アンネの日記


深町眞理子 訳

一九四二年六月十二日
 あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね。
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一九四二年六月二十日 土曜日
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 というわけで、いよいよ問題の核心、わたしがなぜ日記をつけはじめるかという理由についてですけど、それはつまり、そういうほんとうのお友達がわたしにはいないからんんです。
 もっとはっきり言いましょう。十三歳の女の子が、この世でまったくひとりぼっちのように感じている、いや、事実、ひとりぼっちなんだと言っても、信じてくれるひとはいないでしょうから。わたしには、愛する両親と、十六歳のお姉さんがいます。友達と呼べるひとを三十人ぐらいは知っています。ボーイフレンドもぞろぞろいます。みんなんんとかしてわたしの目をひこうとして、それがうまくいかないと、教室の鏡でこっそりこちらを見ているくらいです。たくさんの親戚や、やさしいおばさんたちもいますし、りっぱな家もあります。そう、なにひとつ欠けてるものなんかなさそうです。ただひとつ、その「ほんとうの」お友達を除いては。でもそれは、ほかのお友達みんなについても言えることで、だれもがただふざけあったり、冗談を言ったりするだけ。それ以上の仲じゃありません。身のまわりのごくありふれたことのほかは、だれにもぜったいに話す気になれませんし、どうやらみんな、おたがいそれ以上に近づくことは無理みたいです。そこが問題の根本なんです。あるいはわたしにひとを信頼する気持ちが欠けているのかもしれませんけど、そうだとしても、それは厳然たる事実ですし、それをどうにかすることも、できそうにありません。そこで、この日記をつけることにしたのです。
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一九四二年九月二十八日、月曜日
 親愛なるキティーへ
 きのうはまだまだ言いたいことがあったんですけど、途中で切り上げなきゃなりませんでいた。きょうもべつの喧嘩のことを話題にしたいところですが、その前にちょっとべつの話。いったいどうしておとなって、やたら口論ばかりしたがるんでしょう。それも、原因はおよそくだらないことばっかり。いままでは、口喧嘩なんて子供のやることで、おとなになったら、しなくなるものかと思っていたのに。もちろん、

1944年4月5日、水曜日
というわけで、いまはすっかり立ちなおり、気分を一新して勉強に励んでいるところ。ばかにならないように、将来ジャーナリストとしてちゃんとやってゆけるように。そうなんです、だってそれこそわたしのなりたいものなんですから! 文才はあると思っています。わたしの書いたお話には、ふたつばかりいいものがありますし、《隠れ家》のことを書いた文章には、ユーモアもうかがえます。日記には、表現力豊かな言いまわしがたくさん見られます。とはいえ…ほんとうに才能があるかどうかわかるのは、まだまだ先のことでしょう。
「エーファの見た夢」は、わたしの書いたお話のなかではいちばんよくできていますが、奇妙なことにその着想をどこから得たのか、自分でもよくわかりません。「キャディーの生涯」にも、けっこういい部分はありますけど、全体としては、たいしたものじゃありません。わたしの作品にたいする最良の、そしてももっとも手厳しい批評家は、わたし自身です。どこがうまく書けていて、どこがうまくないか、自分でもちゃんとわかります。書くことを知らないひとには、それがどんなにすばらしいことだかわからないでしょう。以前、絵の下手なことをわたしはずいぶん嘆いたものですが、いまでは、せめて文章を書くことができて、よかったと思うことにしています。かりに、本を書いたり、新聞記事を書いたりするだけの才能がなかったとしても、そう、自分ひとりの楽しみとしてだけなら、書くことはいつだってできますものね。といっても、そうあっさりとあきらめるつもりはありません。うちのおかあさんや、ファン・ダーンのおばさんや、その他大勢の女性たちのように、毎日ただ家事をこなすだけで、やがて忘れられてゆくような生涯を送るなんて、わたしには考えられないことですから。わたしはぜひともないかを得たい。夫や子供たちのほかに、この一身を捧げても悔いないようななにかを。ええ、そうなんです、わたしは世間の大多数の人たちのように、ただ無目的に、惰性で生きたくはありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること! その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!
書いてさえすれば、なにもかも忘れることができます。悲しみは消え、新たな勇気が沸いてきます。とはいえ、そしてこれが大きな問題なんですが、はたしてこのわたしに、なにか立派なものが書けるでしょうか。いつの日か、ジャーナリストか作家になれるでしょうか。そうなりたい。ぜひそうなりたい。なぜなら、書くことによって、新たにすべてをはあくし直すことができるからです。わたしの想念、わたしの思想、わたしの夢、ことごとくを。もう長いあいだ、「キャディーの生涯」には手を加えていません。心の中では、物語がどう発展してゆくか、手にとるようによくわかっているんですけど、なぜだかそれがペン先から流れ出てきてくれないんです。もしかすると、ついに完成させられないかもしれません。行きつく先はくずかごか、それともストーブの中か。そう思うとぞっとしますが、そこで思い直します。たった十四で、ろくな経験もないのに、人生哲学についてあんなに書けるはずなんかないじゃない、って。というわけで、わたしはまた勇気を奮い起こして、新たな努力を始めるのです。きっと成功すると思います。だって、こんなにも書きたい気持ちが強いんですから! じゃあまた、アンネ・M・フランクより 

1944年4月11日、火曜日
騒ぎのあった晩、わたしはほんとうに一度は死ぬ覚悟を決めました。警察がくるのを待ち受け、心の準備をしていました。戦場に出た兵士たちと同じ気持ちで、祖国のために喜んで死ぬつもりでいました。ところがいまは、こうして命が助かったいまは、そう、いまなによりも望むものは、戦後はほんとうのオランダ人になりたいということです。わたしはオランダ人を愛します。この国を愛します。この国の言葉を愛し、この国で働きたいと思います。もしもそのために女王様に直訴しなくちゃならなくても、目的を達するまでは、けっしてあきらめないでしょう。わたしはますます両親から離れて、一個の独立した人間になろうとしています。まだ未熟ですけど、おかあさんよりも勇気をもって人生に立ち向かっています。わたしの正義感は不動ですし、おかあさんのそれよりも純粋です。自分がなにを求めているかも知っていますし、目標も、自分なりの意見も、信仰も、愛も持っています。わたしがわたしとして生きることを許してほしい。そうすれば満足して生きられます。わたしには自分がひとりの女性だとわかっています。芯の強さと、溢れるほどの勇気とを持った、一個のおとなの女性だと。もしも神様の思し召しで生きることが許されるなら、わたしはお母さんよりも立派な生き方をしてみせます。つまらない人間で一生を終わりはしません。きっと世の中のため、人類のために働いてみせます。そしていま、わたしは考えます、そのためには、なによりもまず勇気と、そして明朗な精神とが必要だと! じゃあまた、アンネ・M・フランクより 


1944年5月3日、水曜日
あなたにも容易に想像がつくでしょうが、《隠れ家》のわたしたちは、しばしば絶望的にこう自問自答します。「いったい、そう、いったい全体、戦争がなにになるのだろう。なぜにんげんは、お互い仲よく暮らせないのだろう。なんのためにこれだけの破壊が続けられるのだろう」こういう疑問を持つのはしごく当然のことですけど、これまでのところ、だれもこれにたいして納得のゆく答えは見いだしていません。そもそもなぜ人間は、ますます大きな飛行機、ますます大型の爆弾をいっぽうで作り出しておきながら、いっぽうでは、復興のためのプレハブ住宅を作ったりするのでしょう?いったいどうして、毎日何百万という戦費を費やしながら、その一方では、医療施設とか、芸術家とか、貧しい人たちとかのために使うお金がぜんぜない、などということが起こりうるのでしょう? 世界のどこかでは、食べ物がありあまって、腐らせているところさえあるというのに、どうしていっぽうには、飢え死にしなくちゃならない人たちがいるのでしょう? いったいどうして人間は、こんなにも愚かなのでしょう? わたしは思うのですが、戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家にだけあるのではありません。そうですとも、責任は名もない一般の人たちにもあるのです。そうでなかったら、世界中の人々はとうに立ち上がって、革命を起こしていたでしょうから。もともと人間には、破壊本能が、殺戮の本能があります。殺したい、暴力をふるいたいという本能があります。ですから、全人類がひとりの例外もなく心を入れ替えるまでは、けっして戦争の絶えることはなく、それまでに築かれ、培われ、育まれてきたものは、ことごとく打ち倒され、傷つけられ、破壊されて、すべては一から新規まき直しに始めなくちゃならないでしょう。これまでわたしはちょくちょく意気消沈することもありましたけど、けっして絶望はしませんでした。この隠れ家生活を危険な冒険ではあっても、同時にロマンティックな、おもしろいものと見なしてさえきました。この日記の中でも、すべての不自由をユーモア混じりに描いてきたつもりです。いまこそわたしは、ほかの少女たちとは異なった生涯を送ってみせると心に決めました。ほかの少女とは異なる生き方をし、さらに大人になったら、普通の主婦たちとは異なる生き方をしてみせる、と。スタートはこれまでのところ、じゅうぶん波瀾に富んでいましたし、どんなに危険なときにもそのなかに滑稽な一面を見つけ、それを笑わずにはいられないというのも、もっぱらそれだからなのです。 わたしは若く、いまはまだ埋もれている多くの資質をそなえています。若く、強く、そしていままさに大いなる冒険を生きています。いまはその冒険のただ中にいるからには、たとえどんな楽しみも得られないからといって、一日じゅう愚痴ばかりこぼしているわけにはゆきません。わたしは多くのものを与えられています。明るい性質と、あふれるばかりの明朗さ、強さを持っています。日ごとにわたしは自分が精神的に成長してゆくのを感じます。解放が近づいているのを、自然がいかに美しいかを、周囲の人たちがどんなに善良な人たちであるかを、この冒険がいかにおもしろく、興味の尽きないものであるかを感じています。だったら、なぜ絶望することがあるでしょうか。 じゃあまた、アンネ・M・フランクより 

1944年8月1日、火曜日
”矛盾のかたまり” 前回の手紙はこの言葉で終わりましたから、今日はここから始めることにしましょう。”矛盾のかたまり”、これって正確にはどういうことなんでしょうか。矛盾とは、なにを意味しているんでしょうか。他の多くの言葉と同じに、これにもふたつの解釈があります。外から見た矛盾と、内から見た矛盾です。前者は、いつものわたしの”強情っぱり、知ったかぶり、でしゃばり”、つまり、わたしがそれで悪名を馳せている。あらゆる不愉快な性質のことですし、後者は、そう、そちらは誰も知りません。それはわたしだけの秘密です。前にもお話ししたとおり、わたしはいわば二重人格です。一方は、生来の溢れるばかりの快活さと、どんなことでも面白がる陽気さ、活発さ、そしてなによりも、あらゆる事物を軽く受け取る流儀、などを表しています。この中には、男の子からちょっかいを掛けられたり、キスされたり、抱きしめられたり、品のない冗談を言われたりしても、あまり気に掛けないというようなことも含まれています。こちらの一面は、いつも機会を狙っていて、なにかといえばもうひとりの、より良い、より深みのある、より純粋なわたしを押しのけてしまいます。ぜひ分かっていただきたいんは、この良い方のアンネを知るひとはひとりもなく、そのため、たいがいのひとがわたしを、我慢のならない出しゃばりだと思っていることです。たしかに、半日くらいならわたしだって、軽薄な道化を演じることはありますけど、みんなはもうそれだけで、あとひと月ぐらいはアンネの顔なんか見たくない、なんて思ってしまうんです。実際これは、思索的なひとに恋愛映画を見せるようなもので、ただ一時面白いだけの単なる気晴らし、じきに忘れられてしまうもの、悪くはないけど、決して良くもないもの、そういったところです。こんなことを自分の口から言いたくはありませんけど、どっちにしろ本当だと分かっていることなら言ったって悪くはないでしょう。わたしの軽薄な、上滑りな一面は、とにかくはしっこくて、おかげで深みのある一面はとても追いつけません。だからいつもこっちの面ばかりが、大きな顔でのさばっているのです。あなたにはとても分かってはもらえないでしょうけど、これまでどれだけこっちのアンネを引っ込ませよう、抑えつけよう、隠しておこうと苦心してきたことか。なにしろ彼女は、アンネと呼ばれている存在の、たった半分にしかあたらないんですから。でもそれはうまくゆきませんし、どうしてうまくゆかないのか、そのわけも分かっています。実を言うとわたし、普段のわたしを知る人たちに、自分が別の一面を持っていることを知られたくないんです。普段見せている一面よりも、素敵で立派な一面があることを知られるのが怖いんです。その人たちから笑われはしないか、滑稽だ、センチメンタルだと思われはしないか、真面目に受け取ってはもらえないんじゃないか、そんな風に怖れるからです。真面目に受け取ってもらえないのには慣れているといっても、それは、”軽薄な”方のアンネだけのことで、”深みのある”アンネの方は繊細なので、それには堪えられません。実際に、時折は良い方のアンネを無理矢理十五分ばかり表舞台に引っ張り出すと、セリフを言う番になったとたんに、彼女はすっかり萎縮してしまい、アンネ第一号に役を譲って、わたし自身ですら気づかないうちに、そっと退場してしまうのです。そんなわけで、良い方のアンネは、人前では決して顔を出しません。これまで一度だって素顔を見せたことはなく、彼女が主役を演じるのは、わたしとふたりきりのときだけです。わたしは自分がどういう人間になりたいか、はっきりわきまえています。現在どういう人間かも…内側では、それもよく分かっています。でも悲しいかな、そういう風になれるのは、わたし自身に対してだけなんです。ですから、自分では自分を内面的に幸福な性格だと思い、他人は上辺だけを見て、幸福な気質だと判断する、この差異はおそらく、そこからきているんでしょう。いえ、きっとそうに違いありません。わたしを導いているのは、内面の純粋なアンネなのに、外面だけ見れば、束縛を嫌って気ままに跳ね回っている、無軌道な子供でしかないというわけです。 いつも言っているように、わたしは何事につけ、決して本当の気持ちを口には出しません。そのおかげで、男の子ばかり追っかけてるお転婆娘だとか、浮気っぽいとか、知ったかぶりだとか、安っぽい恋愛小説の愛読者だとか、いろいろ汚名を蒙ってきました。快活な方のアンネは、それを笑い飛ばし、ぽんぽんやり返し、無造作に肩を竦めて、なんとも思っていないかのように振る舞いますが、生憎、大人しい方のアンネの反応は、まったく正反対。あくまでも正直に言うなら、これには確かに傷つけられると言わなくちゃなりません。傷ついた挙げ句、懸命に自分を変えようと努力するのですが、残念ながら、相手はいつの場合ももっと強力な敵なんです。胸の内で啜り泣く声が聞こえます。「そうらごらん、やっと分かったでしょ? あんたは否定的な見かたと、おぞましげな目付きと、嘲るような顔とに取り囲まれている。あんたは会うひとみんなから嫌われている。それもこれも、良い方の自分の忠告に耳を傾けようとしないからよ」とんでもない、耳を傾ける気なら充分にあります。でもそれがうまくゆかないんです。仮にわたしが大人しく、真面目にしていると、みんなは新手の演技を始めたと思うだけなので、結局は冗談に紛らして、やめてしまうしかありません。ましてや、うちの家族ときたら、てっきりわたしを病気と思い込んで、頭痛薬だの鎮静剤だのを飲ませてみたり、熱はないかと額や首筋に触れてみたり、便秘してないかと尋ねてみたり、不機嫌にしているのを窘めてみたり。これではたまったものじゃありません。ここまで一挙一動を見守っていられると、だんだんわたしは刺々しくなり始め、次には遣り切れなくなってきて、仕舞いには、あらためてぐるりと心の向きを変え、悪い面を外側に、良い面を内側に持ってきてしまいます。そしてなおも模索し続けるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。きっとそうなれる筈なんです、もしも…この世に生きているのがわたしひとりであったならば。
じゃあまた、アンネ・M・フランク





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最終更新:2011年12月02日 23:10
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