これはいったい、嘆かわしいことであろうか? 諸国民が何の苦労もなしに法を手に入れたわけではなく、法を求めて苦心し、争い、戦い、血を流さねばならなかったからこそ、それぞれの国民とその法との間に、生命の危険を伴う出産によって母と子の間に生ずるのと同様の固い絆が生まれるのではないか? 何の苦労もなしに手に入った法などというものは、鸛が持ってきた赤ん坊のようなものだ。鸛が持ってきたものは、いつ狐や鷲が取っていってしまうかしれない。それに対して、赤子を産んだ母親はこれを奪うことを許さない。同様に、血を流すほどの労苦によって法と制度を勝ち取らねばならなかった国民は、これを奪うことを許さないのである。こう言ってもよいであろう。ある国民が自らの法に注ぎ、自らの法を貫くための支えとする愛情の力は、その法を得るために費やされた努力と労苦の大きさに比例する、と。国民とその法との最も固い絆を作り出すのは単なる慣習ではなくて払った犠牲である。そして、神がいかなる国民を選ぶとしても、神は国民が必要とするものをこれに贈ることはしないし、国民の苦労を軽減してくれることもない。神はそれを加重するのである。その意味で、私は躊躇わずに言おう。法が生まれる出るために必要とする闘争は、[生まれ出た法に与えられた]呪いではなく祝福である、と。
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最終更新:2011年10月23日 22:56