リナエスト民族主義(現代中央リナエスト語:
zlinAstAt lEgteypanlvet)とは、全リナエスト民族(
リネシュク /
zlinAst)の政治的・文化的独立を求め、アイデンティティの確立と振興を目指す運動や思想の総称である。
特に
リパラオネ教の宗教権威や
リナエスト・オルス共和国などのナショナリズムとは距離を置いている潮流については
観念論的民族主義に基づいて
観念論的リナエスト民族主義と呼称される。
概要
全リナエスト民族やその民族集団における民族主義はMp.1998に
リナエスト公国滅亡に伴う
リナエスト・ディアスポラによって離散・移住を余儀なくされ、その中で他民族と同化しながらも民族的独立を求める試みをしてきた歴史を経験することによって醸成された。この点はリナエスト民族の特色的側面であり、例えば
リパラオネ民族主義とは異なる過程を辿っている。そのため、リナエスト民族主義にとって自然科学的属地的定義は「
その正当性を検証することが困難である」という批判を経て、観念論的民族主義が発展していった。現代においては属地的主義と観念論的主義が並立している。
オルス主義
Mp.1990年代、リナエスト公国の滅亡に伴うリナエスト・ディアスポラが起きる中、
スフルポイ・スペウツギンツィイによって
オルス(
orsz)という概念が提唱される。オルスは「同胞」を原義とし、これを「リナエスト民族によって成立された法秩序」と定義した。スペウツギンツィイはまた、リナエスト人とは
オルス(≒リナエスト民族によって成立された法秩序)を遵守する人であるとし、「リナエスト民族を守る最良の方法は、リナエスト人だけの国家を作ることではなく、リナエスト人が作り上げた法秩序を成立し、遵守し、継承することである」と論じた。他方で、もしリナエスト人が国家を樹立する場合においてはオルス国家を建国すべきであると主張した。オルスは国家に制限されない概念であるため、国家内の小さなコミュニティでも存続でき、すなわちリナエスト民族は再び建国することがなくとも、民族としての同一性を保持できるとした。
リネシュク主義
Mp.19世紀にはイスケ人の
ターフ・エシェリアがリネシュク主義を提唱する。この時代、既にリナエスト民族の各民族集団の言語的多様化が始まりつつあった。リネシュク主義はオルス主義が民族より国家を上に置くのに対して、国家より民族が上であるという構造を示しつつ、リナエストの各民族集団は全リナエスト民族を意味する「
リネシュク(
zlinAst)」という一つの民族に属していると主張した。このリネシュクという枠組みを発明したことで分散するリナエスト民族を再び結びつけようとする試みは民族主義運動に発展したが、一定の成功を収めたとは言えなかった。なぜなら、リネシュクという枠組みには手続きとなる条件が定義されておらず、それぞれの民族集団によって独自の解釈を与える余地となったからである。そのため「リネシュクという枠組みの線引きはどこにあるべきなのか?」という議論が行われた。
記憶主義
phil.1355年、
メルピヤ・バシェウが
記憶主義を提唱した。バシェウはリネシュク主義の枠組みの曖昧性を批判しつつ、オルス主義について、「契約論的側面によって民族が定義されるのであれば、意思的に民族自認の枠組みを着脱できることになる」と批判した。そこで、
ヴェルテール哲学の
刻印を援用し、「民族にはその記憶の殺人不可能性がある」という点に着目し、記憶主義においてリナエスト人は
刻印を継承(≒記憶)した人であると主張した。言語・法・慣習・地名・伝承・制度・生活様式・他者との関係の総体が記憶されたものを刻印の一側面であると位置づけた。また、バシェウは民族的故郷を称揚しつつ、「属地的民族主義は刻印による記憶主義と別々の過程によってそれぞれが同じ結論に到達する」と論じたことで、リナエスト民族主義に自然科学的属地的定義と観念論的定義の対立を明らかにした。
内的法-境界主義
phil.1598年、
トヒツィピヤ・イチュヘは著書で記憶主義を批判し、刻印の一側面に対して十分な説明がなされていないと主張し、民族はそれが何等かの属性を持っているかどうかではなく、どのような生活による法に基づいて生きているかという問いを展開し、バシェウのリナエストの民族的故郷を援用しリナエスト民族の精神には内的な故郷、すなわち
内的法(
postoSa)が存在していると主張した。すなわち、オルス主義が過去のもののみが存在する
オルスという概念を拡張し、法(
Esey)を遵守しようと考える以前からその法に沿った内的法的世界観が存在とし、リナエスト民族には内的法の下にある者であると定義した。そして、彼らはその地域――過去の場所となった――に形成された継続的な内的法の下で生き、仮にリナエスト社会の中にいて直接的な血統関係が全くあるいは直接的にない人がいたとしても内的法に基づく人生を送っている者はリナエスト人であるということである。
phil.1880年、
Š.H.モヅネウは
境界(
skgiponi)を提唱し、イチュヘの提唱した内的法が刻印の一側面が明確にしつつも、それがどれほど遵守されているか(≒基づいているか)について批判した。モヅネウは「内的法主義では自然科学的属地的民族主義に該当しない者をリナエスト人だと見なせる一方で、完全にリナエスト的と言える自然科学的形質を持つ者がリナエスト的生活様式を失った場合リナエスト人ではなくなるのか?」という問いに対して、境界を内的法主義に組み込んだ
内的法-境界主義を提唱した。境界とは、社会的配置の維持と関係の継続が主観の内側にあるということであり、例えばリナエスト人とヴェフィス人の隣人性がそれぞれの境界を形成しているということができる。そして、「ユシュケ人とイスケ人が『互いに違う種類の全リナエスト民族である』と認識しているということは、リナエスト民族が一つの民族として成立し得るのは共通点があるからということではなく、同じ境界の内側に立っているという認識を共有しているということである」と論じ、「リナエスト人はリナエストとしての
内的法の下にある者であり、またはその境界の内側にある者のことだ」と主張した。そして、「その者が、刻印の一側面である言語・宗教・形質・文化などの違いは重要ではなく、それらが同じでも境界の外側に置かれ、そう認識され、そう認識し、そう共有した場合にのみ、リナエスト民族ではなくなる」とした。
関連項目
最終更新:2026年08月29日 21:55