倫理とは何か 序章


私の経緯
 ある社会問題について、評論家や社会学者が、それは問題であるとか、それは問題でないとか語るとき、問題かそうでないかの基準を明確にしてから議論して欲しいと、私は一年ぐらい前から強く感ずるようになった。
 それを明確にしてからでなければ、問題を論理的に語ることはできないし、何を論じたところで空虚で無意味に思えるからだ。これらの問題は、具体的にはベーシックインカムの是非や、2011年3月11日以降には原子力発電所の賛否に顕著に見られる。
 自分で考えるに、それはまず、国益とは何か、公共の利益とは何か、弱者はどの程度に救済されるべきかといった、まだしも具体性を持つ疑問まで進んだ。
 あるひとりの人間が「われわれ」と考えるものと、それ以外のものを分ける境界はどこで線引きされているのか、という疑問が新たに浮かぶ。
 同時に、公平な視点とは何か、公平な視点など存在するのか、などの疑問も立ち上がった。さらに考えを進めると、他者の幸福はどの程度配慮するべきなのか、他人へはどのていど優しくするべきなのか、他人への不人情や不誠実はどの程度から法で罰せられるべきか、そもそも、他人とは何なのか、自分と他人の境界は何処にあるのか、といったかなり抽象的な疑問に往き着いた。それ以上のことは自分ではよく分からなかった。
 またそれとは別に、良心の呵責を感ずると云うときの、良心とは何か、なぜ良心が人の心に存在するのか、といったことも漠然とではあるが五、六年前から疑問だった。これは生物学的な回答はあるかもしれないが、哲学的にも回答があれば面白かろうと考えていた。
 はたまた、それともさらに別に、「ノーカントリー」という映画を見たときに、私はすこぶる面白い映画だと思った。これに登場するアントン・シガーという男は、他者を虫けらのように殺すのだが、仮にアントン・シガーのように強靱な肉体と精神を持っていた場合、アントン・シガーのように行動することは、誰にも否定し得ないと感じたからだ。如何なる悪事を為しても捕まることがなく、かつ独りでも生きていけるなら、他者に配慮する必要など何処にも存在しない。アントン・シガーは生きるに当たって極めて合理的な選択をしている。「ダークナイト」のジョーカーや、「セブン」のジョン・ドゥなどより、ずっと面白いキャラクターである。
 つまり、先に書いた、あるひとりの人間が「われわれ」と考えるものと、それ以外のものの境界を、アントン・シガーは自分と自分以外のもので完全に線引きしている。このような人間がいた場合どうなるのか。そして本当は、誰しもアントン・シガーと同じように、自分と自分以外のものの間に利害の線引きをしているのではないか、とわたしには思えるときが多くある。
 むろん、如何なる悪事を為しても捕まることのない人間など現実にはいないのだが、これは他者との関係性に完全に絶望した人間や、他者からの承認要求を完全に諦めた人間、または始めから持っていない人間が、無差別殺人をすること、またそれを止める手立てが社会の側にないことに似通っている。具体的には宅間守や加藤智宏のような事件である。
 殺人が極端だというならば、いじめで考えてもよい。なぜいじめをしてはいけないのか。これを合理性をもって説明できるだろうか。いつか自分がいじめられる側になるかもしれないからだろうか。であるならば、絶対にいじめられる側に回ることなどないと断言できるほど支配権を握っている場合には、いじめてもよい、ということになる。
 これらの疑問は次のようなことでもある。もしも、俗な損得勘定だけで人生の幸福が決まるなら、他者の立場に立ってものを考える配慮などどこにも必要ない。しかし、充実した人生には損得勘定を抜きにした他者との絆が必要だと思えることが多々ある。こうした考え方が、本当のところは正しいのか、正しくないのか。正しいとすれば、その絆とは、より詳しくはどのようなもので、どのように作られるのか。
 アリストテレス「ニコマコス倫理学」、ホッブス「リヴァイアサン」、ルソー「社会契約論」、カント「道徳形而上学の基礎付け」「プロレゴメナ」、ニーチェ「善悪の彼岸」「道徳の系譜」、ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」、サンデル「これからの正義の話をしよう」などにはこれを考えるヒントが書かれているのではないかと直感的に感じてはいたが、自力でさまざまな哲学書を読破していけるほど、私は本物の哲学者ではなかった。そうするうちに、永井均「倫理とは何か」(ちくま学芸文庫)に出逢う。この本は私の問題を考える手助けとして、実に有益な本であった。

序章
ソクラテス
悪いことは、自分にとって悪いことである。
悪いと知っていて悪いことをする人はいない。
ことを行うに当たって、少しでも人のためになる人物の考えなければならないことは、それが正しい行為であるか不正な行為であるかだけだ。

アインジヒトたちの考察
⑤ 祐樹…してはいけないことなんか、世の中に存在し得ない。
 アインジヒト…してはいけないことが世の中に存在したとしても、していいんじゃないか。

私の考察
④ ここでアインジヒトがいう内容の意味が分からない。






























永井均「倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦」(ちくま学芸文庫)
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最終更新:2012年04月11日 22:34
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