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参事官の婚約
第28代エンヴァウスティエーチ星衛主席が同じ参事会のメンバーであるヤシュミューと在任中に婚約を発表。当時、表面上の差別はなくなっていたとはいえ、二十数年続いたテロリズムのくびきからお互いの人種はお互いを遠ざけ合っていた。その中でパハニヴィエ=ネグエ世界人とスューグ世界人が結婚することは異例のことであった。案外、世論はこれをすんなりと受け入れ、むしろ応援していた。これにより、人種対立問題は融解し、再び和解への道に進むこととなった。
初のヤシュミュー祭開催
エフューラフト国立天文台の観測内容が招民院情報機関「第二ガイユ」で発表される。
1591年、第29代ヤシュミュー星衛主席が就任。初の換任であったことに加えて、夫婦間での政権交代で注目された。市民団体「マウ=ヤシュミューを応援する会」の主催でジャフーグの首都ファウでヤシュミュー祭が開催された。祭の期間中、EMP爆竹200個を爆発させた男性4名が負傷した。
カラ=パライ辞任騒動と賭博禁止法
1595年、第30代星衛主席カラ=パライ第一次参事会が発足。しかし賭博で所持金を失うなどのハプニングに見舞われる。自戒のために、金銭取引及び財産流動のおそれがある賭博の禁止に関する法案(賭博禁止法)を成立させ、賭博を禁止した。所持金が3サウしかないことを国民に謝罪。経済的困窮により辞任。
カラ=パライ辞任騒動(二回目)
1598年、第32代星衛主席カラ=パライ第二次参事会が発足。選挙時に政敵のゲヴェヌーグに「パチンカス!(意訳)」と罵られるものの見事当選。しかし、特産品ヴァフリの展示会で食中毒を起こして卒倒、重症化してしまい療病につき換任。しかし後任はまさかの政敵ゲヴェヌーグ。在任中に彼と意気投合したと言われている
第三次カラ=パライ参事会発足
1602年、第34代星衛主席カラ=パライ第三次参事会が発足。今度はしっかり再選まで勝利し、自身の政策だった外宇宙国家接触への準備など、先見性の高い諸問題について取り組んだ。
邂逅の時代
第37代星衛主席タルノーの時代、シンテーア暦1614年にシ=ギーラム事変が発生。
大宇宙連合会議の設立
大宇宙連合会議加盟
1625年、星衛評議会の協議の結果、大宇宙連合会議への加盟を決定。
ニーネン=シャプチ、大宇宙連合会議に加入する。
ニーネン=シャプチ国歌の制定
サラティム使節団の派遣
1631年ニーネン=シャプチ政府が[既に探知していた
ロフィルナ連邦共同体にサラティム使節団を派遣。ニーネン=シャプチ国内でロフィルナ人ブームが始まる。
サラティム騒動
1633年、サラティム使節団がニーネン=シャプチ本国に帰還し、「サラティム紀行」を出版。ベストセラーとなるが、一部のシャプチ教原理主義派がケルジャーナ人についての記述を巡って騒動を起こす(サラティム騒動)。世論に押される形でニーネン=シャプチ政府がケルジャーナ人の身柄引き渡しを要求したが、ロフィルナ政府はこれを拒否。一時は危険状態に陥ったが知性化プロジェクトのための共同研究という形で合意した。
ケルジャーナ報道汚染事件
1634年、ケルジャーナ報道汚染事件が起こる。征ロフィルナ論を封じ込めるために民間報道局を当局が全て封鎖し、招民院報道局が設立される。また、ケルジャーナ人和解委員会が発足。ニーネン=シャプチ政府とロフィルナ政府による合意の下、両国による知性化プロジェクトを決定。ロフィルナ国内の優良遺伝子促進法の施行についての報道により、親ロフィルナの風潮が再び湧き上がる。
ニーシャ=ロフィルナ友好協定
1635年、ニーシャ=ロフィルナ友好協定を締結。両国領内に双方移民の居留地を設置。相互交流を強調した。
初の大民族祭の開催
1636年、ニーネン=シャプチで民族の融和と宗教の統一を記念する祭典である大民族祭の第一回が首都ファウで開催される。
ゴルギア時代
アクースの発見
1640年、
アクース連邦のマテロース星系とシャーマ星系を発見する。
居住に適した惑星が発見されたことから、当初は入植が予定されていた。
学習団の編成
1641年、開拓前にアクース人類が発見されたため学習団を編成し、国交樹立を目指す。
関連項目
最終更新:2020年12月14日 06:06