雑記:文或と近代もろもろ、188
4月21日めも。
リアルタイムは12月9日、ゲーム(文アルのほう)をのんびりやりすぎていてちょっと根を詰めないと家具が手に入らない可能性が出て来たので今イベントを回っている感じです、特効が出て来ないのに20連回しちゃったとか、わりと嫌な感じのコースです、今後は好みか確定以外では回すのは止めておこうと思う。
好みとイベントが被った場合なら出なくても諦めが付くじゃない。
自分の感情にのみ正直になる、価値を感じないものはテコでも価値を感じない姿勢を大切にしていきたいと思いますがだが別に、友人が真摯に価値を語っているので影響されたなどの場合も受け入れていく所存です。
しかし「布教しよう」としてる場合には影響されず、相手がかるーく褒めてる時に影響されることが多いってのは実際なにか合理的な理由があるのか、単純に波長が合わないのかどっちでしょうね。
てか、熱意込めてる時の人ってわかりにくい正直。
自分の動かされた感情から語ってしまうからだろうな、「どこ」に自分の感情が動かされたかならわかりやすいし大歓迎なんだけどなぁ。
相手の立場に立って考えるのは大切なことなんでしょう、当たり前だけど。
だがしかし、軽く語ってる時なら別に気遣いもなにもいらないってのはなんだ、若干引っ掛かるよね、本当に上の措置が必須なんだろうか、それとももうちょっと苦労少なくして自然と相手が聞きやすい状態になるのではなかろうかと考えないでもないですね。
それが完全に理解出来たり言語化出来たら儲けものだけどな。
デマしか爆発的には広まらないってのもなんかこう、近いものが…あるような。
4月22日めも。
ところで雑誌の創刊年を調べてたんですよ、『講談世界』で死ぬほど難航して「講談倶楽部の関係者が口にしてたらしいから大正元年」から「多分大正12年」までみたいな感じのなあなあな感じに終わったんですが。
私、講談世界に載ってた小説とか一覧で見た覚えがあるんだけどな…。
『講談雑誌』というタイトルの本があって、これがどうも「大衆文学」の最初らしいので(私は講談世界だと誤認してた)、ひょっとして取り違えてたのかなと思ったんですが、載ってた作品が全く違うのでまあどこかで一覧見たんだろうな…。
大衆文学に関しては木村毅さん(春秋社)て人が語ってたのとだいたい状況が一致してるので多分問題ないだろう、いやー、本読んだあとで、あれはひょっとして重要案件だったのでは? となったし読み返すのが面倒でね。
ただ、講談雑誌のWiki辞書のページを講談世界と誤認して読んでいたことはある模様、なんなら作品に関しても触れてたような改変がされていたんですが、作品はまた別のところで紹介していたのを見ていたんだな…。
てか、講談倶楽部と講談師たちが分裂した時に(まあ代表者とだけど)、なんでも代表者は講談世界を使って攻撃してたぽいですよ、ははははは。
単独のページはないものの、ちまちまと他所で語られている。
私も何度か見た覚えがあるからなぁ、多分講談雑誌を見たのと混ざってる可能性が高いですが、講談世界で検索してもなんも出て来なかったもん、多分大衆文学どうのってのとは違うなと今はちゃんと、それなりに把握してる、多分。
ついでに『家の光』の終刊調べるの面倒かも…と思いましたが現存だよ現存。
4月23日めも。
てかあとねー、文光堂という出版社から出版したということになってるんですが『講談世界』、大正元年から大正6年の時点まで「楽文社」ってところで刊行されてまして、うーん、これ単なる出版社変更ってことでいいのかな。
文光堂ってのが明治25年から存在するお堅い感じの出版社ぽいのでちょっと引っ掛かるんですよね、とはいえ、単行本に「家庭講談」という内容のものがあったので絶対にないとも言い難いというか、さすがに時期の被る同名の出版社ってのもないか。
出版社のカラーとは違う雑誌をなんかの理由で引き受けたためにいまいち事情みたいなことが語られなかったってことなのかな。
講談師との関係もこっちが引き継いだって見ていいのかしら。
そういや、なんか講談社の社長が和解したよとか言ってたことがあったんですが、ラジオで浪曲がヒットしていたのとこっちの講談世界の廃刊みたいな事情も多少は含んでいたのかなぁ、わからん、なんともわからん。
正直に言えば『家の光』と講談世界に関しては若干逃げたい気持ちがないでもないものの、まあうーん、うーん…。
てか、思った以上に講談雑誌の事情と講談世界の事情を取り違えてるような気がするな、いや、反論は『講談倶楽部』のページで見たのでいいんだけども。
国枝史郎が講談雑誌ってのが、うーん…。
ただ、講談雑誌という雑誌名からして講談速記者(講談社と揉めた人)から引き継いだってある辺り、講談世界に書いてから講談雑誌で書いててもどうもそんなに問題なさそうというか、うーん、取り換えちゃうか…、『講談雑誌』と交換で。
4月24日めも。
えーと、だから女学雑誌明治18年、新小説明治22年もしくは明治29年、ホトトギス明治30年、婦人之友明治36年、文章世界明治39年、少年倶楽部大正3年、講談雑誌大正4年、おっと忘れてた文章倶楽部大正5年、婦人公論大正5年、家の光大正14年、
あれ、一個同じ年の刊行があったので打ち込む時に適宜どうにかします。
いや今調べるか…(こんなん開いてなかったらさすがにやらん)。
えーと、婦人公論1月、文章倶楽部5月、はっきり別れてて良かった!
メモ帳に『講談世界』→『講談雑誌』の変更も含めて書いてきたのでなんというか一段落な気がするんだけど気のせいです。
が、計画が見切り発車だったのが今の時点で見切り発車ではなくなったという満足感になら浸ってもいいような気がする、小さい自己満足でも正確に、どんなに小さくてもその満足感が多い分にはオッケー、ただし正確に。
てかあれですね、激しい見切り発車からまともなところにまで計画を引き上げられたぞ、あんなに見切りだったのに! だと満足感があってもいい気がする、あんよが上手、優れていると勘違いさせない的確な満足!!
正直拘り方のベクトルがおかしい気はしてるんだけど、私の褒め方がおかしかったせいなのか化け物もどきを目の前で成長させてしまったことがあるので人ごとじゃなくってさー、ただ、もともとあれだったのが現れただけだなと思ってるので反省まではしてません、私のせいじゃないもん。
自分であっても妥協はしない、あんなに適当にでっち上げたのに今ならなんとかなりそうな気がする感じの満足感です、この満足感は適格だ、うん適格だ。
4月25日めも。
この勢いのまま雑学のページを作ってしまいたいような気もしているものの、なんとなく、特に意味があるわけでもなく「明治文士10人」の順番を決めようかと思います、さすがに全員にWiki辞書のページはあるよな。
まあ内容の充実度っていうとあんまり期待してないけど、個人の伝記本でもふにゃふにゃしてるんだから仕方ないよなぁ…。
正直文学史の自分の信じる方向にシフトチェンジ! みたいな発想は感じず、ただただ単に落としてるなー、というだけなので怨念とかはないんだけどね。
なんで文学の歴史ごときで怨念を抱くかというとかつて信じていたり、それを信奉する人に突進して説教されたりしたせいですね、まあ普通に恨むよね、ケアレスミスで怒るつもりは全くないけども、恣意的に捻じ曲げて他人の経歴とか読まされて「なんか物理的に全然成り立たないんだけどどっちが正しいんだろう…」とか考えたことがあれば立派な時間の無駄だもんな。
約1年半くらい苦しんだので怨念に相応しいかなと思います。
ぶっちゃけ志賀さんの存在がなかったらもうちょっと時間が掛かったと思う、彼はなんというか、「それぞれが素晴らしく偉いと語っているものの」「語っている同士の情報が全く合致してない」みたいな奇跡的な存在なので…。
というかご当人の関係やご友人の本読むと物理的に食い違うので、これ、私の気のせいとかじゃなくてなんかやべーことになってんな、と認識しやすかったです、あまりにも天上ふっとばして偉すぎるせいか他の作家の情報と全く組み合わせられなくて…。
馬鹿にしたいわけではないです、なにされてんだ一体としか…。
4月26日めも。
えーといや違う、文士だよ、えーと…、福沢諭吉が最初でいいのかなぁ、なんとなく新聞基準で考えちゃったんですが彼がなんかめっちゃ早い段階で本出してるんですよ、学問のススメとかじゃなくてなんか別の、出て来ないけども、西洋事情とかそんな。
明治の出版事情とか読んでるとたまに出てくるしね。
新聞事情だと福地源一郎になるのかなぁ、まあ彼も最初のほうになりそうだけども、いやこれは活躍年代とかでふんわり決めてく予定なので私の認知範囲頼みなんだよな、えっと、福地源一郎が2番目、栗本鋤雲が一応福地氏の先輩格みたいな感じなので3番にするかな…(二人とも政府随行で翻訳やってた、新聞への登場は福地さんのが幕末新聞だから先で問題はないだろうし)、報知新聞関係者なので矢野龍渓は4番、東京日日関係で見掛けるので仮名垣魯文を5番、蘇峰さんを6番、黒岩涙香を7番、地味に違うところはありそうなんですがまあ問題あるほどでもないだろう、なんか結構時期ががばっと開いてる感じもするしなぁ。
陸羯南を8番、三宅雪嶺と長谷川如是閑は…いまいちわからんのでちょっと確認してこよう、えっと、年齢が全く違ったんで三宅さんを9番、長谷川如是閑を10番で、見掛けた時期なんかはそう激しくズレてはないんだけど文士になった時期の違いだよねこれ。
蘇峰さんはどこから活躍してたのかがさっぱりわからんかったのですが、まあ新聞社の社長どもよりあとにする分にはいいや、みたいな感じ。
比較的すかんすかんと決まってしまったので、もうちょっと難航するつもりだった気持ちを持ち余しているんですが、個人と個人を比べるとそんなに迷わないんだな、並べた10人を見てると全く駄目です、そりゃそうだよな…。
4月27日めも。
他に計画してる歌舞伎に関してとか、近代劇に関してはそもそも時代順に思い浮かべてたので並べ替える必要が特にないな、各種芸能に関しては文楽のほうが能よりもあとなんじゃないかなー(歌舞伎と能だと能、文楽はわからん)、みたいなことが気になったのでえっと、検索してみます!
能は自然発生で文楽は江戸時代だったよー、てか、なんとなく知ってたんですけども「能楽」と「能」は別物だからねー、みたいなことを言っているのでそれに習い、私の書く項目を能楽へと変更、いや、他が芸能なのにストーリーのある踊り総括よ、みたいなこと言われると収拾が付かないしね!
まあただ、そうすると猿楽からになるのかな…これも古代だよなぁ。
しかしそもそも「文楽」を純文学って呼んでたんですよね、逍遥さんが、で、歌舞伎が一番格が下みたいなの(かつてはテンプレ組み合わせ作品しかない、いいとか悪いとかじゃなくてその構造によって短時間の練習で演目変更を成り立たせてたぽい、どの程度変わったのかは知らん、明治に変えようとしてたのは知ってる)。
そうすると能楽が真ん中かなー、みたいなことを薄らぼんやりと考えていたのでルーツとか順番とかあんまり考えないリストアップだったのよね、歌舞伎のほうが文楽より早いしさそもそも。
だが能楽を文楽の前に置くのはさすがに躊躇いが…。
というより明治にランク付けされた各芸能みたいな感じだから時代順にしなくてもいいかー、だが、それでも文楽と能楽の順序だけは迷う…。
講談なんかはわりと後ろにぶっこんだんだけど、書いてみて変えてもいいか。
4月28日めも。
てか、ここまで粘ってみてあと残り3日分になったので「出来れば次の真面目な記事を書く前にもう1枚分あとにしておきたい」みたいな気持ちが湧いて出てきたので調べてみたんですよ、ドストエフスキーさんとトルストイさんたちの登場時期、あれですね、今年の9月後半ですね。
頑張れば9月くらいまで引き延ばすことが出来るような気もするし、いやいや、そこまで延々と引き延ばししてると年末までに間に合わないわよ、みたいなことも考えるしでなんかちょっと考えます。
今までは普通にゲーム人物に関してより先に計画を立てた雑誌とか新聞社に関してだったからなぁ…。
まあ雑誌もう10種と文士に関しては上の範囲内と考えてもいいんだけども、頭下手に切り替えないほうがいいかな的な(新聞と雑誌は事情が違うけどねー、正直、一部に関しては被ってるし、特に文士)、そういうこじつけが出来なくもないので、あーと、まあそんな方針にします。
とりあえず上の2つの真面目な「雑学」を書いてから考えよう。
まあそうすると2か月とか手古摺ったりすると3か月分は進みそうな気もしないでもないんだけど、それでも9月にはさすがに届くような気もしないんたよな…。
うーん、そこをすっ飛ばして次の明治初期組から初めてもいいのかなぁ、でもそれでも山田美妙さんがいるんだよな…。
実装日付けが、えーと、2020年4月10日ですね、ついちょっと前にだけどもう過ぎてるな? あ、じゃあそんな方針で! どっち先でもいいやこの際。
4月29日めも。
リアルタイムは12月11日、理由はわかりませんが打ち込みをしようとすると文章の途中で途中でパソコンが止まる程度になにか裏で作業が進行していて死ぬほど不便です、さすがにこれ、一番軽いテキストエディタだから致命的でもないんだけどさ、ん、そろそろ終わったかな? いやまだなんか早く打つと駄目だな。
とりあえずパソコンで強制終了されてしまったとうらぶをスマホで開いて、任務受け取って、あと、第一や第二変換だとそんなに気にならないんですがそれ以上変換候補が低いとまだ重いですね…。
強制終了が響いてるのかなぁ、少しはマシになってる気もするけど。
長文とか各種変換取り合わせとかだとどうなるかわからんな。
ええとあれ、今日はあれ、ここの雑記のページがあと2日分なので無理に開いてなんとか終えておこう、みたいな意図があるだけであんまりなんにも考えてはいないです。
昨日今日はそんなに眠いわけでもないんだけども、なんかパソコン立ち上げないんだよな…、ちゃんとやることを計画してる時に限ってこんな感じなのがいつものことで、特にやる意義のない愚痴とかだとわりとすんなりって雰囲気にもなるよね。
あとそういや、変換候補みたいなものをパソコンが溜め込むので定期的に消してやらんといかん的なこと言われてなかったっけか。
ここ数回データ送信するのを怠っていたので、今送ってみました、うーん、とりあえず引っ掛かりみたいなものはなくなりました、だがしかし、よく考えてみるともとはクロームの強制終了だから関係ないかしら。
それとまだ長文打つとぽちぽちと怪しい気が、しないでもなく。
4月30日めも。
うーんとあれ、慶応3年組のビックアップ、誰か前後してるかもしれないけど、みたいなのをひたすら調べて文アルのキャラクターブックまで引っ張り出してきたものの、結局ゲームの攻略Wikiに頼りました。
にゃ、生年順に並んでるページがありまして、ありがたや…。
えっと、サッチー、漱石さん、露伴先生、子規さん、紅葉先生(漱石さんからここまでが慶応3年組って呼ばれてるの見たことある)、美妙さん、蘆花さん。
で、自然主義同い年組が独歩さん、花袋、秋声、藤村、と。
この辺は旧暦と新暦とだいたいどっちも書いてあるのね。
旧暦が太陰太陽暦(閏月ってのを作って4年に1回ずつ太陽暦に合わせる暦のこと)から新暦がグレゴリオ暦ですね、グレゴリオ暦で良かったっけ? 4百年に一回閏月がなくなるやつ、これのおかげでほとんど狂わなくなったぜって言われてるやつ。
ていうか慶応生まれの人たちが「旧暦」なのは当たり前だよな…。
まあただ、昔の人たちって誕生日をあんまり気にしないんだけどね、私の子どもの頃にもそういう年齢の人が普通にいたからなぁ。
あれです、誕生日がなくて元旦に年を取るやつ。
父母の年齢だともう誕生日認識あったんですが、父の生まれが1月1日だったので「実際は何日のお生まれで?」とよく聞かれてたそうです。
今はそういうこと多分聞かれないような気がするんだよな。
まあうちの場合、父とその妹の叔母が同じ1月1日の生まれだったのでさすがにねぇだろと思われても無理ないけど…、どっちも全然予定日じゃなかったぽい。
(文或と近代もろもろ、188)
最終更新:2020年12月11日 02:23