雑記:文或と近代もろもろ、200


8月19日めも。


リアルタイムは2021年3月8日です、この雑記の仮の日付けは2020年です、この雑記はだいたい1KB程度の文章を一日一枚ずつ書いていく自己ノルマを設定しています、理由はまあさて置き(大した理由でもない)。
正直ここ数日、比較的快調に雑記が消化出来ていて、メモ帳などでも10月まで予定として書き進めたのでちょっといい感じかも、と思い、パソコンの画面へと目線を上げたところ「8月」の文字が目に入ってきたので、あと60日分進んでから改めて悪くないじゃん、と考えようかなと思います、いや、普通にそれなりに先かな…。
めちゃくちゃ適当に書き散らしてる時でも20日分以上になることはほとんどないからなぁ、いや、快調という感じでもないですね、内容がないほうが進む。
あとあれですね、恨み言ほど早く消化出来ることは特にないです。
最近はついったに書き散らしていたんですが、さすがに今真面目な雑記を書くようになったらそのためにパソコンに向かう時間を費やすのはそんなに利口だとも思えないので、だだ溢れるパッションがとてもじゃないけどフリック入力では追いつかないという恨み辛みが、みたいな時以外に無理にここに吐き出す必要もないか。
なにをそんなに恨みが積もってるのかというと、まあ、歴史ジャンルの宿命ですね、私だけに限らないんだけど、私は好き好んで素人が多い領域にいるのでどうしても…。
素人さんが始めたことに怒るほどではないんだよ正直。
マニア未満の「頂点」の方たちにまあ…、専門の人が多いところだと別にマニア未満に怒ることもないんだけどね、相手にされてないし、素人騙すのがちょっと…。

なんだかんだとそれなりの内容で行数が稼げた気もする、以下次号。


8月20日めも。


3月8日引き続き、江戸時代に歌舞伎に関して、次は「本櫓・控櫓」をまとめる予定なんですが、だいたいなんのことを書くか決めてるんだけど、あちこちから継ぎ接ぎする予定なので上手くまとまるかどうか…。
てか、要するにこの制度って河原崎座が潰れて森田座に吸収され、さらにその後、森田座がぱったり行っちゃったことが起源になってるってことでいいのかしら。
そういや南町奉行の大岡越前さんが森田座の休座を決めたっていうから、彼辺りの計らいかしらね。
あ、あの時代劇とかに出てくる大岡越前さんです。
確か地方出身の徳川将軍が地元の近くにいる有能な人を連れて来たんじゃなかったっけか、いや、検索すれば出てくるんだけどねー。
全然別の人のことを思い出していたらごめんなさい。
さすがに名奉行って一人しかいなかったような気がするから、大丈夫なような気もするんだけど。
つか、本当に評判の方だったぽいですよ、ただ、彼の逸話に関しては江戸時代における裁判説話? 説話だっけ小説だっけ…(明治時代には大岡越前絡みの話のことを裁判小説って呼んでた)。
まあ他人の逸話や創作ネタも混ざってるぽいんだけどねー。

少なくとも後先を考え、問題がなさそうな範囲で融通を利かせてくれる程度のことは彼がやってくれたのかもなぁ、と思えないでもないのよね。
江戸に三座以上は認めないけども、三座までは維持しようか、みたいなの。


8月21日めも。


3月8日引き続き、今はあれ、『グレーテルのかまど』がやってます、タピオカがどうとか言ってるー、なんかもう、テレビ番組は名目の日付けがどうとか拘らなくてもいいかなって気がしてる。
当日起こった出来事の一環に過ぎない、というか。
タピオカは多分一回しか飲んだことがない、あれですね、腹持ちいいよねあれ。
飲み物なのにお腹が膨れるって意味で、高齢者にも取っつきが良かったんだよ、いやさすがに私も自分が高齢者だとは思ってないけど、お世辞にも若くはないしな。
本日は鏡の前で延々とお肌の毛穴と睨み合ってました。
角度によってはそこまで目立たない、綺麗な肌とは言い難いけど、だが、少し斜め下からだと全ての毛穴が見えるというか。
この角度から見る人ってそこまで少なくないよなぁ、私、大抵の女より大きいし、となってました、最近はマスクでそこまで見えないものかしら。
だがしかし、額もなんかそこそこ。
加齢だわぁ、しみじみと加齢ですねこれは。

で、あれ、本櫓と控櫓だよ、今日書き上げる必要はないんですが、というか予定とかなんにもないんですが、今日の時点で目途を立てておきたいんだよね。
まず頭の中にある「なにとなにとなにを書くか」だけはこう、単純に箇条書きでもいいから書き出していきたいんだよな…。
まずこう…、本櫓と控櫓の一覧にしていこうかな。
それともあれだ、迷走する森田座からにするべきか、森田座からかな…。


8月22日めも。


3月8日の続きー、テレビ番組はそろそろグレーテルのかまどから『100分de名著』になりつつあります、終わったらわりとすぐに次の番組始まるからなー(番組宣伝しかないからねeてれ)、本日は災害特集で第2回、柳田国男だってー。
ところでええと、まず江戸三座はまず1624年に中村座(猿若座から改名)。
1634年に市村座の前身の村山座。
1660年に森田座。
これが江戸三座、で、森田座の生まれながらのセットである河原崎座は森田座からは少し遡って1648年。

それからえーと、中村座の控櫓が「都座」、これが堺町近辺に1633年に立ち上げられ、まあわりとさくっと倒産してしまったところ。
てかこれ、村山座よりもちょっとだけ早いな? 堺町。
堺町にまずこの都座があって、それから道を挟んだ葦屋町に村山座が出来た順番になるのか?! いやまあ、これはすぐ閉じたぽいけど、すぐ消えてても1年後に作ってたら意識してなかったとは言い難いよな…。
てか、堺町・葦屋町の項目もう一回書き直しておくべきかな。
今読んできてたんですが、相変わらず読みにくいしなあれ。
いや、あれが読みにくいのは私のせいじゃないけどね、元がややこしいんだよ…。
あと、市村座の控櫓はあれです、桐座。
1661年に木挽町のほうに作られてこれもとっとと倒産、そりゃ倒れるだろうよ、森田座の次の年だったのか、もう少し待つべきじゃないの…。


8月23日めも。


とりあえずあれです、江戸の歌舞伎に関しての雑記の「堺町・葦屋町」をコピペして参りました、一回書き直した時点で内容は問題なくなってるんだけど。
読めない、正直なところ読めない。
みっちり一日分の雑記の長さになっているので、半分に別けて雑記に残しておく所存、で、以下がその前半部分。
≪そもそも猿若座は1624年の時点では江戸城に近かったらしく(まあ江戸が開かれて20年くらいだし、多分江戸自体が小さい)、現在の京橋辺りにあったらしいね、てか、江戸城が現在の皇居なら普通に位置関係わかるわね。
芝居小屋の前にあった櫓で太鼓を叩いていたのが江戸城の登城の印と被っていたとかで日本橋の辺りに移転、これが1632年か、遊女歌舞伎が禁止されて数年くらい。
日本橋からさらに堺町という、これよりしばらく居を構える土地にと移転するんですが、ここはわりと近くらしいんだよね、日本橋の。
1634年には堺町と道を挟んで反対の「葦屋町」に村山座というのが出来まして、これが経営不振になって権利を買い取ったのが市村座、江戸三座の2番手ですね。
てか、むしろ初代の猿若座を意識して近すぎず遠すぎずの土地を選んだのかもね。≫

これ、何年になにが起こったのかを順番に書くことにちょっと執着しすぎたなー、という気がする、結果的に私の脳内にはその流れが入っていたので違和感なく書いてしまっていたんですが、なんかしらの流れを作って、それを軸にしたほうがいいな。
今読むと読めなくはないんだけど、普通に目がちかちかする。
何年になにが、てだけならまだしもなんだけど半端に説明が入ってるせいか…。


8月24日めも。


江戸の歌舞伎事情、「堺町・葦屋町」の後半部分。
なにが悪かったかはわかったんですが、今の時点でなにを軸にするべきか決まってないんだよなー、てか、中村座(猿若座)の次に都座ってのが作られてすぐに潰れてることが判明したのでそこをきちっと語らないほうが無難だし…。
だがふわっとさせるとわかりにくくなるし。ううん。
以下後半部分。
≪結果的にこの堺町と葦屋町には小芝居の玉川座、古浄瑠璃の薩摩座、人形劇の結城座などがにょきょき増えたようですね、ああ、玉川座って江戸三座の代打で名前見たね。
この辺は年代が書いてあったりなかったりしたのであちこち見ながらこれ打ち込んでたんですが、「猿若座が中村座へと改名」した年と堺町へと移転したのが1951年で3代め徳川将軍の家光の死んだ年、ちょっと距離を置こうとしたのかもね。
で、村山座が経営不振になって市村座に権利譲渡したのが1952年でした。
その前年に本家本元が道挟んで向かいに移転して来たことは、なんの証拠もないけど無関係ではないのかもしれないですね、まあ私なら逃げたいですね、うん。
あと、こんだけ集まられるとさすがになんかちょっと…火事怖い、ので、規模縮小されたのも仕方ないかな、本当に中村座が火事出したしな、やっぱりなー!!≫

あとあれですね、それぞれの座の名前がやたらと似てるってのもあるよな、この名前、職人なんかが名乗りを上げる時もこんな雰囲気なので、ある程度のルールがあるぽいから仕方ないんだけどね。
あと地方名なんかもあるのかなー、都座とか異色ぽい、なんの名前だろ。


8月25日めも。


てか、ただいま「堺町・芦屋町」を書き直し中で、「木挽町」はそこまでややこしくないから手直しでなんとかなると…いいんだけど。
(どうもなんか駄目な気もしてきたんだけど、今は読み直さない。)
まず猿若座が京橋の辺りで作られまして。
城に近くて芝居小屋の人寄せの太鼓が登城の太鼓と被るからって移転、これが日本橋の辺りかな、江戸城との距離感がいまいちわからんけど。
で、続いて堺町に都座、すぐに潰れて翌年にその道を挟んで向いの葦屋町に村山座。
それから猿若座が堺町に移転し、中村座と名乗る。
そしてこの隣接した二つの町に人形芝居や小芝居、浄瑠璃なども同居することとなりました、みたいな感じ。
あとえーと、ああ、芝居茶屋もあったんだ、あれですね、時間潰したり食事出したりするところじゃなかったっけかこれ。
これも猿若町に移転する時に移動したのかしらね。
何年かって入れないほうが書きやすいんだけど、これ一旦は書いておかないと他の項目に出て来た情報との突き合わせが出来なくなるからなぁ…。

一回上の内容で、なるべく年を見づらくならない感じで書いていくかな。
あ、テレビが終了したのでこの辺で終了です、一日置いたほうがいいのか、それとも間髪入れずに計画を実行したほうがいいのか迷うけど。
うんまあ、寝る準備のほうが優先だ。
食器とかも確か今日は片付けてないはずだし急がないと…(覚えてない)。


8月26日めも。


リアルタイムは2021年の3月9日、今日はあれです、だいたい1時半くらいに寝る予定です、諸事情で、諸事情というか、どうも8時に起きるには今の私にはそのくらいしか連続して眠れないぽいからなぁ。
とはいえ、ちょっとずつ伸びてるような気もします。
それより早く寝るとどうも途中で起きてしまうからなぁ…。
で、当面あれ、雑記一つ分だけはノルマで本日まともなところを進めるかどうかは状況次第です、見る予定だったマツコさんの番組の動画が終了してしまったので、今の時点でどうするか決めてないんだよな。
22時間後に終了ってあったんだから、もうちょっと考えれば良かったなぁ…。
(どうも開く直前に終わっちゃったらしくてショックなんだよね、あと1時間ほど早かったら確実に間に合ってた、背信サイトであるGyaoさんは初めてしまえば終了時間が過ぎてても最後まで見れるしね。)
あとあれ、図書館の期間延長を掛けるのを忘れていて延滞になっていたので慌ててグーグルマップで調べて図書館に行ってみたら休館日でして、あれか、緊急事態なんとか! あれ、耳で聞くと馴染みがあるのに意外と打てないわね。

アニメを一本見て、続いて30分の深夜帯、関西のみの短いドラマを見ているところです、スマホの前にはかっぱわにともちわにが並べてあります。
一人で見るの寂しいからね!
それと今日は、なんだっけ、クリーム、ホワイト、なんだっけ、シチューとかの元になる、あれを適当に作ってました、とりあえず、ダマにはならなかった、うん。


8月27日めも。


てかあと24時まで3分しかありませんが! 書き直しが終わりました、「堺町・葦屋町」、そんなに面白いって内容でもないし、すぐに頭に入って来る内容でもないんだけど、まあまあちゃんと向き合えば読めるようにはなったかなー。
真ん中辺りに推測を入れてみたんだけど、推測の部分はそこそこ読めると思う。
特に重要度が高くはない都座を入れたのも悪くなかったと思う、軸になったし。
結局、どうしても芝居に行くってのは土地柄が出てくるだろうしなぁ、寄席なんかと違って場所に左右されたりもするんだろうね。
引き合いに出してみたものの、どのくらいの時期にどういう娯楽が出来たかとかは知らないけどね! 吉原も確か江戸城からわりと近くにいて、なんぼなんぼでもまずいわって移転させられたんだけど、これも芝居小屋たちの近くを選んだしね。
ええとあれです、浅草寺の近くですどっちも。
観音様見てから遊女のところ行ったりその逆したりとか言われてたなー、まあ芝居小屋の話と新吉原の話ってそんな見ないけど。
ただ、この辺の文脈があると芸能界ってのがなんなのかがわかるというか、芸者と歌舞伎役者が同業者として結婚してたのとかはわかるかな。

というか、これ書いてて思ったけど、本当に日本の歴史記述って知りたいなと思う部分を語っててくれないんだなー、とちょっと思ってるんだよな。
知りたいのは人の流れとか人気とかなんだよね、風俗が面白い。
多分演目とか歌舞伎役者の逸話とかはそこそこあるんだろうけど、芝居小屋の変転と一緒になってるのを読みたいんだよね、頑張らないと出来なさそうだけどな!


8月28日めも。


2021年、3月10日になりました、さっき。
で、まあ諸事情にてあとしばらく起きているのでいや農園ゲームが半分くらい理由を占めてはいるけど、それと一応一番まともな寝る時間調整のあれです。
途中で起きると消耗が激しいからなぁ。
ついうっかり二度寝にならないほうが体調が良いらしいですが、寝る時間によってはそうもならないので、まあうん、「遅寝早起き」ってテレビで言ってたあれで乗り切りたいな、少し前まではそもそも眠れなかったんですが、多少寝付くのに時間は掛かってももう十分眠れるようにはなったんだよね。
ただ、不眠が続いたせいもあってか長時間起きていることのほうが出来なくなっていて、まああれです、二度寝をとりあえずはなくし、昼寝は一回で、みたいな感じの方向性で調整したい所存。
あとあれ江戸時代の歌舞伎の雑記の「本櫓・控櫓」に関してを、こう、形だけでも障りだけでも計画を立てて行きたいんだよな。

とりあえず、うーん、江戸三座の立ち上げ年代を書くべきかどうかを迷っているんですが、どっちかというと控座である都座と桐座の作られた時期の前後を触れたほうがわかりやすいのかもなぁ。
で、あと、森田座が休座になったあとのごたごたは流れじゃなくて概念を書く感じで、森田座と河原崎座が「ぶっちゃけ半々くらい開いてた」なんかも書きたい所存です、が、そもそも歌舞伎の休座してる間に台所事情が良くなるってどういう意味なんだろうか、別の職業で稼ぐとか地方巡業に出るとかなんだろうか、いまいちわからん…。

(文或と近代もろもろ、200)
最終更新:2021年03月12日 21:56