例によって基本的に全部ネタバレを含むのでお気を付けください。
美醜を扱うストーリーは変身と結びついていることも多いですね。
シラノ・ド・ベルジュラック
光文社古典新訳文庫の訳注は後の展開を明かすなど酷かったが、第四幕と第五幕は古典だけあってさすがによかった。シラノ、クリスチャン、ロクサーヌのそれぞれの運命について、美醜を扱い、そこから生じた齟齬は、これぐらいしないと溜飲の下がる感動は作れないのだろうと思った。
好きと言えなくて
シュレック
美女と野獣
ノートルダムの鐘
さらば、夏の光よ
カンナさん大成功です
したいことができるのは神様だけ。この台詞は好きだった。
愛しのローズマリー
ハンサムスーツ
この映画はここで取り上げるほど優れた映画ではないかもしれない。映画評論家の宇多丸師匠などは、
シネマハスラーで散散に扱き下ろしている。宇多丸さんの云うことはほぼ全面的に同意できる。映画としての体を為していないといっていい。バラエティ番組の笑いを並べ立てただけで、映画のストーリーではない。面白い映画だけを効率的に見たいと思っている人は、別にこの映画をわざわざ時間を作ってまで見る必要はないだろう。特に前半が酷い。一時間経ったところで、これがまだあと一時間続くのかと思うと絶望的な気分に陥る。
ただ、宇多丸さんとは違って私は、この映画にも好いところが少しだけある、と思う。
もう元の自分には戻れないハンサムスーツが登場すること。
大島さんの事故が、実はフェイクであること、そのフェイクそのもの。
大島さんが実は北川景子であったという、そのどんでん返しそのもの。
この3つなのだが、3つとも、全面的に誉められるものでもないので、少し説明する。
テーマややストーリーとの有機的な結びつきはないのだが、それは全く予期していなかったという意味で、
塚地さんが失われたものの大きさに気付く切っ掛けとなる
駄目なところはもちろんある。挙げると切りがないだろう。
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101回目のプロポーズ
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最終更新:2011年07月27日 04:51