雑記:文或と近代もろもろ、165


9月4日めも。


リアルタイムは2020年の7月20日、本当はやらなくてはならないことがあります、というか、この行だけ打ち終わったらそっちに行くことにしよう。
よし終わった、しばらくは「なんか変なやつ」を書いていく予定。
簡単に言うと私の近代資料として使ってるようなものです、私の前のミーハー趣味ジャンルはとうらぶ、これの前が鉄道擬人化。
既存の作品から入ったんですが、だいぶ住んでいる地域が違うため、なんとなくピンとこなかったので今は時々拝見してるだけかな。
具体的に言うと東京メトロ系、地下鉄の話はすごく好きでした。
ところで私の最寄り路線は京王電鉄という会社で、わりと最近まで、いやまだ最近でいいよな…ちょっと心許ないか、まあ平成時代まで「京王帝都電鉄」という名前でした、この名前はもともと別の鉄道会社が合併した体裁のため(合併でいいのかあれ)、約半世紀ほど名乗っておりその後改名の順番。
そういや東京メトロも前の名前に「帝都」入ってましたね。
簡単に言うとあれは東京のことなんですが、帝国の首都という意味です。
大日本帝国なので、まあ、いくら穏当な経緯で作られた会社でもいつかは改名されても仕方ないんじゃないかな(帝都電鉄はそれこそ昭和7年に作られてるので、いいとか悪いとかじゃなくて他意はない)。
どうも戦前最後の開業となります、あ、正確じゃなかったらごめんなさい、関東近縁なら実際そう言われてたので問題ないと思うんだけど。

これの現在の名前が井ノ頭線、渋谷と吉祥寺をつなげる短い路線。


9月5日めも。


まあ井ノ頭線に関しても面白いんだけどね、ぶっちゃけて次の次の社長が帝都電鉄系の生え抜きで、その時代に現在まで残る大規模な事業を短期間でがんがんぶっ建ててって借金嫌な京王さんとこと揉めまくって辞めるに至ったとかそういうのも。
その話は現代なのでさて置いて。

京王線というのは本当に甲州街道に沿って作られました、路面電車。
甲州街道というのはもともと徳川の私道扱いになっていて、その維持が面倒くせー、みたいな感じのこと言われてたり特別な藩しか通れないとかそんな感じの。
で、この街道、その兼ね合いの結果大八車通れるんだよね。
八王子ってのはちょっとした生産集積地だったんですが、そっから江戸までを大八車使ってー、そこから鉄道に乗せて横浜(海外港)にー、みたいな感じの動きがあったんですよね、まあどう考えても明治初期だわなこれ。
鉄道に乗せる量とかさすがに道が傷むわってことになって鉄道を作るべ! と商人たちが考えたものの、街道ってのはな、街道のほうに向いて家とか建ってんだよなんでそうなのかはわからんけど絵地図見ててもそうなってるから、どの街道復元模型でもそんな感じ、なんでか知らん、道の側向いてる。
蒸気機関車が火事を出すなんてたまにしかないって見解はわかる、だが、甲州街道を蒸気機関車が通ろうとするのは向かい合った家の間を火花が舞うわけで。
あくまでも最初から「甲州街道が果たしてるルート」って前提だったと思うよ。
だってさすがに物には限度が、距離が近い距離が近い、一応水路で運ぶこともしてたんだけど上水道だからやっぱり無理がな、水道です、飲み水、駄目だわな。


9月6日めも。


これで作られたのが現在の中央線、甲武鉄道、甲州と武蔵をつなぐ鉄道、甲州街道とほぼ意味同じです、江戸からの目的地を語る感じの名づけだからあれ。
まあ八王子まで開通したんだけど、生糸のためだから。
でも商人たちのたくさんいる甲州までは伸ばしたいのでそういうお名前。
片割れさんが確か甲州の出身だったかな? メインの方らがお二人います。
ここは商人が作った私鉄なので認可下りるまでも大変で、甲州街道チームからも繁栄持ってかれた的な意味でいまいち冷たい関係(揉めたことはないけど、なんというかいろいろトータルで見て仕方ないし、甲武鉄道は延々田んぼの中を進む感じ)。
で、電化したんですよ彼らは、見るからにコンセプトしっかりしてたというか「必要に切迫されて作った鉄道」のためめっちゃ儲かってたし、生糸利益高いし。
まあその前に市内に路面電車が走り始めたって意味もあるんだけどねー、甲武鉄道は東京駅を目指してたんでその辺で競合するんですよ、路面電車はもともと馬車鉄道がほぼ蒸気機関車と同時期に走り初めましてこれが市内で主要3社として市内交通として完成、その後合併したみたいな順番。
ばらばらの本で読んだのでどっちが早いか遅いかはちゃんとわかってない。
蒸気機関車よりもはるかに利便性が高く、長距離にはあんまり向いてないけれど本数を増減するのが簡単というか(馬力だと蒸気機関車のが当時はずっと上)。本数さえ多ければ採算ベース的に上、商人が選びそうな手段です。

で、日本で一番稼ぐ路線となり、この路線を手に入れなければっていうことで攻防があった末に大規模国営化されました、単独買い上げだとまあ多分無理だったよね。


9月7日めも。


ところで路面電車が出来た辺りからわりとこう、甲武鉄道からは「本家」と言ってもいいような甲州街道チームが電車なら引きたーーいみたいなこと言い出しました、ざっくり略すけどこれが京王線です。
だって他の街道も路面電車作ってたしな、関東の私鉄の半分くらいがこれ。
ぶっちゃけて一番使われてた甲州街道が黙ってるわけもない。
だが、どう考えても甲武鉄道に近すぎる、あっちの鉄道は私鉄であり商人たちの持ち物であり特になんも国に権利がなく、設備投資もがっつり、どう考えても敵に回したいわけがないへりくだっても辛い。
わかりました、甲州まで作りましょう、我々が! みたいな感じで国が八王子の先から甲州まで作って接続するみたいな。

結果的に、京王線は認可下りませんでした、もう一つの兄弟路線(甲州街道の脇道みたいなの)の認可に絡めてどさくさで通そうとしたけども無理みたいなこっちもこっちで攻防を繰り広げたのもまあ全部見てるとなんとなくわかる。
そのため、認可は「鉄道国有化」を経てから出ました。
なのでまあ、なんか路面電車としては地味に時期が半端な大正3年が開業となっております、東京駅とか作ってた頃。
路面電車はあんまり作るのに時間掛からないのか時期似てるからねー、蒸気機関鉄道だとわりと時期ばらばらになってるけどね。
なんで知ってるかというと東京駅に建築材料として砂利とか運んでたらしいって記録があるからね京王線(兄弟路線である玉電と共に多摩川の河原からの砂利)。


9月8日めも。


で、というか、まあ砂利はいいんだ中央線(改名しました甲武鉄道、この下に置くことを許さないこの感じ)には出来んし、多少やってたかもしんないけど向かないし、煉瓦からコンクリートに転換していく時代でいくらでも需要があるし。
ところで京王線に関しては豪農がメインで作りました。
多分これを言うと「あ、うん」となると思うんですけども、迷走しました、そもそも中央線の存在もあり住宅地として展開しあちらはあちらで繁栄しており、なくても済むけど両者棲み別けるくらいの需要は多分あるんだけど放漫経営となるとさすがに近い。
なんせ現代人でも20分くらいなので、明治人が歩けないわけがない。
放漫経営していいのは平行線のない街道くらいだよ!!
と叱り付けたいんですけども、借金が膨れ上がって大変なことになったようです、ああまあ、砂利もそれなりに設備投資いるし、方針も完全に一致してないし…。
砂利と路線沿いに渋谷の練兵所向けの宿舎とか持ってた玉電の堅実さよ。
まあこれのせいで借金めっちゃ嫌いになってて「お前は本当に鉄道会社なのか」の自己資本比率を誇り、私鉄平均出す時に京王電鉄は除きますとかされてるんだけどな。
大正一桁を引き摺ったまま令和に(方針変えてません)、執念深いな。

そしてクライマックス、森村銀行に救われました。
始めて見たんですよね私、森村銀行、なんか三菱銀行に合併されてしまったことしか調べられず、地方の小銀行だと思うじゃん、ただ、経営者連れてきてくれてその方が立て直してくれた上に砂利のほうのお仕事もくれた気配が。
あれなんですが、三菱地所の仕事なんですが、普通の銀行では、ないなこれ?


9月9日めも。


大正3年、天下の「日本一稼ぐ甲武鉄道(本気で当時のそういう調査がある」の平行線であるちょっと出発時期が遅かった準市内系路面電車であるところの京王…なんだっけ昔の名前、京王電車だっけなんか違ったような。
まあそれなりに立て直せそうではありますが、それを救った森村銀行、よくわかりませんでした、森村財閥の銀行だということはわかりましたが銀行の歴史を見ていても(読みました)三菱銀行と合併したことしかわからない。
仕方ないので三菱銀行の社史を読み始めました。
いやこれ、本当に仕方ないんですよ、その時点で森村銀行が特別な銀行だとは全く思っていなかったし、さすがに銀行単体の歴史の本なんて滅多にないし。
ていうか三菱銀行があんまりまともに稼働してなくて、何回も形態変えてるし、そこになんか行動がおかしい森村銀行…。
結論から言うと森村銀行と三菱銀行の合併前にも合併話は幾つか両者にありました、が、どうも相手がすでにして抜け殻か、二者の関係の礎として吸収させられたというかあの、支店手に入れるために合併されたとか、ゴーストカンパニーっぽいのが資本だけ与えられて森村銀行と合併してるこれはなに?! となりました。

戦後にすっ飛びます、三菱銀行は結果から言うと財閥における接収から免れました、理由が「森村銀行と合併していたから」でした、三菱地所が自社資料を前日だか当日だかに近くにあった三菱銀行に突っ込んでいたのでさすがに確かです。
そんなこと社史に書くのかよ?! という突っ込みなら同意します。
本当に銀行の歴史に突入し、財閥を調べたのはこの順序でした、物の弾み。


9月10日めも。


そしてまあ、この流れだと森村財閥を調べることはこの際今更だったんですが、複数ある本がなんか見事に同じ時期に出ており、ちょっと不安になりながら読みました。
同時並行に読んでいった三菱のほうの本に(この際だったので)、「ありがとう龍馬伝! 親友設定はちょっとないと思うぜ!!」みたいなことが載っており、つまりどうもあの大河で目立った岩崎弥太郎の需要によってすぐ近くの時代の財閥にまで余波が来ていたのではないかと察することが出来ました。
ありがとう龍馬伝、ありがとう大河!!
ところで竜だっけ龍だっけ、なんかどっちでもいい人たまにいるよね、だがしかし大河のタイトルは固定なんだけども調べるのが面倒です、間違ってたらごめんなさい!

そして過去に何度か書いたのでやる気がないんですが、まあ森村さんはすんげえいい人だったから財閥まで成長し、日本の陶器メーカー全ての資本を担当する感じの人になりました。
必ずしも全ての会社が円満だったわけではないのだ! みたいな見解はたまに見ていたものの、どの資料に関しても口答え一つもしないほどではなく、喧嘩をしたことはあったんだよレベルで展開していたので、絶対服従を求めているのに違ったことを指摘する人なのだ、と脳内で分類する感じですかね。
まー、喧嘩くらいはあったみたいだし、完全に円満とは言い切れないけどねー、くらいの言い方に留めて欲しいものですそういう人もいたし。
というかどいつもこいつも研究馬鹿なので、多少しばくくらいは仕方ない。
本当にどいつもこいつも職人でした、需要がこっちだって言ってんだろうがみたいなあれもたまに通じない、現代で言うとノリタケとかです、てか日本の陶器系全部そこ。


9月11日めも。


で、森村財閥を読んでいてさっぱりわからなかった銀行なんですが、なんかどうも全体的に特殊な会社なので普通の銀行では駄目っぽいみたいな感じで作られたらしく、そして作られた銀行は大正一桁の時期に潰れかかっていた私鉄にめちゃくちゃ親切に経営者(めっちゃ長期な上、戦後の社長にも彼の子孫説がある、未確定、わからん)を連れて来たりしていて、多分京王以外にもやってるよね。
関東大震災の時に銀行が潰れたり融資を切ったりされたので、森村銀行はそれを引き受けて大変なことになり。
ここに三菱が作ったゴーストカンパニー的な企業とか、他の潰れ掛け企業がめいっぱい資本注入されたあとに吸収されたりしました。
今のはなんですか。
そしてもうさすがに無理だ、あいつら経営のこと考えてないっていうかどう考えても三菱が半ば公私混同で継ぎ込んでくれた資産に対しての遠慮皆無! みたいな感じで三菱銀行と森村銀行が合併することになり。
三菱財閥は株式公開に至りました。
よくわかりません、だって合併決めて合併に至るまでの間に本当に株式の一般公開してるんだもん…、一般公開をするといろんな情報提示が必要になるとかで大混乱でした、そして森村銀行と三菱銀行の合併となりました。
今のなに。

そして三菱銀行は「預金は大量にあるが融資先が全くない半端もの」から普通の銀行になりました、森村銀行は逆でした、私も森村銀行には預金したくないです、はい。


9月12日めも。


私正直に申しますと財閥への評価は昔から低くなかったものの(福沢諭吉さん読んでると出てくるからなぁ、人材を得るためにまずそれに相応しい教育をするところから、てのは完璧なまでに私の好みと合致するもので)、さすがにこう、そこまで善良だとは思っておりませんでした。
まあ森村財閥は別だけども、ちょっと貴方たち、お名前にあやかって森林保護に参加してみなーい? が日本の環境活動の最初らしいですし。
日本のノブレスオブリュージュったら森村財閥らしく、その名前は華族調べてる時に有馬さん経由でも出てきました、彼らの慈善事業を手伝うよ! みたいなの。
普通の財閥なら叩かれることもあったんでしょうが、彼らは妖精さんの一族としか脳が認識しないので多分大丈夫だったと思います、責めてるの見たことないし、職人とは揉めても俗物が責めたりしにくかったんじゃないかと、私なら無理、ひれ伏す。
なんか一族で区別せずに森村さんとこで括ってますが、正直、本を読んでいる段階から区別が出来なかったので仕方ないと考えて下さい、見分けが、付かない。
まああれだよね、親御さんたちが善意の塊であること「が」社会的成功の原動力であると、さすがにあんまり他の道を選ぶ理由がないのかもね。
実は地味にそういう人たち他にも見るし、先祖伝来の気質。
あとそういや、毎日新聞の社長がちょっと慈善事業で有名だったらしいので今度調べたいですね、資料がどこにあるかわかんないけど、あれは変なツテが出来る。

三菱財閥は森村銀行への挙動不審にて完全に株が上がりました。
恩に着せてたらそうでもなかった、100%意味不明、だがいい、よくやった!


9月13日めも。


あくまで私が銀行→財閥へと突っ込んでいった事情、みたいな感じのコンセプトだったので話が取っ散らかってましたが、なんかの形で残そうと思います。
というか三菱財閥に関してはともかく、森村財閥にしても三菱銀行にしてもこれ以上は本がなくて調べられなかったんだよね、森村財閥の社史っぽいのはあったんだけどそうそう図書館にも蔵書がなくて一応ある土地にいたこともあったんだけど、もたもたしてる間に間に合わなくなった感じの、しかし新しい分野の社史って読めないんだよね…。
なんというか、ミーハーに関わった鉄道に関して「それほど調べてない」てのもこれが理由ですね、もともと財閥に関してはあれこれ見ていたので財閥って意味だとそれなりに調べたとは言うようになったものの。
ただ、鉄道に関しては土地の事情、それぞれの交通整備の目的、開業した人間たちの思惑とかいろいろ絡まり合って面倒だよなー。
私は国が甲武鉄道にへりくだっていた辺りと、京王が森村銀行に救われた辺り、森村銀行との合併に際して、挙動不審を極めた三菱財閥辺りが好きです。
こういうの知りたいから歴史を調べてるみたいなものなので。
だって、こういうごちゃっとした、よくわからない、実際、明言するわけにもいかない事情とか語れないじゃん、語ったらまたおかしなことになりそうだし。

アマチュアの醍醐味ってその辺じゃないかなぁ、複数の社史と幾つかの本(研究書ってレベルのものはない、ただ情報の詰め合わせとしてバイアスが掛かりにくい、集めたらだいたい決着が付く)、そういうのを突き合わせて、これはわからんけども、なんか、善意だよね? 底抜けの、と結論付けることが楽しいのですよ、楽しいだろこれ。

(文或と近代もろもろ、165)
最終更新:2020年07月21日 01:04