大滝秀治

大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年6月6日 - )は、東京都出身の日本の俳優。劇団民藝所属、劇団代表(奈良岡朋子と共に)。本名は同じだが、姓の漢字表記は「大瀧」とする場合が多い。名を「しゅうじ」と呼ばれることが多いが、正しくは「ひでじ」。個性派俳優として評価が高い。趣味は将棋。同期には奈良岡朋子内藤武敏がいる。


根津尋常小学校(現・文京区立根津小学校)卒業。1943年に旧制私立駒込中学校(現・駒込高等学校)を卒業し、三田の電話局に勤務。1945年に通信兵として召集される。戦後は大手町の電話局で進駐軍を担当した。

帝国劇場で研究生募集のチラシを見たのがきっかけとなり、1948年に東京民衆芸術劇場附属俳優養成所に1期生で入所し、1950年の民藝創設に参加。1952年には正式に劇団員となり、 チェーホフの『かもめ』で初舞台を踏む。長年裏方ばかりの不遇時代が続くが、1970年の舞台『審判』の演技で紀伊國屋演劇賞を受賞。以来、民藝の看板俳優のひとりとして数多くの舞台に出演している。2005年には『巨匠』『浅草物語』の演技で読売演劇大賞及び最優秀男優賞を受賞した。

映画デビューは1955年の『ここに泉あり』。1976年には『あにいもうと』の演技で各映画賞を受賞した。市川崑や伊丹十三の作品では常連的存在。

テレビでも名脇役として活躍。特に刑事ドラマ『特捜最前線』は8年間に渡って出演し代表作となった。1970年代半ばまでは現代劇・時代劇を問わず黒幕的な悪役を演じる機会が多かったが、同番組への出演以降は完全に善良なイメージが定着。テレビドラマの主演作には1975年から1981年にかけて地方の巡査を演じた『うちのホンカン』があり、第1作は第23回日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞。飄々としつつも、時には激昂する独特の芸風が人気を集めている。

2002年から俳優の岸部一徳と共演している大日本除虫菊(金鳥)のCMでは迫真かつユーモラスな演技を見せて好評を博し、このCMは、2004年東京コピーライターズクラブ賞のグランプリを受賞した。タレントの関根勤の物真似(大滝本人公認)のレパートリーの人物としても知られている。また、やずやのCMの中で「おまえの声は壊れたハーモニカのようだから、演劇には向かないと思う」と言われた事があると吐露している。これは劇団民藝の創設者である宇野重吉に言われたもので、暗に舞台演出家への転向を促されたものであった。

2009年には劇団民藝公演『らくだ』における演技で平成21年度(第64回)文化庁芸術祭賞(演劇部門・関東参加公演の部)大賞を受賞している。

最終更新:2010年08月14日 20:09
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