ハドソン

登録日:2023/05/29 Mon 22:59:58
更新日:2023/09/14 Thu 08:33:19
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バーイ、ハドソンッ!

株式会社ハドソン(Hudson Soft Company)とは、かつて日本に存在したゲームソフトメーカーの1社である。
日本初の「サードパーティ*1」であったことで知られる。

「ハドソン」の社名は、蒸気機関車の車軸配置パターンを表す「ハドソン型」からとったもの。創業者が鉄オタだったため。

マスコットキャラクターは蜂をモチーフにした「ハチ助*2」。

概要


1973年、北海道札幌市で創業。兄弟での創業だった。
創業当時は通信機器や美術品の販売を行ったり、アマチュア無線ショップを開業したりしていた。

1970年代後半にはコンピューター業界に参入する。当時はパソコンマニア向けの地方の一店舗でしかなかった。1978年、日本で初めてのパソコン用ゲームソフトの販売を行ったのもこの時期。
しかし、ハード販売の片手間行っていたオリジナルソフトウェアの通信販売広告を「月刊マイコン」に掲載すると一転して急成長。パソコンソフトの大手となる。

任天堂ファミリーコンピュータを発表した直後、ファミコン向け周辺機器「ファミリーベーシック*3」の開発を手掛けたことで任天堂と接近。

「任天堂のハード向けのソフトを外注で作る」サードパーティとしての業務を日本で初めて行うことになる。
サードパーティとして開発した1本目のソフトは「ナッツ&ミルク」、2本目が「ロードランナー」。

この「ロードランナー」の販促のために、宣伝部の社員が顔出しで小学館のコロコロコミックに登場し宣伝を行うと、ファミコンブームもあって一躍子供たちの人気者になった。
その社員の名は高橋利幸。そう、彼こそが後の高橋名人である。

また、1985年には『ボンバーマン』をファミコンソフトとして発売。その後もハドソンの顔となる。

また、ハドソンは自社でのハード開発にも乗り出していた。
1987年、NECと共同開発したPCエンジンである。
PCエンジンは売りあげこそスーパーファミコンに及ばなかったものの、第4世代ゲーム機の先陣を切った名機と名高い。

しかし、1990年代初頭のバブル崩壊、そして1998年にメインバンクであった北海道拓殖銀行が破綻したことで資金繰りが悪化。
ドコモの携帯電話サービス「iモード」向けのゲームソフトで再起を図るも振るわず、2000年代にはコナミの資本が入り、子会社となる。

……が、コナミの子会社となったことで業績が改善するかと言えば全く逆で、それまでの「自由な社風」が失われ、それまでの中核であった多くの人材を失ってしまう。
結果として2011年にはコナミの完全子会社となり、2014年にはブランドも消滅したことで「ハドソン」の名は消滅した。

主な作品


◆ボンバーマンシリーズ(1985~)
爆弾を配置して敵を倒す、ハドソンの顔ともいえる作品。
実は84年に発売されたFCソフト、ハドソン版ロードランナーの前日譚でもある。

桃太郎電鉄(1988~)
サイコロを振って電車を動かし、止まったマスで資産を増やす、すごろく形式のパーティーゲーム。ボンバーマンと並ぶハドソンの顔。
元はと言えば自社ゲーム『桃太郎伝説』のシリーズ作品なのだが、近年ではあまり知られていない。いわゆる本家より有名になったスピンオフ作品の代表格。

天外魔境シリーズ(1989〜2011)
それ以前はアニメ、食玩等の企画クリエイターであった広井王子をカニやらイクラを餌に北海道に呼び寄せられる序に本社に軟禁状態にされて作らせられたと言われる、PCエンジンを代表するRPGシリーズ。
CD-ROM2の大容量を活かしたアニメ的な演出と、ストーリーを追うだけでも以前の常識からは桁違いとなる長時間のプレイを持続させるだけのシナリオの密度等、先鞭をつけた訳ではないが後のRPGの進化の方向性を先取りしつつ一定以上の完成型を示した作品となった。
ハードの普及率の都合上、実際の売上は企画の規模や労力からすれば見合わないとされつつも、当時にプレイ出来たユーザーからはRPG(スクウェア)全盛のSFCのゲームより面白いと太鼓判を押されていた程。
本作の成功により広井は以降はゲームクリエイターとして知られるようになっていく。

マリオパーティシリーズ(1998~2007)
任天堂の顔役マリオたちを操作する、パーティゲームの決定版。発売は任天堂だが、マリオパーティDSまではハドソンが制作していた。
マリオパーティ9以降はエヌディーキューブ制作であり、ハドソンは開発から外された
……というわけでもなく、ハドソンがコナミに買収されたことで開発チームがエヌディーキューブに移籍しただけで、開発チームはそのままだったりする。

高橋名人
ゲームではないが、間違いなく「ハドソンが世に送り出した」中でもトップクラスの知名度を誇る。
また、名人をモチーフとした『高橋名人の冒険島』シリーズもハドソンが制作している。同作の世界観を元に「Bugってハニー」というテレビアニメ、アニメ映画も公開された。ちなみに主題歌も高橋名人が歌っている。その他、毛利名人と対決する実写映画など、幅広く展開していた。

◆スターソルジャー (1986年)
ハドソンが1985年にテクモが発売した『スターフォース』を元にさらなる進化を遂げた作品として発売されたシューティングソフト。
1986年にハドソン主催のスコアアタックイベント『キャラバン』において使用されたりなど、高橋名人の存在と共に一役有名にさせた名作である。

◆ブラッディロアシリーズ(1997年〜2004年)
3D格闘ゲーム全盛期に発売された格闘ゲームシリーズで、エイティングが開発していたが販売はハドソンが担当した。
最大の特徴はキャラクターが“獣化”してという獣人に変身し攻撃力や防御力がパワーアップするというシステムが特徴であり、コアな格ゲーファンには未だに人気の高い名作。
だが『4』をもってしてシリーズは制作されなくなり未だに復活の音沙汰も無いのが残念。
ある意味漫画『キリングバイツ』の先駆けとも言えるのだが

ボボボーボ・ボーボボ ハジけ祭(2003年)
アニメ放送開始前に発売されたPS2専用ソフト。開発元は株式会社ジャングル。
主人公ボーボボを動かし、画面奥へと向かってくる毛狩り隊田楽マン鼻毛とワキ毛で弾き飛ばすハナゲーアクション
ステージのラストでは首領パッチやらところ天の助やらソフトンやらが待ち構えているぞ!画面に映った矢印マークに合わせて相手をぶっ飛ばせ!
ちなみに操作方法はすべてコントローラについてあるアナログスティックで行う。鼻毛と矢印はすべてこれで操作可能だ。
ボーボボ役および主題歌にあの水木一郎アニキを起用。他の声優陣も豪華で、各ステージBGMも歌が流れまくるハジケっぷり。ステージ数は全5面と少ないけどな!
本作以降も、ボゲーの発売はハドソンが行っており、主な開発元は六面堂。
EyeToyを用いたミニゲーム集「あつまれ!!体感ボーボボ」を発売したこともある。

余談や逸話など


◆裏技
現代でも使われている「裏技」という言葉。
実はゲーム業界における、この言葉と概念を創出したのが、高橋名人を含む当時のハドソン社員とコロコロコミック編集部だった。
100万本以上出荷していたFC版「ロードランナー」にバグが見つかった際、まともに対応してしまうと倒産を免れなかったため、「あくまで技であり、プログラムの不具合ではない」と言い張るための苦肉の策だったのだが、これが大ヒットしたのがきっかけ。
この件は漫画「コロコロ創刊伝説」(のむらしんぽ著)や、高橋名人へのwebインタビュー等にも詳しく載っている。

◆GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦
本作の企画と構成を担当していたのは、当時かけだしだった渡辺浩弍である。

追記・修正、バーイハドソン!

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最終更新:2023年09月14日 08:33

*1 ゲーム機本体を製作せずにゲームソフトのみを製作する会社のこと。

*2 元々北海道のアマチュア無線ショップだったことから。「北海道のアマチュア無線のエリア番号」である『8』を由来とする。

*3 ファミコンと繋げることでBASIC言語でプログラミングができるキーボード型の周辺機器。あの桜井政博氏がゲームクリエイターを志したきっかけの一つだったりもする。