普段はただの静かな付喪神なのだが、面の1つである『希望の面』が失われたことにより、能力が暴走。
そのため幻想郷から希望が失われ、人々が一時の享楽を求めるようになったのが『心綺楼』の騒動の発端。
丑三つ時の人間の里に現れ、プレイヤーの集めた希望を奪い取り新たな希望の面とするため襲い掛かってくる。
彼女の製作者である豊聡耳神子が新たな希望の面を作ることで暴走自体は収まったかに見えたが、
新しい面は「道具として」完璧すぎてその面を使い続けていると「付喪神であるこころ」が無くなってしまい
道具に戻ってしまう物だった(神子もそれを目的に作っていた)。
これに反発したこころは 聖白蓮の元で修行して自我を確立しようとしてみたり
屋台のお面屋で希望が付いている面を探して代用しようとしたりしていたが、
二ッ岩マミゾウに諭されて自分の感情を会得して神子の作った希望の面を使いつつ付喪神のままでいることを選択する。
こころ本人のルートでは 雲居一輪に教えられた「最強の称号をかけて勝負だ」の合言葉で次々と戦いを挑みながら
至る所で天然ボケを炸裂させこの行動を教えたはずのマミゾウにすらどうしてこうなったと言わしめるアホの子ぶりを発揮するのだった。
しかし、最初は弾幕ごっこを楽しみながら感情を理解していったのだが、その末に自我に目覚め始めると、
今回の異変のなかで他者の感情を煽り人気集めに利用していた宗教家たちに対して憤り、再び能力を暴走させてしまう。
またも感情が失われた丑三つ時の人間の里で、この事態を察知して飛んできた霊夢・聖・神子ら宗教家相手に勝負を挑み、
主人公&ラスボス&ラスボスの 3人をまとめてぶっとばすという前代未聞の大活躍(?)を見せてしまった。
この一連の騒動で戦うことの「楽しさ」や勝利する「喜び」、敗北することの「哀しみ」、そして宗教家たちへの「怒り」を覚えたことで
面に頼らない自分自身の感情を手に入れたこころは暴走が治まり、改めて異変は収束した。
それ以降は神社で能楽を演じたりして過ごしているようだ。
このように表情はなくとも感受性や情緒は豊かであり、勝利ポーズで無表情のまま大きく三連続ガッツポーズを決めるなど、
面だけでなく全身で感情を表現してくる。
また表情も変えられないわけではないようで、今作のエンディングで「少しは表せるようになった」という程度の事が書かれている。
ゲーム中では能楽をモチーフにしたキャラゆえか薙刀や扇を使い戦う。
また周囲に面が何枚か浮かんでおり、これを飛ばしてぶつけたり弾幕の発射に用いることもある。
戦闘時には基本的に顔には面を被らないが、一部のスペルカード発動時には被ることもある。
なおリリース当初は「一応ストーリーモードで使用可能だが通常技以外搭載されていない」という未完成状態だった。
まあその状態でも一応クリアは可能ではあったが。
今回の一連の異変の原因は彼女であったが、希望の面が失われたのは 地割れの発生という不可抗力によるものであり、
彼女自身も異変の収束を望んでいた。
そのため他者と利害がぶつかるような意思は最初から持っておらず、本人の一種の向上心もあって、
作り手である道教勢力、修行した仏教勢力(命蓮寺)、神楽を踊る神道勢力(博麗神社)いずれとも比較的良好な関係を築いている様子である。
また希望の面の所有を巡って争った 古明地こいしともその後もライバル的な意味で親交が続いている描写がある。
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