翔太と猫のインサイトの夏休み 第二章


 さて、文庫版のあとがきで永井さんも自画自賛する第二章である。しかし、私にとってはやはり難しくて、特に3.の後半辺りから4.はちんぷんかんぷんである。日本語でおk。と云いたくなる。

1.色の話と痛みの話。一応、ここでインサイトが云わんとしている内容は理解できているつもりだが、色に関して云えば、色にはそこから引き起こされる心理作用もあるから、色の見え方だけが異なっている人がいた場合、そこから引き起こされる心理作用が他の人といつもいつも違っていれば、その人の色の見え方が多くの人とは違うことが露見する可能性はあると思う。たとえば、写真のネガのように世界が見えている人がいたとすれば、その人は真っ昼間であっても現実世界が不気味で不気味でしょうがないだろう。常に怯えて暮らさなければならない。見え方が異なるだけで、そこから受ける心理作用は通常の人間と同じ遺伝子を受け継いでいるのだ。毎日、ホラー映画のような世界で生きなければならない。毎日びくびくしていたら、なんぼなんでも周りの人も気付くだろう。これは後の第三章2.に出てくる、綺麗なものを汚いと感じ、汚いものを綺麗と感じる子どもの話と似ているけど少し違う話として考えてみると面白いかもしれない。
 痛みの話もおそらく分かっているつもり。仮に、痒い、ぐらいの感覚を、「痛い!」と叫び、常に演技している人がいるとする。その人は毎日毎日演技をし、そうしているうちに板についてきて。ついに、自分ではまったく演技を意識することもなく、まったくごく自然に「痛い!」と云うようになったとする。その場合、その人は、医学的には今知られているような痛風ではないのだが、新種の痛風と診断されることとなる。という理解でよいかな。

2.ロボットと心の話は、私としては改めて考えるまでもないぐらい当然のこととして理解できる。昔一度考えたことがあるからだろうか。でも、いつ考えたのかは思い出せない。「歌おう感電するほどの喜びを」などのSFを読んでいるときに考えたりしていたのかもしれない。はっきりとは思い出せない。

 インサイトの云うことは、空想的な仮定を前提としているから、すんなりとは意味が分かりにくい。二、三度読み返さないと意味を掴めない。が、これも私が大人になってしまっているからのように思える。子供の頃なら私だってインサイトの云わんとすることを、もっとすんなり理解できたかもしれない。
 インサイトが翔太に問うとき、前提となる言葉の意味を正確に説明しないままに、答えを促すから、翔太は翻弄されてばかりで可哀相だなと思う。インサイトのあざとさというか、普通の人なら普通の意味にしかとらないような言葉をわざと使って問うているんだよね。

3.この辺から難しくなってくる。目の前の人が突然に猫になったら、というのは「リトルバスターズ エクスタシー」のささ美の話を思い出してしまった。
 一つの体に二つの魂が入ることは有り得ると、翔太はすぐに受け入れるのだけど、私はここで躓いてしまう。これが大人の悲しさである。





















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最終更新:2011年07月03日 16:26
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