74号計画(
檀:Frûne-krêchebai、フルーネ=クレーチェヴァイ、フルーネ計画)とは1668年から1681年にかけて行われていた
ニーネン=シャプチの不死技術化人工獣人試作量産計画である。当時は国家最高軍事機密に指定されていたため、秘匿名称である74号計画と呼ばれた。
概要
74号計画は第43代星衛主席パウタライの構想を元に
ニーネン=シャプチの人工獣人技術に
ジエール帝国連邦の不死技術を導入し、「
人工的に製造でき、かつ寿命による消耗のないエシュト」を実現するための計画である。人工獣人技術を発明したスライエナヴァール=クン=タイユシャナヴォーチェ=キューラウ博士もこれに賛同し、本計画の着手に至った。
本プロジェクトに参加させるジエール科学者一人を募集する予定。
経過
1668年、パウタライが74号計画の構想が
キューラウ博士の耳に入り、電撃的に計画が着手される。
1669年、出処不明の献金によりプロジェクトの本格始動。ジエールとの技術交換協定にて不死技術を獲得。
1670年、試験人工受精卵J-3e-2eの作製に成功。試験培養始まる。
1671年、試験人工受精卵J-3e-2eが原因不明のネクローシスを起こす。4度目の培養で正常分化始まる。
プダージのダイユンヴァールにあるミュンシャ養育施設
タイユ=プノームが秘密裏に建設される。
1672年、遺伝子アレンジメントを適用してJ-3e-2e-kun-haumが作製され、同一の卵から3体が作製されることが決定される。それぞれのコードネームを
スナー(Sna^)、
コルケーチ(Kurke^ch)、
ファウチャプガリェプネンチ(Harchaprraliepnench)とした。
1673年、
ニーネン=シャプチの最初のミュンシャ三人が培養ポッドから生まれる。
キューラウ博士は彼女らそれぞれに
ハチュートメシュナ、
スニャールフィエ、
トレーミャナルチという名前をつける。なお、培養ポッドから生まれた順番はメチュートハシュナ、スニャールフィエ、トレーミャナルチの順である。
1673年、三人の名前を当初のコードネームとくっつけて苗字風にした
シャ=タ=コルケーチ=メチュートハシュナ、
シャ=ファウチャプガリェプネンチ=スニャールフィエ、
シャ=スナー=トレーミャナルチとした。スンシャ式苗字の規則が誕生する。また、メチュートハシュナのみ
コルケーチが
タ=コルケーチとなったのは、メチュートハシュナが小児二途病に罹ったためである。キューラウ博士が病魔に負けないように「
偉大な、大きな」を表す
タ=(ta-)をつけたのであった。これは、キューラウ博士なりの親心であった。
1673年、
タイユ=プノーム宛の資金援助が行われ、シャプチ正教徒の小児医師と使用人が雇用される。
1674年、J-3e-2e-kun-haumのスニャールフィエの遺伝子型を改変したものとして改良型のJ-3e-3e-kun-tremが作製される。
1675年、スニャールフィエがメチュートハシュナの腕に噛み付いて怪我させる。これが原因で物心ついた時から人前では傷跡を隠すためにメチュートハシュナは袖の長い服を着るようになった。
1675年、
シャ=ファウチャプガリェプネンチ=サリエが誕生する。スニャールフィエの妹として遺伝子型をほとんど同じくしつつも、改良型として安定性と経済性を高めたモデルとして製造された。
1676年、改良型のJ-4e-4e-kun-tram-tram受精卵が作製される。また、スンシャ型のJ-4e-6e-N-kun-haniも作製される。
1677年、J-4e-4e-kun-tram-tram受精卵による12体のミュンシャ製造が計画されるも、本プロジェクトの情報が元老院の一部議員にリークし、出処不明の献金が問題視された。パウタライは今後74号計画に関係しないことを誓約し、スキャンダルを揉み消した。
1678年、本計画の母体であった正教院タイユ=ウェグナがミュンシャの製造中止を指示。
1679年、
ダーケフオス危機が発生。パウタライ星衛主席は
ガニュー経済体制協力機構を設立するも、
ジエール帝国連邦からの不死技術支援が打ち切られ、74号計画の続行が事実上不可能となる。
1679年、ミュンシャ養育施設
タイユ=プノームが閉鎖され、ミュンシャたちは帰る家と養ってくれる親を失う。スニャールフィエとサリエは貴族家の養子に、メチュートハシュナは正教院議員の一家の養子に、トレーミャナルチはホームレスになる。
1681年、74号計画が正式に無期限凍結される。
人物
パウタライ主席
74号計画の発案者であり、人工獣人技術の更なる発展と国策化に情熱を注いでいた人物である。
他方、1680年には
ガニュー経済体制協力機構を設立し、前年1679年に発生した
ダーケフオス危機でのジエール食料危機への援助を行ったほどの親ジエール派であった。ガニュー経済体制協力機構はその後、タシュトヘム宙圏における安全保障政策の根幹となり、タシュトヘム同盟の成立に大きく寄与した。
一方で当時所属していた国民経済党が経済を重視しているにも関わらず
サーヴァリア企業連合(当時は王国連邦)の関係悪化を招いた。
タイユ=プノームが閉鎖されてからはミュンシャたちが壮絶な境遇に遭っているのを知り、晩年はそれについて後悔しながら死んでいった。
キューラウ博士
詳細についてはキューラウ博士を参照
キューラウ博士は人工獣人技術を発明した若き女博士。
当時はまだ珍しかったジエール帝国連邦への留学をした人物で、遺伝子工学の専門家。
74号計画ではケーシャ(人間)、ナグシャ(獣人)、スンシャ(人工獣人)に代わる第四の種族ミュンシャ(不死化人工獣人)を製造した。
自身も不死技術を導入し不死不老化の肉体を手に入れた。
ミュンシャたちとはタイユ=プノーム閉鎖後に離れ離れになってしまったものの、現在では
プダージのダイユンヴァールにあるどこかの居住区に暮らしており、たまにミュンシャたちが帰省して仲良くパーティーしている。
ハシュートメチュナ
詳細についてはシャ=タ=コルケーチ=メチュートハシュナを参照
試作された三体のミュンシャのうちの一人。
心優しくおせっかい。誰かのために料理を作ったり洗濯したりするのはバッチリなのに自分のために何かしようとすると途端にポンコツになる。だけどミュンシャたちの中では最初に製造されたためお姉さんらしく振る舞っている。
1730年代から国教院の幹部になる。
アンドロイドとの共生を訴えたり、シャグマ=ラゴンでトレーミャナルチらの学園マクチ=ラ=グヤームの設立を認可したり、トレーミャナルチが連れてきたニマエラ・ストラメウトを保護したりと裏方に回ってミュンシャたちを支えていた。
トレーミャナルチ
詳細についてはシャ=スナー=トレーミャナルチを参照
試作された三体のミュンシャのうちの一人。
タイユ=プノーム閉鎖後にはストリートチルドレンとして過ごしており、グレたり占い稼業をしていたりしていた。この時期に出会った少年との奇妙な縁で軍人の一家に養子として育てられることになり、士官学校に入学。陸戦軍士官になる。
アンドロイド時代の大規模な紛争にニーネン=シャプチが介入した際に派遣され、
アクース内戦ではアランダイ軍団陸戦軍トレーミャナルチ師団を、
リスヒューメ独立戦争ではアクース軍団派遣軍第一師団を、
マーカス内戦ではトルナーチェ軍団第二ガイユ特殊作戦師団を率いた。順調に軍隊でのキャリアを進めていたがを進んでいたが1750年代に軍隊からは離れ、その後は占い師になって各地を転々としていたが、
シャグマ=ラゴン戦争直前に開拓地学園マクチ=ラ=グヤームの校長に就任。戦後はアイプゴン自治国閣僚として活躍。
人生経験と占い師としての経験から様々なことを知っており、特技は読心術。目立つことがあまりスクではなく、表情の変化と感情の起伏は乏しいタイプ。自分と周囲を客観視する癖がある。
大人しい性格だと思われがちだが、依然口数は少ないがプライベートでは行動で気持ちが分かるタイプ。案外ノリが良くサリエたちと一緒にゲームをすることもある。
スニャールフィエ
「ニュヒヒ」と笑い顔を浮かべるポーカーフェイスの持ち主。だが自分の意思や感情に正直に生きるタイプなので、よく知る人なら何を考えているか案外分かると言われる。良くも悪くもドライな正確であり、一歩引いた目線から物事を見るタイプ。しかしトレーミャナルチほど達観していない。トレーミャナルチよりもずっと口が回るタイプであり、難癖をつけてくるヤツがいると論点をすり替えたり過度に一般化したりして詭弁をこねくり回して煙に撒く。だが、他のミュンシャたちやキューラウ博士が危険な目に遭っていると冷静ではいられなくなり、怒ったり動揺したりしてしまう。
サリエ
性格は温厚かつ社交的であるが、超負けず嫌いな性格。ヴェオン・レギト人並みのインドア派。好きなものはタイユ=プノームの仲間たちとキルムーブで嫌いなものは暴言チャットと迷惑プレイヤー。ゲームなどで煽られるなどすると心の中でめっちゃマウントを取りながらわずかにはにかみながらキレる。
スニャールフィエに「キレイな顔してるんだからもっとオシャレしたらいいのにー」と言われているがファッションに興味がないためクソダサTシャツばかり着ている。通信速度にこだわりがあるらしく電波塔を完備。自宅のゲーム環境を最適にするため要塞化している。
関連項目
最終更新:2022年05月23日 16:29