随想 草案



価値っていうのは興味なんです
 価値っていうのは興味なんですよ。そして、資本主義を生き抜く術。






倫理/啓蒙/闘争
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アモーレスペロス
 もう一度見てみたい。
 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
  ビューティフル 監督
  バベル 監督
  21グラム 脚本
  アモーレス・ペロス 監督
 ギジェルモ・アリアガ
  あの日、欲望の大地で 監督・脚本
  バベル 脚本
  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 脚本
  21グラム 脚本
  アモーレス・ペロス 脚本


優しさについて
 世間の人たちのいう優しさ。

世界の三層構造 と 三竦みのデッドロック
 世界の三層目に気付いているひと、気付けるひとはほとんどいない。それが問題なのだ。わたしにとっては。
 三層とは。一層目は普通の世界。俗人たちの世界。一層目だけに留まって生きていけるひとは本当に幸せだ。最も幸せなひとたちだ。自分がどれほど幸せなのかに気付くこともできないほどに幸せだ。
 二層目。二層目は、一層目のひとたちに欺瞞を感じるひとたち。わたしも長らく二層目にいた。二層目を彷徨っていた。二層目にいる人たちは、ある意味では最も不幸なひとたちだ。しかし、この二層目を経なければ、三層目に辿り着けない。
 三層目は、虚無といってもよい。

 ひとのために社会があるのであって、社会のためにひとがあるのではない。
 社会とは自分以外のすべての他人のことである。

得体の知れないデッドロック
 のような状態に、日本社会は落ち込んでいるような気がする。一見すると平和だ。コミュニケーション不全症候群。
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愛しいひとよ
 大地を踏みしめて共に歩こう。
 そんなふうに云えるひとをわたしは望むべくもなかった。
 だからわたしは、今すぐ人類のすべてが消えて欲しいと望む。
 もしそうでないと云える根拠があるなものなら、わたしは他でもなく、それを、何より望んでいるのだ。
 それを示してくれ。本当の意味で、あなたがわたしの立場に立って、それでもわたしに何か云えるのなら。




わたしの少年時代
 ブコウスキーはくそったれ少年時代という本を書いている。
 わたしの少年時代はそれほど酷くはなかった。少年時代には、まだしもひとを信じていたからだと思う。かつ、今から思い返せばだが、わたしはそこそこに学業の成績が良かったので、それほど劣等感を抱かずにおれたのだ。といっても、すごく優れていたわけでもなく、地方都市の、不特定の子どもたちが集まる中学校、四十人のクラスが八クラスといった学校で、成績順は、学年で二十位以内といったところだった。高校は、その地域で、二番目の進学校だった。一番ではなかった。
 わたしの暗黒時代が始まるのは社会に出てからだ。就職してからだ。わたしは仕事に躓いた。サラリーマンたちがどういうルールに則って思考しているのか皆目見当がつかなかった。それで、今風の言葉で言うところのコミュ障として扱われた。
 今では分かる。コミュ障、それは、俗人たち、お金を一円でも多く稼ぐことを本能的に植え付けられて疑う余地のないものとして自然と感ずることができる人たちにとってのコミュニケーション障害なのであって、別に本来的な意味、文字通りの意味でのコミュニケーション障害ではない。わたしにコミュニケーション能力はある。寧ろ、他の俗人たちよりもずっと沢山持っている。わたしをコミュ障と呼ぶ人たちは、本当はそちらの方がコミュニケーション能力が足りないのに、コミュニケーション能力を彼らよりも過剰に持ち合わせていると云うことをあげつらい、彼らの多数生を持ってわたしたちの方をコミュニケーション障害と呼んでおるのだ。この意味が君に分かるだろうか。しかし、他ならぬ、社会に出たてのわたしには分からなかった。わたしは大多数の人たちがどのようなメンタリティしか持ち合わせていないかを社会に出たての頃には知らなかったのだ。有り体に云うところの世間知らずだった。わたしは途方に暮れた。

少年時代の思い出
 母と病院に行った。学校を休んで。ぼくが四角いからというので。心配して。二月に一度ぐらい。ずっと。三年間ぐらいは行っただろうか。
 大学病院。大きな病院だ。横に、大きな公園がある。山みたいな公園だ。見上げるばかりの梢。


サンデル先生の電車のジレンマ
 遅ればせながら先日ようやくと「これからの正義の話をしよう」を読んでみた。さらっとではあるが。
 電車のジレンマは有名だ。読む前からこれだけは話に聴いていた。確かにジレンマとしてよくできている。どうしてそう感じるのだろうと疑問に思う。
 五人の命を救うために、電車の分岐を切り替えて整備士を一人殺すのと、太った男を一人橋から突き落として殺すのとでは、太った男を殺す方が、やってはいけないこと、のように感じる。それはなぜか、という問いだ。
 と、状況を詳しく説明せずにあえて書いてみた。もしも、電車のジレンマとは何かをまったく知らない人がここまで読んだら、整備士を殺すのと太った男を殺すのでは価値は等価に感じるだろう。どっちでも同じではないかと。ここに、このジレンマの秘密があるのではないか。
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左派リバタリアニズムという立ち位置
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夜の果てへの旅
 セリーヌってフランス人なんだよね。アメリカ文学を読んでいる感覚になるけど。
 絶望からはじまる希望もある。夜の果てとはそれのことではなかろうか。
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絆 または 結託
 結託。結託っていい言葉だね。結託の中には、悪いニュアンスが含まれている。そう、世間の人々が絆と呼んでいるものは、そのほとんどが、実のところは 結託 である。それを絆と言い替えたがるのは、生を欺瞞で埋め尽くすことが多くの人間にとって本性だからだ。
 結婚式 というものがある。結託式 に名前を変えたらいい。
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稔るほど頭を垂れる稲穂かな
 という言葉が嫌いだ。知ったことか! と思う。
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面白い作品 と 面白そうな作品
 ひとは興味のあることしか語れない。
 興味のあることとは、少しだけ知っていること。少しだけ知っているが、まだ全部は知らないことである。もっと知りたいことである。
 思うこと。つまり随想。
 当たり前すぎることをわざわざしみじみと思ったりはしない。例えば、火は熱いよなぁ…とか。まあ焼身自殺を計画中の人なら別だが、そこまでまだ狂っていない人なら。思わないだろう。
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嘘 について
 割合。バランス。価値。普通の言葉。価値ある言葉。
 挑戦。
 仕事。失敗することになっている。成功するに決まっている予定を立てると怒られる件について。ぎりぎり。
 できる確率が九割ぐらいことをやらなければいけない不条理。ともすれば八割ぐらいかもしれない。
 価値のある言葉とは何だろう。
 当たり前すぎる言葉には何の価値もない。当たり前だからだ。例えば、火は熱い、とか。
 では、価値のある言葉とは何か。
 問題について。問題にはquestionとproblemがあるのだよ。
 questionとは正解のある問い。problemとは困ったこと。何とか改善したいなぁと思うこと。今の状態は不快なのだ。
 このことを、わたしは他人から聞いたことが一度もない。
 みんなはこのことをどう思っているのだろうか。
 研究。研究という免罪符。
 なんか、社会に出始めたとき、社会人一年目のときに思ったことを書いてみる。
 社会とはこんななんだ、と思ったこと。
 世の中の大のおとなたちの九割九分九厘は、こんなことに毎日毎日を明け暮れて、それで人生を終わっていくことに、満足しておるのかという失望だ。
 優れた人間になれ。優れているとは、…
 できそうで、できない。しかし、百回に一回ぐらいはできる。
 あってはならないこと。安全追求の過剰コスト。無駄。無駄がないことを確認するためにも、0.1%だとか僅かばかりの、数値は自称によって異なるだろうが、とにかく微細な確率での失敗は是非とも為されなければならない。
 だから、あってはならないことが起きた、というとき本当は、あってはならないと建前上云われていることが起きた。と云っているに過ぎない。
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擬態について
 わたしの擬態。わたしは精一杯に擬態するが、いつも、いつでも、失敗している。
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アリストテレスの中庸が好きだ
 っていう話。わたしは底を知っている。底まで潜って、また水面に浮かび上がってきた。そうして船を漕ぐ。みなと同じように。
 だけど、より正確に云うなら、わたしはやはり、少し左寄りが好きだ。そう。誰に馬鹿にされようとも。少し左寄りにいることが、わたしにとってはバランスがとれた状態なのである。バランスだ。大事なのはバランスなのだ。バランスの好い場所は、そのものの重心によって、真ん中とは限らない。。わたしにとってバランスの良い場所は少し左側だ。左側とは、少しだけ、優しさの多い場所だ。そういう場所がわたしは好きだ。何故だか知らないけど。馬鹿にするなら馬鹿にすればいいさ。強者達よ。むろん極左はいかん。極左は。
 アリストテレスの云う中庸って、真ん中っていう意味ではなく、そういうことなんじゃないかと思う。どうでしょう?
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デビルマン
 デビルマンを読んだことがないんだよね~。っていう話です。
 妖怪人間ベムの結末もよく知らない。
 フロムヘル、ウォッチメンも読んだことがないんだよね。
 X-manも読んだことないんだよね。
 ニーア・レプリカントの動画を見ていて思ったこと。おそらくこれを作った人はまったく意識していないんだろうけど。わたしはなんとなく考えたこと。
 シュタインズゲートは傑作だが、カオスヘッドも捨てがたいんだよね、という話。
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寅さん
 山田洋次監督って出戻り設定好きだよね。
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中島義道か永井均、あるいはカントかニーチェ
 カントかニーチェか。このふたりは対立するものだとばかり思っていた。ふたりが同時代に生きて、直接に意見交換をしていたらどんなによかったろう。わたしにとって。わたしはそれを読んでみたかった。人類史において、意見は、また批判は、ニーチェからカントへ、一方的に為されるのみである。ニーチェの批判に答えるカントを見てみたかった。
 けれど、このふたりは、人類に対して同じものを見ているようにも思える。
 つまり、人類が、人間が、どうしようもなく碌でもないことを知っている。
 ふたりとも、純粋善と打算善を分けて考えている。
 その上で、カントは、人類に、純粋善を啓蒙しうると信じた。否、信じたわけではないかもしれないが、自分の使命をそこに賭けた。否、捧げた。
 ニーチェは、人類に、純粋善など望むべくも無いと、絶望した。そして、行き場を失った。鞭打たれる馬車馬を庇い、自らは、自らの世界に引き籠もった。
 永井均は、哲学についてこんな風に捉えている。もともと何故だか哲学せずにいられなかった人が、みんなの元へと帰る運動なのだと。哲学とはみんなと同じところへ浮かび上がるために、自ら作り出す上げ底なのだと。本当にそうだろうか。ニーチェはみんなの元へ帰れなかった。
 わたしも同じかもしれない。わたしがみんなと同じ風に歩き、ものを食べ、日々仕事をする。そのためには上げ底を必要とする。それを、わたしは哲学から学んだ。わたしのいる場所とみんなのいる場所は大きく異なると、哲学を通して初めて知ったのだ。が、わたしとみんなの違いを認識できても、それを埋めることはわたしにはできそうにない。それが何故なのかは、今のところ自分でも分からない。
 善悪の彼岸。そう、善悪の彼岸とはよく言ったものだ。わたしと、みんなのいる場所とは大きく隔てられている。大きな川が流れている。
 カントの時代にはまだ人々を啓蒙することに希望が持てた。啓蒙活動を信じられた。ニーチェの時代にはそれがなくなった。現代に於いてはなおさらだ。
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女が階段を上る時
 わたしは高峰秀子が好きだ。もちろん世代は全然違う。もう去年になるが、いつの間にか死んでしまっているのを知ってショックを受けた。
 中でも、女が階段を上る時 が、不思議といつまでも心に残っている。加東大介の役がいい。ここのエピソードの顛末は未見の人のために伏せておいた方が良いだろう。以下にネタバレをする。
 加藤大介は、人の好い男で、
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ヤングゼネレーション ネタバレ
 父親との関係性がよかった。中古車を返品に来る客へ、主人公が「返却には応じなければいけないよ」と、父親に云うところが良い。
 実際の世界では、こんなにも早く、一つのエピソードを経験しただけで、世界に善などありはしないことを、悟ったりはしないが、映画なら成立している。憧れていたイタリア選手団が碌でもない人間の集まりであると思い知らされる場面との相乗効果もある。
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あの花 ネタバレ
 全話で泣いた。
 めんま。めんまとは。なんなのだろう。めんまは恋愛にまつわる感情の機微を理解しない。その外側にいる狡い存在だ。あなる、つるこ、ゆきあつの、嫉妬を理解しない。身体は大人になっても、心はあの頃のままだからそれを許されている。純粋なままでいることを許された存在だ。
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哀しき獣 ネタバレ
 チェイサーのような面白さをどうしても期待しているのだよね。チェイサーでナ・ホンジンを好きになったからには。
 チェイサーの面白さとは何か。事態は常に手遅れである。といったようなあの感じだ。どんなに奔走しても。命の限りに走り回っても。常に間に合わない。一足遅いのだ。運命は嘲笑う。わたしたちは運命に笑われる。つまり、人生とはそういったものだ。ナ・ホンジンはそれをよく知っている。
 哀しき獣には。そうしたものがない。
 前半の、階段での殺害を予め何度も検証する場面は秀逸だ。
 いくら韓国の警察でもそこまで間抜けではないだろう。グナムの逃走能力は高すぎる。それならば、グナムは凡庸な男だが、脚だけはめちゃくちゃ速い。というような描写を初めのうちに入れておいて欲しい。
 ナ・ホンジンは全力疾走する人間を前から撮る。このショットを得意とする。にしても多用しすぎの感はあった。
 カーチェイスは素晴らしい。カーチェイスの終わりは疑問だ。ここでも、グナムの逃走能力が人間離れしすぎている。リアリティを超えすぎている。百歩譲って、ミョン社長は不死身の強さを持っているとしても、グナムは人間の範囲でいるべきだ。
 三つ巴の戦い。
 直接対決がない。
 わたしはヒロインそのものがマクガフィンである作品が好きだ。とりわけアクションやサスペンスなら。チェイサーはそれである。哀しき獣は違う。
 宇多丸さんが、アポカリプトと同じテンションでお勧めすることは予想できた。
 利用するものとされるものの話。
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ミッションインポッシブル4 ネタバレ
 ミッションインポッシブル4の前に、アイアンジャイアントとレミーのおいしいレストランとニューヨーク東八番街の奇跡の話を少しだけしてみたい。
 アイアンジャイアント。アイアンジャイアントはは泣ける。アイアンジャイアントは、子どもが誰かの親になる話であり、誰か一人が死ななければならない話だ。子どもが誰かの親になる話とは、例えば、ドラえもんのび太の恐竜。誰か一人が死ななければならない話とは、グスコーブドリの伝記、スペースカウボーイなどだ。ストーリーの黄金パターンをふたつ掛け合わせている。
 レミーのおいしいレストラン。レミーのおいしいレストランの感想で、ドブネズミが料理を作っているのを見て吐きそうになったという人がいる。わたしはそんなことまったく思わなかった。ピクサーの中でも最も好きな映画だ。ところでリンダリンダって唄知ってる? リンダリンダリンダっていう映画もあるよ。
 ニューヨーク東八番街の奇跡。これを見たのは、おぼろげな記憶ではあるが小学生の頃だったろう。もしかしたら中学生だったかもしれない。いつまでも心に刻まれている映画だ。
 ミスター・インクレディブルもそんなに嫌いじゃない。
 ようやくミッションインポッシブル4のはなし。の前に、1と2と3のはなし。わたしの好きな順は、2、3、1だ。えっ? って思った人もいるかもしれない。
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アジョシ ネタバレ
 アジョシは面白かった。アジョシの優れているところ。エンターテイメントに徹しているところ。
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面白さについて2 及び 私の好きな映画評
コクリコ坂からのエントリーと私のシュタゲ論に少し書いた、私の好きな映画評について、もう少し詳しく書いてみる。
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加藤智宏は包摂されていたのか、されていなかったのか。
 包摂される必要があるのか。
 私の好きな小説は、本当の孤独を知るもの同士の絆が描かれているもので、それは、「赤目四十八瀧心中未遂」や「人間の絆」には描かれている。
 永井均の「子どものための哲学対話」には、「人間は自分のことを分かってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき、なによりたいせつなことなんだ。そして、友情って、本来、友達なんかいなくても生きていける人たちのあいだにしか、成り立たないものなんじゃないかな?」と書かれている。私はこの言葉がとても好きだ。
 包摂をキーワードとして現代の問題を語る人たちがいる。代表格は宮台真司。宮台真司の言うことは正しく感じられることが多いし、私も以前は包摂がキーワードの一つであろうと思ってきた。しかし、本当にそうかな、と最近では考える。


どうして人類は滅亡しないのか
 つまり、滅亡しないのは、多数の人間は俗人だから。動物だからだ。動物化するポストモダンなんて評論家風に気取った言葉で云ってみせなくても、人類はいつだって動物だった。およそ理性を兼ね備えた人間なら、どうしてこの世に、次なる生命を育もうなどと思えるだろうか。
 最善なのは生まれてこないことで、次に善いのは今すぐ死ぬことだ。
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ブータンとノルウェー
 社会保障制度が、弱者の気持ちを慮って作られたというよりは社会不安を抑えるために作られたのだとすれば、社会保障はテロや犯罪によってしか作られないことになる。

セブン
 セブンも好きな映画だ。チェイサーのエントリーでセブンと対比して考察するのも一興だなんて書いたけど、どこから書こうかなぁ。
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最終更新:2012年10月14日 22:38
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