Ni^nen-shapcha^shka pnaut
1773年 シュプタイ事件
元々公社派寄りの政治を期待されて当選したナプトーであったが、当選直後に愛国派に寝返り、公社派議員の主導者層56名を粛清した。背景には十六人委員会の権益を確保することを条件に実行されていた。招民院諜報機関”サナト”によって行われた。
1773年 シュプタイ=ドゥラヴァング宣言
50年代から60年代にかけて荒廃しきった
ニーネン=シャプチ経済を立て直すべく、ナプトー星衛主席は「5年以内に1750年代の経済水準にまで立て直す」と宣言。シャグマ=ラゴン入植事業の一部制限を発表。三大公社はこれを批判した。
1774~1780年 シュトム景気
1773年のシュプタイ=ドゥラヴァング宣言での改革によって、増加する失業者を軍事技術の研究と製造に当たらせるべく、全的就業を目的とした執政院下部組織「ヴンドゥヤナツェーグ」が設置された。新旧の宇宙艦艇や軍事技術の売却を行い、外貨獲得によって景気悪化に歯止めをかけることに成功し、わずかな好景気の時代に突入した。
1774年 優生人工獣人法
第二世代
不死技術と人工獣人技術を組み合わせた優生人工獣人への手厚い保護と秘密裏に行われていた製造の量産化についての法律を制定。大量の優生人工獣人が製造され、シャグマ=ラゴン星で三大公社に配属される。
1774年 ダイユンヴァール事件
プダージのダイユンヴァールにある十六人委員会本部が第二ガイユの特務工作員によって襲撃され、ドフィエ=シャ=ラニル家とサッツェタータ家の当主がコロニー区画の爆発で死亡し、他3名が重傷、5名が軽傷の事件が発生。貴族階級の強い反発を招いたが、中産階級以下はこれを歓迎した。事件の背景にはスニャールフィエが関与していると見られた。
十六人委員会は実質的に閉鎖されることとなった。
ちなみに、ドフィエ=シャ=ラニル家の当主の死亡によって娘のアルチェはシャグマ=ラゴンでナプトーに対して復讐を企てることになる。
1775年 すらんちくんの量産開始
新世代の娯楽のためすらんちくんとすらんち園の開園を決定。
1775年 連邦宇宙軍府との連帯
ナプトー政権は軍事的結束の強化のためにロフィルナ政府に働きかけ、招民院シャグマ=ラゴン方面軍第一護衛艦隊”エナトラート=クタ=プナイユート”とロフィルナ連邦宇宙軍内惑星艦隊エールミトナ星系軍第1防空機動隊、第2防空機動隊、第3防空機動隊による合同軍事演習を行った。その後両国の長官との会談を行った。この会談ではロフィルナがニーネンとの同盟関係を再確認させる狙いがあり、当時ナプトーはロフィルナがニーネンから離反し、サニェーラとの内通を疑ったからともされている。
1775年 41計画の開始
更なる軍事力増強のため、主力戦艦20隻、護衛戦艦40隻、トラーム80隻の建造計画が始まる。
1776年 ニマエラ・ストラメウト変死事件
在ニーネンのエルミア系マーカス人の
アンドロイド工学研究者ニマエラ・ストラメウトがサナシュのサクテンヴァールで変死体となって発見された。招民院諜報機関"サナト"のメンバーによって行われたのではないかとされている。
→もしかするとノーフィスケートに亡命?
1776年 ロフィルナ国内ニーネン遠星系軍軍事基地の設置
ナプトー政権は更なるロフィルナとの連帯のためにルドラトリア、フォーリーメード、テオトラの三大連邦首都にニーネン=シャプチ遠星系軍軍事基地の設置について合意した。
1776年 18番試験シールドの完成
一から開発された国内初のシールド機構が完成する。秘密裏に試験を行い、来るべき戦争に備えてこれを「シチャルト・シールド」と名付けた。
1777年 集産市場の開設
全惑星規模の臨時の配給制度を設置した。プナ=タイユ=ウェグナはシャグマ=ラゴン星でプロパガンダを行い、愛国主義への傾倒と、三大公社への批判を展開した。
1778年 元老院の閉鎖
三大公社へのネガティブキャンペーンは元老院を怒らせ、星衛主席告発決議の発案を画策したが、星衛評議会での愛国党議員らによる妨害工作によって未然に防がれる。ナプトー主席は報復として元老院を閉鎖した。
1779年 タイユ=ウェグナの復活
タイユ=ウェグナが第四の諜報機関として再び設立される。タイユ=ウェグナ初代長官にスニャールフィエが就任。
1779年 イプカの下の秩序(ショプカ=モーダイ体制)
―今こそニーネンの栄光を取り戻す時だ。
獣人優越法が可決され、星衛参事会のエフューラフト派参事官と国教院長官・副長官が辞職。
ソプゲン=ナプトーによる
ショプカ=モーダイ体制が始まる。
1780年 スガイユン合同組合
ナプトー主席は景気を減衰の原因となっていたスガイユンの破産を防ぐべく、経済活動を支援し各種の福利厚生を担うスガイユン合同組合を設立した。スガイユン合同組合の設立の最前線に立ったのはルクルシルアとアクースのお雇い外国人の専門家たちであった。
しかしこれによって不利になったのはシャグマ=ラゴンの三大公社であった。
1780年 シチャルト・シールドの共有
新兵器シチャルト・シールドをサニェーラ独立国とロフィルナ連邦宇宙軍府、(本人がOK出せば
アクース連合)に輸出。
フリートン政権が連邦宇宙軍府への態度がより強硬にしたことを懸念したための動きでもある。ちなみにロフィルナ政府側(連邦理事会側)には輸出されなかった。この件に関して連邦理事会は要請したが、ニーネン政府は「この対応はロフィルナ国内の情勢不安を懸念したものである」とした。
1782~1784年 シャグマ=ラゴン飢饉
シャグマ=ラゴン星の天候不順による不作と電力供給不足により30万人が死亡。死者は貧困層に集中した。三大公社は穀物の市場放出を拒否し、ニーネン=シャプチ本国政府による食糧援助が行われなかったため深刻化した。
ナプトー主席は三大公社を強く非難し、救貧政策の実行を計画した。
1783年 天命安息地公社集団自殺事件
三大公社の労働者たちは次々に辞職して援助を受けたため、三大公社は政府に対して再三援助を求めた。しかしナプトーはこれを黙殺し、83年には三大公社の一つ、天命安息地公社が経営破綻し経営陣が集団自殺する事件が起こった。
この事件は国内に大きな波紋を起こし、シャグマ=ラゴンの人民たちは(自分が政府からの援助を受け取っておきながらも)政府に対する批判を展開する風潮になった。
1783年 魔の手運動
シャグマ=ラゴンの人民たちは「自分たちが辛苦に耐えて開拓を続けたにも関わらず、政府は楽をして(しかも我々のご機嫌取りをしながら)それを自分たちのものにしようとしている」と考えるようになった。そのためシャグマ=ラゴンの人民は「ナプトーの魔の手からシャグマ=ラゴンを守らねばならない」としてデモを決行した。数度の大規模デモが行われ、参加者は合計で1200万人。デモ隊と政府の軍隊との衝突で2000人近くが死亡。ヴァルエルクも関与しよう。
戦後について
愛国党 終戦時党解体+無期限結党禁止
戦後は中道カーリチ党と国民経済党の連立政権
シャミーは中道カーリチ党出身。サンシャンマヒャパの愛弟子。
1789年 プナウィム秘密会談
本国政府代表のスニャールフィエが植民地政府代表のアルチェと秘密会談。終戦に向けての交渉開始。
1790:タストラ支援交渉
交渉人:スニャールフィエ・ヴェイルストレーム将軍
セティスカトールプ講話条約の数ヶ月前
シャミー
なかなかの美女だが外見で判断されることをひどく嫌う
ナプトーに師匠を殺されたのでひどく憎んでいる
ところで…
シチャインピルチの秘密結社の名前はプナウ=ジェクチ(碧水の翼)という名前だが、この名前はシチャインピルチの一族であるタシ家が管轄していたリクー公社のリクー(淡い黄緑色)の対比としてプナウ(淡い青緑色)の名前を使ったということが今回明らかになった。
おまけ
ところでマーカスはどうなったの?
オーリル=ニッテン政府の樹立
オーリル=ニッテン政権ではニッテン氏は政治アドバイザー的立場で権限を持たず、オーリル・ゴズデ大統領によるアイローム的政治が行われていた。
国民化政策
オーリル大統領は1747年の戦後まもなくリヴァダーアンドロイドが再び反乱を起こすことのないよう、
リヴァダー社製のAIチップを全て
アイローム社製エゴイズム思考AIに取替えさせる国民化政策を実行。これは1747年中に完了した。
1748年にニーネン=シャプチに亡命することになったゼラエ博士の娘ニマエラ・ストラメウトは当初からこの政策に対し反対を続けていた。
一方で、ニマエラはエゴイズム思考AIに代わる新世代AIチップ「アイデンティティ思考AI」を開発するための資金繰りに苦しんでおり、マーカス連邦政府や国外のヴァルエルク政府やエルミア政府に資金援助を求めていたが前述の国民化政策に反対し続けていたために資金援助を断られ続けていた。
国民化政策の弊害
しかし、1747年の年末あたりから一部のリヴァダーアンドロイドは思考AIチップを強制的に取り替えられたことや、新しい倫理観によるこれまでの記憶への罪悪感によって、「AI不和合性症候群」という精神疾患(不具合)を発症するアンドロイドが相次ぎ、リヴァダーアンドロイドの自殺が社会問題となった。この問題は48年総会で取り上げられる予定だったが、「見えざる圧力」によってもみ消された。
最終更新:2020年12月14日 06:15