雑記:文或と近代もろもろ、174
12月3日めも。
リアルタイムは2020年10月27日でさっき日付けを越えた辺りです、この雑記は2019年だけどあとちょっとで今年になりそうなのでそうしたら、何年って書かなくても良くなるかな! まだだいぶ離れてるけどね! さっくり11か月! だいぶっていうか丸1年からちょっと減ったってだけだな…。
ていうか、去年確か小ネタっていうか各項目の書き付けを作りたいなと思ってたんだよな、小新聞がいつー、とか、慶応新聞がこんなー、とか。
まあ書き出すとあれだけど、こことここつながんねぇ! となるんだけど。
つながらなくてもまとめることは出来る人は出来るんだけど私には全く出来る様子がないというか、ちょっと「それ系」の訓練にはつながってないような気もしてきました、いや、調べる時の叩き台としては悪くないと思うんだ書き出して、わかんないのここ! 調べるとしたらこの辺! みたいな感じの、アウトプットにはつながってない。
インプットは私はわりと得意なんだとは思うんだよね、うん。
うーん、アウトプットをまとめるために鍛えるべき方向はどこなのかしら…。
それとも鍛えるんじゃなくて抜くべきか、すこすこと。
なんかよくわからない方向に説明しまくってるよなと思うことはあるんだ、というか、このWiki自体はそのために用意したんだから、それは致命的ではないんだけども、どの部分を略すべきかっていう前提が必要になるのかな。
んー、慶応新聞ズが近代新聞の最初ってのは確定だからいいとして、いやでも、これに関しては把握してるってほどでもないしなぁ、話がふわっとしそうだし。
どうしても固有名詞入れないと締まらないんだよな、しかし煩雑になる…。
12月4日めも。
慶応新聞はとりあえず押さえて、あとは横浜の港に入っていたという新聞の翻訳版が何個かあるんだよね、ブラックさんも多分ここのうちの一人で…。
ブラックさんは押さえておきたんだよな、うーん。
このブラックさんが民選議員設立建白書をすっぱ抜いた結果、「庶民の新聞人気」がどかーん、と上がったみたいなんだよね、それ以前は無料読み聞かせをやっても来なかったのに金払っても読むって人が増えたみたいな。
えーと、慶応新聞’sでまず雑記1日分、ブラックさんの名前だけちゃんとフルネームで調べてざらっと時系列すっ飛ばして書いておくか、ブラックさんの新聞だけ把握しておけばあとの固有名詞はまあいらないかな…。
んーと、次が明治5年の東京日日新聞について、日刊新聞でまとめればいいか。
中外新聞に関してもついでに触れることにすればいいかな、いらないかなぁ…、項目はいらないけど1行2行ならいいかしら、ああ、日日の立ち上げ構成員なんかと一緒に書けばいいのかな?
いやでも横浜毎日に関しても触れないとならないし、取っ散らかるかな…。
大学南校ってワードに関しては入れておきたいか、新聞名は略すとして。
あー、初期の情報どこの項目に入れるべきか迷う…。
明治7年の民選議員設立建白書はブラックさんとこに入れるとしてー、ええと。
で、小新聞には関しては『読売新聞』を取り上げて、その前のひらがなオンリーは受けなかったみたいなことを書いて。
読み売りの禁止から続き物も独立させるか、事情面倒だしこれ。
12月5日めも。
えーとえーと、次のトピックは、ああ思い出した、明治14年政変とそれに続く大量辞職による新聞社への人材の流入か…。
あとあれ、国会を作るよん10年後に! みたいなことを言い出したので小新聞の政党化をし始めたんだったよね…、で政治小説なんかが手段にされたんだっけ。
この国会に関してどう表記すればいいのかわからんから調べておこう。
政治小説に関しては独立させるべきかそうでもないか。
この政治小説による啓蒙が制限選挙だと判明した時点の明治22年「衆議院議員選挙法」で収束、てのも入れておくか。
あと項目3つ分、んーと、三条の教憲(明治5年)によって戯作が一旦潰えてしまって、その後、続きものの登場によって「悪女もの」が隆盛、そこから戯作本が復興したみたいな流れは…うーん、1日分でもいいけど2日分でもいいかな…。
いや、1日分でもいいかこれ、ここの流れは正直詳しくない。
あとあれ、中新聞で1項目か。
家庭小説でもう1項目にしよう、うーんと、これでだいたいのアウトラインは決まったな、固有名詞は最低限ってところでいいのかな。
朝日新聞に関しては大阪の新聞需要がもともと商人だった関係で小説が最初から入ってたとか、東京進出してきたよーん、とか、家庭小説に関しては蘆花さんの作品から新派演劇との相乗効果にて需要が出来てそこから一ジャンルが形成されたんだよん的な感じに、あとあれ、探偵小説に関しては続き物に触れたところで軽く足しておこう。
これでだいたい新聞メディアにおける明治時代から大正ちょっとになる…はず。
12月6日めも。
リアルタイムは2020年の10月28日、そういやこのページの最初の時点で何年かって書いてたんで略していいんだっけか、とりあえず眠いです、でも多分今ではちょっと横になっても眠れないかもしれないんだよなぁ…。
無理のない範囲で引き延ばしておきたい(今深夜1時くらい)。
んーとあと、「新聞の大雑把な歴史、明治篇」みたいなのの計画を立てて、先にそっちを書いてしまうか、それとも「新聞各社」を先に計画を立てるかを迷っているんですが、あー、どうしよ…。
てか、新聞社単位なら普通にネットである程度は調べられるしなぁ。
とりあえずあれ、東京日日/大阪毎日(合併)、朝日、時事新報、国民新聞、あとあれ、報知新聞が5大新聞、それとあと、読売新聞は入れるべきだよね、これは特に生まれた時点から特別扱いされていたし。
あと黒岩涙香の萬朝報(よろずちょうほう)、二六新報、この辺はあんまりちゃんと本で読んでないのでネットでどの程度くらい拾えるかしら。
ここまで挙げてくとあと2社なんだよな、ううん、迷う…。
あれか、日本新聞も入れるか、大阪毎日と東京日日を別にするかな。
東京日日のほうは情報に事欠かないんだけど、大阪毎日のほうはよく知らないんだよね正直、大阪で新聞社っていうとどうしても朝日新聞になっちゃうし…。
いやいいやこれ、都新聞入れて毎日は一緒にしちゃおう。
新聞に関しての明治のやつを書いてしまってから、どういう順番で書くかを決めて立ち位置みたいなものを中心に書いていこうかな、記者単位だと煩雑になるし。
12月7日めも。
頭は使ってるものの特になにかを打ち込むわけでもないので進まない進まない、えーと、あと単独で10項目くらい書けるのって雑誌かなぁ…、でもさすがにこれだと10種類で収まる気もしないんだけども。
『キング』に、『主婦之友』(この辺後回しになることが多いので発行部数で攻めてみた、主婦之友が多分戦前最高の180万部、めっちゃ辿り着くまでに時間掛ったんだからなー、キングまではなんとなく知ってる人も多いんだけど)(あっちは悪名が高いので存在そのものは結果的に消えてないみたいね、多分150万部最高)。
(多分が多め、だって公称と自称が違うらしいんだもん…。)
総合雑誌としては最大って言ってた『文藝春秋』、と『中央公論』も入れるべきなのかな、『改造』はいるかしらどうかしら。
あとあれ『太陽』、『国民之友』、うーん、総合雑誌が多すぎるような気がする。
この辺は文藝春秋と中央公論だけにするってのも手だとは思う。
講談社が続くけども『講談倶楽部』も挙げるべきかしら。
あああれだ『新青年』、というか文芸雑誌が出て来ないんだよなぁどうにも…。
出版社の歴史とか読んでて出て来ないと忘れるんだよね、新青年も出て来ないけども、これは探偵小説の雑誌が限られてるせいか編集者とかの話に出てくるからなぁ(というか探偵小説は雑誌1つしか維持出来ないみたいね戦前)。
ここまでで総合雑誌全部ぶち込むなら9冊、入れないなら6冊か、あ、あーと、『新潮』はさすがに入れるとして、『太陽』や『改造』以上のシェアに至った雑誌、ホトトギスくらいしか思い出せない…小説メインじゃないから他に回すか。
12月8日めも。
雑誌を10項目決めたので順番を決めようと思うんですけども、えーと、国民之友に関しては最初でいいよね、で、太陽がその次。
中央公論、文藝春秋、改造もこの辺は時期に忠実なほうがいいんだよね。
このラインナップなら新潮は最後(創刊時期ならだいぶ早いけども、影響力が出て来たのは昭和に入ってからって見なしたほうが良さそうなので、大正末かもしれないけど私がそこは把握してない)。
その前の時代になるのがキングだよね、これが大正末創刊。
この2つは確定にしよう(手帳にメモってる)。
講談倶楽部は中央公論のあと、文芸春秋の前になるんだけども、新青年と主婦之友はちょっと時期わかんないな…。
全部調べてみたよ、国民之友が明治20年、太陽が明治28年、中央公論が改名したのが明治32年、新潮が明治37年。
講談倶楽部が明治44年、主婦之友が大正6年、新青年が大正9年、改造が大正8年、文藝春秋が大正12年、キングが大正14年。
文芸春秋と改造の時期間違えてましたね、ただこれ、躍進って意味だと逆に感じるから逆にしてもいいような気もするし、だがしかし、新潮が明治37年創刊で昭和を語るくらい離れてるならともかく、文藝春秋と入れ替えるのは単に隣だからそのままの順序でもいいような気もする。
えーとだから、新潮以外は順番にしよう、国民、太陽、中央公論、講談、主婦、改造、新青年、文藝春秋、キング、新潮。これで10項目だな。
12月9日めも。
リアルタイムは…、2020年10月28日のあとちょっとで日付け越えくらい、とりあえずここ数日はずっとこれ打ってるのであんまり進まない。
えーとあれ、新聞社のほうも関係年代を書いてたんですけども、思った以上にいろいろあるな、例えば東京日日/大阪毎日、東京日日のほうは知ってたんですよ福地源一郎とかいるし日刊新聞のかなり初期の新聞社だし。
大阪毎日はあんまり特徴ないのかなー、と思ってから、日本立憲政党新聞って名前じゃんよ明治15年、で、明治21年に大阪毎日に改名。
明治44年に大阪毎日と東京日日とが合併。
で、この時期に東京進出したのか。
さらに昭和11年に時事新報(五大新聞)を合併してる。
あとあれ、朝日新聞が東京に出てくるために買収(こっちは規模が小さいので合併じゃないね)したのがめさまし新聞、この新聞が自由党の星亨が作っていた『自由燈』それから『燈新聞』、ここからめさまし新聞へと改名したのか。
わりと相前後して東京に出てきてた印象があったんですけども大阪毎日と大阪朝日、朝日が明治21年で毎日が明治44年だとだいぶ離れてるなぁ、なんでそんなイメージがあったんだろ…。
んーと、自由党は板垣さんの系譜のほうか、星亨っていうと独歩さんの関係してたところだよね、そういや新聞名を聞いたことがあったな。
日本立憲政党新聞のほうは、さらに『大阪日報』に遡ってる…、あー、立憲政党がなくなったせいで政党新聞の意味がなくなったのか、初めて理解したよ!?
12月10日めも。
てか、新聞2つ分の年表を見始めただけでめっちゃ事態が立て込んでおり、というか、大阪毎日の東京進出は別のもう少し規模の小さい新聞社だったよ、よく考えてみれば東京日日みたいな新聞の歴史に名前を残すような老舗中の老舗を足掛かりにするのは乱暴にすぎる気もしないでもない。
東京と大阪の新聞はそれぞれ独立していたって聞いたことがあるんだけど(朝日新聞は特に漱石さんが若干争いに巻き込まれてたので自然に)、もとが自由党関係と立憲政党新聞じゃなぁ…。
毎日新聞に関しては正直東西の違いがよくわからんのだけどね、菊池さんや鴎外さんが書いてるのでちょくちょく聞いてはいるんだけど、東西で共通してる小説の枠とそうでないのがある辺りの機微がよくわからない。
あー、いや、どっちかというと新聞を調べ始めたのは「ここ」がわからないのが理由だったんだっけ、ちょっとまとめておこう。
菊池幽芳なんかは大阪のみで知られてたんだよね(菊池さんの『真珠夫人』が連載された時に彼の本名の新連載? とか言われてたみたいだし)、菊池さんのいくつかの作品も大阪のみで掲載されてるものがある。
白樺の武者さんと志賀さんも大阪のみの作品があったぽいし(志賀さんのは話題になってないので作品知らん、本人の記録にならあるんじゃないかな)。
これ多分だけど「純文学」と「通俗小説」とは別けてないよね…。
で、真珠夫人で東西共通枠でどどーんと、かなりそれ以前の流れと違うっぽく見えるんだよね、実際東西合算100万部に到達してる、なんの試みなんだろ。
12月11日めも。
んーと、時事新報は明治15年、知ってる、もともと福沢諭吉さんが政府新聞を頼まれてたものの明治14年政変で大隈さんたちが辞職しまくって頓挫、記者と機械はもう用意してたので慶応大学でやってやっかー、みたいな感じの流れになったのか。
てか、大隈さん本当にあちこちにちらちら出てくるよな…(大学もメディアも好きみたい、というか、財閥系と仲がいいのよ)。
ここはだいたい流れを知ってたので次、国民新聞で明治23年創刊。
徳富蘇峰さん系で御用新聞と呼ばれたこともあったよん、てかあれ、大正15年の時点で甲州財閥の根津さんとこに権利が移ってたのか(あれだ、東武鉄道のとこの人)、昭和4年に蘇峰さんが退社して、東京日日に移籍。
あとあれ戦時下では『都新聞』と合併してのちに『東京新聞』と、知ってる。
てかここは虚子さん筆頭に文學欄が盛んだったみたいねー、虚子さんが明治44年に引いたらすっかんと寂しくなったんだー、みたいな。
やっぱり虚子さんが上手いのかな…(皆が懸命になって目を逸らしてたけど、雑誌経営上手いと結論付けるしかないな)。
で、読売新聞は明治7年、てか、最初が合名会社だな初めて見た…。
ここは結構きちんと扱われてるのでだいたい知ってる、紅葉先生が死ぬ前に離籍したせいでものすごく部数を落とし、めっちゃ反省したという噂は聞いてる、まあ知ってる。
萬朝報は明治25年、黒岩涙香さんが都新聞を辞めたあとに始めて廃刊は昭和15年か、てかあれ『東京毎夕新聞』に吸収されてたのね、地味に見る名前が…。
ゴシップと翻案探偵小説が売り、涙香さんの立ち位置がいまいちピンと来ない。
12月12日めも。
『二六新報』明治26年、概ねだいたい萬朝報のお仲間、だがしかし、思ったより政治色が強いし、確かここ、懸賞小説とか始めてるんだよね(萬朝報かどっちか、まあ涙香さんとこでやってたらさすがに覚えてるだろう)。
斎藤緑雨さんとか珍しかったのでちょっと覚える(仮名垣魯文さんの弟子)、あれ、そういう立場の人だったのかー、ていう認識が正直なところだったな! 貧窮したとか一葉さんに思い込みマックスの手紙書いたとかそっちの印象が…。
『日本(新聞)』、明治22年、最後の「大新聞」ってのが印象に残ってるな、最重要人物は陸羯南さんでこの人が、えーと、なんだっけ、子規さんの関係者だったのはこないだ聞いたんだけどまだ思い出せないな。
彼の弟子の系譜で文芸欄を展開してたのは知ってる、俳句とか短歌ね。
『都新聞』、いつもとしんぶんって呼んじゃうけどみやこ新聞なのよね。
てか、最初の主筆が魯文さんだったの? 前身が『今日新聞』で明治17年、あ、初めて認識したけどこれ「夕刊」だ(なんというかニュース性がなくて娯楽性が強い、魯文さんが花柳界記事に強かったのね)、明治21年に『みやこ新聞』に改名して日刊に切り替えさらに明治22年に都新聞、に、と。
一時期読売新聞と競ってたけど多分芝居関係の案件かな、ちょっと読みたい。
『報知新聞』は明治5年、なんちゅーかあれだ、五大新聞の中で最弱であり、関東大震災ののちに朝日新聞越えの部数になったことを自慢してたのはあれ、私には自虐に見えるんだけどね、元は『郵便報知新聞』、郵便を発達させるために作られ、大隈さんにもののついでに買われた新聞だよね、本当に軽く買われてたんだ…。
(文或と近代もろもろ、174)
最終更新:2020年10月30日 01:07