人と人

 およそ、創作においては、作品と作者の人間とは、緊密に結びついているものである。これは、やむをえないことなのだろうが、ただ、そのむすびつきが、あまりにも強く、あまりにも大きな部分をしめているように思われる。まことに遺憾なことといわねばなるまい。

 かなしい、そして厄介な、好ましくないことだが、作者のこころをゆすぶって表現の意欲をかきたて、その表現に、ある程度のかがやきと力をそなえるもの、すなわち、その作者の感動は、表面的にどれほどの変容をとげていようとも、ほとんど例外なく、個人的な、ときには奇妙な、関心事に根ざしている。このような感動は、作者だけが住んでいる特殊な世界の産物で、その世界のもつ熱情と形象にささえられているのである。この種の世界、その熱情と形象は、われわれ人間が、生まれたときから死にいたるまで、各自、その身のまわりに織りなしつづけているものであり、たとえてみれば、人それぞれの特異な知覚にもとづき、目にもとまらぬ早業で、とめどなく紡ぎだす途方もない複雑な蜘蛛の巣のごときである。

 これは、思うだに心ぼそいことであり、まことにわびしい境涯で、その孤独さを考えると、おそろしくてたまらなくなる。したがって、われわれは、通常、それを考えない。だからこそ、他人と、話しあい、手紙や電報のやりとりをする。遠近の知人と、海陸をへだてて、電話をかけあい、出会ったとき、別れるときには、手を握りあう。また、たがいの壁を突き破ろうとする努力は、つねに、やや見当はずれなものであるが、その見当はずれな努力のゆえに、相手とあらそい、殺しあうことすらもある。ある劇のなかで、登場人物の一人が口にしていたが、まさに、“われわれは、ひとり残らず、監禁の宣告をうけている――銘々のからだを被っている皮膚という独房の外へは、一歩も出られないのだ”

 個人的な感動の叙情的な表現――それは、生涯を独房に監禁された囚人が、おなじ境遇の囚人にむかって、自己の官房から呼びかける悲鳴なのである。

 私は、ミシシッピー州のある町の歩道で、着かざった少女たちの群れに、出くわしたことがある。みな、母親や姉から、不用になった晴れ着をもらいうけ、古ぼけた舞踏服をきこみ、羽飾りのついた帽子をかぶり、ハイ・ヒールの舞踏靴をはいている。客間に集まった社交婦人たちの振舞をまねているのだが、上品な南部の婦人に特有の大げさなしゃべり方、つくり笑いなど、まったく真にせまっていた。ところが、自分が夢中になって物まねを演じているにもかかわらず、その演技に、他人が、あまり注意してくれないので、不満をおぼえた少女が、なかに一人いた。ほかの少女たちは、それぞれ、自分の演技に気をとられて、この少女の注文どおりに注意を払ってやる余裕がなかったのである。そこで、この少女は、やせた両腕をのばし、やせた頭を反らせて、耳をかたむけてくれるはずのない大空と、大空におとらず無関心な友だちとに向かって、金切り声をあげた――“見てちょうだい! 見てちょうだい! 見てちょうだい!”

 すると、この時、母親にもらったハイ・ヒールの舞踏靴が、この少女の足をすくい、少女は、歩道に倒れ、よごれた白繻子と破れたピンクのネットにくるまって、大声に泣きわめいた。それでも、まだ、だれも、見てくれない。

 この少女は、今ごろは、南部作家の一人になっているのではないかと、私は思う。

 もちろん、このような演技に打ちこんで“見てちょうだい!”と叫んでいるのは、南部の抒情的な傾向の作家だけにかぎったことではない。おそらく、これは、あらゆる芸術家に当てはまり、その活動を比喩しているといえよう。ただ、その場合、芸術家は、かならずしも、倒れて、身に合わない晴れ着にくるまってしまうとはかぎらない。しかし、その危険はたしかにあるものと承知しておき、他人の注意をうながすだけでは満足しないように心がけておくほうがいい。個人的な感動の抒情的な表現――歩道の演技は、単に見物人の注意をひくだけではなく、現にその演技に加わっている仲間たちの心をもひきつけるほどのものを、なにかそなえている必要があると心得ておくべきである。

 これは、いかにも、当時の私らしく、誇張的ではないまでも、感情本位の表現だが、要するに、言わんとするところは、自分が、劇の観客にたいして、きわめて個人的な、むしろ親身ともいうべきつながりを持っているように思っていたということらしい。そのころは、事実、そう思っていたし、いまも、やはり、そう思っていることにかわりはない。かつて、私は、病的な羞恥心になやまされていたことがあり、そのために、他人との直接の付き合いは、あまりせずにすごしていた。私が他人のために劇や物語を書きはじめたのは、おそらく、そのせいだろう。今では、そういう厄介な青年期も、すでに過去のものとなり、したがって、若さからくるはにかみも失せ、舌がもつれたり、顔が赤くなったりする心配もなく、だまりこんで、すくみあがってしまうようなこともなくなった。しかし、それでも、なお、私は、テーブル越しに個々の人々の群れを相手にするほうが、どうも、気楽なおもいがする。見知らぬ人々であるがゆえに、どういうものか、かえって、よけいに、親しみぶかく、近づきやすく、話しやすいく感じるのである。

 こちらが思いきった話をすれば、それに応じた共感と興味が、相手のこころのうちに生じるものと、当てにしすぎていたきらいが私にはある。それは、大いにみとめるが、しかし、一方に安易な好意、他方に得難い敬愛の念をならべ、そのいずれをえらぶか、両者を比較して考えるとき、私の心は、つねに、おなじ方向にかたむく。たとえ、鼻であしらわれて相手にされなくなる危険がどれほどあろうとも、やはり、私は、世の社交場裡で知り合いの人々が笑いながらしゃべっているような人生の皮相な事象のみに話題を限定して、それだけで満足しているわけにはいかない。

 世間の人は、すいぶんと、この種のことを話題にするものらしい。いや、たしかに、私自身といえども、その点、なんら異なるところはない。人々の注意をとらえて自分の言いたいことを述べているわずかの時間をのぞけば、その前後には、おなじことをやっている。社交的な会話にみられる用心深さは、知友間にあってすら、まことに、おどろくべきもので、これ以上の用心深さは、黙して語らぬ死者の世界へでも行かなければ、お目にはかかれまい。マサチュセッツ州アマストの女流抒情詩人エミリー・ディキンスンは、優美な、タフタのドレスに身をつつみながら、厳格な、野性的な心情を人目にされした独身婦人であるが、そのような死者の世界における友人間の談話を評して、苦々しげに歌っている――

 美のために命をささげたこの私が
 墓に身をよこたえていくばくもなく、
 真実のために命をささげた男が
 私のとなりへ運ばれてきた。

 なぜ私が命をおとしたか その男は 私に そっとたずねる。
 “美のために――”私がこたえると 男は言う
 “私は 真実のために――美と真実は一つのもの。
 私たち二人は同胞だ“

 かくて 暗夜にめぐりあった肉親のように
 墓土の壁をへだてて 二人は語りつづけた――
 二人の口辺まではいのぼってきた苔が
 たがいの名をおおいかくしてしまうまで。

 そのときまで!――私は、あなたにむかって語りつづけたい。私たちは何のために生き、そして、死ぬのか。それを、腹蔵なく、うちとけて語りつづけたい――あたかも、私が、あなたの知り合いのうちで、いちばん親しい友であるかのごとくに。
        テネシー・ウィリアムズ



















.
最終更新:2011年10月09日 19:28
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。