乗員 | ? | |
全長 | 46m | |
全幅 | 63m | |
動力 | 6,000馬力(少なくとも過給機を装備) | 6発 |
巡航速度 | ? | |
最高速度 | 780km/h | |
実用上昇限度 | 15,000m以上 | |
航続距離 | 19,400km | |
武装 | 旋回機銃 | 多数 |
無誘導爆弾 |
機体名(メーカー名略) | B-29A | 富嶽 | グティマウン | B-36B | B-36D |
出典 | 史実 | 史実(計画のみ) | 日本国召喚 | 史実 | 史実 |
全長 | 30.18m | 46.00m | 46.00m | 49.40m | |
全幅 | 43.04m | 63.00m | 63.00m | 70.00m | |
動力 | R-3350×4 | ハ54×6 | 6,000馬力級×6 | R-4360×6 | R-4360×6 J47-GE×2 |
実用上昇限度 | 12,344m | 15,000m+ | 15,000m+ | 13,300m | 13,500m |
最高速度 | 575km/h/9,144m | 780km/h/10,000m | 780km/h/- | 626km/h/10,500m | 700km/h/10,500m |
航続距離 | 6,380km(標準) | 19,400km+ | 19,400km | 13,145km(標準) | 11,627 km(標準) |
特記事項等 | 核運用可 | 計画値 | - | 核運用可 |
機体名(メーカー名略) | B-52H | Tu-95 | グティマウン | B-1B | BP-3C |
出典 | 史実 | 史実 | 日本国召喚 | 史実 | 日本国召喚 |
全長 | 47.55m | 49.50m | 46.00m | 44.81m | 35.6m |
全幅 | 56.39m | 51.10m | 63.00m | 41.67m | 30.4m |
動力 | TF33-P-3×8 | NK-12MV×4 | 6,000馬力級×6 | F101-GE-102×4 | T56-A-14×4 |
実用上昇限度 | 14,539m | 12,000m | 15,000m+ | 18,000m | 8,600m |
最高速度 | 1,028km/h/6,309m | 925km/h | 780km/h/- | 1,489km/h | 761.2km/h |
航続距離 | 16,316km | 15,000km | 19,400km | 12,000 km | 6,751km |
特記事項等 | 核運用可 | 核運用可 | - | 核運用可 | 核運用可(原型のP-3Cは可能だった) |
関連項目 |
---|
兵器|グラ・バルカス帝国|アンタレス型艦上戦闘機|シリウス型爆撃機|リゲル型雷撃機 |
*1 本文中では「その歴史は新しく、この世界に転移する直前に発足した」と記されているが、部隊員が「ユグドにおいても無敵」とまるで転移前に実戦投入されていたかのような台詞を述べており、いつ創設されたのかハッキリしない。爆撃連隊自体は転移直前に発足したが前身部隊が実戦投入されていた、転移直前に創設と同時に実戦投入された、という可能性もあるが果たして。
*2 そんな非効率な攻撃方法より大口径の機関砲を搭載して攻撃した方が効率いいような...
*3 本機の登場当時に編集者を務めていた髙松氏は、グラ・バルカス帝国の工業力に対して性能過剰なので、書籍版では何だかの変更を加える事も考慮する趣旨の発言をしている
*4 フィクションにおける先行事例では、商業仮想戦記である『巡洋戦艦「浅間」』(横山信義著)において、同盟国のイギリスやナチス体制ではないドイツとお互いに得意とする分野を分担する事で富嶽を実用化している。なろう系仮想戦記の『航空エンジニアのやり直し』(御代出実葉著)では、転生者によって開発エンジンの絞り込みによる信頼性向上、1940年代の日本で再現可能な21世紀レベルの流体力学とガソリンの高オクタン価化によるエンジン出力向上、物資輸送用の余剰空間と尾部以外の銃座を廃止等のジェット世代の爆撃機の設計思想を取り入れることで、史実から250km/h近い高速化と倍近い航続距離となり、武人の蛮用に耐えられる信頼性を確保した深山が登場する
*5 航続距離は零戦以上
*6 B-17『フライングフォートレス』とB-24『リベレーター』では、レシプロ双発戦闘機と格闘できてしまうほどの機動性を誇ったB-17(E型以降)に対し、B-24は防弾・運動性の点ではB-17に劣っていた。ただ、搭載力と航続距離が優位だったため、制空権が自軍優位に移るに連れて、ボーイングのリソースがB-29にシフトしたこともあってB-24が主役となったが、搭乗員にしてみればたまったものではなく欧州でも太平洋でも「未亡人製造機」の1機とされてしまっている。
*7 B-29『スーパーフォートレス』の競作機であるB-32『ドミネーター』に至っては、与圧キャビンに欠陥があり気密性を保てない状態で、解決の目処は遂に立たず、大戦末期にコンベアの顔を立てる形で制式化され、ポツダム宣言受諾表明後(日本では勘違いされているが、この時点では日本は正式に降伏していない)の8月18日に関東偵察をやって日本機17機(紫電改3機、零戦14機。あの坂井三郎も参加していたという)から迎撃を受け損傷、出発地の沖縄に帰りつけたものの、この戦争における米軍最後の戦死者を出し、長く米陸軍航空隊の黒歴史とされていた。当然、日本側はB-29だと思っていた。
*8 この体たらくの結果、戦後早くも1953年にコンベアはジェネラル・ダイナミクスに身売り。しかしその後もボーイングやマグドネル・ダグラスに対して技術的にもセールス的にも一度も優位に立てず、実質的には1965年にクローズ。その後、権利をカナダ政府に売り飛ばした。この後、カナデアを経て現在のボンバルディアになるが、本格的な活動はその数年後、川西→新明和の師匠筋であるショート・ブラザーズが合流してから。以降、軽~中型機で実績は出しているものの、大型機とは縁のない会社となっている。
*9 とは言えボーイングもこの後B-47『ストラトジェット』で割りかしやらかしていたりするが
*10 中島飛行機は当時の日本においてもどちらかと言うと小型機メーカーと認識されていて、陸軍の虻蜂取らずな要求もあったとは言えキ-49 一〇〇式重爆撃機『呑龍』は、性能に不満足があり、本来後継になるはずだった三菱キ-21 九七式重爆撃機を置き換えるには至らず、三菱キ-67 四式重爆撃機『飛龍』を待たなければならなかった(逆に三菱は九六艦戦までは攻撃機・多発機メーカーだと思われていた)。だが、海軍は中島がダグラス機のライセンス生産をやっていたことや、創始者の中島知久平が海軍技術士官出身だったこともあり、中島に大型機を任せては失敗し、三菱に中型機をやらせては要求に対してブツクサ言われる、を繰り返した。もっとも、中島知久平も海軍の頭の悪さには辟易したようで、戦中には陸軍閥になったという話もあるが。
*11 祟り鬼神の方が600体と数が多いにも関わらず、戦う前に自衛隊の空爆により全て瞬殺されたので、本機は不遇の順位でいえば2位が妥当か