人民会議党
lartassa'd joli'd Fifoes
2015年までの方形党章
党旗
党首 アルティ・ヴェルガーン・レシル
副党首 レーシュネ・ボーシュニョスツィーニ・シュフイシュコ
成立年月日 2004年6月日
前身政党 自由国民党(キャエシンス帝国)
後継政党 ユエスレオネ国民党
本部所在地 カヴィーナ
連邦議会議席数
連邦参事会議席数
党員数
政治的思想・立場 リベラル右派
ユエスレオネ至上主義
民族多元主義
シルシ多元主義
国家主義
民会主義
ヴェルテール思想
新聞 民議新聞
シンボルカラー リパラオネ・コンサバレッド
国際組織 国際民会同盟
人民会議党(理:lartassa'd joli'd Fifoes)は、ユエスレオネ連邦の自由主義右派政党(2004~2019)である。日本語文献ではコングレスとも呼ばれる。また、表記揺れとして人民会議派という呼び名も存在するが、これは政党連合の名前であるため本来は誤りである。


略歴

前史

 650年にキャエシンス帝国の皇帝であるヴァラー・ヴァレストが革命によって倒された後に成立した議会の与党となった政党である自由国民党に端を発する。自由国民党は700年より弱体化し始めて、770年には国内交渉の失敗によってキャエシンス帝国が分裂した後にレアディオ国の与党となった。長期政権を構成しながら、同国の愛国党と二大政党制を構成しながら、801年の千年和平条約によってフィアンシャに政治権力が移管されると一旦は解散するが、1412年にレアディオ革命によって再度レアディオ国が成立すると再び愛国党とともに二大政党制を復活させた。

革命から第一次社会主義ユエスレオネ時代

 大災厄が成立した後は、政府派と政治的に対立関係になったために迫害を受ける関係になり、地下活動へと再び移行してしまう。ユエスレオネ革命においては表立った活躍をしなかっただけでなく、革命後の第一次社会主義ユエスレオネ時代の間は構成員はフェンテショレーとして市民から告発の目を向けられるなど地下からの復活には時間が掛かった。

ショレゼスコ以後

 ターフ・ヴィール・イェスカ内閣閣令2号「再革命」を発令すると、ユエスレオネ連邦は民主化の道を歩むことになった。これによって当時地下活動を行っていた複数のグループは再度結集し、ユエスレオネ社会党に対するリベラル右派の受け皿を作るべく、新たに人民会議党として政党登録を行った。党首は予てより、革命時犯罪の追求を続けていたアルティ・ヴェルガーン・レシルが就任し、副党首にはレーシュネ・ボーシュニョスツィーニ・シュフイシュコが就任した。
 2005年ユエスレオネ連邦議会選挙においては、人民会議党は総票数の20.84%の得票を受け、野党第一党の地位を獲得。この地位は2019年まで続き、野党筆頭として与党であるユエスレオネ社会党の追求を続けた。

ユエスレオネ国民党に合流

 詳しくは「ユエスレオネ国民党」を参照。
 2019年になるとリパナス党のアレス・キィルフィヤが提唱した保守穏健層の連帯に参画、政党としては合流する形となったが、それ以降も旧人民会議党系派閥として同党内では最大の派閥を形成している。
 2028年には、アルフィサザン・ナーザフ率いるレヴェン新党が国民党に吸収合併して形成されたレヴェン系派閥と協力関係を構築しながら、国民党の大派閥として存在感を未だに発揮している。

有名な党員

関連項目

最終更新:2025年11月14日 12:46
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