【概要】
観の目(かんのめ)とは、武術における相手の動きを見抜く力、“見る力(みるちから)”とも言い、(見て真似ることから伝承が始まる)武術において最も重要な能力だと言われる。
「見の目(けんのめ)弱く、観の目強く」と言われ、相手の一点を凝視するのではなく、相手の身体全体をぼんやりと視界に収めることが必要であり、見の目(一般的な視力)が弱い武人ほど観の目が強力であることが多いと言われる(ただし、自分の気合いで視力が老眼から望遠鏡並みに変化する
風林寺 隼人を始め、梁山泊の達人や
一影九拳など作中上位の実力者に視力の悪い者はほとんどいない)。
静タイプは心を深く沈めることで、
動タイプは激しく心を昂らせることで使用する。
『静の観の目と動の観の目』
人間の生存本能に密接に関わっているため、あらゆる武術の技術の中で唯一無才能者が才能者に勝る可能性を秘めている力でもある。実際、作中で最も“見る力”が強いのは、無才能者である
白浜 兼一と
鍛冶摩 里巳で、彼らは
弟子級でありながら、好調であれば遥かな格上であるはずの
特A級の達人級の動きさえも完全に捉えることができる領域に至っている。
同じ観の目でもいくつかの段階に分かれている。
一、相手の筋肉の動きなどから、相手の動きを予測する観の目の基本
流水制空圏第一段階や16巻で
朝宮 龍斗が使用したもので、相手の動きを予測して攻撃を避けたり、逆に相手が避ける場所を予測して攻撃を当てたりできる。ただし、桁外れの動きや
ガマクなどの動きを読み間違える技などによって破られることもある。
流水制空圏では第二段階で相手と一つになることで、
龍斗は相手の動きのリズムパターンを把握することで(一瞬で相手のリズムを把握できる
九弦院 響とは異なり、龍斗は相手のリズムを把握するまで少し時間がかかる)、この欠点を埋めている。
三、遥かな格上の動きを完全に捉える観の目の極み
59巻で登場した、通常の観の目に加え、人間の持つ生物としての生存・防衛本能を極限まで引き出し続けた結果至る、人数や戦術ではどうにもならないほど桁違い過ぎる実力差のある相手の動きすらも完全に捉える“見る力”の究極地点にして最終形。
ここまで来ると(順調に修行をこなし、着々と強くなる)才能者では到達できない領域であり、技一つ習得する・一歩前進するだけでも失敗と挫折、苦難に彩られた武術人生を歩み、それでも尚強くなるために臨死体験が日常化するほどの常軌を逸した修行を延々と続けた無才能者のみが到達することができる。武術において唯一無才能者が才能者に勝る技術。
作中で到達したのは
白浜 兼一と
鍛冶摩 里巳の二人だけであり、兼一は好調であれば
特A級の達人級の動きすらも完全に捉え、里巳に至っては動きを捉えるだけでなく、単発攻撃であれば避けることさえも可能としていた。
『無才能者が過酷な修行によってのみ至る、
特A級の達人級の動きすらも捉える観の目』
最終更新:2024年08月12日 16:02