「あかんわ」
と私は言った。すると一呼吸置いて、
「無いな」
と弟が言った。弟の声は他人の陰言を言うような、見放した言い方だった。その響きが私の頭に残った。八百屋を出て再び白い道を歩き始めた。急に明るい光の中へ出た直後の目の倉見が慣れるに従って、白い道の照り返しが、私の落ち着きの悪い気持ちをよりはっきりさせた。私は会社へ電話をする積もりが、無断欠勤で来ていた。今日の内にテレビ局へ搬入する手筈の、差し換えの新しいCMフィルムは、私の机の中に放置されたままだ。スポンサーの意向に背いて古いCMがそのまま流れてしまえば、どういうことになるのか。視聴者は見慣れたフィルムがまた放映されていると気にも止めないだろうが、上司の西橋は泡を食うだろう。が、流れてしまえば、その時間はもう誰にも取り返し様がない。私は新聞社から抱き合わせで強制的に持たされている広告スペースを月に五本抱えていた。そのうち三本は定期的に広告を出して呉れる広告主が付いていたが、二本は値段、配布地域の関係で定期で出して呉れるスポンサーを見つけるのは、殆ど絶望的だった。併し毎月毎月、一定の期日までに五段半分と突き出しの一本のこの空白を埋めることによって、私は口を糊しており、その日その日、容赦なく流れていく時間と競争しながら神経を擦り減らしていた。然も定期で出して呉れている三本のうちの一本が今、降りたい、と言って来ていた。日常の中で生きて行くのは、取りも直さずこの空白を埋めて行くことであるが、併しいかに神経を擦り潰して埋めて行っても、出来上がった新聞は一日経てば反故同然、数ヶ月後には尻拭き紙となって行くのである。不思議なことに日日の新聞にはどこにも「穴」が開いていない。実はその「穴」を埋めるためには、いよいよ時間に追い詰められ、青竹から油を搾り取るような苦しみを経なければならないのであるが、そうして新聞紙上の空白を埋めて行けば行くほど、私の裡には底無し沼のような空白が拡がって来るのだった。凡てが焼け付き、光の炎が凍り付くように見える夏の日射しだった。私の目の前には田舎町の、白い道が続いていた。針一本が倒れても世界が破滅するような光の闇だった。その闇の中を白い杖を突いた盲人が歩いていた。私の顔面の裏側には膿が澱んでいた。弟が呼び止めたら、目を凝固させて怯えた女。弟はあれは時計の針が狂うとうなと言ったが、私も白い道の上を狂った時計を見ながら歩いていた。何か内部の渇きを癒やして呉れるものを求めて。先程飲んだ牛乳が粒の汗となって全身に噴き出し、牛乳の苦みが朝方食べたハヤシライスの油っこい味と混じり合っておくびとなり、それが繰り返し咽喉を上って来る。剥き出しの地べたに西瓜の喰い残しが散らばっていた。渇きは益々烈しくなって来る。も一度何か水気のものが欲しかった。烈しい照り返しで目の中がちかちかし、樹木の色が黒く映った。家々の影が白い道を割いて悪夢に似た明暗を作っていた。その日あしの中を、弟は相変わらず目的地が分かっているように、重い鞄を提げてずんずん歩いて行く。四ツ辻を右に折れると道幅が広くなり、地上は更に凄まじい光の饗宴だった。家並みは一層貧相になり、恐ろしいような蒼空が地上の沈黙を照らし出していた。この光の中では地上の生きとし生ける者は凡て逆に影だった。
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最終更新:2012年06月09日 04:15