小沢栄太郎

小沢 栄太郎(おざわ えいたろう、1909年3月27日 - 1988年4月23日)は、日本の俳優・演出家。東京都出身。戦前から昭和後期にかけて新劇出身の映画俳優の代表格。趣味・特技はテニスと釣り。芸名は、小沢栄・小沢英太郎・小澤栄太郎とも。

東京市芝区田村町にある西洋家具店の一人息子として生まれる。1921年、南桜小学校から芝中学に進学、この頃から胸を患い卒業してから3年間は闘病生活が続いた。その期間に文学書を読み漁り、やがて戯曲にも強い関心を抱くようになる。

1929年に劇団心座の研究生となり築地小劇場の『全線』で初舞台を踏む。当初は小沢栄の芸名で舞台に立っていた。またこの頃からプロレタリア運動にも参加するようになり、1930年に東京左翼劇場に移籍、しかし1932年に当局に検挙され、1年3ヶ月のあいだ刑務所の中で過した。

1934年に結成されたばかりの新協劇団に加盟し、1940年に軍部から劇団の解散を命じられるまで中心メンバーとして活躍、同年代の東野英治郎や宇野重吉がまだ劇団の研究生だった時代に、すでに小沢は山本安英細川ちか子らの相手役をつとめるなど一番の出世頭だった。

映画界入りは1934年。舞台収入だけでは生活できなかったためP・C・L映画製作所に準専属として入り『さくら音頭』で映画デビュー、杉村春子三島雅夫らと共に新劇出身の映画俳優として草分け的な存在であった。

1942年に松竹太秦撮影所への入社を経て松竹大船に移籍、芸名も栄から本名の栄太郎にする。1943年に木下惠介監督第1作である『花咲く港』に上原謙と共に詐欺師役で主演する。

1944年、千田是也、東野英治郎らと共に劇団俳優座を結成。千田、東野と並ぶ同座の中核的存在であった。

戦後は1946年の『大曾根家の朝』に杉村春子と共に主演、第1回毎日映画コンクール演技賞を受賞する。1948年にはフリーとなり、その後は溝口健二監督作品で1953年に『雨月物語』、1954年に『近松物語』に出演、この頃にまた芸名を栄に戻し1957年にはまた栄太郎に戻す。

1969年、劇団の体質改善を訴え、代表の千田是也と対立し俳優座を退団。

舞台だけでなく映画・テレビドラマにおいても、主要な脇役で出演。特に憎々しい権力者の悪役には定評があり、『新・平家物語』で信西役を演じたときには、視聴者から「早く殺せ」という助命嘆願ならぬ殺害嘆願が多数届いた。

白い巨塔」での医学部長鵜飼教授役は当たり役で、劇場版、TV版ともに演じている。

ガンにより、1988年4月23日死去。79歳没。

主な出演

最終更新:2010年08月14日 17:29
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