ドルム(理:dolum)とは、リパラオネ教における悪魔・悪霊的存在のこと*1。リパラオネ教の立場では、トイター教のチェクセル(有:chekser)もまた同様の認識の範囲内*2となるが、存在の根拠からして別物である。宗教的立場を超えた一般的な文脈では「犯罪者、罪人」を表す場合もある。


概要

 リパラオネ教の中心的な教典となるアンポールネムにおいては、ジルフィア章(リパラオネ教歴史観、Xilfi'a)において記述がある。この世界観では、世界は唯一神アレフィスの世界であるマイノスワーデンと現世を示すデシャワーデンに分けられる。デシャワーデンの死者は、1)神の言葉を聞いていたか、2)神の言葉に基づいて良い行いをしていたか、によって振り分けられ、どちらも満たしているものはマイノスワーデンにて肉体とともに永遠の命を得て、それ以外の魂は二つの世界の外側(「無の世界」kujit)に投げ出される。
 この投げ出された魂が憎しみや苦しみ、呪いによって集合化し、一つの塊として特定の意思・欲望を持って現実化したものがドルムである。なお、「無の世界」に実存は存在できないため、ドルムはその目的を持った一個体として成立した時点で不安定な状態となり、現世であるデシャワーデンに赴きやすくなる。ドルムはデシャワーデンの動物に取り憑き、アレフィスの国を支配するためにドルム長dzepardolum)と呼ばれるドルムの中の王に統率されながら、アレフィスに代わって世界全体を支配するために動いているという。
 ジルフィアによれば最終的にアレフィスがこれに対して終末戦争を仕掛けることで全てのドルムが浄化され、デシャワーデンがマイノスワーデンに統合されることで世界の浄化と存在の幸福が果たされるとされる。

他宗教との違い

 同じく日本語で「悪魔」と訳されるチェクセルは、トイター教の宗派(特にトイター教/テリーン派)によっては神の命令によって動いている存在であるとされることから単なる悪の存在であるとは捉えられないこともあるが、ドルムはこのようなものとは違って「悪意、敵対、hostility」を強く含意するニュアンスを持っている。由来からして否定的な存在であることから、ドルム信仰はリパラオネ教においては一般的とは言えない。

語録

"Misse'd la alefisxtin xel mi mels no'd nunerl.
Misse'd tonir es alefis filx nefisn'.
Fanken la dolum, fua alefis mi mol."


「我々のアレフィス様は今の問いについて見ています。
我々の神は例外なくアレフィスです。
ドルムよ去れ、アレフィスのために私は居るのです」


――Skyl.1:11 5

 スキュリオーティエ叙事詩では、レチにこのように答えられたドルムが逃げ去る様子が描写されている。これはアンポールネムにおける「神の言葉を聞かない」という理念に沿う。

loler niss veles deroko'i fai la lex da.
me, snirorvo la l''dyeu da fas talsovil ci
zu les raldiunem lut la carXe's ve es ja.
la lex'd larfa larfeil'dy el set sniejus cel.


「多くのドルムがこれによって集められた
そして、その詩は彼女を歌うところとなった
最も残忍であるサージェのことである
その血の刻の物語へと集められたのだった」


――Lerne.1:1 2:12
 「白い国の物語」の一節である。残酷で無慈悲なものを好むという悪徳が反映されている。サージェの行為がフィアンシャン18行目「生物の命をいい加減に扱ってはならない」の違反であり、「神の言葉を聞かない」の逆のことが起こっていると考えると教理的にも合理性がある。
 この後に説話の主人公である白い国のシャーツニアーは「聖なる詩句」を読み上げることでドルムを退散させることに成功する。

"werlfurp m'es niv retoyl lap, lusel it la lex jur seldi'a o dolum."

ウェールフープはただ人を殺す剣ではないわ。使いようによっては善にも悪にもなれる」

――Kranteerl y io xal #11*3


 この文では"seldi'a"「善、正義」の対立として、ドルムが用いられてる。ドルムという概念に悪の本来性があることを表している。

"...fe miss es pyxi'i mels si, mag cene miss es sesnudo si'i lerj dolumuss."

「…私達は、彼の邪魔をしてはならない。だから、私達が出来るのは、彼を影から護ることだけだ」

――Kranteerl y io xal #37*4

 発言者であるレシェール・ラヴュールがここで「影」と言っているのは、原語ではドルムとなっている。ここでの「影」が意味するのはxelken.valtoalのことであり、つまり「敵」を意味する。ドルムは単に「敵対者」をも意味することを表す例。

「xelkenはただのドルムだと思っていたが――違うようだな?シェルヴァルフィス氏」
「ええ、我々はデュイン戦争からは変わりましたからね。ヴェフィサイト・ヴェルガナーフィス・イレー長官」
連邦兵の長官らしい堅物男はいかにもという感じで相好を崩した。


――Kranteerl y io dyin 「再会」

 ここではドルムは「悪人(集団)」を表すように用いられている。

「シア、人だけど人じゃない。本当?」
「そうですよ~。私は悪魔(ドルム)ですよ」
悪魔(ドルム)、人を助けない」
「鋭いな」


――アレン・ヴィライヤの言語調査録第二十四話:面倒事は押し付けるに限る

 ドルムは人間を含意しないことが記述されている。リパラオネ教上、魂の分離は肉体の腐敗によって判断されるため、魂だけ外の世界に投げ出されるということは人間ではなくなる(既に死んでいる)ということでもある。シア・ダルフィーエ・シアラのこの言葉がおどかしの文句として成立しているのはこのような背景もある。

関連項目

最終更新:2025年05月01日 00:02