雑記:文或と近代もろもろ、204


9月28日めも。


適当に日常をぶち込み、書き上げた10日分で更新したばかりです、の2021年の3月16日、一応この名目上の日付けは「2020年9月28日」であり、あれです、一日の雑記のノルマがその頃から連綿と積み重なって来た結果です、ていうか、リアル日付けが一年分以上前だった時期にはわざわざ何年かと明記していたものの、曲がりなりにもだいぶズレて来たので、ええと、翌年の、ていいかな。
でも正直、名目上の日付けが何年かとかわかんないよね、ここのWiki。
1月1日の前のところに一行あるだけの仕様となっております。
うんまあ、2021年のって明記するのが正しい気もして来た。
現在だいたい夕方と呼んでいい時刻なんですが、眠気が来たために掃除を断行し、そのまま窓を全て開け放っているところです、換気はそんなに綿密にしなくてもいいような気もしてるんだけどね。
なんというかこの家、暖房器具とかがないので。
ガスレンジと瞬間湯沸かし器を使う時は前後に開けることを比較的心掛けています、いや、換気設備も特にないので、換気扇しかないというか換気扇が埋め込みタイプで隙間から手を突っ込んで掃除しなくてはならない歳月です。
だってこの家、というか建物、私の生まれるよりだいぶ前からあるし。

スローライフってこんな感じかしら、と思うことはないでもないものの、なんとなく違うような気もしないでもなく、でも私、特撮メインのブログを立ち上げていた時からスローライフに分類されていたりしたので(あと工場萌えさんもいた)。
滲み出るものは近いんだろうと諦めています、嫌味じゃないなら受け入れるよ。


9月29日めも。


3月16日、いつから書き始めたんだかもう覚えてないし、特に思い出す予定もないですが引き続きあれですね、「市村座」に関して考えようと思いながら全く進まない様子なのでまず市村座のWiki辞書を開き、そこから市村羽左衛門を開き、同時に田村成義に関しても開きました。
てか、初めてちゃんと田村成義さんのこと読んだんですが弁護士なのねもともと。
ぶっちゃけもともと役人をしており、その後、芝居関係の近隣の仕事をし、弁護士免許を取り(当時は代言人)、自由党に入党、劇場経営に関わるようになったってことなので、微妙、だけど、そこできちんと経営に専念し、一旦は歌舞伎座のほうの興行にも関わったものの、その後その関係を解消、ああ、守田座系の新富座が旗頭になって歌舞伎座に圧迫欠けてたせいだろうね。
のちに歌舞伎座を引き受け、松竹に引き渡したのちは市村座を経営。
息子さんが一度後を継いだらしいので、そこで若くして亡くなるってことがなければまあまあ歴史が変わっていたのかもなぁ、て気もしないでもない。
一旦借金が嵩んで松竹の元に身を寄せ、火事にて消滅か…。
ああうん、田村成義さんはなんにも悪くないというか、彼のおかげで生き延びていたって認識する他ないよな。
なんとか全体像が掴めるようにはなってきたかなぁ、気のせいかもだけど。

とりあえず、もう少しの間、江戸にある程度絞るか明治にがっと焦点を当てるかだけは迷おうかなと思います、目的というは明治を扱いたいんだけど、江戸でわざわざ独立させたものを読むって意味だとちょっと収まりが悪いしなぁ…。


9月30日めも。


「市村座」終わりました、適当にやっつけましたー、てか、この家系には死人とかは出てなさそうなんだよな、とか、「前進座ってなんぞや」みたいなことになりましたが、とりあえずはその名前だけを頭に入れて次を考えよう。
検索してみたらそれなりに実りはありそうではあったんだけどねー。
基本的にどこも松竹系統であるのは変わらないのね。

あとはあれ、「森田座」だけです、これは書くべきことがちゃんとあるにはあるものの、この森田座の子孫が作った新富座は近代劇場の第1号でもあるから近代のほうにも項目が予定してるからなぁ、そっちのネタを全部書くのもあんまり利口でもないような、というほどの分量でもないような、なんとも微妙な気がする。
とりあえず、えーと、今日は終了で、いや、気が向いたらあれです、まず「森田座」を開いて多分そこの座主の名跡がつながってると思うのでそっちを開く予定、一応新富座に関してももう一回見ておこう。
明治に入ってからという意味だと、この森田座が改名した守田座が一番元気が良かったってことになるのかしら。
ただ、市村座の最後の公演というところに出て来た前進座というのがあれ、森田座と半々の興行と倒産を繰り返して来た河原崎座の系譜の人ぽくてね。
どうにも、一番元気がっていうと、そちらの系譜じゃないかって思いが消えないんだよな、そもそもこの河原崎座へのコンプレックスが奮起の理由みたいに説明されていたこともあったからなぁ。
正しいかどうかはわからないものの、そう傍目に見える材料はあるよな…。


10月1日めも。


リアルタイムは2021年3月17日です、先ほど棚の角で頭を打ってしまい、左右で玉の形を比べたり、なんか少し膨らんでるけど確かたんこぶが出来てるほうが脳には影響が少ないと見るべきなのかしらとか。
いやでもやっぱりちょっと痛いかな…。
なんか血流みたいなのが滞ると怖いし、でも脳の血管が破れるとかもあるし、どこ打ったらなにが起こるかってのが謎い器官なのでわりとずーっと動いていたりします、これがなんか悪かったらもうどうしようもないな!
というか、わずかずつ動いてないと本当になんかが痛いです、どこが痛いんだかも判然としないけどね、頭はマジで怖いな…。
トータルの衝撃はそこまででもなかったと思うんだけどなぁ…(コンセントのスイッチ入れるためにのったりと動いてた)。
今は前後にゆーらゆらと動いております。
同じ動きを続けていてもなんか痛い、なんだこの症状。

現在は夕方くらいです、『相棒』の再放送が始まりました、前に迷子になっていたために帰れなかった回のようです、さすがに回転早いなとも思わないでもないけども、同じように見落とした人のために放送してるって考えたほうがいいのかな。
横に動いたりと縦に動いたりと変則的にしています。
むしろこうやって文章打ち込んでいられるのがちょっと不思議なんだよな。
頭使ったりしないほうが回復が早くなったりするのかなぁ、逆なのかしら、腰痛なんかは使ってたほうがいいらしいんだよね身体、ううん人体は難しい。


10月2日めも。


3月17日引き続き、先ほど頭をぶつけた家具の名前を思い出せなかったので適当に書いていたんですが、あれですね、思い出しましたサイドテーブルだ。
ぶっちゃけ「棚」で頭を打っててもそこまでダメージはないよね。
こう、屈んで床に手を伸ばした時にちょうど良い感じに頭にごーんと。
なんでかはわかりませんが、サイドテーブルを思い返して書こうとしている間に痛みが治まって参りました、今は揺れてない。
が、なんか仄かに完全に脱したわけではない気配もしないでもないので、あまり油断はしないようにしたいと思います。
だがあれ、回復方向に向かってるちゃあ向かってるのかな。
今は痛みが蘇っているのですが、さっきより弱いし、やっぱり揺れてると痛み引くし、なんだろうなこれ真面目に。
まああれだ、少しずつ酷くなっているっていうわけではないなら大丈夫かな。
もちろんまだどうなるかはわかんないけどね!

えっと現在は16時11分です、頭打ったのは30分くらい前かな、『相棒』の放送は始まってたし、まあまあ、普通に活動してるような気もしてたけど別にそうでもないな、なんか書いては痛い、なんか打ち込んでは痛いって書いてるし。
ずきずきとした痛みだとそんなにあとは引かないんだっけ。
全て放り出して布団でぺたんと横になればいいような気もするし、でもそうすると多分痛みががっと来るような気もするし。
だが、一定の痛みががっと来たほうが早く終わるような気もするし。


10月3日めも。


とうらぶで城を回っていたんですが、あ、3月17日です、陣形選択と1.7倍という最近搭載された機能をonにするのを忘れておりました、あと、大阪城の99階に繰り出しているもののボスに辿り着く前に重傷者が出て撤退が2回目です。
あ、また痛みは引いています、なんとなく怖いので少しだけ動いています。
それと、なんとなくなんだけどどうも立つのが怖いんだよね。
だがそろそろ水分欲しいんだよな、どうしようかな…。
時間を掛けてゆーっくりと立つことにしたい所存です、座って動いてるのと同じくらいの負荷の掛け方なら多分大丈夫だ、ずっと動いてはいるんだし。
頭ってやっぱりただごとではないな…。
立っていくつか用事を済ませました、ちょっと痛いけど、問題あるほどでもない!
えーと、そろそろ45分くらい経ったかなー、じわじわ違和感はあるけど痛みはほとんどなく、まあこっから急激に悪化することはまずないだろう。
こぶにはなったようです、押すとちょっと痛い。
冷やしてもいいんですけども押さないと別に痛くないから大丈夫かな。
それと、ようやくとうらぶ大阪城の99階ボスに到達しました。

そういえば、手伝い札っていう時間短縮の札が数日前に溢れまして、今はもっぱらそれを消費するために出陣しています。
なんのためにゲームをしているのかみたいなものまで少しずつおかしいような気もしないでもないんだけど、まあ、この目的ならボスに到達しなくても別にそこまで困らないものですね、この1時間程なにをしていたのかしら私…(痛がってはいたけど)。


10月4日めも。


現在、江戸時代の歌舞伎の雑記を生成しております、いつから始めたのかもうすっかり忘れたけど、去年からってほどには時間も経ってないはず。
で、最後の項目である「森田座」なんですけどね、その一つ前の「市村座」に関しては江戸と明治以降がだいたい半々になる感じで書き上げたので森田座に関してもそのくらいが無難かなー、と思ってるんですが。
森田座(守田座に改名)の作った新富座に関しては他に項目があるから、そこを少し軽減するみたいな感じでいいのかな、いやでも新富座に関しても守田勘彌(守田座の名跡)が死んだのちだっけ、人の手に渡ってるから。
ええとだから、どの程度なにを書くと上手いことつなげるのか…。
それほど拘らなくてもいいのでは、と一瞬思ったんですが、これが馬鹿にならないんですよ、せっかく長い時間を掛けて江戸の歌舞伎事情に関しての雑記をまとめてまで書こうとした近代の歌舞伎事情の雑記が「あんまり書きたくなるかもしれない」んですよ、基本的にモチベーション以上に大切なものって素人にはないと思うんですよね…。
いや、マニア末席を名乗ってますけども、そこは素人と変わらないので。

努力をしたら努力に相応しい自己満足を求める、そうであってこそ趣味は長続きすると思うんですよね、ていうか、最終的に趣味としての歴史ジャンルって究極的には長続きするかしないかくらいしか意義はないと思ってるしなぁ。
で、少しくらいは長時間残るデータが作っておきたい、とちまちままとめてるのが今なので、うん、目的ははっきりしてるから、あくまで目的に合致するようにもう少し考えようかと思います、だいたい考えてるうちにがっと始めるのが常だし。


10月5日めも。


ええとそろそろ、見る期間が限られている動画を片付けてきたいかなって思っております、なんだっけ、確か21日までとかで全部で10話あるんだよね…(<『プライミーバル』のシーズン3)、現在、昨日2話まとめて見たので4話まで消化しております。
今改めて確認してみたら「5話まで一挙背信、全10話、6話以降は3月21日からの一挙背信」だったのでなーんだ! 早めに確認しておくべきだった、みたいなことになっております。
しばらく見てなかった他の動画をちゃきちゃきと片付けて、明日か明後日辺りにもう1話見ることにしよっと、いやー、確認て大事ですね。
まあ、ある程度確認せずに焦りを持って始めるってのも悪くはないんだけどねー、今回は1日1話ずつで十分だったな、みたいなあれです、まあいいや。

わりとずっととうらぶで「手伝い札」を消費していました、本当にそれがメインなので経験値が多い城じゃなくて別の恒常面にも行ってたりしてたんですけどね、やりたいことしかやりたくないというのが徹底されていますねうん。
あ、なんか『歴史秘話ヒストリア』の最終回が始まりました、満400回だとか12年とかそんな話してます、一応私は始まった時点のことは覚えていて、だがしかし、あんまり面白くないなって思っていたんですが、ある時期から気付くと見るようになっていた記憶だなー、見れないこともないでもなかったんだけどね。
他の番組なんかとは被らないので、許す限りみたいな感じ。
内容はここ12年ほどの新発見か、ちょっといつもと毛色が違う気もしないでもないな、あと次からどうするのかしら? 歴史系番組は多分一つはやるよね。


10月6日めも。


ねむねむです、いやでも、本日は郵便受けを見に行かないとならないんだよな、どうしても見に行かないとならないんですよね、締め切りの関係で…。
万が一過ぎていたら一日も早く泣きつかないとならないんだけど。
なんか、行きたくない。
いつものあれです、よくあるあれです、オタクに多いのかしらね、頻繁にそれ系の案件を見るんだよな…。
とはいえ、思い出したのが昨日の深夜であって、本日が水曜日なので致命的というわけでもなく、今見てる番組が終わるくらいはまあまあいいんじゃないかなっていうのはあるにはあるんだけど。
それ以前にその締め切りに対して「どうするか」も別口で考えないとならないし…。
とりあえず、今の困りごととしてはとにかくお金がないですね。
体力的には好調だったんだけど、昨日の深夜に思い出した案件で若干斜めになりまして、なので、一刻も早く回収してきちんと考えなきゃってところなんだよな。
なぜその状態で引き延ばしなどをするのか、正直自分で自分がわからない。

今、ヒストリアで歴史ブームの話をしているんですが、オタク系のブームは触れないのかしらね、いや、とうらぶからの歴史流入はわりと限定的だったかな…。
何冊かの本は飛ぶように売れたって聞いてたんだけどね。
でもそういう方向の触れなくても十分ボリュームがある気もするなぁ、ここ最近、大河もだいぶ好調だし、かつては一年置きに当たるとか外れ年とか言われてたのに、さっぱりそんなこと忘れてるよな皆。


10月7日めも。


ええと、「森田座」を書いて見たんですが、没。
なんか違う気がする、以下その内容ー。
≪この『江戸三座について』というページを書き始めたのはそもそもこの森田座(11代めの時に改名して森田、守田勘彌、おおさすが、普通に変換出来たよ)が明治になってから作った「新富座」という日本で最初の近代劇場に関して書こうとしたら思った以上に事情が込み合っていて、みたいな理由だったんですけどね。
まあまあなんというか、正直、控座である河原崎座のほうが微妙に威勢がいいような気もしないでもないというか、そもそもだいぶ時期が遅いとか、他の二座と離れた立地だとか、遅れて移転したとか明治に入っても休座してて河原崎座だったんだよんとか。
江戸三座として浮世絵に書かれるのも半々の確率で河原崎座だったとか(これは猿若町に移転してからのことだろうから、そりゃ、そうだろうな!!)。

ここまで9つの項目を連ねて来た結果まとめた分には、そんなにややこしい概念でもないんだけども、日本初の近代劇場と一緒に書く自信はさすがになかったんですよね、ただ、市村座とか新富座(森田座改め守田座改め)などを俯瞰するには良かったのかな、それにしてもこの業界は養子が多いよね…。
全く関係のない業界から迎えることもあるぽいのは、市川左団次(明治の代表的名優)のところで読めました、あと、元禄の頃から座主が俳優を兼ねてるんだよなというのは市村座にもあるね、明治の12代めの守田勘彌はそれこそ歌舞伎そのものを牽引したとか、新しく作られた歌舞伎座に対し、人気役者を一切使わせないようにしたとか。≫
んー、全体的にピンと来ない、やっぱりなにを書くか決まってないからか。

(文或と近代もろもろ、204)
最終更新:2021年03月17日 23:09