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付喪神

登録日:2026/06/10 Wed 06:27:58
更新日:2026/06/19 Fri 22:16:37
所要時間:約 9 分で読めます





付喪神(つくもがみ)

陰陽雑記に云ふ。
器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、
これを付喪神と号すと云へり



現代では九十九神と表記されることもある。
また、属喪神との表記がある資料もあるが、これは誤写が定着したものの様である。

長い年月を経た道具・器物に魂が宿り、あるいは妖怪となった存在。
日本古来の概念であり、百鬼夜行を構成する妖怪の多くは付喪神であると考えられている。


概要

陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり

室町時代の絵巻物『付喪神絵巻』の冒頭に記されたこの一文が、「付喪神」という概念を語るうえで最も重要な史料となっている。

すなわち付喪神とは、百年という長い年月を経た道具が精霊を宿し、人の心を惑わすものになった存在のことを指す。

ただしこの「百年」という数字を厳密に受け止める必要はなく、古くなるにつれてそれに霊性が宿っていくという考え方がこの概念の根底にある。
万物に霊が宿るという信仰、いわゆるアニミズム的思想が背景にあり、道具も例外ではないというわけだ。

人、草木、動物……そして道具にすら霊性が宿りうるという発想は、いかにも日本的である。
なにしろお稲荷さまの狐、鵺、化け狐・化け狸、座敷童子と、日本の神仏妖怪は本当に多種多様な存在を包含してきた国である。

付喪神は「神」の字を持ちながら、百鬼夜行の主役でもあることからわかるとおり、神と妖怪の境界線上にある、きわめて曖昧な存在である。
大切に扱われれば神として祀られ、粗末に捨てられれば妖怪として祟る。その性質はひとえに、道具を扱う人間の側の態度によって決まるのだ。

このように、付喪神という概念は妖怪としての側面が強調されがちだが、一方で「大切に使い込まれた道具が福をもたらす存在になる」という肯定的な解釈も存在する。
「付喪神=招福の存在」とする見方も古くから伝わっている。
例えば、信楽焼きのタヌキが商売繁昌のシンボルとされるのも、道具や器物に宿る霊性が幸運を呼ぶというアイデアの延長線上にある。


そもそも「つくもがみ」って?

「つくもがみ」、ないしは「つくも」という呼称の由来については判然としないところがある。

「つくも」は元々は次百(つつもも)*1であるとされている。
「満ち足りない」の意味である“つつ”と「無数・限りない」を意味する“もも”を合わせた言葉である。

『伊勢物語』

この「つつもも」から「つくも(がみ)」になったきっかけが、平安時代の『伊勢物語』。
第63段にこのような和歌が登場する。
もゝとせ(百年)に ひとゝせ(一年)たらぬ つくもがみ(九十九髪) われ()()ふらし おもかげに見ゆ
在原業平
100から1を引くと99になる事と、百から一を抜くとになることから、「九十九(つくも)」になった。
要は「(老女の)白髪」をエスプリの効いた形で表現したのである。(同時に「つくも」に訛っている)
まあ、99歳のお祝いを「白寿」と表すのと同じである。

つまり、「つくも」とは、百から一を引いた数、すなわち「あと一歩で百に届く長い時間」を示し、
百に届かない、惜しいところで届かない――その「惜しさ」がこの概念に込められた哀愁でもある。


『伊勢物語抄』

室町時代に成立されたとされる、伊勢物語の抄本*2

以下に引用する。
つくもがみとは、百鬼夜行の事也。
陰陽記に云う、狸𤞟狐狼之類満、百年致人恠喪、故名属喪神といへり。
是はりとうころうとうのけだ物、百年いきぬれば色々のへんげと成て人にわづらひをあたふ。
是は必夜ありきてへんげをなすゆへに、夜行神ともいふなり。
九十九といふ年よりへんげそむる也。仍百年に一とせたらぬつくもがみといふ。
女九十九にはあらねども夜ありきて業平をのぞきてわびしく心くるしき(わざはい)をつくる故に付喪神といふなり。
又、海につくもというもの有。人のかみのちゞたるに似たり。
年のよりたるひとのかみはつくものやうに成といふ心も有なれども、夜行神事、実義也。

わかりやすく順に読み解いていこう。
まず、つくもがみ=百鬼夜行とされている。
そして、狸𤞟狐狼(りとうころう)…要は種々の動物が百年生きれば妖怪変化となり、人に災いを与えるという。
なお、必ず夜に変化するから、別名「夜行神」。
百年より前の、九十九年から変化は始まるので、「百年に一とせたらぬつくもがみ」である。
なんか、アバウトな感じだな…。

ここで話は変わり、(99歳には満たないけど)老女が夜に在原業平を“垣間見(かいまみ)”する。
垣間見は本来、男性⇒女性に対して行うもので、平安という時代背景を考え合わせると、まあそれなりに異常な行動。
よって、『侘しく心苦しき(わざわい)をつくる』ために「付喪神」と言うとのこと。
なので、九十九髪(つくもがみ)の)女性の心=付喪神=百鬼夜行(の如き)と関連付けられていることになる。
こじつけっぽいって?私もそう思います。

ちなみに、「又、海に~」の部分は一種の余談。
江浦草(つくも)という海藻(今でいうフトイ(太藺))があり、これが年寄りの縮れた髪に似ているから「つくも髪」とも言うよ、という説を紹介している。

なお、ここまで読んでもらえれば分かるが、ここでは古道具と付喪神の関連はない


『付喪神絵巻』

付喪神を語るうえで欠かせない史料の一つ。
室町時代に成立した御伽草子系の絵巻物で、別名『器物双紙』『付喪神記』。

冒頭の一節を抜き出そう。
陰陽雑記に云ふ。
器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。
是れによりて世俗、毎年、立春に先立ちて、人家の古道具を払ひ出だして、路吹に棄つる事侍り、これを煤払と云ふ。
これすなはち百年に一年たらぬ付喪神の災難にあはじとなり。
又新玉の始め、楡柳の火を切り、若水をむすび、衣装家具等にいたるまで、みな新らしく、声華やかなる事、
たゞ富貴の家のおごれるよりおこりたると思ひたれば、かの付喪神をつゝしみて、新を賞しけりと、今こそ思ひ合はせて侍れ。

概要としてまとめると、おおよそ以下の通り。

「器物は百年経つと精霊を宿し、人心を誑かす付喪神となる」
「そのため、(百年になる前に)人々は煤払いと称して毎年立春前に古道具を路地に捨てた」

まあ、律義に99年をカウントしているとは思えないため、単にある程度古くなっていたら捨てたと解釈するのが妥当であろう。

絵巻は次のように続いてゆく。
廃棄された器物たちは当然ながら腹を立てる。
「百年経てば魂を得られたのに……」と思ったのかは定かではないが、大切にされなかった恨みを抱いた器物たちが、復讐のために妖怪になることを画策する。
なんとも哀れで、しかしどこかコミカルでもある話だが、この「百年経たずに捨てる」という行為こそが付喪神の怒りの根源であり、物語の原動力となっている。
しかし、百年を経ても人の心を誑かすことにはなるので、捨てても捨てなくても災いに逢うのだから人間サイドの我々としては困ったもんである。
そもそも、そうやって意思を持っている時点で魂があるのでは…?*3

さて、捨てられた道具たちは節分の夜に自ら命を絶ち、造化の神に身を任せることで新たな姿を得た。
そんな彼らの姿だが
或は、男女老少の姿を現し、或は、魃魅悪鬼(ばつみあっき)の相を変し、或は、狐狼野干(ころやかん)の形をあらはす
つまりは「老若男女の人間の姿」、「鬼の様相」、「各種動物の姿かたち」など多様であったと絵画に記されている。
もちろん、道具のまま擬人化されたような姿のものも描かれている。

その後、彼らは船岡山の後方、長坂の奧を住処とし、町に降りては牛馬や人間すら取って食う生活を送っていた。
まさに、この世の春である。
最終的には人間側と護法童子に懲らしめられるが、発心を得て仏教に帰依して出家し、成仏するというのが物語の結末。
この絵巻には、道具でさえも供養されれば成仏できるという真言密教的な思想が込められており、単なる怪異譚にとどまらない宗教的・文化的な深みを持っている。

なお、「付喪神」という言葉を直接記した文献史料は、これらの資料以外にはほとんど確認されていない。
すなわち「付喪神」という言葉そのものは中世に最も流布した概念であり、
九十九髪 ⇒ 百鬼夜行の如きもの ⇒ 百年を経た器物が変化さるもの
という、一種の連想ゲームのような形で定まったと考えられる。
そして、近世には衰退した観念であったと考えられている。

幕末以降には浮世絵の題材として器物の妖怪が再び注目されたが、それはすでに元来の信仰と切り離された表現であったとも指摘されている。


『百鬼夜行絵巻 真珠庵本』

「付喪神」という言葉こそ用いていないものの、道具の妖怪たちを描いた作品として欠かせない書物。

現存する最古のものは、室町時代後期に制作された『真珠庵本』と呼ばれるもの。
江戸時代に多くの百鬼夜行絵巻が描かれたが、基本的にはこれを元に模写・派生した作品と見做されている。
真珠庵本は、現在では重要文化財として、京都府の大徳寺 真珠庵に所蔵されている。
また、国立国会図書館や各地の博物館などに複数の写本・模本が所蔵されている。

この絵巻は、夜更けに京都の大通りを、古道具が変化した妖怪たちが行列をなして歩く様子を描いたものである。
描かれた異形の大半は付喪神と考えられており、唐傘や琵琶、瀬戸物、衣装など、あらゆる器物が変化した妖怪たちが行進している。
行列の様子は、『付喪神絵巻』に見られる妖物たちの祭礼行列の箇所を描いたものではないかとも考察されており、両者の深い関係がうかがえる。

また『土蜘蛛草紙』など付喪神絵巻よりも先行する絵巻物にも道具の妖怪は確認でき、器物が変化するという発想がいかに古くから根付いていたかがわかる。

後に江戸時代には鳥山石燕の『画図百鬼夜行』がこれらの妖怪図像を集大成・事典化し、さらに水木しげる先生によって現代にまで広く普及した。……と、言うより付喪神系に関しては殆どを石燕が創作したと思っても間違いはない。
付喪神たちの夜の行進――百鬼夜行のビジュアルイメージは後世の創作に多大な影響を及ぼし続けている。


代表的な付喪神たち

古典絵巻や民間伝承、また鳥山石燕の著作などに登場する、著名な付喪神たちを紹介しよう。

唐傘(からかさ)お化け

付喪神の代名詞ともいえる存在。東方の多々良 小傘でお馴染み。
破れた番傘が百年を経て変化した妖怪で、一本足で跳ね回り、大きな一つ目と長い舌を持つ姿が定番。下駄を履いている描写もある。
正式な伝承記録は意外と少なく、民間でどのように浸透したか詳細は不明な部分も多い。新潟県笹神村には「カラカサバケモン(唐傘化け物)」が出たという記録が残っている。
特に悪いことをするわけでもなく、一本足で飛び跳ねて人を驚かせる程度なのだが、それが逆に愛されるキャラクター性につながっているとも言える。
現代では「和製妖怪の代名詞」的なポジションを確立しており、日本のポップカルチャーにおける付喪神の顔とも言える存在。

提灯(ちょうちん)お化け

唐傘お化けと並ぶ付喪神の代表格。お化け屋敷や肝試しで姿を見たwiki籠りもいるかもしれない。
提灯に目や口が現れた姿をしており、長い舌を伸ばした姿で描かれる事が多い。目の数は1つ目だったり2つ目だったり様々。
既に江戸時代の頃には多くの絵画に描かれているが、こちらも正式な伝承記録は非常に少なく、実は結構謎めいた妖怪である。
なお、鳥山石燕も『不落不落(ぶらぶら)』という提灯お化けそっくりの妖怪を描いているが、石燕曰く「提灯の火のようだけれど正体はが起こした火(と言う設定)」との事。

文車妖妃(ふぐるまようひ)

文車(ふぐるま=手紙や文書を運ぶ荷車)の付喪神。
捨てられた古い恋文に積もった執念や怨念から生まれたとされる、どこか物悲しい存在。
「恋文の怨念が妖怪になる」というコンセプトが詩的で、古今の創作でも好まれるモチーフとなっている。
元ネタは「徒然草」の一節として取り上げられている「多くて見苦しからぬもの(多くても別に気にしないもの)」の1つ、「文車の文」と言う説が有力。

塵塚怪王(ちりづかかいおう)

ゴミ捨て場の塵芥が一体となって生まれた付喪神。
無数の捨てられた物が集積して巨大な妖怪となる、というスケールの大きい存在。ある意味もっとも「怒り」が濃縮された付喪神。
元ネタは文車妖妃と同じく「徒然草」の一節「多くて見苦しからぬもの」の1つ、「塵塚の塵」と考えられている。

雲外鏡(うんがいきょう)

古い鏡の付喪神。
長く使われた鏡は、やがて魔力を持ち、その中に人の真の姿を映し出すようになるとされる。
鏡に映ったものが違って見えたり、鏡の中に別の世界があるというイメージは世界共通の怪異として広く見られるが、これを「道具の霊性」として解釈したのが付喪神としての雲外鏡だ。

近年の創作では「遠くの景色を映し出すことができる」という、いわゆる千里眼の力を持つと描写がされることもある。
これについては、1968年の大映映画「妖怪大戦争」に登場した際に設定された独自の能力が由来という説が有力視されている*4
他にも全く別の西洋童話「オズの魔法使い」の水晶玉と混合されている、「遠くを見る力があるとメタ的に物語の進行上便利だから」という理由で後付けされている、などの理由があるかもしれない。

瀬戸大将(せとたいしょう)

壊れた瀬戸物が寄り集まって生まれた妖怪。
甲冑をまとったような武将の姿をしており、砕けた陶磁器の欠片が合わさって武者めいた容貌になっているという。

面霊気(めんれいき)

能面や仮面などの古いお面の付喪神。
表情の固定された面が長年使われ続けた結果、独自の意志を持ち始めるという。

鈴彦姫(すずひこひめ)

鈴の付喪神。
女性の姿をとることが多く、その名の通り鈴のような清らかな音色を持つとされる。

経凛々(きょうりんりん)

経文(お経の書かれた巻物)の付喪神。
高徳の僧の法力が宿るとも言われ、霊的な力を持つ。

琴古主(ことふるぬし)

琴の付喪神。
「人の音色を覚えてもらわぬまま使われなくなった琴の無念」が由来であるという。

白溶裔(しろうねり)

長く使われた布巾など、古い布切れが変貌した付喪神。東洋の龍を思わせる外見が特徴。
昭和以降は「古い雑巾が変貌した妖怪で、強烈な臭さを持つ」と言う設定で語られる事が多い。

鞍野郎(くらやろう)

馬の背中に乗せる鞍が変貌した付喪神。
鳥山石燕の絵画に登場した妖怪で、味方の裏切りに会い命を落とした源氏の家臣・鎌田政清の怨念が鞍に宿った、という設定の模様。

暮露暮露団(ぼろぼろとん)

古くなってボロボロになった布団が変貌した付喪神。

鳴釜(なりかま)釜鳴(かまなり)

古くなった釜(お米を炊くほうの釜)から変じたとされる付喪神で、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』に記述がある。
姿としては、釜を頭に被った猿もしくは熊(?)のような、けむくじゃらの人型。

ただし文献中における鳴釜は「『釜の音を鳴らす』という形で神(吉備津彦命)への願い事が受諾されたかを示すメッセージ」「釜とは別に妖怪がいて、その妖怪が音を鳴らしている」*5というような、どちらかといえば道具に類するような記載がなされており、釜自体が妖怪という書き方をしたのは鳥山石燕が初。

物への信仰と日本文化

付喪神の概念を考えるとき、忘れてはならないのがその文化的・精神的な背景。
古来より日本には「物には魂が宿る」という信仰があった。
道具も長く使えばそれだけ持ち主の思いが込もり、やがて独自の霊性を獲得していく。

裁縫をしない人にはあまり馴染みがないだろうが、「針供養(はりくよう)」なんかがその筆頭と言えよう。
使い古した縫い針を豆腐やこんにゃくに刺して供養するこの行事。
まさに「働き続けてくれた道具に感謝し、きちんと弔う」という付喪神的思想の表れといえる。
伝承に針の九十九神はいないが、「針が年月を経て変化した妖怪」という題材は妖怪漫画「うしおととら」にチョイ役として登場する。「こんな物品も年を経れば妖怪になる」との事。

同じく人形供養も現代に根付いた習慣で、長く愛用した人形を手放す際に供養するという風習は現代でも各地の神社やお寺で行われている。
また「筆供養」「道具供養」など、職人たちが使い古した道具を丁寧に供養する行事は現在でも全国各地に存在する。これらはすべて、「粗末に扱われた物は祟る(付喪神になる)」という信仰の裏返しとして発生した文化であると言えるだろう。

現代においても「使い古した道具には魂が宿る」という感覚は意外と広く残っている。
長年使ったペンや楽器、ぬいぐるみを捨てるときに「申し訳ない」と感じる経験は、多くの人に覚えがあるのではないだろうか。
これらはまさに付喪神的な感覚の現れであり、古来の日本人の感性が現代にも確かに生き続けている証だろう。

これを顕著に示すものとしては、ゲーム「Nier:Automata」のタイアップとして作られた楽曲「命にふさわしい」のMVが有名。
このMVは人形を破砕機にかけて粉々に破壊するという内容だが、痛みを訴えもせず壊されていく人形たちを見て罪悪感を覚えるのは日本人特有の感性。
一方、海外では「何って……人形を破壊しただけだが?」となる地域も珍しくないんだとか。
一応断っておくと、このMVで使われた人形はすべて事前に人形供養がなされている。


「道具を粗末にするな」という倫理観を、人々は「怒った付喪神が祟る」という物語の形で伝え、子々孫々に引き継いできたのである。

だからといって九十九年間使い込んだ道具が部屋にあふれかえるのも困るが。


現代の創作での付喪神

漫画・小説

誰もが知る妖怪漫画の金字塔にも、勿論付喪神系の妖怪がばっちり登場。
特に活躍が目立つのは「傘化(かさば)」と言う名前で呼ばれる唐傘お化けで、呑気そうな見た目に似合わず多彩な能力で鬼太郎たちを翻弄する強豪として描かれている。
また、粗末に扱われた挙句捨てられた草履が化けたという設定の「()草履(ぞうり)」も付喪神系妖怪の代表格としてお馴染みになっており、
アニメ版でも第3シリーズ(3期)以降の全シリーズで登場し、視聴者を含む人間たちに履き物の大切さを訴えている。

畠中恵の時代小説シリーズ(2007年刊行)が原作。江戸の深川にある古道具屋兼損料屋「出雲屋」を舞台に、百年以上経って付喪神となった道具たちと、その声を聞けるきょうだい・お紅と清次が町の人情噺に関わっていく物語。付喪神たちは貸し出された先々で噂話を集め、持ち前の好奇心と情報網でさまざまな騒動を解決する。2018年にはNHK総合でアニメ化もされており、付喪神と人間の温かな関係を描いた作品として評価が高い。シリーズ累計60万部を超える人気作。

本作にも付喪神系の性質を持つ妖怪が登場する。妖怪組織の奴良組には多様なバックボーンを持つ妖怪が属しており、道具由来の者も含まれる。

日本風の国であるワノ国のエピソードで登場。
物に魂を宿らせて使役する「ソルソルの実」の能力を持つシャーロット・リンリンがワノ国で生み出した軍勢は、唐傘お化けや提灯お化けなど、付喪神そのものの見た目であった。
能力の初お披露目時にはヨーロッパ風のメルヘンな領域を作り上げていたそれと同じ方法で、日本妖怪の軍団が現れる絵面が読者を驚かせた。


霊感持ち少年の奇異太郎と愉快な妖怪達の日常マンガ。アニメ化もされた。
話数が多く登場する妖怪も多様で、付喪神も複数現れた(暮露暮露団、瀬戸大将、雲外鏡など)。
特筆すべきは塵塚怪王が重要キャラとして取り上げられ、レギュラーでこそないものの複数エピソードに登場する点。
2008年当時、塵塚怪王を取り上げるフィクションはほとんど存在しなかった。作者は解説ページで
「付喪神の王、フィクションで使いやすそうな設定の妖怪なのにどうも見かけない」と発言している。
本作では『ゴミとされた道具に宿る心たちの君主』として、ものを直したいという願いを聞き入れたり、ものを探しに来た妖怪達を支援する温厚なじいさまという立ち位置。21世紀の現代劇なので、怪王様の権能はスケールが桁違いになっている。

イエス・キリストブッダの休暇中の様子を描いたギャグ漫画。
二人が神として扱われるレベルの大偉人*6なだけあって交友関係も大部分が神様関係で、「神」と名の付く付喪神ももちろん登場する。
作中では主人公・イエスの「奇跡」にあてられ、彼が使っていた中古品のWindows98のノートパソコン*7が付喪神へと変化。どこにも存在しないはずのWindows99 OSを搭載したパソコンの付喪神「つくもん」が爆誕した。
付喪神になったことでスペックは向上したものの、つくもんはイエスを護ろうと大量のアンチウィルスソフトを勝手に導入し始め、結局元通りのもっさりした動作のパソコンに戻ってしまった。

付喪神が時折現れる世界で、付喪神に兄姉を殺された少年と付喪神に育てられた少女の交流を描いた和風ファンタジーバトル漫画。アニメ化済み。
本作の付喪神は常世から迷い出た魂「マレビト」が器物にとりつくことで偶発的に発生するもので、器物に由来する異能を持つが、外見的には人間とほぼ変わらない。
その存在自体は善でも悪でもなく、基本的には常世に帰りたがっているが、時々現世での生活を希望する者もいる。
いずれのパターンでも付喪神を宥め・常世に送り返す人間の組織「塞眼」によって対処されるが、悪辣なものは塞眼の手によって物理的に破壊される。

SF(すこし・ふしぎ)作品である『ドラえもん』だが、時折妖怪や幽霊を題材にしたひみつ道具が登場する事がある。
その中でも「百鬼線香(ひゃっきせんこう)」は、そこから発せられる煙を粗末に使われた道具にかけると、夜になるとお化けに変貌するという、22世紀の科学力で付喪神を再現したひみつ道具となっている。
使い方の説明や登場するお化けが描かれた巻物「説明絵巻(せつめいえまき)」もセットで付属。
ただしお化けたちは本来の持ち主ではなく、線香の煙が出ている家へやって来るようになっているので、取り扱いには注意が必要である。

なお、これらの道具が登場した「こわ〜い!「百鬼線香」と「説明絵巻」」*8は、長期に渡り連載が続いた『ドラえもん』で最後に描かれた新規の短編作品である。

アニメ・ゲーム

「刀剣男士」と呼ばれる、名刀に宿る付喪神が人の姿を得て顕現するという設定のブラウザ・スマートフォンゲーム(2015年配信開始)。日本各地に伝わる名刀――三日月宗近、山姥切国広、鶴丸国永など――を擬人化した男性キャラクターたちが、歴史改変を防ぐために戦う。付喪神という概念を現代エンタメに落とし込んだ大ヒット作であり、派生アニメ・舞台・映画など多方面で展開している。「刀に宿る霊(付喪神)が主人の逸話や歴史をそのまま記憶している」という設定が、ゲームの歴史考証的な深みにも貢献している。

付喪神をモチーフにしたキャラクターが複数登場する。

代表的なのが秦こころで、古い能面が面霊気となった存在。
感情を司る66枚の面を持ち、失われかけた面が引き起こす感情の暴走が物語の核となっている(東方心綺楼・東方深秘録)。

また多々良小傘(たたらこがさ)は唐傘お化けをモチーフにした付喪神。
人を驚かせることが大好きだがちっとも怖がってもらえないという、愛すべき哀愁キャラクター。
「唐傘お化け=驚かすのが仕事」という属性をそのまま個性にしている。

東方輝針城』では、「堀川雷鼓」(和太鼓)、「九十九姉妹」(琵琶で姉の弁々と、琴で妹の八橋)といった楽器の付喪神達が登場。

付喪神のモブキャラも多く、特に『東方鈴奈庵』では中盤からクライマックスにかけての盛り上がりに彼らが一役買っている。

当シリーズの設定では、道具に宿る神は「使用者の念」を長らく受けると「神性」が変化し、重ねて供養されずに捨てられるなどすると元々の「神」に戻れないまま「人間に牙を剥くようになる」と語られている(『東方求聞口授』)。
付喪神にならないためには「手入れをして道具の神を敬う」「捨てる際はきちんと供養する」などの方法があるとされており、古来の信仰をゲーム世界観としてうまく昇華している。

日本神話をベースにしたアクションゲーム。
本作では妖怪は区別せずひっくるめて「妖怪」としか呼ばれないが、「○○雲外鏡」「埴輪○○」系の敵など、付喪神モチーフと思わせるザコ敵はいる。


唐傘おばけや古道具をモチーフにした妖怪が複数登場する。「道具が妖怪に変化する」という付喪神の発想が作品世界の根底に流れており、様々な妖怪のルーツとなっている。
『4』では種族が再定義されてゴーレムやロボットに近い作り物由来の妖怪が『ツクモノ族』としてまとめられた。

ジュペッタ(捨てられた人形がポケモン化)、シャンデラ(シャンデリアがモチーフ)、ゴルーグ(テラコッタの人形がモチーフ)、ポットデス(ポットがモチーフ)等、ゴーストタイプを中心に器物や道具をモチーフとしたポケモンが多数存在。
ただし公式設定上彼らは「付喪神」と明言されているわけではないが、SVで登場した「四災」は東の国の宝(木簡勾玉)に宿り、王国を破滅させた事で知られていると言う、付喪神の特徴に最も近い存在とされる。

3大奇ゲーの一つとしてゲーム史に名前を刻んだ、風水アドベンチャー/RPG。
本作のバトルパートにて登場してくる物の怪=鬼律(グイリー)は名称こそ違えど、人に捨てられた物に邪気が取り憑き妖怪となったという付喪神そのものといえる設定を持つ。
恐らくは“付喪神”という概念を最も明確に表現・解説した作品であることだろう。
倒す(元の物)に戻すには、相反する属性の気をぶつけてやればいいのだが、常に必要な邪気をプレイヤーが持っていられる訳でもないという、長閑なようで緊張感のある戦闘が特徴。

  • ツクモ
カプコンが配信していたニンテンドー3DS用ゲーム「めがみめぐり」のキャラクター。「ツクモ」はデフォルト名で変更可能。
なんとICカードに宿った付喪神。
すごろく形式で進んだり、実物のICカードの情報から駅を巡り、一人前のめがみを目指す。
まだ言葉もうまく話せない(合成音声で抑揚が少ない)が、健気で好奇心旺盛。
紙コップくらいの小ささでありながら、ほとんどを一口で平らげる食いしん坊。


音楽

日本のプロ吹奏楽団シエナ・ウインド・オーケストラがアメリカの作曲家ジョン・マッキーに委嘱して生まれた曲。
マッキーはこの以前に翡翠(かわせみ)という曲を委嘱提供したことで初来日し、以降も日本に興味を持ち続けて新婚旅行先にも日本を選んだ。
付喪神の概念は奥様から聞いたそうで、『日本の人々の伝統を自分なりの視点から称える何かを書きたい』として作ったという。
二楽章構成で計8分程度の曲であり、第一楽章は人間から見た付喪神の妖怪としてのおどろおどろしい様を、第二楽章は付喪神なりの親しみを示す明るい曲調を見せつつも、終盤は再び人間視点に戻りやはり恐ろしい存在、として怪しさにじむ形で終わる。
『親切な霊たちが(大抵は)友好的な意図を持っているにもかかわらず、時にはただ手に負えないほど暴れることがあるのです。』という楽曲説明の一文は、日本における妖怪の一面を上手く言い表しているのではないだろうか。



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この項目が面白かったなら……\八百万(やおよろず)の神の一種/

最終更新:2026年06月19日 22:16

*1 「つつも」「つぎもも」とも

*2 注釈本や解説本の類

*3 「自意識」と「魂(精霊)」はまた別、という解釈は出来なくもないが

*4 この「妖怪大戦争」に登場した雲外鏡は鏡の付喪神ではなく、狸の妖怪と言う設定になっている

*5 中国の「斂女」という妖怪が元ネタであるらしい

*6 イエスは「神の『子』」、ブッダは開祖であって厳密には神ではない

*7 作中の時系列を考えれば骨董品と呼んで差し支えないバージョン

*8 テレビ朝日版第1期(大山版)では「百鬼せんこう」、テレビ朝日版第2期(わさドラ)では「おばけでリサイクル」としてアニメ化。