乗るとあとが痛いことになるってのは確かに言いたいことはわかる。
庶民に読ませるためには辻褄の合わない盛り上がりを入れ続けて作品全体を破綻させるようにする能力しかない、彼らは高い教育を受けた一部のインテリとは同じことは出来ない、技能持ちインテリを嘲笑い始めたのは本末転倒寺かなって思うけどね…。
多分だけど、他の芸術的とされる芸能に関してもこういう言いたいことの一部はわかるけど根本が逃避行為では? みたいなことが是とされてったんだろうな、ブームに媚びなくていいよ、技能磨けよ、磨いたら負けか、なにと戦ってるんだ謎伝統。
(文或と近代もろもろ、169)
最終更新:2020年10月22日 17:11