高橋名人

登録日:2020/05/31(日) 16:10:00
更新日:2020/06/27 Sat 23:26:01
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高橋名人は、日本のゲーム関係者、歌手。本名:高橋利幸。北海道札幌市出身。
ファミコン全盛期の1980年代後半にハドソン所属のファミコン名人として一世を風靡した。
活動の全盛期は2年ほどであったが、CDデビュー、漫画化、映画化、ゲーム化、アニメ化など、非常に多岐にわたって活躍した。
日本におけるプロゲーマーの先駆的存在であり、2020年現在、一般社団法人e-sports促進機構代表理事にも就任している。


■名人誕生

1959年、金物屋などを経営する高橋一族の本家に生まれる。子どものころの夢は家業を継ぐことだったという。

短大中退後、スーパーマーケットのアルバイトから正社員、カルチャーセンターの講師を経て、1982年にハドソンへ入社。
入社当初は営業部へ所属していたが、ハドソンのファミリーコンピュータ参入をきっかけに宣伝部へ配属となった。この異動が高橋の運命を変えることになる。

1984年7月にハドソンから発売された『ロードランナー』をきっかけに、コロコロコミック編集部とハドソンの親密な関係が始まり、宣伝部唯一の平社員であった高橋も週の内五日は同編集部に通うという状態が一年間続いた。
当時コロコロは、すがやみつる原作の『ゲームセンターあらし』に代わって、あさいもとゆき原作の『ファミコンロッキー』が看板作品となり、ファミコンブームを盛り上げていた。ハドソンの作品が作中で使われることが多かったため、ハドソンと高橋は、さらに深くコロコロに絡んで行くことになった。

1985年3月、東京・松坂屋銀座店の屋上で行われたコロコロコミックの催し「コロコロまんが祭り」にハドソン社員として参加した高橋は、1000人ほどの親子連れの前でファミコンの『チャンピオンシップロードランナー』*1を実演した所、2~300人が残ってサインをねだる事態となった。
この催しの大成功を受けて、ハドソンは全国キャラバンなどの立ち上げを急遽決定。ゲームの実演役として高橋が指名され、将棋や囲碁にならって「名人」という呼称を使うことになった。
ここに「高橋名人」が誕生し、5月の「コロコロまんがまつり・スターフォース発売前ファミコン大会」にて名人として初登場した。


■子供たちのスーパーヒーローへ

1985年夏に行われたハドソン全国キャラバン(『スターフォース』)で「16連射」(後述)を披露し、これがコロコロコミックで取り上げられると、高橋名人は一躍子供たちのヒーローになる。

高橋名人の人気を受けて、毛利名人*2やバンダイの橋本名人*3を筆頭に他社からも続々と名人が名乗りを上げ、ファミコン名人という流行を作り出すことになった。
その中でも本家本元の高橋名人は人気が別格であり、TV出演や新聞での特集が行われ、さらにフライデーのような一般週刊誌でも取り上げられることで、ファミコンが一大現象になっていることを一般社会に知らしめた。

翌1986年にはこども電話相談室準レギュラーに就任したのを始め、TV番組レギュラー、CDデビュー、漫画化、映画化、ゲーム化、アニメ化など積極的にメディアミックスを図り、キャラクターとしても愛される存在になっていく。
まさに、時代を代表するスーパーヒーローであった。


■突然の活動縮小、その後

その人気は翌1987年になっても衰えを知らなかったが、10月にハドソンとNECホームエレクトロニクスが共同開発したPCエンジンが発売されると、PCエンジンソフトの宣伝に回されることになり、ファミコン業界から離れることになる。
ファミコンや、その後継機として発売されたスーパーファミコンと比べて、人気・知名度において大きな差があったPCエンジンの宣伝に回されたことでメディア露出が激減し、名人ブームは一気に終息に向かうことになる。

その後は、「あの人は今」状態であったが、元々ゲームメーカーの一般社員であるため、ハドソン社員として後進の指導などにあたり、子会社や支社で営業職として活躍した。

2000年代初頭からのレトロゲームの再評価にともなって、名人としての再露出が始まる。
2006年には、ハドソン内での役職名も「名人」となるなど、名人推しは続いた。

2011年5月、ハドソンを退社し、同年6月にゲッチャ・コミュニケーションズに入社。ハドソン退社の理由は、ハドソンの業務からコンシューマーゲームが消えたことだったという。
なお、ハドソンとの交渉により「高橋名人」の名は引き続き使用できることになった。

2014年6月、企画、開発、運営まで、ゲームに関わるすべての業務を行う株式会社ドキドキグルーヴワークスを設立し、代表取締役名人に就任し、現在まで精力的に活動している。

趣味はオートバイで、愛車はホンダのゴールドウイング。しばしばバイク雑誌の取材を受けている。


■16連射

ゲーム機のコントローラのボタンを1秒間に16回押す16連射(約0.06秒に1回)は高橋名人の代名詞となっている。

1985年、ハドソン全国キャラバンの『スターフォース』で披露したのがコロコロコミックで取り上げられたのをきっかけで話題になった。16連打ではなく16連射と呼ばれたのは、シューティングゲーム上のことであったため。
当時のハドソンが連射速度測定玩具『シュウォッチ』を発売したり、同社のゲーム『迷宮組曲 ミロンの大冒険』に連射速度測定機能が搭載されるなど、連射を競う流行現象を巻き起こし、当時は名人の指に三億円の保険をかけるという話が出たほどだった。

当初から瞬間速度では16連打以上も可能だったが、語呂の良さや仕事柄16進数に親しみがあったなどの理由から16連打ということにしたもので、全盛期には『シュウォッチ』でスコア174(17.4連打/秒)の記録を出したこともある。

この様な驚異的な連射能力を生んだ背景として、毎日2〜3km歩いて山へ遊びに行っていたことや、小学生の時から家の手伝いで18キロある灯油缶を毎日持って運んでいたので握力が85キロくらいあり、りんごも片手で潰せたといったことが語られている。
また、肘をつき指の上下のストロークを短くするのが16連射のコツとのこと。

50歳を越えても秒間12~13連射の実力を維持しているが、名人にとっては力が衰えてしまったことは恥ずべきことであるという。


■ゲームは1日1時間

「勉強でも何でもやりすぎは良くない、ゲームにだけ夢中にならず、いろいろなことを経験しよう」という意味を込めて、高橋名人が常々語っていた言葉が「ゲームは1日1時間」である。

発言当初は、子どもたちから唖然とされ、「ゲーム会社の人間がゲームをするなとは何事か」との文句も多方面から寄せられ、ハドソンで名人の今後の処遇を決める役員会が開かれるほどの物議を醸したという。
しかし、ゲームを心良く思っていなかった保護者からこの発言が絶賛されたことで、ハドソンも『ゲームばかりで遊ばない、他のこともしよう』という健全な方向性を打ち出していくことになり、名人に標語の作成が命じられた。

・ゲームは1日1時間

・外で遊ぼう元気良く

・僕らの仕事はもちろん勉強

・成績上がればゲームも楽しい

・僕らは未来の社会人!

結果、上の五つが標語となり、以後、ハドソン製ゲームソフトの取扱説明書や、コロコロコミックなどでもこの言葉が掲載されることになった。
発言の根本には、名人の「小学生はゲームより先に、基礎体力や基礎の知恵を付けた方がいい」という信条にある。


■逮捕・死亡説

名人の人気絶頂期であった1986年から1987年頃にかけて、子ども達を中心に「高橋名人が警察に逮捕された」「高橋名人が死亡した」といった類の噂(都市伝説)が急速に広まった。

これは、当時名人に警視庁から一日署長の依頼があった*4ことをトークイベントなどで語ったところ、それが子ども達を中心に誤った内容で伝聞され*5、「高橋名人逮捕」という情報になり、日本全国に広まったと言われている。

噂には派生種類がかなりあり、その中でも有名なのは「ゲームのコントローラーのボタンにバネを仕込んで連射速度をごまかした」というものであり、その他にも「バネを仕込んだコントローラは1回押すと4回押したことになる」、「非合法なクスリで手首を痙攣させていたのが逮捕の理由」、「そのクスリのせいで死んだ」、「連射のし過ぎでコントローラーが爆発して死んだ」などと荒唐無稽なものもある。

噂は2週間ほどで全国に広まったとされ、「口裂け女」などとともに、インターネットどころか携帯電話すらもない時代にあっての子ども達の情報交換のすごさを物語るエピソードとなっている。

噂が流れた当初は事実ではないからと気にしていなかったものの、ハドソン本社・営業所に業務に支障が出るほど問い合わせの電話が殺到し、「変な噂のせいで仕事にならない」と上司に怒られたという。


■名人の真実

ゲーマーとしてけた外れの能力を持つとされた高橋名人であったが、本当はゲームが下手だったという衝撃的な事実が2017年放送の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』で明かされた。*6

これは当時どのようにすれば話題が作れるかという事を検討する中で、有名人を起用するよりも社員の一人を有名にすれば、金がかからなくて良いという結論になり、
宣伝部で唯一平社員だった高橋に白羽の矢を立て、当時のハドソン社長から「お前、今日から高橋名人な」と指示されたのが名人誕生のきっかけであった。

「本当は嫌だけど、社長が言うなら仕方が無いか」と気軽に引き受けてしまった名人であったが、予想をはるかに超えた人気者になってしまう。

その直後、全国キャラバンファミコン大会の開催という最大のピンチが訪れる。名人としてイベントのオープニングで『スターフォース』のデモプレイが課せられたのである。
「名人である自分が絶対に子ども達の前じゃ失敗できない」と考えた名人は、イベントオープニングのデモンストレーション分だけ練習すればよいとひらめき、メーカーの人間という特権を利用してゲーム発売の2ヶ月前から冒頭2分間だけ猛練習し、難を逃れることができた。

こうして名人としての地位を保っていたものの、本当は下手なのに上手いふりをして子供たちを騙しているというプレッシャーから、ストレスと疲労で全身に蕁麻疹が出来たという。*7

さらに先述した逮捕説など度重なる苦難に悩みながらも、ファミコンブームの衰退やハドソンの営業方針の変更とともに仕事が減っていき、本人は寂しさの一方で安心したと述べている。

前述の「ゲームは1日1時間」も、直接のきっかけはそれまで子供ばかりだったゲームの催し物の会場に大勢の保護者が訪れ、厳しい視線から逃れるための苦し紛れの言い訳だったという。

大らかな時代であった当時は名人の仕事を見学したりサインを欲しがる子供がハドソンに来ても受け入れる余地があったのだが、
名人の本来の仕事は広報職の社員なのでそのまま見学させても地味かつ子供といえど部外者に見せられない資料などもあるので、
子供が見学に来たら目の前でひたすらファミコンを攻略する姿を見せて、「 ファミコンだけ遊んでお給料がもらえる仕事があるんだ 」という誤解を招く応対をしていたらしい。

なお、名人として当時給料以外で貰えた手当は0円だった。*8
また、全盛期は殆ど休みがなく、最長で160連勤という超過密スケジュールであった。*9

放送後、ゲスト出演していた伊集院光はファミ通に連載している自身のコラムで少し触れ「ゲームが上手くないと言っているがテレビ番組だから多少の誇張なんかはある」とコメントしている。


■高橋名人関連作品

ここでは、名人がメインキャラクターとして関連する作品を挙げる。

◇ファミコンランナー 高橋名人物語

コロコロコミック連載。作者は河合一慶。全6巻。
連載前半は名人の少年時代の武勇伝や伝説(を100倍ぐらいに膨らませた)を描く1話完結構成。後半からは現在の名人の活躍が中心となり、悪の組織との戦いや秘境での冒険など、バトル要素の強い作風になっている。
セミに自分のウ○コを投げつけて捕獲する「サッポロ採り」が有名。とりあえず札幌市民は怒っていい。
本作では、前述の名人逮捕の噂は、名人に憧れるあまり引きこもってゲームばかりするようになってしまった孫を元に戻すために富豪の老人が流した噂ということになっていた。
少年漫画らしい下ネタ満載の作風で、後の名人の著作やインタビューで、あくまで漫画内の創作であることが強調されている。
前述のように、名人がファミコンの宣伝から外れてしまったため、打ち切りとなってしまい、最終巻となるはずだった7巻は発行されずじまいだったが、2002年に単行本全巻と連載最終回を含めた未収録話をまとめた復刻版(全1巻、1000ページ越え!)が朝日ソノラマから発売されている。


◇熱血!ファミコン少年団

コロコロコミック連載。作者はさいとうはるお。全3巻。
コロコロで企画されていた『ファミコン少年団』を設定の中心に取り込み、「ファミコン実録漫画」を謳っていた。
名人は、ファミコン少年団の認識番号1番、また名誉団長として、主人公の南大地達団員を導いていく。
本作では、前述の名人逮捕の噂は、名人の人気を落とそうとたくらむ敵組織が意図的に流した噂ということになっていた。
その他にも、右腕を傷つけられたり、拉致されて窒息死しかけるなど、かなり散々な目に遭っている。
ちなみに、雑誌掲載時の第1話では名人の顔はリアルな絵柄であったが、第2話からは丸っこい親しみやすい絵柄に変わっている。*10


◇GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦

1986年に公開された映画作品。配給・東宝。監督・神澤信一。
高橋名人と毛利名人のゲーム対決の様子を描いた作品である。当時ハドソンよりファミコン用ソフトとして発売された『スターソルジャー』が対決に使用された。
両名人が対決前に行う特訓シーンが有名であり、特に、高橋名人が指の力を鍛えるために行った、指の連打でのスイカ割りは、面白映像として現在でも名人がメディアに登場する度に放送されるので、当時を知らない世代でも知っている人は多いと思われる。*11
本作品は『ファミ通DVDビデオ ファミコン生誕20周年記念 ファミコンのビデオ』に収録されており、現在でも比較的容易に視聴することが可能である。
作中のインタビューで、「ファミコンなんかで何でこんな思いをしなきゃいけないんだと思って…」と語っているのは、当時の偽らざる心境なのかもしれない。


◇はっちゃき先生の東京ゲーム

ハドソン・ムービー第1回作品。監督・深沢清澄。
北海道、ニセコの分校を舞台にした名人主演の心温まるストーリー。名人は、「ゲームの天才」高橋先生として、全校生徒16人の小学校の教師を熱演している。
ここでいう「ゲーム」とは、身の回りのものを使った遊び全般のことを指し、作中にはファミコンは一切登場しない。*12
ヒロイン役は、当時短大生だったデビュー間もない鈴木保奈美。他にも、ハナ肇やあき竹城が脇役として出演している。


◇高橋名人の冒険島シリーズ

ハドソンが1986年からファミコンで発売していたゲームシリーズ作品。スーパーファミコンでは「大冒険島シリーズ」も制作された。
初代は、セガがアーケードゲームとして1986年に発売した『ワンダーボーイ』の移植版にあたり、キャラクターを高橋名人に差し替えて発売されたもの。
名人の人気及びファミコンブームに乗って100万本以上を売り上げ、ファミコンで4作+スピンオフ1作、SFCで2作という人気シリーズになった。
1994年6月24日に発売された『高橋名人の冒険島IV』は、任天堂公認ソフトとしてはファミコン最後の作品となった。ファミコン名人が主人公の作品が、ファミコン最後の花道を飾ったのである。
ちなみに、主人公の高橋名人は、ゲーム内でミルクをとることでバイタリティゲージが全回復するが、実際の名人はお腹を壊してしまうため、牛乳を飲めない。*13
逆に、ナスは名人の嫌いな食べ物としてダメージアイテムとなっているが、後のファミ通の取材で名人はナスを普通に食べ「むしろ好きな部類」と語っている。*14


◇Bugってハニー

上記の「冒険島」の世界観を下敷きにしたアニメ作品。1986~1987年に日本テレビ系列で放送された。
名人をモデルにした高橋原人が主人公のハニーや現実世界からやってきた少年少女たちと一緒に冒険する。
日本初の「テレビゲームを原作としたテレビアニメ作品」である。
本作を原作としたファミコン用アクションゲーム「高橋名人のBUGってハニー」も発売された。


◇「RUNNER」を始めとした楽曲

中学高校とフォークソング部に所属し、学園祭で演奏などをしていたため、音楽に深い造詣を持っていた名人は、音楽家としての活動も長い。
歌唱力の高さを買われ、1986年に「RUNNER」で歌手デビューを果たし、ブームが終息するまでの1年間で5枚のシングルを出している。
メディアに再登場してからも精力的に活動を続け、シングルやアルバムを多数発表している。




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*1 先述の『ロードランナー』の上級編。

*2 ハドソンのアルバイト社員を経てフリーランスとして活動。その後ファミ通の編集部に入社し、現在はフリーランスとして活動中。

*3 バンダイ退社後はコブラチームを設立。現在はスクウェア・エニックス専務執行役員。

*4 一日署長自体は日程の都合で実現しなかったと、後にmixiの日記などで語っている。

*5 「一日署長をするために警察に行く」→「警察に行った」→「捕まった」というような経路と思われる。

*6 番組内ではスーパーマリオも2面くらいまでしかクリアできないと語っている。

*7 明確な理由は現在でも不明。

*8 当時仕事にかかわった人間に均等に分けられ、年俸制であったためボーナスなどもなかったため。

*9 もっとも80年代当時は週休2日制もまだ一般的ではなく、バブル景気真っ只中で働くことが美徳とされていた時代背景もあった。

*10 単行本では修正されている。

*11 スイカの中に圧縮空気が仕込んであり、実際に連打で破壊したものではない。

*12 ジャケットには「ファミコンの神様高橋名人主演」と書かれているが。

*13 乳糖を分解する酵素を持たない「乳糖不耐症」という体質と思われる。

*14 ナスの皮が擦れ合うキュッキュッという音が苦手なのだという。