創業者の
野間清治により、1909年に「大日本雄辯會」(だいにっぽんゆうべんかい)として設立される。当初は
弁論雑誌である「雄辯」を出版していた。「講談社」の名称はその名の通り「講談」に由来するもので、「講談倶楽部」を創刊した1911年より、大日本雄辯會と併せて使用している。戦前の評論家の徳富蘇峰は、戦前の少年や青年たちに大きな影響を与えた
講談社を私設文部省と評した。
1938年に野間恒が2代目社長に就任すると共に株式会社に改組、続いて野間佐衛が3代目社長に就任。1945年に野間省一が4代目社長に就任し、1958年に「株式会社 講談社」と改称。その後、1981年に
野間惟道が5代目社長に就任、1987年に
野間佐和子が6代目社長に就任し、現在に至る。
2008年11月現在、国内出版業界で最大手であり、一時は年間売上高が2,000億円を超えていたこともあった。しかし近年はいわゆる「出版不況」により売上が減少、2002年度には戦後初の
赤字決算となった。また、最盛期には業界2位の
小学館(一ツ橋グループの筆頭会社)に約500億円の差を付けていたものの、近年は売上高の差も接近している。2006年度は講談社は1456億円にまで売り上げが落ち込み、 1470億円を売り上げた
小学館に業界最大手の座を譲る結果となったが、2007年度の決算では
講談社は売上高1443億100万円、
小学館は売上高 1413億4400万円となり業界最大手の座を奪還した。
だが経営状況は極めて厳しく、第71期(2008年12月1日 - 2009年11月30日)の決算発表によると、売上高は1245億2200万円(前年比7.8%減)、営業損失約73億円、経常損失約49億円、当期純損失57億2200万円、と第70期に続いて巨額の損失を計上している。
2002年、2006年のサッカー・FIFAワールドカップの際にはそれぞれFIFAオフィシャルブックとして、2002年『公式ガイドブック』『公式プログラム』『公式写真集』(総集編)、2006年『公式ガイドブック』『公式総集編』を刊行している。
最終更新:2010年08月23日 19:28