雑記:文或と近代もろもろ、161


7月27日めも。


ちょっと眠いです、リアルタイムは2020年7月12日、今日の間にもう10日分くらいいけるといいんですけども、特になにかを打ち込みたいみたいなのはないな、昨日っていうか今日の寝る前に打ってたのは中世と戦国の歴史に関してみたいな感じだったけども、でもあれ、中世めっちゃ面白いですよ。
初心者向けの古書の本みたいなの読んだら土地の権利書の読み方だったりしたけど、何度もついったでだらだら語ったけど何度でも語る。
ここにこういうことが書いてあって、ここにこういうことがあるからつまりこの権利書はこういうことなんだよね、リピートアフタミー! みたいな感じのなんとも露骨な本でした、前にも地図の読み方みたいなの見たことあるけどね。
地図の読み方のほうはリブレットに収録されていたので、もうあれ、中世研究者がそんな感じなんだと思うよ。
昔っていうか、若い頃は民俗学系の人しかおらんかったからなぁ。
しかも扱ってるのが「苦界」みたいなの、あれ、読んだことないけどいわゆる非人ってやつだよね、河原者とかなんかこう、非定住民みたいなの、山人とかいろいろ呼び方はあるけどまああれだ非定住民。
大学くらいの時期に歴史書に頼らない歴史研究みたいなのが紹介されていたんですが、日本以外でもたまに読めるんだけど、あれだ、商人の伝票読み込んでてそのまんま終わる本読んだことあるこれ研究途上だよね!! みたいなの。

なんでか知らんけど日本中世研究だけいきなり群れだったんだよね。
多分あれ、マニアを引きずり込んだんだと思います、狙われてた、露骨だった。


7月28日めも。


ところであれ、西洋の国際的な商人同盟、確か近世だっけ…中世も含まれていたかどうか曖昧だけど(中世長いし境い目ちゃんと覚えてないんだもん)、まあなんだとある同盟が数年前から思い出せなかったんですが。
さっき「思い出せないな」と考えていたら思い出しました、ハンザ同盟だね。
私の読んだのは伝票を泣き言を語りながら分類していた研究書、ハンザ同盟の研究をしていたんですけどね、あれはどうも都市単位で加盟するものだったらしく、すごかったです、初めて知ったんだけど同盟を構成していた都市が不明っていう。
ただし伝票は残ってる…、なんなの秘密同盟なの(多分違う、ただ、正直当時の私の能力だとなんではっきり残ってないのかよくわからんかった)。
多分時期によっても違うんだろうしな。
ていうか私もなにも研究書を読みたかったわけではなく、ハンザ同盟に関して読もうとしたらそれしかなかっただけだったんだけどねー、確か。
私の読みたいジャンルに関してはほとんどなかったんだよな。
あと南仏の建築群とか(こっちはロマネスクとして研究あるよ)、パリの都市構築(オスマン市長の大改革ならいっぱい本ある、あとさすがにシャルル4世、この王が都市の整備を始めたので)、市民議会(多分載ってる本はある、何度か見たし、単独研究が読みたかったって意味ではなー)、そういやフランスの出版文化に関しての本も読めたら読みたいなー、イギリスとの絡みではちょこっと読んだんですけども。

この辺の本、今はまだレンジ合ってないんだけど、どっかでまた戻って探したいな、歴史書の外の歴史はどの国のも読みたいよね、研究が進展してたら…伝票はちょっと…。


7月29日めも。


えーと、1日めが中世研究、2日めがハンザ同盟か、なんかいつも曖昧に「歴史書に頼らない研究」って呼んでますが最初から名前特になかったです、日本なんか特に気付いたら集団で研究者がいたんじゃないのかな。
なんでそうなのかは知らないけど、それなりに詳しいつもりだったけど気付いたら本がわらわらわらっとあったしね。
古道の本ほど露骨に新しくはなかったけど、古い本はないよねあれも(古道の本とかは真面目に2000年以降でっす)。
ただ、歴史書に頼りつつ他の資料にて補うってことだとまあ普通の研究だし。
物の研究ってのもそもそもあるもんねー、建築とかもそうだし、仏像とかもそうだし、仏像と仏師と銘と同時代資料しかない。

てか、私が若い頃っていうか大学生の時点で読みたい歴史の本ってなかったしねー、多分実際には世の中にすでにあったんだけれども(だって歴史書に頼らない研究の話聞いたのが大学時代だし)、それが私の目に触れるってことのほうがなかったのね、変わった人、先進的な人しかそれをまだ知らなかった。
ただし、嫌悪感を持つような本も特には覚えがないんですよね。
そういう本も確かにあった、だが、ただの未熟な歴史本でしかなく目に付かなかった、いやあるにはあったな、わりとこう、大河ドラマのあとにわらわらっと出てくる歴史本は苦手でしたね、変なのが混ざってるので。
だがしかし、ありがとう大河ドラマ、私は生き延びたよ!! な本もあったけどね、あれはいいことだ人類善に分類したい域で圧倒的にいいことだ。


7月30日めも。


多分私、もともと「逸話本」てのに特に興味が持てないんですよね、誰さんがなにをした的なやつ、全部が嫌いなわけではなく、いかにもなその時代らしいみたいな紹介で使われてる逸話は好きなんですけどね。
初期の写真絡みで有名人が出てくるやつとか。
関東大震災の時にいろんな人たちの発言が集められてるやつとか。
あれです、個人に属する逸話として聞かされるといまいちなんだけど、事件に付随して出てくる逸話は結構好きみたいな感じの。
要するにゴシップ趣味がないんだよね多分。
歴代将軍とか歴代ローマ皇帝とか、歴代ローマ法王とかが逸話付きで紹介されてたら多分好感度しか上がらないしね、なんかちょっと楽しいし。
わかりやすく人物を紹介したいならいいんじゃない? みたいにはなる。
あとあれ、友人関係などないのではないでしょうか、だって逸話ないし、みたいなやつにぷちっといったのもまあ通じると思うんだよね。
逸話が軽いおやつのうちは楽しく食べるんだよ。
必須栄養素、まず大量のおやつを集めることこそが歴史の神髄! みたいなこと言われると内心ブリザードになるしそこに直れや!!! みたいな感じになるんだよね、相手の3倍の声量で一気に押さえ込みたい、初動大事。

素人向け歴史本=逸話本だったんじゃないのかな私の若い頃は。多分。
読むもんがなかったんですよ、読むものが、神話はちょこっとしたブームがあり、ちょこっとした歴史のブームっていい本あるんだよね、で神話は読んでた。


7月31日めも。


私の子どもの頃は児童用にリライトされた文学全集なんてものを与えるのがわりと一般的だったみたいなんだけど(同い年と話したことあるけど、東海と神奈川でそんなもんだったよねって話になったなぁ)、多分ねー、与えられた子どもたちほとんど読んでると思うんだよね、当時まだ娯楽が少なくて…。
ラノベだってそれなりに年齢上がってから誕生したしなぁ。
パソコンはマウスがなかったし、CDもない、カセットテープ時代。
そいでもってたびたび来る恐竜ブーム、天体ブーム、オカルトブーム、これ結構短期間でくるくる回ってたよなー、親が科学雑誌買ってたり学校の先生が科学雑誌を教室に置いていってくれていたり。

高校生くらいになると源氏物語の原典にチャレンジする子、シェイクスピアの原典にチャレンジする子が教室に一人くらいいたよねー、と言うとそれも同意が返る。
歴史漫画は結構多かった、当時は源平が多くて新選組はちょっと少なめ、陰陽師なんかがだんだん増えていって平安もそれなり、大河ドラマはあんまり見る子どもがいない、理由は子どもっぽいから。
特撮は当時はあまり番組がなかった、スーツアクターの能力がすごいような、みたいな話はしていた。
冷静に考えると特撮を子どもっぽいって馬鹿にするって風潮に覚えがない。
そんな大人げない態度は取らないよ、てなところか…。
純文学は馬鹿にするんだよねー、夏目漱石以外ちょっとないよねー、あははははって、鉄板ネタだったなー。


8月1日めも。


なんの話をしているのかというと「私の年齢においては多分私はわりと普通」の経路を辿っており、ゲームにとっとと飽きていたり、小説を読んでも漫画を読んでもすぐに読み終わってしまい趣味として続かないという程度。
ていうかなにをしてもなにをやっても本気になれればわりとすぐ終わる、合わないものは努力しても多分無理だな、と思ってしまうみたいな。
そこまで多数派でもないけど地味に結構いるタイプだよねこれ。

で、隙間で詰め込んだのが学問みたいな。
他のものが意味や価値があるような気がしなかったんだよなー、それはまあ、私の育った時代背景がどう考えてもそうなるんだよね、他の部分はともかく、そういう結論に至ったのはまー、特別な個体でもなんでもないよな。
あらゆるものがフィクションに至るまでそれが細い糸としてでもつながってたし。
しかしなんというか、今の時代生まれて育つとそうならないみたいなんだよね。
他のものが、というか、学問よりもずっと価値があってずっと手っ取り早いずっと正義のものがあるみたいだよねー。
私が頻繁に喧嘩を売られるというか、説教を食らうってのは多分そういうニュアンスなんだろうね、でも、私の生きて来た経路を考えると、その価値観の入り込む隙間みたいなものが本気で全くないんだよなぁ…。
ただ歴史に関しては、どんなに記憶遡っても歴史逸話本よりもずっと、歴史フィクションのほうが誠実なんだよなぁ…、手っ取り早いどころか似非科学歴史本みたいなものも増えてきちゃったけど、歴史フィクションはまだだいぶ気高いんじゃないかしら?


8月2日めも。


というか、前日分の雑記で自分でも特に自覚していなかった方向に行っちゃってたんですがあれか、私が大学に至るまで歴史に興味がないでもないけどもそれ系の本は読んだことがない、雑学って意味ではそれなりだけど、みたいな状態になっていたのは歴史ネタのフィクションには興味が持てていたからか。
わー、なんか自覚してなかったな…。
私、ある意味で「創作と歴史の見分けが付かない」という意味ではないけど、完全にはフィクションと歴史書のことを別けて考えてないっぽいね。

連続した時間軸があるフィクションのほうに断片語り本より軍配上げてしまうんだなー、ただ、ぶっちゃけてノウハウめいたものがあるっぽい歴史小説はあんまり好きじゃないけど、なんか感じるというか、時代違うのになんか同じような構造してんだよね。
そういう意味だと黎明期の歴史小説はいいのかなー。
吉川英治さんの作品は何個か読んだけど、まあやっぱりちょっと似てたけど面白かったしねー、宗教ネタとか入ってたし。
なのにあとの時代の成長してるはずの頃の作品のほうが面白くない。
ジュブナイルも少年漫画も結構いつまでも悪くないのに。
なんとなく書かれた時代の雰囲気が漂ってるけどね、なんかこう、そっちのほうが面白いんだよな、誠実というか。当人の意識が混ざったくらいのほうがいい。
や、エピソードを書き換えられるのは嫌よ、でも、ジャッジなら別にいいんじゃないの、どう感じたのかとかどう受け止めたかが当世風ってくらい、わからんのだし。
個人的には面白いほうが重要なので、いいんじゃないですかね、どうせ創作だし。


8月3日めも。


てか、前日分のとこ書いてても思ったけど、私は歴史フィクションによる悪影響ってのはそうさして気にしてません、いや、それで困ったことがあるよー、て人を否定してるわけではないんだけども、こう捏造上等歴史書と違って、こう…。
「善意を軸に歴史を信じた人」だから?
ぶっちゃけ、私のレベルだと丸め込めるしね、あれくらい。
私が太刀打ちできないほどの精密さの作品があり、それが真実の歴史として流布されているみたいなやつだと困るかもしれないんですが、司馬さんの作品もシェイクスピアの史劇も塩野七生さんのご本でも困ったことないからなー。
なんでならばあれらの欠点は存じ上げているし信じてる方は善良だったので。
ていうか、歴史書がブラッシュアップされた程度のもんじゃないのかなー、誠実な歴史研究が古びたくらいでがたがた抜かしてんじゃねぇよとしか。
にゃ、作り話部分があってそれを史実として話されると止めづらいー!! はわかるけどね、下ネタぽいのあったし、あれも同時代にあったことであり、同時代ならまあやっててもおかしくないかなー、で盛り込んじゃったんだろうね。
あの程度で目くじら立てるのはちょっと趣味ではないかしら。
ただ、そもそも絡まれ慣れている人間、丸め込み慣れている人間と一緒にすんなと言われたらひれ伏す勢いで謝罪するけどな!!!
けどまあ似非歴史本信じた輩や、脳内歴史を発信するようになった人よか実害は10分の1程度よって言ったらそれも通じると思う。

指摘する側もひでーしな、小説発祥じゃねぇよ逸話だ逸話、有名人にはあるのよ逸話。


8月4日めも。


ていうか塩野さんの「ローマ人の物語」読んでしみっじみと思ったけど、歴史家を志したローマ皇帝の業績とか、作家じゃないと褒めないと思わない? あれ私泣いたよ正直、なに腐してんだよ、褒めるだろ先祖ってあれ、気に入ったよ。
身贔屓とか気になったけどさー、確かに。
あれもともとああいう見方があるんだから仕方ないじゃん、もともとの歴史書にもあるし歴史研究にもあるし、ていうか、私がもともと知ってたローマよりも若干真っ当っていうか公平寄りになってたよ!!
てか、もしそれが反省されていたとしたら塩野さんを叩き台にして発展したって意味じゃん、歴史家にもいるじゃん、間違ってはいるのに発展に誰よりも貢献した人。
作家でその役やってて内容が間違ってるとかどうでもいいんじゃん?! となるんだけど、どんなに研究が進んでもあれを一定の形で読む人がずっといるんだと思うと、さすがにそこに対しての心配ならわかるような気がするにはするか。
歴史書にもあるけど、時代が遠すぎる。
ただなー、そこもしょうがない気がする、ていうか、小説っていう体裁で作ってくれてるので叩き台にしやすいしなぁ、司馬さんの作品もそうだったのかしらね。
吉川さんの作品はなんかちょっと、こう。
叩き台にするのは違う感じなので違うというか、違う。
でもやっぱり、重要じゃない時代をつなげるのって有益なんだよな、これ辻褄合わないんじゃないかなって誰かが感じるだけでも、小説であっても。

最近の大河もだけど、あれ系の歴史小説も出てるのかな、読みたいな。


8月5日めも。


なんかこのページ、最初の頃は歴史ジャンルの特徴というか「歴史書のない歴史研究」のはずだったのにどっかしらか歴史フィクションの話になっちゃってたんですけど、ひょっとして私にとって歴史創作って、歴史仮説に見えてたってことかしら…。
歴史書も真実を描いているとは限らないというスタンスなのでこう。
逸話みたいなエピソード部分の真偽はそもそも最初からなんにも気にしてないので逸話風のそれっぽい展開が挟まっていてもなんにも関係ないし。
思った以上に歴史フィクションに対して期待してるところが大きかった感じだなぁ、否定するけど壊すけど、容赦なく資料ぶつけてこの展開ないなー、とかは言いそうだけど。
そうやって読む歴史小説読本とか楽しそうですね。
私司馬さんの作品よりも司馬さんの作品を歴史書に頼らない研究でブラッシュアップした解説本のほうが読みたいな、あ、従来の歴史研究で小説を否定するというのは感情論になるので全くいりませんが。
だってどうせ司馬さんも読んでるんだし読み込み方の違いしかないじゃん。
その点、同時代の風俗やその他勢力から展開した推理によって、司馬さんが空白を埋めた部分はこう直したほうが良いかもですみたいな、好意的なの読みたい。
司馬さんが生きてたら狂喜して参加したがって、書き直すねと満面の笑みで答えてくれそうな感じの解説本が見たいですね。

てか私が作家の歴史改変を、まーいいんじゃない? と思うのって善意だからか、そもそもこれだけ有象無象の研究ジャンルで力及ばずの偏見は仕方ないし、強者の書き換えは嫌だけどねー、作家って弱者の味方だからな、研究者と違って。

(文或と近代もろもろ、161)
最終更新:2020年07月13日 04:17