ニーネン=シャプチの歴史
Ni^nen-shapcha^shka pnaut
時代名 年代
シャプチ時代 1342年 - 1431年
集約神教時代 1431年 - 1529年
銀河進出時代 1529年 - 1573年
連合会議時代 1573年 - 1641年
ゴルギアの時代 1641年 - 1679年
経済戦争時代 1679年 - 1693年
通信時代 1693年 - 1733年
アンドロイド時代 1733年 - 1747年
三大公社時代 1747年 - 1773年
シュプタイ時代 1773年 - 1785年
サクトマンク時代

高度ロボティクス時代

シンテーア暦1740年 ナイユスパ=サブラート運動
 別名「銀河愛国運動」とも。1740年の半ば、ニーネン系アイロームアンドロイドによる「ナイユスパ=サブラート運動」が起こるとラヴェルト宙圏情勢を軽視する姿勢や国際情勢を無視した開拓事業をニーネン政府への抗議運動が惑星シャグマ=ラゴンを中心に広がった。
 また、熱心な活動家の一部はロフィルナ国籍を取得して戦地に赴くといったことまでした。そうなるといよいよニーネン政府はこれを無視できなくなっていった。
 このようにして、開拓地の人民の不満や流出はニーネン政府にとって最大の懸念材料であったことがマーカス内戦参戦への大きな原動力となった。
 一方、外交面においては同じアイローム派であるヴァルエルク共和国への接近が功を奏し友好関係にあった。ヴァルエルク共和国とは18世紀初頭から関係悪化の一途を辿ってきたが、電撃的に関係接近。蜜月が始まった。
 ヴァルエルクからのマーカス内戦への参戦要請を先延ばしにしてきてはいたものの、アイローム派が劣勢になり始めている現状からこれ以上の回答保留はヴァルエルクとの外交関係を悪化させる可能性があったため、1740年時点で参戦することとなった(ロフィルナからの外交的アクションについては検討中)。
 また、技術面ではレーザー兵器、FTL航法、アンドロイド製造などの関連技術などでも大きく遅れを取っていたことから、ラヴェルト・ゲルデン方面への進出によってこのような技術の獲得も重要視された。

シンテーア暦1740年 グライニア獣人の大量拉致
 リスヒューメ独立戦争でグライニア獣人を人道作戦の名目で大量に拉致。開拓民としてシャグマ=ラゴンに移住させる。

シンテーア暦1741年 マーカス内戦軍事介入
 1741年16月2日、ライ=ダ=ファウ=ダガイユル星衛主席は参戦を表明。
 アイローム派に対する軍事力支援としておよそ1万3000名によるトルナーチェ遠征軍を派兵することを決定した。国内では軍事介入を喜ぶ声もあったが、その武力介入規模が限定的かつ少数であることについての批判があった。

シンテーア暦1742年 クタ=プナイユート宣言
 「偉大なるプナイユ宣言」とも。国威発揚と挙国一致を目的に、マーカス内戦に従軍した兵士のうちで優秀な者や健闘した者に対して積極的に表彰、公表することを国内発表した。積極的な英雄主義のため権威主義化を招いた。
 人民には歓迎されたが、一部の知識人は権威主義化を懸念していた(皮肉なことにその通りに事は運んでいった)。

シンテーア暦1742年 アサラ重工シャグマ=ラゴン工場が操業開始
 シャグマ=ラゴン星にてサニェーラ独立国の基幹産業であるアサラ重工の工場が操業を開始。
 銀河鉄道車両全般、ケウニェ級貨客船、18型貨客船などの製造が行われていた。

シンテーア暦1744年 大イプカ主義
 マーカス内戦介入から3年が経過し、国内の反戦派の活動は政府が予見していたよりも大きくなっていった。
 反戦過激派の取締を強化すると共に、かねてより依拠する主義を欲していた人民の大多数の賛同もあり、ダガイユル主席は大イプカ主義を掲げた。権威主義の時代が始まる。

シンテーア暦1745年 プゴーニェヴァタイ世直し運動
 惑星シャグマ=ラゴン北部のプゴーニェヴァタイで開拓中に執政院国家入植地公社管轄内で世直し騒動が発生。プロレタリア文学の流行によって労働者300名が国家入植地公社の事務所や招民院総督府を破壊して回ったため公社警察が出動し脱力剤と呼ばれる神経作用型ナノマシンを散布。これの誤作動でイェシュート6名とアイロームアンドロイド1名が死亡。
 この事件で執政院国家入植地公社は非難と責任追求を浴び、戦後の1748年に閉鎖。ニーネン政府は「開拓の導き手」として当時から存在していた中小民間警備スガイユン4社(ファイグトータ公社、天命安息地公社、リクー公社、ラニエン=スガイユン)を新たに民間開拓公社に任命。これまで開拓公社は国営であったが、より本国の支配が及ばない民間開拓公社にしたことは良くも悪くも国内ではトピックとなった。特にエフューラフト主義者からは開拓地や政府の資本主義化を懸念していたが強権を希求する大多数の人民の主張によって黙殺された。

 これらの中小民間警備スガイユン4社の中で最終的に3社は成金貴族による財閥化としてシャグマ=ラゴン三公社と呼ばれるようになった。

公社名 経営財閥 概要
ファイグトータ公社 ファイグトータ家 過去にはニャンクタルヒュ主席を輩出した名門貴族家
天命安息地公社 スナイダントヴァーグ家 スナイダントヴァーグ家はスナイダン元主席の出自と関連があるとされる
リクー公社 タシ家 サクトマンク無血革命を主導したシチャインピルチの実父が当時の当主

 一方、ラニエン=スガイユンは1747年に開発事業の失敗による多額の損失によって任命を取り消され1750年まで消滅したが、その後製菓産業スガイユンとして成功を収めることとなった。
 また、この件はシャグマ=ラゴン戦後にグロスクロイツ社会主義共和国連邦政府諜報機関とサーヴァリア企業連合のツァヴァラガ・ラーギット財閥による関与が疑われた。

シンテーア暦1745年 ミクチ法
 1736年に制定されたスガイユン労働組合法によって国内のスガイユンに労働組合が設立され、労働基準や労働に関する福利厚生が見直された。1740年頃からこれらの労働組合は多様な目的や思想の下に細分化・派生していき、それらは労働結社(Mikch、ミクチ)と呼ばれるようになった。1740年代も半ばにさしかかるとこれらミクチは政治思想や宗教・民族等の社会問題を取り扱うものに留まらず、趣味や娯楽を共有するためのスガイユン内組織としてのミクチも誕生した。これらを受けて労働組合をミクチとして再定義したのがミクチ法である。
 ダガイユル参事会のアクース人政治家リュタンテッシャルク・トィスヴャダファルが故郷アクースの産労主義での労働組合について明るい人物だったため、ミクチ法の制定において中心的な役割を担い、活躍した。

シンテーア暦1747年 マーカス内戦終結
 アイローム派として戦勝国となり、影響力を獲得。ニーネン=シャプチ政府とアイローム派各国政府はマーカス連邦オーリル=ニッテン政府を国家として承認。

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最終更新:2022年11月24日 22:56