雑記:文或と近代もろもろ、176
12月23日めも。
リアルタイムは2020年11月1日です、あとここの分を書いたら2019年が終わるので「なんかすっごくやり遂げた」かのような気持ちになっているのですが、せいぜい進んだのが2か月かそこらの日数分の雑記だけなので完全に気のせいだし、そこからの開きも11か月分ってことだよなぁ…。
まあそれも含めて別に気にすることもないか。
やり遂げた気がするのだけは勘違いかな、で終了かな。
ところで「文アルのキャラ言及」、打ってたんですけども最近。
あれですね、売れると扱いが悪くなるとか存在が無視されたり抹消されたりとかわりと毎回書いてるよな私、逆もあるんですけども、逆はあれ、証拠がないじゃないですか、いや、証拠もあるにはあるんだけどちゃんと前提から示さないとなんともなー。
さすがに改造社の社長に売れない作家って名指しされてた志賀さんなんかは別にいいと思うけど、なにがあったんだよマジで。
ぶっちゃけると出版とお金の本でも売れてなさそうな作家代表としてデータ取られてましたね(いや、その改造社の話してた本と同じだけど)、売れてる代表が久米さん、だいたい2人の本が同時期。
なんで志賀さんが権力の頂点で久米さんが存在抹消なんだろうな?
いや、作品の質がって話なら別にいいとは思うんだよね、個人の自由だし、でも志賀さんていっつも物理支配ってことになってるからなぁあの人…。
戦後の文学史においてそうなったのかと思っていたら、別にそんなことなかったのはびっくりしたんだよな、物理支配者は別にいんのよあれ…、どこで混線したんだ。
12月24日めも。
ところで文学史って言ってるのは、まあなんか、本とかに載ってる感じのやつです、純文学が日本を支配したみたいな感じの前提のやつ。
んー、どっから始めるか迷うけど、まず明治維新がありました、その時点で日本学のようなものがなく、漢学と混ざってたらしいんですよ、そうね、江戸時代においてインテリってのは漢学者のことだったわけだし。
そういう意味では明治に入っても習うべき国を取り換えただけであんまり変わってるってわけでもないのかしら。
とりあえず日本と中国を分離してたみたいなんですよね。
で、別けたのが「日本文学」、略して「文学」だったようです。
まあただ、学術的部分体系的部分を分離したらとりあえず物語りに比重が大きめになってしまうのも致し方なかったのかな…。
ここから後に「歴史」が分離しまして、だがその時点では歴史をも含むってことになってたみたいなんですけどね。
特にそう表現されていたのを見たことがなかったので若干躊躇われるけども、文学ってどうも「文字文献」のことぽいんだよな。
「国文学」って呼び方になるとわりと内容が定まってる気もするよなー、雑誌もあるし、日本語表記についてがたがた話をしてた帝大を母体にした…あれいや、全体像よくわからんな学者たちって…サロンではないんだろうなぁ多分だけど。
この時期にね、純文学による大衆文学との対立があるって本を読んだことがあるんですけども、近代小説まだねぇんじゃねぇの? となるんだよなぁ、次から仮説。
12月25日めも。
えーとまず、大衆小説ってのはあれですね、戯作のことだよね、江戸時代にあった…なに本って言うんだっけ、まあ娯楽作品だよね。
この彼らは新聞記者やってたんですよ、多分小新聞が主だけど。
で、他の記者仲間からは低く見られてたらしいんだわ。
結論から言うと記者同士の格差があったのは事実ではないかと思います、なんでかというと記者を構成していた他の主な集団が儒学者なので、漢学者、江戸のインテリ、実学はだいたい漢学者のあれ。
大変申し訳ないながら、研究者とラノベ作家比べるみたいなものですよね。
前者を優遇し、後者の扱いが悪かったというのは、差別かな…、ていうか多分仕事ほとんど被らないよね…、比べれば扱いの違いはあったとは思うんだけど。
これと「純文学の作家」ってなんか関係ありますかね、多分まだ日本には存在してないんじゃないかと思うんだけど、ていうか、漢学者のことを純文学作家だと思い込んでしまった人は、さすがにその後気付いたんだろうか、でも微妙に近い言及あるんだよな。
戯作者(これが大衆小説扱いってのはいいんじゃねぇの確かにパッションはわかる)がいればそこに立場が上回る彼らに先んじる純文学作家がいるはずって信念は、一体なんなんだろうか、一度しか見てはないです、本は忘れました。
さすがに豪快すぎんだろ、となるし、これだけ単独で見てると嘘っぽいよな正直。
ただ、本当にそれは大衆文学なのか、本当にそれは純文学なのか、本当にその対立はその圧迫は純文学による迫害なのか、という案件の多さを見てると。
わりとそのルールには外れてなかったんだよね、独自のルールというか…。
12月26日めも。
てか、このケースをよく触れてるのはさすがに物理的に近代小説がないだろって言うとそこそこ通じるので、てか、本思い出した…思想史の人だったんで、日本文学って聞いて意味勘違いしたんだろうなぁ、とはわからんでもないものの、その後、対立を…全て脳内のみで作り出しちゃったって…ことに。本当にさすがに…。
国文学の異名って言えば通じる程度の人だとも思うんだよなぁ。
まああれ、国文学の雑誌の中でも活躍してた逍遥さんが「小説神髄」を書いたわけじゃないですか近代小説の概念の初めですね、実作はないでもないらしいけども、まあ政治小説とか翻案小説の辺りだろうな多分(鴎外さんこの辺も好きよね)。
で、硯友社が逍遥さんに与したらしいんですよ、そして探偵小説(上で触れた翻案小説の一種)に対して喧嘩を売ったそうなんですよ。
そして探偵小説の旗手である黒岩涙香さんはそれ以降、実社会から姿を消してしまったそうなんですよね、まあこの辺整理していたら怒りと共に告げられたんですよ。
純文学の横暴を誤魔化すのか的に。
涙香さんの率いる『萬朝報』が日本一になったのはだいたいその辺りの時期でした。
引退とか隠居とか、多分だけど別にしてないんじゃねぇの。
うんまあ、小説書かなくなってはいたんだけどね、あと政治小説がこの辺りの時期でなくなってしまったので、ひょっとして逍遥さんの理論に押されて…? と語っていた人は許されていいんじゃないかと思います。
制限選挙が決まって庶民への働きかけがなくなったぽいんだわ、それが明治22年、小説神髄が明治19年、確かにこの勘違いはわかる、時期ぴったりだよな。
12月27日めも。
あとこれは勘違いの話じゃないんだけど、若干私が把握していないマスコミ主体の啓蒙を主体にした小説というのがあるようで(全集にはなってたよ確か)、多分だけど『国民之友』なんかで掲載してたんじゃないのかな。
あ、ここに小説が載ってたのは『中央公論』の立て直しのために瀧田さんて方が参考にしてたので多分問題はないです他で見たことはなんかあんまりないけど。
まああれです、自然主義文学が出て来た時に面白くないってことを蘇峰さんとこの論客たちに攻撃されていたんですよね。
面白くなくてもいい、ただ純粋な文学というものもあっていいのではないか、というようなことを言い返していたのが花袋。
これがどうも純文学の意味らしいです、目的のない文学みたいな?
もともと北村透谷さんの思想らしいけど、そっちではちょっと意味合いが違うのかな、彼が恋愛を重視してたのも有名ですが、これは要するに自由恋愛、自分で相手を選ぶということ、人生を自分で決めることの勧めみたいなニュアンスぽい。
蘇峰さんはわりとマスコミの中でのガチめな権力者、お国寄り(もともとは違うぽかったけど主旨替え、そして蘆花さんが離れてった、と)。
それに対して言い返していた花袋が純文学だよね、これは。
ところで彼らの文学は「出刃亀文学」とか呼ばれてたんですが(覗きが女性の殺人を疑われたのがこの頃、彼が出っ歯だったんだって)、その前に前期自然主義というのがあるらしく、彼らはエロ小説と呼ばれていたようなんですが。
これより前の時代の純文学の迫害が今まで挙げて来た感じの、ううん。
12月28日めも。
さらに勘違いとかじゃないんだけど、自然主義の時代を振り返ると半分くらいの人が「漱石、鴎外にはげっしく攻撃されていた!!!」と息巻き、もう半分くらいの人が「そんなことされてねぇよ、どっちかというと言いがかり言いまくってただろうがよ、なんだったら漱石・鴎外叩き集とか作ってみたらどうだ」みたいな感じのスタンスで、それが同時にたくさん読める本をにやにやしながら読んでいたんですが。
この辺の時期の繰り言ってわりとパターンに当て嵌めにくいのかばらばらだよね。
時々別パターンに染まる人が側にいたので、たまに染まりっぷりを眺めてたけど、並立出来なさそうだったなぁ。
まあ、なんか文学史においては空白みたいになってるぼいんだけどね。
菊池さんたち第4次の新思潮らがこの時期というか、そこを眺めて育っているわけなんですが、そもそも新思潮が対立したのが自然主義だったり白樺だったりするので、特にどっちでもないんだろうなと解釈しています。
白樺は彼らの同世代がアマチュア仲間だよー、と言ってたので多分違うな。
花袋がいまだ勢力を持っていて、武者さんはそれを打ち破ることが出来るのだろうか、いや多分無理なんじゃないの、が芥川の言だよね。
この時代の「純文学の絶対権力」ってなんだろうな?
いや、菊池さんの伝記以外の本だとたまに出てくる概念なんですが、純文学に興味がなかったり純文学以外の文学を批判してると純文学を意識しすぎるがあまりみたいな感じに語られてるんですよ、それならば圧倒的な支配が前提にあるはずなのですよ。
自然主義ですよね多分、他の可能性がない、上半分で語ってる時代です、本当に…?
12月29日めも。
そういやあとちょっと時代をつなぐんだけど、「白樺の時代」はどうも大正8年くらいからを指すようですね、なんかねー、だいたい新思潮の天下はもう終わりだー!!! みたいな感じに叫んでたのと時期が合致するみたい。
これがなにを示しているのかはわかりません。
が、同時代に生きてたり直接その時代の人から話聞いてるとたまに出てくるんだよ、でもなんか全員きちんと語ってくれてないんだよ、てか新思潮より後かー。
(時期的には有島さんがぶっ飛ばしてたんで多分それ、女性人気高かったぽい。)
そして大正末期が近づき、始まる志賀さんの絶対王政時代、まあついでに売れないって言われてるのも似た時期ですけど、本当になにがあったの、どうも物が円本らしいんだけど、円本なんてそもそも売れない巻は売れないって評判なので、なんで名指しなのかがわりと本気でわからないんだよな…。
それを取り上げてた本の方もあんまり拘ってる様子がなく。
あー、まあ、うん、志賀さんに関してそんなに拘らないといけないかというとそんなこともないような、気もする。
ついでに絶対王政は明治末から始まってることもありました、この場合は終わるのが戦後なのかしら…。
壁新聞を書いた時点で文壇を制覇した本を見たと教えられたこともありました。
まあ確かにこの辺の時期になると「純文学サイド」からの通俗小説の軽視やら、大衆文学へのバッシングやらちょくちょく出てくるんですけども、志賀さんはそういうのに関わらないのでそれは特にないです、うん、評論家として偉い白鳥さんも特になかった。
12月30日めも。
白鳥さんはこう、自然主義ですけどちゃんと評価されている評論家で、通俗小説はあんまり読まないからねっ! とか、今の出来でさすがにこの売り上げはあんまりじゃないの、みたいなことは言ってるんだけどぉ。
言ってるのが円本の時代なんだよね。
そうすると「講談」なんですよ、大衆文学というものが、まだ。
異論がある人もあるとは思いますが、まあうんそうだよね、というのが正直なところです、高等講談とかもあるぽいけど、伝奇寄りなのかしら。
ざっと倍ほど売れたそうで、でも彼らは親方みたいに弟子養ってるから(工場生産みたいな感じに小説書いてたぽい)、ある程度はお金必要だからいいんじゃない? みたいな方向に千切れてた方もいました。
白鳥さんがなんか吠えてても、悔しいぃぃぃ、みたいなニュアンスで、菊池さんのことは褒めてくれてたし、吉川さんのことも認めてたのでまあいいです。
まあ偉いっぽい感じの評論家っていうと小林秀雄氏とか。
確かにこういう荒唐無稽なのどうよってパーティーシーンを揶揄ってたらしいですが吉屋信子さんのこと、喧嘩しててね。
菊池さんの通俗小説はこれはまだ、これもいまいち、ここは発展形、これが完成形だ! みたいな感じの評論書いてたそうです。
迫害してた説にしたい方もいたようですがさすがに断念したようです、まあ。
あと売れてる作家たちはだいたい通俗小説が売れてるので…。
だってそういう時代なんだもん、「出版業界の暗黒時代」とか言ってたし。
12月31日めも。
本によっては「純文学の死亡時期」ってちょっとズレた時代のことを語ってることもあるんですけども、出版不況ってしてることもちょくちょく見ます、児童雑誌とかを扱ってた人も新潮の本でいかに不況かって訴えてたし。
岩波はうはうはだったそうですし、隆盛な出版社には事欠かないので…。
純文学の死亡、すなわち、出版業界の死亡であるという説に乗っからないとならないのかと正直思ってしまうわけなんですが。
志賀さんもこの時期、お仕事あったそうですよ、昭和10年代に生き返った作家の中でも筆頭になってましたし、ところで絶対王政とどっちを優先すべきなんでしょうか、とりあえず私は生き返った説なんですけども…。
放置されていた連載作品が単行本になって良かったね…、と志賀さんに対して語っていた編集者の方以外は志賀さんの代表作の連載時期を皆勘違いしていたんですが、いや、同時代の編集者の資料を読みながら賛美しつつ、把握してないとかも…こう。
あと、同人誌有力グループからすると重要視されてる雑誌にどーんと初号大ページで載っていたりもしたそうです、同人誌グループの方に特に言及はされてなかったけど。
初号大量ページ掲載って特色って言わねぇ?(上で触れた編集者の一人は度胸あるぅ! と雑誌のこと褒めてたどういう意味)
純文学の絶対権力による、横暴な振る舞いによって探偵小説が迫害をっ! みたいなのも何度もお見掛けしたことがあるんですけども、雑誌一つしか維持出来てないことを考えると…妥当な扱いに見えるんだよなぁ。
一人抜けたら潰れるような場合、妥当な扱いでは、むしろわりと甘いとしか。
2018年
1月1日めも。
わーい、一つ前の分の雑記時点で2019年終わりましたー、これでしばらくの間は年表記がいらなくなるわ、すぐに追いつかれる可能性も高いけどっ!
そういや「戦後の文学史」について触れる予定で書き始めて、まあ明治から語っておくかスピンアウトっぷりがわかりやすいし、みたいなまんま、昭和10年代で終了してしまったのはどうかと思うんですけどっていうかまだ終わってないな書けばいいのか。
あれです、戦後に文学史を作っていた「大正文学研究会」というところにいた、名前忘れた、あー、平野譲氏だったかな、同輩っぽい瀬沼さん(私は基本彼を信じてる)が、なんであんなことになったんや、と語っていたので警戒していたんですが。
純文学の謎権力の概念を語るんですよ、なんか大正末っぽい頃からの。
だがしかし、謎権力はあくまで謎権力であり、権力としてわりと普通に菊池さんのことを挙げておられて、というか、菊池さん回りだとなんも不審なところないんだよな彼、なにしろ菊池さんの戦後の全集(文藝春秋がまとめたやつ)に呼ばれてたし。
かんっぺき! でした、なんの異論もないです、なんか一つ、あらあら研究がまだだったのねー、程度のことがあったかどうかというか、誠実だった。
彼のあと、謎権力が権力を併呑し、志賀さんが権力を手に入れるまでに至った経緯とかが語られるような惨状にまでなりましたが、ちょっと待て、それは他人の経歴だ、みたいな案件はSNSで拝見したんだけどあれはその人のオリジナルではない、気が…。
まあ一言でまとめると「売れてないところに豊穣の実りはあれど、売れてないことが豊穣の実りの証明ではないからな?!」みたいな感じの、瀬沼さんが言ってた。
まあ、謎権力は売れないと手に入るん…だろうな…、そこはなんとなく。
(文或と近代もろもろ、176)
最終更新:2020年11月02日 08:53